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推定脅威

カテゴリー:社会

著者  未須本 有生 、 出版  文芸春秋
 松本清張賞の受賞作です。日本海の上空を領空侵犯してきた不審機に自衛隊機がスクランブル発進して接近する。ところが、あまりに低速飛行してしまったため、失速して、海面に激突してしまった。
 いったい何が原因で起きた事故なのか・・・。
 自衛隊のジェット戦闘機TF-1は、防衛省技術研究本部が開発し、航空自衛隊が運用する。開発にあたっては、四星工業が主契約社となって設計・製造している。
 ジェット戦闘機の構造を詳しく知っていないと書けない展開です。そして、構造・性能を一般的に知っているだけではストーリー展開ができません。犯人は飛行機の弱点を知りつくしていて、そこを狙って仕掛けてくるのです。
 こんなメカニズムの取材は大変だろうなと思って、最後に著者の経歴を知って、そうだったのかと納得してしまいました。著者は、何と東大工学部航空学科を卒業して、大手メーカーで航空機の設計に長く従事していたのです。そのとき、自衛隊のメカニズムとか、その問題点も十分に認識したのでしょうね。
 そして、自衛隊と民間企業との交流の実態も実体験して十分に把握していたからこそ、ストーリーが無理なく展開できたのです。
 推理小説なので、これ以上はもう書きません。「航空機についての知識に圧倒される」というコメントには、まったくそのとおりだと私も思いました。
 ところで、特定秘密保護法が施行されて動き出したとき、このような自衛隊機の問題点を探ったりするのは、まさしく「秘密」そのものに該当しますよね。そうすると、今は推理小説として楽しく読めますが、小説の素材にもしにくくなることでしょうね。
 まったく、国民の知る権利に逆行する法律です。弁護士会は、日弁連を先頭に特定秘密保護法は廃止すべきだと声を上げています。
(2014年8月刊。1350円+税)

ロックで学ぶリーガルマインド

カテゴリー:司法

著者  奥山 倫行 、 出版  花伝社
 一風変わった、素人向けの法律解説書です。法律の考え方をロック音楽を通じて身につけようというのですから、私なんかの発想の外の世界です。
著者である弁護士の得意分野は、民法、刑法、会社法、著作権法、商標法、不正競争防止法、倒産法というのですから、地方都市のよろずや弁護士である私とは、この点でも、かなり違った分野で活躍しています。もっとも、東京での大手渉外事務所から独立して、今では札幌で弁護士をしているとのことですから、企業法務中心といっても、東京のときとは一味違っているのではないでしょうか・・・。
 それはともかく、著者のすごいところは、FM放送で「ロック裁判所」として電波に乗っているということです。すでに2009年4月以来、260回以上の番組が組まれているとのこと。たいしたものですね。
 この本では、ロック番組のなかで起きた事件を紹介しつつ、法律の考え方や裁判の実際を紹介しています。登場するロック・アーティストの大半は私の知らない人たちです。それでも、マイケル・ジャクソンなら、その音楽を聞いたことは一度もありませんが、名前だけなら私も知っていますし、ポールマッカートニーは、私の高校生時代を思い出させるなつかしい音楽家です。先日、福岡でコンサートをしました。聞きに行ったわけではありませんが、久しぶりに聞いてみたいとは思いました。
 どんなトラブルが起きたのか、その対処法として、何をなすべきなのか、解決策は何かについて、ロック・アーティストをめぐって起きた現実の事件を通して弁護士が考え方を提起していますが、とてもユニークな視点です。
 さすがに慶応大学に在学中からロックに熱中してきた著者による、うんちくを傾けた異色の本です。
(2014年11月刊。1700円+税)

賃金差別を許さない!

カテゴリー:アメリカ

著者  リリー・レッドベター 、 出版  岩波新書
 往復2時間の電車の中で読みふけり、没頭し、涙が出て止まりませんでした。
 もちろん私は男ですが、女性に対する理不尽な賃金等の差別と執拗ないやがらせに、怒りと恥ずかしさに身もだえする思いでした。
 会社内での嫌がらせは、著者の身の安全をも脅かすものだったのです。車のタイヤに、親指ほどもある木ねじが突き刺さっていた。フロントガラスがガラスカッターで切られていて、運転中に車が跳ねたら顔前に落ちてくる仕掛けになっていた。ギアケーブルに細工され、ハンドルもブレーキもきかなくなるようにされていた。だから、ハイウェーをもう少し走っていたら、危うく事故を起こして死ぬところだった。さらに、車のフェンダーは切り刻まれ、ボディーにも傷がつけられていた。
 この本の著者は白人ですが、アメリカの大手タイヤ・メーカーであるグッドイヤーに20年近く勤めていました。現場労働者を監視するマネージャーだったのです。マネージャーは、アメリカでは労働組合員にはなれないようです。したがって、上司からも下の労働組合員からも責められて、大変な立場に置かれます。
 アラバマの裕福でない家庭で育った著者は、17歳のときに結婚しました。結婚した直後の著者の気持ちは・・・。突然、自分が大馬鹿者のように感じられた。二人の育った環境の違いが結婚生活の障害となることに、ちゃんと気づいておくべきだった。
グッドイヤーでマネージャー(監督者)として働くようになって、組合に所属する現場の労働者たちと、上層の管理者の両方から、毎日、これほど文句や難癖が来るとは思ってもいなかった。
あるベテランの労働者は、こう言った。
「オレは、家でメス犬にあれこれ命令されているんだ。現場でまでメス犬に指図されるものか」
 彼は、それまで女性の下で働いたことがなかったのだ。
 監督者として、すぐに、すべての罵詈雑言や悪口を無視することを学んだ。また、常に警戒を緩めてはならないことを理解するのにも、長くはかからなかった。
 現場の労働者と接するとき、相手に歩み寄り、そのパーソナリティを理解しようとすることの重要さを学んだ。彼らとの関係がうまくいくように、ときには自分の態度を変えることも必要になるのだ。
 最初から尊敬される人間などいない。スポーツ監督が選手から尊敬を勝ちとるように、マネージャーもクルーの信頼を勝ちとらなければならない。
何人かの善良な人々に助けられたおかげで、働き続けることが出来た。
 最後には、自分で自分を守るしかない。他の人々よりも一生けん命に、かつ賢く働かなければならない。グッドイヤーでは、いつ誰が敵になり、いつ誰が味方になるのか、まったく見当がつかなかった。
それでも、著者は社交ダンスを趣味でしていて、競技会に出場して優勝したのでした。
 職場のストレスのため、著者は、大腸の手術を受けています。限界まで張りつめた直腸の筋肉が、食べた物が体の中を通過していくときに、裂けてしまったのだ。
 さらに、ストレスの発散口を周囲にいる家族にあたり散らしてしまった。身体は、頭が向きあうとしなかった事実を、明確に伝えていた。
ある日、著者のロッカーにメモが投げ込まれていた。それによると、男性マネージャーに比べて1万ドル以上も低い収入だった。そして、ついに著者は若手弁護士に依頼し、グッドイヤーを訴えた。そのとき、弁護士を選んだ決め手は・・・。
彼の物言いは率直。生来の威厳が備わっていた。何よりも気に入ったのは、目の力強さ。たしかに、そういうことってありますよね。目力(めじから)は大切です。
著者が訴訟を起こしたのは1999年11月で、実際の審理が始まったのは2003年1月のこと。弁護士は合計50万ドル以上もつぎ込んだ。そして、著者も、老後のための年金を全部つかい果たしてしまった。
 裁判前に、著者は10時間におよぶ証言録取を受けた。会社側の弁護士は、著者の意気を挫き、混乱させ、言葉の網の中で自滅するのを待っていた。しかし、著者は、あくまで真実を曲げずにがんばった。汗まみれになり、その日に着ていたスーツの脇の部分には、緊張による発汗で出来た黒い三日月形の染みが残っていて、ドライクリーニングに出しても消えなかった。その青いスーツは、以後、二度と着なかった。
審理が始まるまで、不安で眠れない夜が数え切れないほどあった。もし裁判に負けたら、グッドイヤーが金銭の請求をしてくるかもしれない。家を失うことが怖かった。
法廷で、著者はグッドイヤーで働いていた日々と同じ服装をした。別の人間になるつもりはなかった。雇われてきちんと仕事をしたことにより正当に獲得したはずのものを、取り戻そうとしているだけなのだから・・・。
陪審員の評決が出た。性別を理由とする差別を認めた。33万ドルを会社に支払えとした。さらに、陪審員は、グッドイヤーに対する懲らしめといって、328万ドルを支払うよう求めた。「蜂の一刺しを与えたい」と陪審員たちは思ったのだ。
 しかし、著者がこの賠償金を実際に手にすることはありませんでした。グッドイヤーが控訴し、アメリカ連邦最高裁も一票差で著者の訴えを認めなかったのです。なんということでしょうか・・・。
でも、それで終わらなかったのが、民主主義の本場・アメリカなのです。さすがに奥の深いところがあります。そして、ついにオバマ大統領のときに、著者の名前をつけたレッドベター公正賃金(復元)法が成立したのです。
 一介のアラバマ娘がタイヤ工場の監督者(マネージャー)となり、30年後には、訴訟の当事者、女性の権利の擁護者、ロビイスト、文策家、講演者と、多彩な経験を積んだ。
 ときどき、人生は変化球を投げて来る。望んだわけではなく、予想すらしなかったとしても、それに対応しなければならない。人間の真の価値を決めるのは、その人に「何が」起こるかではなく、それに「どう」対応するかである。不正義を目にしたとき、何もせずに座視するのか、それとも、それを正すためにたたかうのか。挫折を経験したときに、甘んじて受け入れるだけなのか、それとも失敗から学んで、次はより良くがんばるのか。
 心の震えのとまらない、感動の本です。ぜひ、ご一読ください。アメリカの民主主義も、まんざら見捨てたものではないのですね。著者は、オバマ大統領の初当選の祝賀会で、大統領と一緒にダンスを踊ったことでも有名な女性のようです。
(2014年1月刊。3300円+税)
昨日の新聞に、衆議院選挙の得票率は前回(59%)を下まわりそうだという記事がのっていました。自民党は前回、得票数を減らしたにもかかわらず、大量の議席を占めました。今回も300議席をこえる予測を報道がなされています。
 そうなったら、憲法改正がいよいよ現実化する危険があります。弁護士会としては、立憲主義の見地から、平和主義をそこなうような改正を許さない取り組みを強める必要があると思います。すでに日弁連は全国キャラバンに呼びかけています。全九州で、もちろん福岡でも、これまでのレベルではない取り組みたいものです。

ヒトラー演説

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  高田 博行 、 出版  中公新書
 ヒトラーの演説の移り変わりを丹念に分析した本です。大変興味深い内容でした。
 1913年、ヒトラーは、ウィーン時代と同じくミュンヘンでも絵を売って生計を立てていた。そして、マルクス主義に関する本を読みあさった。信奉していたのではなく、「破壊の教義」と考えていたのです。
 1920年ころ、ヒトラーの演説は夜の8時半に始まって、11時ころに終わった。ふつう2時間は演説した。このころ、1年半前には民主主義と社会主義の夢にとりつかれていた民衆が、今や国粋主義に熱狂している。
 ミュンヘンのビアホールには、面白い見世物があるのを楽しもうという人々が集まった。そこでは、大げさぶりが一番通用する場所だった。ヒトラーは、きちんとした演説原稿を用意することはなかった。その代わり、演説で扱うテーマについて、扱う順番にキーワードもしくはキーセンテンスを書いてまとめたメモを作成した。そのメモを手元に置いて、演説をはじめ、演説を終わることができた。
 1923年11月のミュンヘン一揆の失敗でヒトラーは刑務所に収監されたが、その獄中生活は待遇が良く、『我が闘争』の原稿をつくった。ヘスに自分の考えを口述筆記させた。
 大衆の受容能力は非常に限定的で、理解力は小さく、その分、忘却力は大きい。
 大衆は、頭の回転が遅いため、一つのことについて知識を持とうという気になるまでに、常に一定の時間を要する。したがって、もっとも単純な概念を1000回くり返して初めて、大衆はその概念を記憶することができる。多くを理解することができない大衆の心のなかに入り込むには、ごくわずかなポイントだけに絞り、そのポイントをスローガンのように利用する。
 演説家は、その時々の聴衆の心に話しかけることが大切だ。
 聴衆の反応をフィードバックしながら演説を修正していくことが必要だ。
 同じ演説するにしても、どの時間帯でするかによって、効果に決定的な違いがある。
 朝10時では、さんざんだった。晩の方が午前より印象が大きい。晩には、人間の意思力はより強い意思に支配されやすい。
 ヒトラーは、敵対的なあり方をユダヤ人に代表させて、唯物主義、金銭至上主義として表現している。聞き手は、共通の敵が設定されていることによって、集団としての一体感を獲得する。ヒトラーは、演説のとき、「わたし」ではなく、「われわれ」をもちいる。
 知識層を好まないヒトラーは、初めは大学生をナチ運動に取り込むことに積極的ではなかった。しかし、合法政権を掌握したあと、考えを改め、ナチス学生同盟を重視するようになった。
 1930年、ヒトラーの演説を聞いた人は、次のように報告した。
 「彼はタキシードに身を包んでいた。ヒトラーは生まれながらの弁士だ。徐々に高い熱狂へと上りつめ、声は次第に大きくなる。大事なところは、両手をあげて繰り返して言う。その後すぐに、牧師のように両手を胸に当てて語る」
 聴衆の期待感、切望感を高めるため、ヒトラーは演説会場に意図的に遅れて到着した。
 1932年、ヒトラーは、オペラ歌手から発声法の個人レッスンを受けた。
 「最初はできる限り低い声で語る。そして、あとで高めていく。それまで大きな溜ができる。静寂と劇場のちょうど間に、弾劾する声を置く」
 「前列に目をやるのではなく、常に後ろのほうに目を向けておかないといけない」
 ヒトラーが政権を握る前のナチ運動期の演説でよく出てきた名詞は「人間」そして「運動」だった。それが、ナチ政権期には、「国防軍」「兵士」「戦争」などに変わった。
 ヒトラーが公共の場で演説することが少なくなったことから、人々はヒトラーとのつながりが減り、溝が広がっていった。大きな演説は、1940年に9回、41年に7回、42年に5回、43年は2回のみ。
 ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったから。ラジオを通してヒトラー演説を聴く国民には、今や信頼感が全く欠けていた。この現実を前にして、弁論術はそれ自体いくら巧みで高度なものであったにしても機能せず、国民のなかに入っていくことはできなくなっていた。演説内容と現実とが極限にまで大きく乖離し、弁論術は現実をせいぜい一瞬しか包み隠すことができないでいた。
マイクとラウドスピーカー、そしてラジオという新しいメディアを駆使したヒトラー演説は、政権獲得の1年半後には、すでに国民から飽きられはじめていた。
 ヒトラー演説は、常にドイツ国民の士気を高揚させたわけではない。
 ヒトラー演説の絶頂期は政権獲得前の1932年7月の全国53カ所での演説だった。
 恐るべき狂気の天才的扇動家であるヒトラー演説がよくよく分析されていると思いました。ポーズだけで騙されてはいけないということですよね。安倍首相には、要注意です。
(2014年6月刊。880円+税)

平和と命こそ

カテゴリー:社会

著者  日野原 重明・宝田 明・澤地 久枝 、 出版  新日本出版社
 憲法九条は世界の宝だ。
 こんなサブタイトルのついた、読めば元気の出てくる本です。
 医師、俳優、作家の三人が自分の体験をふり返りながら、平和の大切さ、そして憲法九条への思いを熱く語ってくれます。
 初めは澤地久枝さんです。
 私は、バカな戦争中の軍国少女であったことを自覚して以来、戦争はやってはならないと思ってきた。原発はやめたい、核兵器のすべてをなくしたいと思って生きてきた。
 自分の収入とか地位とかが脅かされるということで逃げたか?
 私は一度も逃げたことはない。
私は、日本の敗戦を中国東北部(満州)の吉林で迎えた。
14歳だった。そのときから国というものを信用していない。
自衛隊は憲法違反だから、あれをなくして、それに代わるものとして災害派遣隊を税金でつくったらいい。
 憲法は、すごい危機の下にある。九条を吹っ飛ばし、96条も骨なしにして、日本がアメリカの同盟国として、いつ終わるとも分からない戦闘状態に入っていく、その前夜に私たちはいる。
 私は、権力に対して非常に警戒的で、闘争的かもしれない。でも、権力は、放っておけば悪いことをする。
 私のことを「アカ」と言う人がある。権力に対してハッキリものを言うのが「アカ」ならば、日本中みんなが「アカ」になればいい。そうしたら、政治は確実に変わる。せかっく、この時代に生まれてきて、やられっぱなしでは悔しいではないか。一人一人の力は小さくて弱くても、少しずつ少しずつ広がっていったら、確実に世の中を変える力になる。
 二番手は、俳優の宝田明さん。1934年4月に、朝鮮の清津(チョンジン)で生まれた。
 敗戦のとき、ハルビンにいて、小学5年生だった。
 8月16日、ソ連の85トンの重戦車が何十台もハルビンの中心部へ進入してきた。
 戦後、日本に帰ってきて、俳優になることができました。1954年(昭和29年)11月、映画『ゴジラ』は、961万人という観客を動員した。宝田さんはその主役に抜てきされたのです。
私をこれまで支えているのは、日本へ引き揚げてきたときの辛い体験だ。
日本を守るというのなら、武力とは違った方法で守ったらいい。どこかの国に加担したり、どこかの国におんぶしてもらう必要など全然ない。戦争が起こる前に行動するのが、外交そして政治というもの。
 間違っても、あのような戦争を二度と起こすまい。日本は世界に冠たる憲法九条をもっている国だと言うことを、声を大にして強く発していくときだと思う。
 憲法九条は、世界の宝だ。日本に軍事力はいらない、軍隊もいらないと宣言したのだから、世界の誰に恥じることなく、もっと堂々としていたらいい。
 最後の三人目の日野原さんは、100歳をこえて、今なお現役の医師です。
 敗戦のとし、1945年3月10日未明の東京大空襲のとき、聖路加国際病院で内科医長をつとめていた。アメリカ軍は、日本を占領したとき、この聖路加国際病院を接収してアメリカ軍の野戦病院とするつもりだったので、あえて爆撃はしなかった。
 人は創(はじ)めることさえ忘れなければ、いつまでも若い。いい言葉ですよね、これって。
 私は、人を殺す戦争というのは、基本的によくないから、自衛隊が国防軍になるようなこと、アメリカやその他の国の兵隊と一緒に任務につくようなことはやめて、沖縄その他の基地をできるだけ縮小して、そして10年後には、日本からアメリカの軍事基地をなくしたい。
 今のままでは、自衛隊が国防軍になり、空軍や陸軍、海軍が必ずできるだろう。これは、たいへんなこと。せっかく憲法九条で戦争を放棄したのだから、放棄した時点にもう一度戻り、世界の平和のために、大きな志のもとに団結しようではないか。
 勇気ある行動を起こすためには、まず自分を変えなければいけない。
 よき友をもとう。未来に向かって勇気をもって、ともに前進しよう。これは世界平和のためなのだから・・・。
 100歳をこえる日野原先生の熱い呼びかけに私たちも応えないわけにはきませんよね。
(2014年7月刊。1200円+税)

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