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文革

カテゴリー:中国

著者  董 国強  、 出版  築地書館
南京大学14人の証言、こういうサブタイトルのついた、かつての中国で吹き荒れた文化大革命の体験談を集めた本です。
私も南京に行ったことがあります。とても大きな都市です。南京大学には行っていませんが、南京の城壁にはのぼってみました。とても大きな城壁です。
日本軍は1937年12月、南京事件(南京大虐殺)を起こしています。30万人かどうかはともかくとして、日本軍が中国軍の敗残兵を大量に殺害し、罪なき多数の市民を無残に殺したうえ、無数の女性を強姦した事実は絶対に消せるものではありません。加害者は忘れても、被害者はずっと後の世代まで忘れることができません。
南京は日本軍の支配下から脱したあと、重慶から移ってきた蒋介石政権が首都としたこともある重要な都市です。そこにある南京大学は、北京大学と並ぶ中国でも有数の大学です。その南京大学における文化大革命の顛末が、当時、教授や学生だった14人から語られていて、大変興味深い内容になっています。
南京大学での文革の開始は、わずかに北京大学での動きに遅れるだけだった。
文化大革命における大衆運動が想像外にエスカレートした背景は・・・。
まず、毛沢東の政治的威光。当時、毛の権威は絶大だった。毛思想教育が徹底しており、毛の呼びかけには何らかの形で応える政治的必要があった。
次に、共産党政権への不満である。階級区分による差別、私生活の管理に対する不満、非正規雇用が増加し、社会には不満が渦巻いていた。したがって、文革に名をかりて、自らの不満解消を図る人々も少なくなかった。
1971年9月の林彪事件は、紅衛兵も海外の文革礼賛派も幻滅させ、文革への疑念を生じさせた。
1974年の批林批孔運動のときには、過去の熱狂は失われていた。
文革の運動に積極的に参加していた人々の多くは、個人的な目的を心に抱いていた。家庭条件が悪く、自分の資質が良くない人は、文化大革命の期間を通じて「造反」「経験交流」などに出かけ、多くの利益を得た。
農村に追いやられた学生たちは、そこで農民の大変な生活を目にした。農民の生きていく唯一の目的が、いかに腹を満たすことであるかを知った。この現実を見て、学生たちの考え方が大きく変わった。
当時の農民には、ほとんど娯楽と呼べるものはなかった。彼らの精神生活は、きわめて貧困だった。しかし、農民もばかではなかった。彼らには彼らの考え方があり、知恵があった。
重大な言い間違いをしたとき、苦労して育ててきた豚を殺し、村人や幹部を招いて宴会をするのだ。そうすると、何事もなかったことになる。
農民は懐中電灯すら買えなかった。しかし、人間性は失っていなかった。何も持ってなかったが、善良だった。
南京大学では文革期に20人以上も自殺した。しかし、人間性のまったく失われてしまった時代にあっては、自殺した者も屈辱に耐えて生き抜いた者も、どちらも弱者とは言えない。自殺は自尊心と人格を守るため、本人の生命を犠牲にし、家族の長期にわたる苦しみにもかかわらず選択されたもの。一方、生き抜いた者も、自尊心を売り渡すことを余儀なくされ、屈辱と肉体の苦しみを我慢しながら、最後に誰が笑うのかを歯軋りをこらえて見ようとしたのだ。
批判闘争が行われるときには、頭を下げて、ひたすら主催者が『毛主席語録』の一節を読むのを聞き、今日の批判がどの程度のものかを判断する。もし、『毛首席語録』のなかの「革命は、客を招いて食事をすることではない・・・」が読まれたら、その日の批判は厳しく、心して対応しなければならなかった。
毛沢東の犯した誤りは、極めて重大であって、「誤り」という言葉では軽すぎる。文化大革命が中国の民族と国家に与えた損害は空前絶後のものだ。
文革という運動は、個人の精神にまで及んで、ふだんであれば現れにくい部分が曝露される結果になった。彼らは「革命の継続」というお題目の下で、私怨を晴らした。
上のやることを、下も真似して、どこでも同じことが起きた。分配された仕事に不満をもっていた人たちが動いたのだ。こういう人たちの自己顕示欲と野心の心強さは、学生時代からみられた。
育ちの良い青年学生たちは、若くて単純だったので、簡単に巻き込まれ、素朴な階級感情が刺激された。保身に走った人たちもいる。場合によっては、あえて過激な言動をすることで攻撃から自分を守っていた。
南京大学では、造反派に攻撃された死んだ人はいない。しかし中学校では、教師や校長の多くが学生に殺された。南京大学で殺された人がいないのは、南京大学の造反派は、南京大学そのものではなく、省委員会に関心をもっていたことによる。南京大学には何のうまみもなかった。
しかし、中学校の事情は違っていた。彼らにとって権力など、どうでもよかった。そんなものには興味がなく、暴れ回ることで単純に気持ちを発散させていた。ふだん生徒に対して厳しい先生は徹底にやられた。それに対して、南京大学の造反派は、はじめから教師に興味をもっていなかった。
南京大学の死者は、造反派が造反派にやられるという形の内紛によるものだった。
文化大革命は、始まったときから、完全な権力闘争だった。
毛主席の「経験大交流」の呼びかけがあったので、学生たちは、この機会に乗じて遊びに行った。みな見識を広げたいと思った。これを機会に各地の風景を観光して回った。
「経験交流」では、一ヶ所に最低3泊4日いることができ、出発のときには列車で食べるように、弁当箱一杯にご飯を詰めてもらえた。マントウも、蒸しパンも無料で食べられた。
1976年の第一次天安門事件は、名義上は四人組への反対だったが、実際には毛沢東と文革への反対だった。これは、毛沢東自身もはっきり自覚していたはずだ。
「批林批孔」運動のときには、人民大衆の消極的な拒絶にあった。
南京大学の紅衛兵は北京へ行き、北京大学で文革を引き起こした黒幕と出会った。それは、康生の妻だった。そして、上海の張春橋を紹介されて会っている。
文化大革命は、さまざまなものが上級機関と密接にからみあっていた。大衆組織間の是非も、実際には上級機関の一言によって左右された。中央の指示がなければ、造反派は一日だって存在できなかった。「お前たちは反革命組織だ」と言われたら、たちまち反革命組織になってしまう。
文化大革命では、末端の人々はみな操り人形で、上級機関に操作されていただけ。当時の熱狂的な状況のなかで、中央に従属して大騒ぎしていただけのこと。しかし、不幸なことに、誰も逃げることは出来なかった。
国家、共産党、人民解放軍には共通する特徴がある。それは派閥が存在すること。誰がどの派閥か、みな知っていた。文革で、この矛盾が表面化した。中国人は、「内輪の闘争」の能力がある。これは共産党ではなく、封建主義だ。
文革の後遺症は克服されていない。文革の動乱を経て、誰もが人間関係で傷ついた。文革中に他人を攻撃した人は、攻撃された人に謝罪した。しかし、内心の腫物が完全に取り除かれたとは言えない。
派閥問題の影響も残っている。過去に同じ派閥に属していた人とは戦友と同じつながりをもち、一種の個人資源となった。同じ派閥に属さなかった者は、学術問題ですらもめて、徒党を組んで意見の異なる人を攻撃した。
文革は社会の気風を破壊した。詐欺や日和見主義などで道義を論ぜず、良識と人格を売り払い、文革に利益を求めた人もいた。これらが批判・清算されないまま、人々の道徳観や価値観が悪くなった。また、共産党の名声も傷ついた。これによってブルジョワ的自由化思潮が発展し、蔓延する条件となった。
誤りの多くは清算できないままで、はっきりしていないことも多い。そのため、現在でも、毛沢東と文革に対する深層での見方は簡単に統一できない。
実際のところ、文革のなかには抜本的に、どのような民主も存在しなかった。いわゆる「大民主」とは、毛沢東の「左」の専制路線のもとの暴虐政治だった。
運動の初期、誰もが文革は現体制を転覆する革命だと誤解していた。まさか、実際の結果が、それまでの専制体制をさらに強化することになろうとは思いもしなかった。
中国の統治は、基本的に暴力と恐怖による。畏怖の気持ちと、服従しなければ、すべてを失ってしまうという社会心理がつくり出されている。
文化大革命を体験者が振り返った貴重な本です。正月やすみ、人間ドッグのときにホテルで熟読しました。
(2009年12月刊。2800円+税)

NHKと政治権力

カテゴリー:社会

著者  永田 浩三 、 出版  岩波現代文庫
 NHKは、イギリスのBBCと並んで世界を代表する公共放送。2014年度予算は、6539億円。これは世界最高。事業収入の97%は、受信料である。
 NHKの存立基盤は1950年につくられた放送法。NHKは、放送法によって生まれた特殊法人。国営放送ではないし、会長も職員も、国家公務員ではない。
 1950年に朝鮮戦争が始まると、NHKはラジオ第二放送をアメリカの対北朝鮮謀略放送として提供した。当時のNHK会長は、NHKは他にさきがけて国策に貢献すると明言した。
 NHKが権力から自立を図る可能性があったのは、1964~1973年の前田義徳会長の時代。前田会長は、副会長時代から目に余る自民党からの介入や干渉を苦々しく思い、なんとしてもときの政府と放送行政からNHKを切り離し、独立したNHKをつくりたいと考えていた。前田会長は、放送の自立と地位の向上に執念を燃やした。
 しかし、前田会長には、もう一つの顔があった。権力と癒着する顔である。NHKが現在の神南に移転するときのこと。そして、佐藤栄作首相との関係・・・。
 そして、次の小野吉郎会長は田中角栄元首相が逮捕され、保釈されると、自白の田中角栄邸にNHKの公用車で見舞いに行った。
 今の籾井会長は、三井物産の元副会長、その前の松本会長はJR東日本、その前の福地会長はアサヒビールというように、NHKの会長は財界人出身者が続いている。
 NHKが政治との距離をとることがいかに難しいかを示している。
 この本で問題とされる事件が起きたのは、2001年1月末のこと。「戦争をどう裁くか」シリーズの2回目「問われる戦時性暴力」の番組内容が大幅に改変された。
河野談話が今も自民党などから激しく攻撃されていますので、起こるべくして起きた事件とも言えます。
NHKの上層部は、慰安婦とされた女性について、「ビジネスで慰安婦になった人たちです」と言い換えられないかと迫った。
 これはひどい。ここまで言うか、と思いました。
 永田町(自民党)からの圧力で、それこそちゃぶ台をひっくり返すような指示を出してくる。
 中央大学の吉見義明教授が、専門家として、次のようにコメントする予定だった。
 「今回の民間法廷では、歴史の専門家が呼ばれ、慰安所制度への軍の関与を示す文書が提出されました」
 これに、NHK上層部が、「これは、軍の関与といっても、トラブルを避けるために関与した、いわばよい関与を示す証拠文書ではないのか」と異を唱えて介入してきた。これまた信じられない暴言です。
 この問題で介入してきた自民党の三議員は、古屋圭司、安倍晋三、荒井広幸だった。
 東京高裁判決は編集の自由を損なったのはNHKの側だったと厳しく指摘した。
NHKは、公共放送としてもっとも大切にすべき、自立のための編集の自由を乱用し、逸脱して、番組をぼろぼろになるまで変えてしまった。自民党政治家の意図を過剰におもんばかり、何より大切にしなければならないはずの編集の自由を損なった。
 NHKの番組制作過程に自民党の圧力が陰に陽に加えられ、「自主的に」改変させられている現実が、体験した事実をもとに明らかにされた貴重な本です。
(2014年8月刊。1240円+税)

「3.11フクシマ」から原発のない社会を!

カテゴリー:社会

著者  「原発と人権」全国交流集会 、 出版  花伝社
 二回目の全国交流集会の報告集です。反原連の代表が次のように発言しています。
 2012年3月が初めて。初回は300人で、トラメガとマイクだけ。首相官邸前は、静穏保持法や東京都条例によって、デモは出来ないことになっている。そこで、抗議行動と呼んでいる。8時までに終了する。警察との協力が不可欠。警察官も協力してくれている。
 2012年6月29日には20万人近くの人々が集まった。とかく共産党系と見られがちだけど、まったくの無党派で、シングルイシュー。つまり原発だけ。活動資金はカンパ。1回で200万円ほど集まったこともある。
原発輸出のセールスをスムーズに行うためには、日本国内でも原発を再稼働させなければならないというベクトルが働く。原発が必要であろうが、必要でなかろうが、とにかく何が何でも動かす。そこで、とりあえず元気に生きている国民を見せ物にするのが目的だ。ショールームとしての日本列島。つまり、日本人は、日本に住んでいるというだけで、いつの間にか原発メーカーや電力会社、そして政府のための命知らずの原発セールスパーソンに仕立てられている。補償がなかなか進まないのも、そのため。
 昨年(2014年)5月21日の福井地裁の判決文は、何回よんでも心に残る名判決です。まさに「司法は生きていた」ことを久方ぶりに実感させてくれました。以下、少しだけ紹介します。このブックレットの末尾に載っています。
「使用済み核燃料は、本件原発の稼働によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったり起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っていると言わざるをえない」
 「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発にかかる安全技術および設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというのにとどまらず、むしろ確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ちうる脆弱なものであると認めざるをえない」
 「被告(関西電力)は、本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等と並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
 コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 また、被告(関西電力)は、原子力発電所の稼働がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国はじまって以来、最大の公害・環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは、甚だしい筋違いである」
 いま、私は判決文を書き写しながら、何度となく、うんうん、そうだよねと深くうなずいてしまったのでした。この樋口英明裁判長は熊本地裁玉名支部の裁判官だったことがあり、私も出会ったことのある裁判官です。
 そして、この判決は結論として、次のように断言しています。
 「大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求(原発の運転差止)を認容すべきである」
 いまの安倍内閣のすすめている川内原発の再稼働を目ざす動き、そして海外へ原発を輸出しようとする動きは、直ちにストップさせなければいけません。
 みんなで声を上げましょう。原発なくして、安全・平和な日本に!
(2014年9月刊。1200円+税)

降りられない船

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  ウ・ソックン 、 出版  CUON
 昨年(2014年)4月16日に起きたセウォル号の沈没事件についての本です。
 私は、この事件について、残念でたまりませんでした。ニュースを読みながら、無念の涙を流してしまいました。だって、前途有為の高校生が300人近くも一挙に亡くなってしまったのですよ。信じられない大事故です。
 どうして、こんな大事故が起きてしまったのか、ぜひとも知りたいところです。
 このセウォル号は、韓国の前は、鹿児島と沖縄のあいだで運行していた船だったのですね。そして、韓国で船体が大幅に改造されています。
 船体の後部が増築されたため、本来なら左右をつないでいた船体後尾の甲板は、新設されたサンドイッチパネルの壁で最初から塞がれていた。残りの非常口も施錠したまま運行する習慣のため、開けることができなかった。
 セウォル号の船体が完全に傾いてからは、ドアは開かなかった。すでに海水が入り込んで傾いた船体から海に飛びこみ、水面下へ泳いで出て行った数人だけが最後に生きて戻った。船長以下の船員は脱出しています。
 高校生は、「じっとしているように」という船内放送の命じるままに、じっとしていたのです。これを書きながら、私は無念の涙が止まりません。いったい、この船内放送は、誰が、何のために出したのでしょうか・・・。
 この6千トンを超えるセウォル号の船長は、契約職であり、契約して1年にも満たなかった。
 もちろん、船長の責任は重いと私も考えます。現に裁判で重い有罪判決を受けました。しかし、問題は船長の個人的な資質にあったというのではないということです。
 セウォル号は済州島に行く船だった。済州島にいくのに簡単なのは飛行機だ。格安航空便もある。ところが、高校生が修学旅行で済州島に行くのを船で行くように行政がすすめていた。なぜか?
 1万トン以下のフェリーは、石油の高騰と交通手段としての競争力の低下などで居場所がなくなっていた。そこで、高校生の修学旅行が、教育当局の勧誘によって、カーフェリーに集中した。そして、この修学旅行生によって、途絶えていた路線の運行が復活したのだ。
 そのとき、船の寿命を20年から30年に延長して、日本では経済的寿命が尽きて退役する船が、韓国では中古として再稼働することが可能になった。
 日本の船を鉄くず同然の値段で買った人たちが、船についての基本的な原則と常識もないまま、都合のいいように改造した。船体が傾いたときの復元力に必要な、負荷を均等に合わせる最低限の作業もできなかった。縦方向の増築などで船尾がいじられてしまったため、左右のバランスをとることすらできなかった。
 この日、午前8時52分に船内にいた高校生から、「船が沈没中です。助けください」という電話を消防本部、そして海洋警察は受けている。ところが、午前9時30分に船長たちが海洋警察の船で救助されるとき、高校生は一人として救助されていない。何ということでしょうか・・・。
そして、セウォル号に近づいた警備艇は、二次被害を恐れて、船内に乗客がいることを知りながら、みすみす手をこまねいていた。しかも、他の船には接近するのを禁止してまで・・・。
これまた、信じられません。何があっても船内に侵入せよとの命令が出されるべきだったと著者は指摘しています。私も、まったく同感です。
 韓国の体育の授業には水泳の時間がなく、学校にプールがないそうです。これには意外というか、驚きでした。日本と同じように海に囲まれた国なのに、なぜなのでしょうか・・・。
 ともかく、国民の安全第一で行政はあってほしいものです。日本だって、フクシマの原発事故についての政府の対応をみていると、とても韓国政府の対応を批判できるとは思えません。放射能を今なおたれ流しているのに、早々と「収束宣言」するなんて、そして、原発再稼働を狙うなんて、日本政府も狂っているとしか言いようがありません。
 政府は、国民の安全第一で政治を進めるべきです。怒りが改めて湧きあがってきました。
(2014年10月刊。1500円+税)
 日曜日の午後から、ジャガイモを庭に植えつけました。メークインとキタアカリです。ダンシャクは店に売っていませんでした。いつものようにジョウビタキが近寄ってきましたので、写真にとってやりました。私の個人ブログで紹介します。とっても可愛いです。
 チューリップの芽が地上に出はじめました。春が近づいています。

なぜ生物に寿命はあるのか?

カテゴリー:生物

著者  池田 清彦 、 出版  PHP文庫
 もっとも原始的な生物であるバクテリアは、エサが豊富にあり、無機的な環境条件が好適な限り、原則的には死なない。たとえば大腸菌は、栄養条件をふくむ環境条件が好適な限り、どんどん増え続ける。捕食者に食われたり、事故死したりしない限り、細胞系列は不死である。また、がん細胞の系列にも寿命がない。
 バクテリアの細胞系列がどうして不死なのかというと、DNAの総量が小さいため、突然変異の蓄積速度を上回るスピードで分裂して増殖するからである。ふうん、分かったような。
 生物は、無生物にはみられない二つの特徴をもっている。一つは代謝は、もう一つは遺伝である。
 DNAは、宇宙線によって簡単に壊されてしまうので、宇宙線の強いあいだは生物が地球の表面に進出してくるのは容易ではない。しかし、宇宙線が弱まれば、地球の表面には太陽光があふれているので、光をエネルギー源として利用できる生物にとって、これほどすばらしい場所はない。かくして、シアノバクテリアは大増殖をはじめることになる。
 光をエネルギー源として、光と二酸化炭素から有機物(糖類)をつくり、副産物として酸素を放出する。これがシアノバクテリアの光合成である。
 原始大気の大半は水蒸気と二酸化炭素で、酸素はほとんどなかったと思われる。シアノバクテリアのおかげで、地球の大気には大量の酸素が含まれるようになり、ひいては人類の生存が可能になった。
 実は、細胞にとって、酸素は猛毒なのである。真核生物はペルオキシソームという細胞内小器官をもち、活性酸素を無毒化している。
 動物などの真核生物の従属栄養生物は、すべて酸素をつかって有機物を分解してエネルギーを得ている。これは、ミトコンドリアという細胞内小器官が担っている。
 生物にとって最重要な課題は、動的平衡を保つシステムを細胞分裂を通して次々に伝えていくこと。遺伝子はDNAの塩基配列にすぎず、突然変異や多生物との水平移動によりどんどん変わる。
 遺伝子は、このシステムを動かす部品であって、遺伝子がシステムをつくったわけではない。重要なのは遺伝子ではなく。動的平衡を保つシステムを次世代に遺伝させる不死の系列、すなわち生殖細胞なのだ。
動物では、分化した細胞がほかの種類の細胞になることができない(きわめて難しい)。しかし、植物では、分化した細胞の相互転換が比較的たやすい。
 小笠原諸島に存在するハカラメという植物は、葉を一枚とって土の上に放置しておくと、やがて根や芽を出して立派な個体に育っていく。だから「葉から芽」なんですね・・・。
 ヒト(人間)では、ニューロンや心筋細胞の最大寿命は120年と言われている。
 ヒトの最大寿命は、せいぜい120歳、日本では、100歳以上の人口は、1980年に1000人だったが、2013年には5万4000人をこえた。しかし、最長寿の年齢は延びない。
抗がん剤の投与によって一時的にがんが消失しても、運悪く再発すると、同じ抗がん剤は効かないことが多い。突然変異によって抗がん剤体制をもつがん細胞が生じ、この系列だけが生き残って増殖する。これも、なんだか怖いことですよね・・・。
 生物について、寿命は必然です。もちろん、ヒトも同じこと。なにしろ、上がつかえていれば、下の人たちはいつまでたっても上にあがれませんよね。新陳代謝が図れないのです。
 生物の本質について、文庫本なので、手軽に読める本です。
(2014年8月刊。560円+税)

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