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藤原清衝

カテゴリー:未分類

著者  入間田 宣夫 、 出版  集英社
 平泉の中尊寺には行ったことがあります。黄金色に輝く金堂の見事さには息を呑むばかりでした。奥州に花咲かせた平泉藤原氏三代の初代・藤原清衡(きよひら)の果たした偉業をしっかり認識させられた本です。
 大治元年(1126年)春3月24日、中尊寺鎮護国家大伽藍(がらん)の造営を祝う盛大な儀礼・落慶供養(らっけいくよう)の法要が開催された。ときに清衡は71歳。
 大伽藍の中心には、三間四面の檜皮葺(ひわだぶき)の本堂(金堂)には、丈六(じょうろく)皆金色(かいこんじき)釈迦三尊像が安置され、その左右には50体の脇士侍者(わきしじしゃ)がそれぞれ立ち並んでいる。このモデルは、御堂関白・藤原道長の創建した京都の法成寺(ほうじょうじ)であった。
 中尊寺の仏像群は京都から招かれた著名な仏師の手になるものであり、建物も京都方面から招かれた最高水準の大工によって建立された。
 二階瓦葺の経蔵(きょうぞう)には、金銀泥の一切経、5400巻が収納されている。
 経巻は金泥の文字が1行、次に銀泥の文字が1行、そしてまた金泥の文字が1行というように金文字と銀文字とを交互に用いている。さらに、経巻の料紙には、紺色を、経巻の軸には玉を用いた。法華経10巻も1000部セットが用意された。
 二階の鐘楼には、20釣の洪鐘が懸けられ、その鐘の音は千界のかなた、宇宙の果てまで及ぶかのように、大きく鳴り響く。そして、この日は、実に1500人もの僧衆を招いての大法要であった。
 千僧供養(せんぞうくよう)は、天皇・上皇あるいは摂政・関白などが主催し、朝廷や法勝寺・延暦寺・興福寺ほかの諸大寺でしかおこなえないものであった。遠く離れたみちのくにおいて、しかも一介の地方豪族にすぎない。清衡の主催で本来なら出来るはずのない興業だった。
大伽藍の造営に寄せる願文は、当時きっての大学者(文章博士(もんじょうはかせ)、大学頭(だいがくのかみ))、右京丈夫(だいぶ)藤原敦光朝臣(あそん)の起草であった。
 そして、この大伽藍には、「御願寺」という金看板がかけられた。「禅定法皇」(白河上皇)の発願(ほつがん)によって建立された国家的な寺院としての金看板である。
 清衡の願いは、前九年合戦そしてあと三年合戦によって戦い死んだ敵味方の人々を等しく救済し、極楽浄土に導くことであった。藤原清衡は、自らを「東夷の遠酋(とういのおんしゅう)」と呼んだ。東辺の蝦夷集団を束ねるべき、遠い昔から酋長の家柄に属するもとのということである。
 また、「俘囚の上頭(ふしゅうのじょうとう)」とも自称した。朝廷に服属する蝦夷集団の棟梁ということである。同時に清衡は、「弟子(ていし)」という一人称も付している。弟子とは仏弟子のこと。天皇や道長が自らの名前の上につけた言葉である。
 藤原清衡の前半生は凄まじいものがあった。幼少にして、父親(経清)が斬首された。母親は敵将の息子に再嫁させられた。義理の兄に反旗を翻し、父親違いの弟によって、妻子・眷族(けんぞく)を殺害された、自らの命も狙われた。さらには、その弟を攻め滅ぼし、そのうち取られた首と対面した。そして、清衡は自ら予告したとおり、金色堂内において、本尊阿弥陀仏の御前に坐して合掌し、念仏を唱えながら眠るがごとく目を閉じた。清衡73歳。大治3年(1128年)秋7月16日のことだった。
 奥州三代の初代・清衡が、これほどの人だったということを初めて知りました。平泉の中尊寺・金色堂の最良のガイドブックです。
(2014年9月刊。1750円+税)

サイボーグ昆虫、フェロモンを追う

カテゴリー:生物

著者  神崎 亮平 、 出版  岩波科学ライブラリー
 ゴキブリが素早く逃げられるのは、弱い風を尾葉で感じるから。この尾葉は、ゴキブリのお尻に、触角より短いが、一対の突起がある。尾葉には、たくさんの毛が生えている、わずかな風で、この毛が動き、ゴキブリは敵が来たことを察知して逃げる。人間は、刺激を受けて反応するまで0.2秒かかるけれど、ゴキブリは0.02秒で反応する。人間よりも10倍速い。
 ゴキブリは中生代のはじめ、2億5000万年前に地球上にあらわれ、現在に至るまで姿形をほとんど変えずに生きながらえている。
 ミツバチは秒間に300回もの光の点滅を見ることができる。人間は1秒間に50回の点滅しか区別できない。
 昆虫は空気の粘性(ネバネバ感)を感じる。人間は感じることができない。
昆虫は、レンズの焦点距離の問題を解決するため、直径が0.03ミリほど小さなレンズからなる眼(個眼)をつくり出した。これだと焦点距離は短くてすみ、小さな眼として機能する。レンズの直径を5ミリとする眼にしたら、レンズの焦点距離も5ミリとなり、焦点が結ばれるところが頭からはみ出てしまう。
カイコガのフェロモンの発見には、日本が大きく貢献した。研究に使われたカイコガは当時、養蚕業が盛んだった日本からドイツに送られたものだった。100万匹ものカイコが送られ、そのうちのメス50万匹を使って12ミリグラムの化学物質が結晶として単離された。
 カイコガは、脳で複雑な判断をするのではなく、直進、ジグザグターン、回転という行動ターンを、臭いの分布状態に応じて繰り返すことで、匂いの源の探索に成功している。
 カイコガ(成虫)の寿命は1週間だが、頭を切りとっても1週間は羽ばたいたり、歩いたりできる。昆虫は、胸部のみ、つまり胸部神経節があれば、リズミカルな羽ばたきを起こすことができる。歩行も同じ。
昆虫のもつ優れたセンサーや神経系の機能を分析し、理解し、活用することが少しずつ出来るようになってきた。
 その結果、6脚で歩行するロボット、コオロギのオスが鳴き声で呼び寄せる仕組みから音源を探し出すロボット、昆虫が複眼を用いて障害物を回避する仕組みを使った衝突回避ロボット、さらには、オスのガがメスをフェロモンの匂いをたよりに探し出す仕組みをつかった匂い源探索ロボットなどが試作されている。また、昆虫の嗅覚受容体(タンパク質)をそのまま使った匂いセンサーもつくられるようになった。
 昆虫のスーパー能力を解明して、それをロボット技術に応用・開発しているというのです。すごい話だと思いました。
(2014年7月刊。1200円+税)

意識をめぐる冒険

カテゴリー:人間

著者  クリストフ・コッホ 、 出版  岩波書店
 脳から末端までつながった神経システムは、数百億個以上ものネットワークとしてつながった細胞群で構成されている。そうした細胞の中でも、もっとも重要なのが、神経細胞(ニューロン)だ。ニューロンには、さまざまな種類がある。おそらく100種ほど異なるタイプがあるだろう。そのニューロンのもっとも重要な特性は、つながった先のニューロンを興奮させるか(興奮ニューロン)、あるいは抑制させるか(抑制性ニューロン)という点だ。
 脳のなかで起きている電気活動が、どうして人間が主観的にしか感じることが出来ない経験を生み出すのだろうか・・・。
 腸の内壁を覆う1億個あまりのニューロンがある。腸内には、「第二の脳」とも呼ばれる腸管神経系が存在する。腸管神経系のニューロンは消化管内で、栄養分の摂取と廃棄物の処理とを粛々とこなしている。しかし、この仕事は人間の意識にはのぼらない。
痛みや吐き気の原因となる情報は、胃の迷走神経を介して大脳皮質へと伝えられ、大脳皮質のニューロンが痛みや吐き気というクオリアを引き起こしている。腸内にある第二の脳で生じた神経活動が、人間の意識を直接に生み出すことはない。
 映画は、日常の雑多な心配事、不安、恐怖、疑念といった自意識から引き離してくれる。上映されている数時間のあいだ、観客は別世界の住人になれる。そんなことが、このうえない喜びをもたらす。
 自意識と並ぶ、人間固有の特性が言語能力だ。人間は言語を獲得したことで、概念を表現したり、記号を操作したりして、他人とコミュニケーションを取ることが出来るようになった。
 この文章を読んでいるあいだ、眼球はせわしなく動き続けている。しかし、その動きによって生じるはずの画像のブレが意識にのぼって来ることはない。この非常に早い眼球の動きは、「サッカード」と呼ばれている。人間の目は、1秒間に数回のサッカードを起こし動いている。
 このように人間の目は、忙しく動き続けているにもかかわらず、意識にのぼってくる映像は、目の動きを反映せず、安定している。
 日々展開していく人生は、まだ書かれていない一冊の書物だ。あなたの運命は、あなたが決めていく部分もあれば、あなた以外の他者の行動や、自然の動きなど、宇宙のすべてのものの影響を受ける。
 私たちには、信じたいものを信じるという性向がある。
 一番大切なことは、自分に嘘をつかないこと。そして、これが一番難しいことだ。
私たちの人間の意識、そして無意識について深く掘り下げた本です。
(2014年8月刊。2900円+税)

データで読む平成期の家族問題

カテゴリー:社会

著者  湯沢 雍彦 、 出版  朝日選書
 日本の家族に関する面白いデータが満載の本です。
平成22年(2010年)時点では、男の80%、女の90%は50歳までに一度は結婚している。
 児童虐待は小さなものまで含めると最近は急増し、年に6万件が報告されている。格差が拡大し、低所得家族での親子関係は悪化している。
 夫婦として暮らしている者(内縁を含む)は3200万組あり、年間の離婚件数23万件は微々たるものにすぎない。したがって、制度としての婚姻は健在であり、夫婦と親子の大部分は安定していると言える。
 出生の実数は、平成2年に122万人、平成12年に119万人、平成23年は105万人と減少を続けている。
 婚姻件数は、昭和47年に史上最高の110万件、婚姻率10.4%。その後、急速に下降し、昭和62年に69万件、婚姻率5.7%、平成25年には66万件、婚姻率5.2となっている。このように婚姻志向は明らかに低下している。
 結婚式の費用は、平成23年344万円。ご祝儀226万円を除いて、120万円の負担。招待客の平均は74人で、やや減少しつつある。
 この25年間で目立つのは、再婚の増加。再婚における女性のためらいは、非常に低くなってきた感じである。
 「妻の氏」を称する再婚が、妻再婚の場合に6.6%、夫再婚の場合に4.7%、そして再婚同士の場合には9.0%。この最大の理由は、子連れで再婚する妻とこのために、その姓を変えないようにしたいという思いやりが強まったことによる。
平成1年の離婚件数は15万8000件、平成14年には29万件となった。ところが、平成15年から減少していて、平成23年には23万6000件となった。日本は離婚が多い国とは言えない。先進国の中では、イタリアを除いて、最も低い。100組に1組の夫婦も離婚していない。
 日本では、養子縁組が年間8~10万件ある。日本は世界有数の養子大国である。ところが、特別養子縁組は、この10年間に年間400件未満しか成立していない。
 葬儀費用は平均231万円。高額なのは東北で283万円、低額なのは四国で150万円。
 樹木葬墓地は、供養代を含めて50万円ほど。
成年後見の申立は平成12年に7451件、平成23年は2万6000件で、4倍近くも増えた。禁治産の申立件数の10倍にもなる。認定されたものの累計は21万人。
 しかし、ドイツは、人口が日本の3分の2でしかないのに、年120万人が利用している。日本も120万人が利用して当然なのだが・・・。
これらのデータは、日本の家族問題を考えるうえで、また家族をめぐる事件に対処するとき、必須不可欠の基本的知識と言えます。
(2014年10月刊。1400円+税)

「戦場体験」を受け継ぐということ

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  遠藤 美幸 、 出版  高文研
 元日航・国際線スチュワーデスだった著者(現在は歴史学者)によるビルマ戦線における日本軍全滅戦を記憶・再現した貴重な本です。
戦争というものの悲惨さ、というより、むごさをじわじわと実感させてくれます。というのは、拉孟(らもう)の陣地にたてこもる日本軍守備隊1000人近くが中国軍によって全滅させられた事件を丁寧に掘り起こしているからです。
 それができたのは、数少ない生存者がいたこと、その生存者にインタビューできたこと、さらには、現地に出向いて、現地の攻めた中国軍からも取材できたことによります。10年という長い歳月をかけての取材が本書に結実しています。
日本軍の将兵の無残な戦死を記録する貴重な本だと思いました。そして、それらの将兵の多くは、九州出身だったのです。本当に哀れです。
 1944年6月、米中連合軍4万が日本軍の拉孟陣地を包囲した。
 3ヵ月あまりの死闘の末、9月7日、日本軍の拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実情が本書によって明らかにされているのです。
 1944年3月、北ビルマを起点としたインド侵攻作戦(インパール作戦)が始まった。これは、ビルマ奪回を狙うイギリス軍の作戦拠点であるインド東北端のインパールを攻略し、さらにはインド独立運動に乗じてインドの反英独立運動の気運を醸成し、イギリスの支配からインドを分断しようということだった。ところが、補給をまったく無視したインパール作戦は史上最悪の作戦となり、日本兵の「白骨街道」を残して終わった。
 1944年7月3日、日本軍大本営はインパール作戦の中止を命じた。
 インパール作戦の失敗後、中国雲南西部の山上陣地であった拉孟の戦略的な重要性が一挙に高まった。
 1944年6月から、拉孟守備隊1300人と、4万人の中国軍とのあいだで、100日間の攻防戦が続いた。日中の兵力差は15倍以上だった。
 連合軍(アメリカ)からの軍事援助で補強された中国軍に日本軍の拉孟守備隊は全面的に包囲され、武器・弾薬そして食糧の枯渇のなかで、1944年9月7日に拉孟守備隊、そして続いて9月14日に騰越守備隊が相次いで全滅した。これによって、日本軍は北ビルマから完全に排除された。
拉孟守備隊1300人と言っても、傷病兵300人をふくんでいるので、実質的な戦闘力は900人もいなかった。それに対する中国軍の総兵力は4万人を上まわっていた。
 この拉孟陣地にも、従軍慰安婦が20人ほどいた。朝鮮人女性15人、日本人5人だった。
 これらの女性の存在理由は、日本軍将兵の性欲はけ口以外のなにものでもなかった。女性たちの恥辱と苦恨は、心身から生涯、消えることはなかった。
 そして、日本軍の拉孟守備隊のなかに、朝鮮人志願兵がいた。それは全体の2割を占めている。
 著者は1985年8月のJAL御巣鷹山事故のとき、JALの社員でした。そして、飛行の安全のためにJALの第二組合を脱けて第一組合に加入したのです。それは、「当然のように」、さまざまな嫌がらせと差別を伴ったのでした。若い女性には耐えられない、ひどさでした。
 日本軍の無謀な戦争と、現代日本における違法・不当な大企業における労務管理の生々しい実態を図らずも結びつけた貴重な本です。
(2014年11月刊。2200円+税)

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