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中国国境・熱戦の跡を歩く

カテゴリー:中国

著者  石井 明 、 出版  岩波書店
 中国が周辺諸国と戦闘した、その現場を足で歩いて調べた貴重な本です。
 1949年、国共内戦の最終段階、中国共産党は台湾解放の準備を急いだ。劉少奇は台湾解放を楽観視していたが、毛沢東のほうは、それほど楽観視してはいなかった。
 実際には、1949年10月に始まった国共内戦では、金門島に向かった人民解放軍9000は全滅した。4000名が戦死し、5000名が捕虜となった。
 この金門島の戦闘については、日本軍の元将校が国民党軍を指導していたようです。
今や、台湾と中国大陸は平和的な共存関係の確立を模索している。
 朝鮮戦争が始まったのは1950年6月25日。中国軍が人民志願軍として参戦したのは、同年10月25日から。そして、1951年4月、中国人民志願軍は、第五次戦役を発動した。ところが、中国軍60軍180師団は壊滅状態になった。全師団1万人のうち7000人を失い、5000人が捕虜となった。60軍をふくむ第三兵団は失踪者1万5000人を出し、あとの停戦交渉で中国軍捕虜の帰還問題が大きな問題となった。
このとき、アメリカ軍は、中国人民志願軍は1週間分の食糧を背負って攻勢をかけてくると読んでいた。そこで、志願軍に付きまとって離れず、志願軍得意の不意打ちなどの運動戦にもち込むのを防ぐ戦術をとって中国軍を圧倒した。
 1969年3月、中国は珍宝島地区でソ連に向けて戦いを起こした。人民解放軍は緻密な事前の準備のうえで、「自衛反撃戦」に出た。
 毛沢東が対外的な危機をつくり出して、中国人民の気持ちを外敵に向けさせて一つに団結させ、そのエネルギーを対内的な政治目標の達成に向けて、方向づける政治手法が認められる。
毛沢東は「反ソ」をつかって、文化大革命による混乱を収拾し、国内の支持を取りつけようとした。中国全土でのデモと抗議集会への参加者は4億人をこえた。これは中国史上、例のない大規模なものだった。「反ソ」の高まりのなかで、「団結の大会」、「勝利の大会」を演出する必要があった。
 長らくアメリカの主要敵とみなしてきた中国には、新たな脅威であるソ連と二正面作戦を戦う力はない。そのため、その後、中国はソ連に対抗するため、アメリカに接近していった。
アメリカのベトナム侵略戦争のとき、中国はベトナムに支援部隊を送っていた。のべ32万人。最多時には17万人を送っていた。高射砲部隊、鉄道建設、通信線の敷設等の任務を担った。中国兵の死者も1100人ほどいた。
 そして、中国は1979年2月、22万5000の戦闘部隊でベトナムに攻め込んだ。10年戦争の始まりだった。中国軍は、1万人以上が戦死した。中国軍に作戦指導の誤りがあった。
 1990年9月、江沢民総書記とグエン・バン・リン書記長が密かに会談し、関係の正常化が図られた。
中国での国共内戦と朝鮮半島での朝鮮戦争の二つは、今なお、最終的に終結していない。
そこで、著者は、この二つの戦争を終結させるために平和を回復したことを確認する二つの平和協定を結ぶことが必要だと提言しています。なるほど、と思いました。
中国という国がどのような国であるか、歴史的にかつ地理的に解明した貴重な基本的文献だと思います。
(2014年8月刊。2400円+税)

「検証・司法の危機」

カテゴリー:司法

著者  鷲野 忠雄 、 出版  日本評論社
 1969年から72年にかけての司法をとりまく動きを紹介しコメントした本です。ということは、私が司法試験に合格し、司法修習生になった年のことです。つまり私たち司法修習26期というのは司法反動攻勢の直接に司法研修所に入ったことになります。
 東大闘争(紛争)をはじめとする全国の学園闘争(紛争)の体験者が本格的に大量に司法研修所に入ってきました。その直前には司法研修所の卒業式がなくなり、阪口徳雄修習生が罷免されたりもしました。
 私たちの期でも、司法研修所当局と「団交」しました。出てきたのは、後に最高裁長官になる草葉良八事務局長でした。のらりくらりとした官僚答弁をしていたことだけは、今も記憶があります。
 著者は、この当時、青年法律家協会(青法協)の本部事務局長をしていた弁護士です。
 青法協は、現行憲法が公布・施行されてからわずか7年後の1954年4月、再軍備と憲法改悪に向けた「逆コース」の動きが具体化するなかで、これに反対し、学徒動員の体験を有する若く学者・弁護士らが中心となって、平和と民主主義を守ることを目的に創立された。
 ところが、日本安保条約下の日米同盟の変容にともない、憲法の空洞化と改憲抗争の具体化が進行する過程で、憲法を敵視し、改憲を目ざす勢力から、青法協に対して、「アカ攻撃」が加えられた。その目的や活動を一定の政治的色彩にそめあげ、青法協に加入する裁判官に対して「偏向」宣伝をあびせ、反憲法的な攻撃の標的にした。
 1967年10月、雑誌『全貌』が「裁判所の共産党員」と題する特集を組んだ。最高裁事務総局(寺田治郞局長)は、資料整備費をつかって170冊も購入し、全国の裁判所に配布した。1969年(昭和44年)、佐藤栄作首相は、石田和外を最高裁判長官に任命した。石田和外は戦後の憲法下で、裁判をした経験をもたなかった。
 1969年3月、西郷吉之助法務大臣は東京地裁の無罪判決に憤慨して、次のように述べた。
 「あそこ(裁判所)だけは手を出せないが、何らかの歯止めが必要だ。裁判官が条例を無視する世の中だからね。国会では面倒をみているんだから、たまにはお返しがあっていいんじゃないか・・・」
 法務大臣の発言とは思えない内容です。あまりにも三権分立を無視しています。
 そのころまで、裁判官になる司法修習生のうち20名以上は青法協の会員だった。全国の裁判官2000名のうち、1割以上の300名が青法協の会員だった。
 青法協攻撃が激しくなったなかで、のちの最高裁長官(町田顕)や検事総長(原田明夫)が青法協を脱会していったのでした。その結果、モノを言う勇気のなくなった裁判官ばかりになってしまったのです。
 福井地裁の原発操業差止判決は、久しぶりに、本当に大変久しぶりに、裁判所にも勇気のある裁判官がいることを証明してくれました。
 いま、私は、1972年4月からの26期司法修習生の青法協活動について、読みものとして再現しようとしているところです。
 公選法の権威としても名高い著者です。ますますのご活躍を心より期待しています。
(2015年3月刊。2200円+税)
 毎朝、雨戸を開けるのが楽しみです。とてもカラフルな光景を見ると、心が浮き浮きしてきます。今日も一日、いいことありそうだなと思います。赤、黄、橙、ピンクと色とりどりのチューリップの花です。雨にうたれて少し散りかかりました。近くには、濃い赤紫色のクリスマスローズの花も競っています。
 早くもアイリスの白と黄の花が、すくっと伸びて咲いています。ハナズオンの紫色の小粒の花も・・・。
 アスパラガスが伸びてきました。電子レンジでチンをして、春の香りをいただきます。
 ウグイスなど、たくさんの小鳥が元気に鳴きかわし、春本番です。

続・自閉症の僕が跳びはねる理由

カテゴリー:人間

著者  東田 直樹 、 出版  エスコアール出版部
 自閉症の本人が語っています。目が開かされる思いです。
 どんな言葉が、いつ出るのか、自分でも分からない。昔おぼえた絵本の一節、繰り返し聞いたコマーシャル、記憶の中で印象に残っている単語などが、勝手に口から飛び出てくる。
 話を途中で止めるのも大変。どうにかなりそうなくらい、せっぱつまった感じで話している。言葉は、自分の意思ではおさまらない。言葉は、なかなかコントロールできない。
いつもと違い状況で会うと、その人が誰なのか、認識できない。記憶で一番はっきりしているのは場所だから。違う場所で会うと、その人だと分からないのは、背景が違うので、大きなヒントがなくなるから。
 話そうとすると頭が真っ白になってしまい、言葉が出てこない。話せない人は、みんなが思っている以上に、繊細だ。
 気温にあった服装の調節、ジャンケンもうまくできない。手にもっている物など、すぐに何でも口に入れてしまう。汚い物ときれいな物の区別が、分かりにくいのも理由の一つ。
 時間は、本当につかみきれない。時間の流れを記憶しにくいので、時間そのものが苦痛だ。自閉症の人の反復行動は、自分なりの「きり」がつかなければ、終わりにはならない。自分で納得できなければ、終われない。
自分が納得した仕事については、教えられたことをしっかりやり遂げることができる。
 自閉症者は、光や砂、水が好きだ。光を見れば心が躍るし、砂を触れば心が落ち着き、水を浴びれば生きていることを実感する。
 カラオケが大好きな自閉症の高校生でもあります。大勢の人の前で講演している写真があります。人前で声は思うように出ないとのことですので、どうやって講演しているのでしょうか。
 すぐそばに母親がついています。著者の手を握って、パニックにならないようにしている感じです。
 NHKテレビでも放映されたそうですが、とても貴重な体験記だと思います。これからも元気に過ごしてほしいと心から願います。
(2014年12月刊。1600円+税)

女たちの審判

カテゴリー:社会

著者  紺野 仲右工門 、 出版  日本経済新聞出版社
 死刑囚を収容するのは刑務所ではなく拘置所。拘置所の職員が死刑執行を担当する。死刑を宣告される被告人だから何も本人に言い分がないかというと、そうとは限らない。そして、確定した死刑囚となったとしても、親兄弟そして妻や子などの関係者はいる。
 この本は、刑務所・拘置所の現場を知った人(元職員)によるものだけに、臨場感にあふれています。
 それにしても、熊本や福岡が舞台になっているのには、驚かされました。
 たしかに、熊本県北部を舞台として凶悪な殺人事件が起きたことがあり、犯人は死刑が宣告されて確定したと思います。
 そして、大牟田市が登場し、福岡拘置所が舞台となるのです。博多拘置所として登場します。
 大牟田弁、博多弁が出て来ますので、私にはとてもなじみやすい本でもありました。福岡県南部の暴力団抗争事件も背景事情として描かれていますが、実際、少なくとも十数人が抗争によって殺されたと思います。
 拘置所や刑務所の職員の派閥抗争も問題となってますし、名古屋であったような刑務官による被収容者(囚人)暴行事件も登場します。
 そして、職員が被収容者の秘密通信を手伝う行為があることも描かれています。このハト行為は、結局、発覚してしまうのですが・・・。
 私も20年以上も前、福岡刑務所内で銃の密造事件が発覚したとき、刑務所内でひそかにタバコを吸っていたことがあるという体験を聞かされ、驚いたことがあります。
 ともかく、とりわけ弁護士には読んでほしい本だと思いました。
(2015年2月刊。1600円+税)

日本語の科学が世界を変える

カテゴリー:社会

著者  松尾 義之 、 出版  筑摩選書
 私をふくめて、英文は読めても英語で話すことはできないという日本人がなんと多いことでしょう。もちろん、みんな漢字かなまじりの日本語のほうは縦横無尽に使っているわけなんですが・・・。
 幼児から英語を話せるようにすべきだ。大学での授業はオール英語にしよう、なんて言われると、英語を話せない私にとっては、とんでもなく怖い話にしか思えません。そんなに英会話ができる必要があるのでしょうか・・・。
 ノーベル賞を受賞した益川さんは、授賞式のスピーチで英語は話せませんと宣言して、日本語で話したのでした。英会話のできない科学者でもノーベル賞をもらっているという事実を、どう考えたらいいのでしょうか・・・。
 本書は、そのことについて大胆に答えています。日ごろの私の実感にもぴったり来る主張です。ぜひ、幼児英語教室万歳の人に考え直してほしいと思います。
 日本人科学者の英語の話し下手は、広く知られている。しかし、その理解力には定評があるし、超一流の英語論文を書く。
 日本人は英語ではなく、日本語で科学や技術の研究成果を展開している。
 日本人のつかう日本語には、科学を自由自在に理解し、創造するための用語、概念、知識、思考法まで、十二分に用意されている。
なぜ日本人は日本語で科学するのか。それは英語で科学する必要がないからだ。日本語で最先端のところまで勉強できる。自国語で深く考えることができる。実は、これって、すごいことなのである。
 母国語が日本語の人で、きちんと日本語で文章表現できない人が、英語できちんと科学を表現できるはずはない。日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられない。
 日本人科学者は、英語によるつまらない論文書きを、1割りでも2割でも減らしたほうがいい。
明治になる前、日本語には科学も技術も、そんな言葉は存在しなかった。
日本語が正確に使えないことには、日本文化の構成員とはなりえない。だから、英語よりも国語(日本語)教育を充実させることが大切(必須)なのだ。
 中身がないのに、英語だけぺらぺらなんていうのは、使いものにならない。
英語がうまく話せない科学者でも、立派な英語の論文を書けるし、ノーベル賞までもらえることを多角的に実証した本です。
 ノーベル賞なんかは無縁の私ですが、いつだって、英語で話せなくても世渡りはできると叫んでいます。還暦をとっくに過ぎ、日本語はそれなりに使えるようになったと自負している私の主張を大いに励ましてくれる本でした。
(2015年1月刊。1500円+税)

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