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瞽女 キクイとハル

カテゴリー:社会

著者  川野 楠己 、 出版  みやざき文庫(鉱脈社)
 なぜか宮崎の出版社から出た本ですが、テーマは新潟県で活動していた盲目の女性芸人集団・瞽女(ごぜ)の生きざまです。
 生まれつき、あるいは病気によって失明してしまった女性が何を願ったか・・・。
 次の世に生まれ変わるときには、たとえ虫になっても明るい目をもらいたい。虫になってもいいから、明るい眼がほしいと百歳のときに語ったハル。そこには視覚障害者なるが故に体験しなければならなかった苦難の数々が、いかに耐えがたいものとして、ハルにのしかかっていたかを物語っている。
 鼓の下に目と女を書いて、瞽女・ごぜと読ませる。これは貴人の御前(ごぜん)で鼓を打って曽我物語を語るなどに携わっていたことからくる。元禄時代に三味線が普及してから、彼女たちも鼓を放して三味線を持った。
 旅の途中でも、5月13日の妙音講には必ず出席するために帰宅する。瞽女たちにとっては年に一度の祭典である。髪を整え、似合った着物を着て集まり、仲間と健在をよろこびあう。
 農村では、季節ごとに訪ねてくる瞽女を待っていた。ラジオがやっと始まったことのこと。娯楽としては、瞽女や浪曲語りが回ってくるのを待つ以外に、何もなかった。だから、瞽女の来訪は、村にとって「ハレの日」になる。
 宿は「瞽女宿」と呼んだ無償で泊めてくれる大きな農家があった。その家では代々瞽女の世話を引き受けていた。
 組ごとに決まった旅をもち、一つの村にいくつかの組が時期をずらして訪れていた。高田瞽女は、上越全体に100件もの宿をもっていたようだ。
 瞽女の旅は、通常3人か4人が一組になって歩く。一行のなかで、弱いながらも視力のあるものが先頭に立つ。
 農家の間口の戸を開けて、「ごめんなんしょ」と奥に声をかけて三味線を弾きだし、3分ほどの「門付け唄(かどつけうた)」をうたう。この門付(かどつけ)は、瞽女の一行がこの村に北ことを知らせる役割がある。
 宿の家では、間仕切りの襖を外し、表座敷を開放して臨時の会場をつくる。
 瞽女たちは、口説(くどき)、民謡、段物を次々にうたい続ける。終わるのは、夜10時、11時になることがある。演目は、驚くほど広い。
 ストーリーのある八百屋お七、佐倉宗五郎、小栗判官(おぐりはんがん)、照手姫(てるてひめ)、葛の葉子別れなどの古浄瑠璃を中心として、段物(だんもの)と呼ばれる「瞽女松坂」地震・災害・心中事件などのニュース性のある話題を歌い込んだ口説(くどき)清元、端唄、新内から、民謡や流行りうたなど、あらゆる分野にまたがっている。
 そして、瞽女が途中の村々で仕入れた情報も伝えられる。瞽女は、芸能と情という文化を村人に伝える存在なのだ。
瞽女社会には、男の肌に触れることは、能動的であろうと、受動的であろうと許されないという厳しい掟(おきて)がある。瞽女には、結婚は許されない。結婚すると瞽女仲間から離脱し、二度と戻ることは出来ない。
 文字ではなく、すべて聞いた音で覚え、三味線を弾いて語り、うたうという瞽女の声をぜひ聞いてみたいと思い、この本に紹介してあるのを早速注文してみました。なるほど、80歳とか90歳とは思えない張りのある声でした。
(2014年10月刊。2000円+税)

「カジノで地域経済再生」の幻想

カテゴリー:社会

著者  桜田 照雄 、 出版  自治体研究社
 カジノに頼る経済なんて、そもそも発想が間違っています。
 そして、この本は、カジノに頼って地域経済が再生するなんて、嘘っぱちだと実証しています。アベとかハシモトのインチキ宣伝に乗せられてはいけません。
 「IR型カジノ」の基本的な考え方は、エンターテインメントやショッピングなど、魅力ある「楽しみ」を提供する施設を組み合わせた複合施設を集めることで、観光客の大幅な増加を図ろうとしているもの。そのなかで、カジノ施設が、今までにない「楽しみ」を人々に提供する集客施設として位置づけられている。
 コンベンションを誘致する「切り札」としてカジノが考えられている。
 九州では、カジノに頼ることを北九州、佐世保(ハウステンボス)、別府、宮崎(シーガイア)、沖縄が名乗りをあげている。
 おぞましい、恐るべき事態です。
 賭博はコントロールできるか?現実には、人間の脳への刺激に起因する依存症の発症をコントロールすることは出来ない。
 カジノは、既存のビジネスを共喰い(カニバライズ)する。大阪のUSJの経済波小効果は5900億円だったが、地元の商店街は潤っていたという事実はない。
 カジノのもうけは、「客の負け分」にほかならない。大阪にカジノがオープンしたとしても、すでに飽和状態にある商業施設のなかで、多くの競争相手を向こうにまわしてカジノが生きのびるという保障はまったくない。
 かつて30兆円産業といわれた日本のパチンコ産業も、今では20兆円を大きく下まわっている。4割近く落ち込んだ。パチンコへの参加人口も、1790万人(2004年)から970万人(2014年)へと、半減している。
 そのなかで、マルハンとダイナムの2社で、半分の売上げを占めている。カジノと両立できるパチンコ店というのは考えられない。
 アメリカでは、IR型カジノが次々に閉鎖に追い込まれている。
 カジノは、バクチです。人の心を荒廃させ、まわりに不幸を持ち込むものです。そんなものにたよる社会は不健康ですし、長続きするはずもありません。
 大阪の橋下市長も、安倍首相も狂っているとしか言いようがありません。ところが、そんな彼らが、子どもに道徳教育を強制しようとするのです。世の中は、本当にわけが分かりませんよね。どうなっているのでしょうか。有権者は、一刻も早く目を覚ますべきだと思います。
(2015年1月刊。1100円+税)

人民解放軍と中国政治

カテゴリー:中国

著者  林 載桓 、 出版  名古屋大学出版会
 中国の文化大革命と中国軍(人民解放軍)との関わりについて、大変興味深い分析がなされていて感嘆しながら読みすすめていきました。
毛沢東の最大の目的は、通常の独裁者と同じく権力の維持、つまり政治的存続だった。死ぬまで「挑戦不可能な権威」として毛沢東は君臨し続けたが、かといって国内外に競争相手のいない安泰な状況が保証されていたわけでもない。毛沢東は意思決定過程への支配力を保持することに格別の注意を払っていた。
 毛沢東は、権力の維持とともに、あるいは、それを通じて中国社会の全面的変革を図ろうとした。
 毛沢東は過度な抑圧によって大衆を政治から遊離させることを決して望ましく思わなかった。単なる服従ではなく、社会の積極的な協力にもとづいた統治を好んでいた。スターリン流のテロと人殺しは、毛沢東にとって、あくまで最後の手段だった。
 1969年に発生した中国とソ連の武力衝突、珍宝島事件は、中国側の周到な「仕掛け」の結果だった。対外的に「適切な」危機をつくり出し、国内動員の挺子にしようとする毛沢東の政治的意図が色濃く反映されていた。
 戦備体制の構築の大前提として、各地で派閥闘争の即刻の解消、とりわけ「武闘」の無条件停止が求められ、同時に軍内部の団結、軍政団結、軍民団結の強化が強く訴えられていた。なかでも、駐留部隊に対する大衆団体の攻撃・批判の厳禁、違反行為に対する厳しい処分が強調された。
 文化大革命による社会の混乱を収拾するため、中国とソ連の「武力衝突」が利用されたというのです・・・。
 林彪勢力の組織基盤の強化には、毛沢東が直接に関与していた。そして、林彪勢力が政権を簒奪する「陰謀」を企図していたとか、その影響力が「膨脹」していたという実態は疑わしい。では、なぜ、林彪は排除されなければならなかったのか・・・?
 毛沢東の林彪勢力への攻勢は、現に実在する脅威を対象としたというよりは、将来の情勢変化に対する一種の予防策としての性格を帯びていた。林彪事件は、独裁者による後継者の否定に、その本質がある。
林彪の突然の死は、毛沢東にしてもほとんど予期できなかった出来事だった。毛沢東は、林彪を「消滅」させようとまでは思っていなかった。
 この林彪事件のもたらした衝撃により、毛沢東は、国政全般で一定の妥協を迫られた。毛沢東は林彪を「極左」ではなく「極右」批判とした。「極左」批判の高まりが文革の全面否定につながることを恐れたのだろう。
毛沢東は、人民解放軍を自らのイデオロギーの宣伝と実践に忠実な組織にすべく、直接の軍統制を妨げる制度的、人格的爽雑物を取り除くことに細心の注意を払ってきた。それは、制度的には、軍を党の党勢から切り離すことを意味し、その過程で党と軍にまたがる、あるいは国家と軍をつなぐ制度的立場にあった多くの軍幹部が犠牲になった。前者の典型は羅瑞卿であり、後者は楊成武である。
 1973年12月の八大軍区司令員の相互移動は、政治における解放軍の影響力の縮小を最大の課題としていた。同時に、毛沢東は鄧小平の政治局と中央軍委入りの、総参謀長への任命を公表した。
 1975年に、省指導部における軍人の割合は一気に20%台へ減少した。
1979年2月から3月までの中国のベトナム侵攻作戦は中国軍の惨敗で終了した。
 中越戦争は、大規模な軍事動員とは対照的に、国内ではほとんど宣伝されず、およそ秘密裏に行われた戦争だった。人民解放軍(中国軍)は、適切な戦術を通じて、大規模な兵力を運用できなかった。
 ランソンをめぐる戦闘では、ベトナムの一個連隊が中国側の2個軍を相手に1週間も抗戦に成功している。中国軍は、とても効率的な作戦が行える状態ではなかった。その原因は、解放軍による統治活動の長期化にあった。
 鄧小平は、それにもかかわらず、権力の維持と強化に成功した。それは、対ベトナム戦争の遂行を軍改革の「プロセス」のなかに明確に位置づけることに成功したからである。
 中国軍を毛沢東は思うように操っていたこと、しかし同時に必ずしも思うようには中国軍が動かなかったことが明らかにされています。複雑・怪奇な中国政治の断面を鋭く分析している本として、中国軍と文化大革命との関わりに関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2014年11月刊。5500円+税)

新興大国インドネシアの宗教市場と政治

カテゴリー:アジア

著者  見市 建 、 出版  NTT出版
 インドネシアの大統領はジョコ・ウィドドという初めての庶民出身です。これまでのような軍人政治家ではありません。どうして、そんなことが可能になったのかを考えさせてくれる本です。ちなみに、著者の名前は、「みいち けん」と読みます。まだ40代と若い学者です。
 インドネシアは、インド、アメリカに続く世界3番目の人口規模の民主主義国家であり、世界最大のムスリム(イスラム教徒)民主主義国である。
インドネシアの経済成長も著しく、その巨大な市場は、「ポスト中国」と期待されている。
 2014年7月の大統領選挙でユドヨノのあとを継いだジョコ・ウィドドは、ジャワ島中部の地方都市ソロの市長から、2012年のジャカルタ州知事となり、今回は、大統領となった。庶民の出であり、2005年までは家具輸出業を経営していた。
 ジョコウィのスタイルは、「抜き打ち視察」で庶民の声に直接耳を傾け、現場の状況を把握し、迅速な決定で現実的な解決策を示すことである。ジョコウィは、ほとんど宗教に縁がなく、ソロ市長のときも、ジャカルタ州知事のときにも、ペアで立候補した副市長、副知事はキリスト教徒だった。
 インドネシアの2億5000万人の人口の9割がムスリムである。しかし、インドネシアは「イスラム国家」ではなく、他宗教の共存が国民国家成立の前提条件となっている。
 現行の1945年憲法の前文にある建国五原則パンチャシラには、それぞれの宗教にもとづいて神を信仰するとされている。
 さらに、ムスリムのなかでも、イスラム系政党を支持する勢力と世俗ナショナリスト政党を支持する努力に二分される。
 敬虔なムスリムは、全体の4割程度で、彼らはイスラム系政党を支持する東南アジアにおいて、シーア派は非常に少なく、おそらくムスリム人口の1%にもみたない。イラン革命は、一般のムスリム知識人や学生のあいだに、シーア派への関心を高めるきっかけとなった。
 民主化以降のインドネシアは、欧米諸国をふくめても、世界でも異例な出版の自由があり、きわめて急進的なイスラム主義者によって執筆・制作された本や映像が流通している。
 イスラム武装闘争派の大半は「読む」活動家であり、その出版物の消費者は、「中間層」である。貧困と教育程度の低さが過激派を生むという俗説は、インドネシアでは的外れである。
近年の宗教行為の「商品化」として注目に値するのは、ズィクルである。ズィクルとは、もともと「記憶」を意味し、神のことを常に覚えているように、数珠を携えて神の名やコーランの章句を繰り返す業を典型とする。しばしば音楽や踊りを伴い、神への愛とともに、精神的な高揚や参加者の一体感が生み出される。
 政治家にとって、宗教的なイメージは大切であるが、イスラムを強調すれば勝てるというわけではない。急速に拡大する大都市圏を中心とした消費市場において、宗教的「標準」を気にしたり、「癒し」を求める消費者ニーズに応えるような商品が宗教行為の商品化や既存のメディア・コンテンツの宗教家によって生まれている。
ジョコウィ大統領は、1961年に大工の長男として生まれた。学校に通うための自転車も買えないほどだったが、叔父の援助を受けて国立大学の森林学部に入った。在学中は学生運動に参加していない。卒業後、小さな家具商を営んでいた。
 2010年には、9割以上の圧倒的な支持を得てソロ市長に再選された。
 ジョコウィは、既存のエリートの連合を前提としながら、注目を集める政策を打ち出し、それを実行することによって、大衆の支持を獲得し、権力を維持し強化してきた。
 ジョコウィは、ジャカルタ州知事選の際には、大集会ではなく、丹念に庶民の市場を回り、屋台で食事をした。
 ジョコウィは、「大衆との連立」を唱え、SNSを積極的に利用し、マスコミの話題をさらった。
 インドネシアでは、政党も宗教団体も、大半は組織より権力者の個人戦位で動いている。それぞれの動員力、政治家をもつメディアを両陣営が奪い合った。あるいは、見返りの資金や新政権における大臣ポストを期待して、政治家や政党のほうから両陣営に近づいた。
 最後に勝負を分けたのは、これまで政治と関わりが薄い人々だった。世論調査で相手方陣営に追い上げられているという危機感をもったジョコウィ陣営は戦略を見直した。SNSで芸能人に発言を呼びかけ、有権者の多少を問わず、ボランティアで集中的な戸別訪問をした。最後には、流動的な政治と宗教の市場、とくに中間層の浮動票がジョコウィを選んだ。
 今日のインドネシアが深く知ることのできる本です。
(2014年12月刊。2300円+税)

フランスの肖像、歴史・政治・思想

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ミシェル・ヴィノック 、 出版  吉田書店
 フランスを知ると、日本という国もよく知ることが出来ます。
 フランス国民とは、まず時系列的には、長い政治的中央集権化の成果である。最初に国家があった。そこからすべてが出発した。封建制度化での分裂状況から、カペー王朝の辛抱強い努力によって、国家が形成されてきた。
 イル・ド・フランス地方の小さな領地から始まって、この王朝は代々やがてフランスになるべき土地を少しずつ領地に加えていった。そのために武器を用いて血を流し、また政略結婚も活用した。彼らの王杖のもとに服従した住民たちは、さまざまな言語を話し、その生活習慣も多様だった。徴税を通じて(しばしば反乱を起きたが)、地元の領主よりも上位に位置する君主の支配下にあることを知った。
 信心深き国王、これこそが「さまざまな人種」すべてを統合する第一の存在だった。国王は、あるいは愛され、あるいは憎まれ、また恐れられたが、いずれにせよフランス人の頭と心のなかでますます大きな位置を占めるようになった。国王は一人で国民を体現し、フランスを具現化する存在だった。
 フランス人同士は決して愛し合ってはいないが、フランス人はフランスを愛している。
 フランス人の5人のうち4人が、自分はカトリックだとしている(1988年までの世論調査の結果)。大多数のフランス人が自らをカトリック信者だとしつつも、神の存在については大きな疑問をもっている。
 フランスには、中央集権的機構に対して、二つの感情が存在している。一方は、やむことのない不平不満があり、他方には同様に際限のない国家に対する要求がある。
 フランス人は、国家が好きではないが、国家に対してすべてを求める。そして、官僚に対する警戒感と、その仲間に加わりたいという、アンビバレントな感情がある。
 フランスでは、まずストライキを決行し、それから交渉に入る。それは、フランスの労働組合に力があることを意味しない。組合の組織率はヨーロッパで最低レベル(10%未満)でしかない。
 フランスでは、対話の重要性は強調されるが、実際に対話しようとする人は、ほとんどいない。
 フランスでは、庶民はブルジョワをまね、ブルジョワは貴族を模倣する。
 歴史的な貴族は、3500家族40万人。このほか偽貴族が1万5000、貴族の作法をまねようとする平民が何千万人といる。
 革命の国であるにもかかわらず、いまもなお貴族階級が公的な性格を帯びている。爵位を戸籍、身分証明書、パスポートに記載することができる。
フランス人の王政のノスタルジーには、政治が汚いものだという認識と結びついている。
 シャルル・ド・ゴールは、エッフェル塔に似ている。建てられたときには、誰からも好かれなかった。しかし、今では高さ300メートルの塔のないパリなど考えられない。ド・ゴール将軍も同じだ。
知識人の任務は間違いなく存在する。それは、民主主義の擁護者であること。有機的かつ批判的に、民主主義の擁護者であること。民主主義は非常に脆弱で、未完成で改良の余地のある体制だが、これが唯一の人間的な体制なのである。知識人は民主主義を否定し、掘り崩し、打倒しようとする反対者に対抗して、その原理を再確認しなければならない。
 フランス人の学者による知的刺激にあふれた本です。このところ何年もフランスに行っていませんが、また行きたいと思わせる本でもありました。毎日のNHKフランス語と、毎週のフランス語レッスンは相変わらず続けています。ちっともうまく話せないのですが・・・。
(2014年3月刊。3200円+税)
 チューリップが一斉に花開きました。これから4月中旬までチューリップ祭りを楽しむことができます。そばに濃い赤紫色したクリスマスローズの花も今ごろ咲いています。よく見ると、今年も土筆(ツクシ)が立っています。日が長くなって、夕方6時半ころまで庭に出て、あちこち手入れをしていました。さすがにジョウビタキは現れませんでした。もう北国に帰っていったのでしょうね。私の個人ブログでチューリップの写真を楽しんでください。

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