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「北支」占領、その実相の断片

カテゴリー:未分類

(霧山昴)
著者  田宮 昌子 、 出版  社会評論社
 三重県出身の3人の兵士の日記・手紙と写真によって、日中戦争の断片を新幹線内でガソリンをかぶって焼身自殺した71歳の男性がいました。51歳の女性がそのあおりをくらって亡くなられました。本当に痛ましい話です。
 私は安倍内閣が強引に成立させようとする安保法制法案が成立したら、日本国内の至るところで、自爆テロの危険があるようになることを今から心配しています。
 イギリスでもフランスでも地下鉄や新聞社などで自爆テロが発生しました。
 アメリカと一緒になってイラクやアフガニスタンへ日本の自衛隊が出かけていったとき、その報復として日本が自爆テロ攻撃の対象とされないなんて考えるのは甘すぎるでしょう。身内が理不尽に殺されたら、仕返しをしたくなるのが人情というものです。
 政治は、そんなことを防ぐためにあるはずなのですが、自民・公明の安倍内閣は戦争してこそ平和が得られるというのです。まるで間違っています。
 この本は、アルジェリアでイスラム原理主義勢力がはびこるのを嫌って、イギリスへ渡った男性が無意味な殺し合いをやめさせるためにフランス、そしてイギリスの諜報機関のスパイになったという実話を紹介しています。このアルジェリア人の男性は何回も殺されかかっていますが、テレビで顔を出していますから、今も生きているのが不思議なほどです。
 モスクでは、ビデオを見せられる。激しい戦闘の様子や、イスラム戦闘員の遺体が写っている。
 「こうやって殉職者になって天国に行くんだ。きみたちも、欧米の不信心者と戦えば、天国が拘束されている」
 「きみたちの今ある生命は本当の命ではない。ジハードで死んだあとに、きみたちの本当の命が息を吹き返し、そこから人生が始まるのだ」
 「殺せ、不信心者を殺せ。アルジェリア兵を殺せ。アフリカ人を殺せ。殺せば、おまえたちは天国に行ける」
 メッセージは明確だ。生き方に迷っている若いイスラム教徒にとって、「おまえの進むべき道はこっちだ」とはっきり指示してくれる人間が必要だった。言い切ってくれることで、迷いが吹き飛ぶ。
 モスクは、ありあまるエネルギーに火をつけてくれる刺激的な場所だ。イスラム信仰心にあつい者は酒も麻薬にも手を出さない。恋人をつくったり、酒に酔って夜のパーティーに出かけることもしない。ひたすらコーランを読んで、それを実践しようと心がける。
酒に酔って、パーティーに明け暮れる西洋文明は、腐り切った汚れた社会だ。
 ビデオを見て、洗脳されて若者の心を「戦って天国に行け」という訴えが射貫いた。若者は、やがて自分も欧米人を相手に実践に参加して、殉職者になることを夢見るのだ。
 これは、戦前の日本の軍国少年育成と同じ話ですね・・・。
 宗教を盲信してしまうことによる恐ろしさ、殺し合いが日常化してしまったときの怖さが、じわじわと身に迫ってきました。そんな世の中にならないように、日本はもっと恒久平和主義を世界にアピールすべきなのです。
 安倍政権の積極的「戦争」主義は根本的に間違いです。この本を読んで、ますます私は確信しました。
(2015年5月刊。1800円+税)

失われゆく、我々の内な細菌

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  マーティン・J・ブレイザー 、 出版  みすず書房
 1850年のアメリカでは、生まれた赤ちゃんの4人に1人が、1歳の誕生日を迎えることなく死亡した。今では、1000人のうち1歳になる前に亡くなる赤ちゃんは、わずか6人のみ。
 1990年には、アメリカ人の12%が肥満だった。2010年には、30%をこえた。
 2008年の世界人口のうち、15億人の成人が過剰体重。うち2億人の男性と3億人の女性が肥満。このわずか20年ほどの間に世界的な体脂肪の蓄積が起きた。
近年の喘息発祥の増加も異常だ。2009年には、12人のうち1人、2500万人のアメリカ人が喘息をもつ。これは人口の8%。そして、子どもの10%が花粉症に苦しんでいる。
 ピロリ菌は、ある種の成人には病気を引き起こす。しかし、多くの子どもたちに利益をもたらすものでもある。ピロリ菌の根絶は、利益よりも、より大きな健康被害を人類にもたらすかもしれない。
 ヒトの体は、30兆個の細胞よりなる。そして、ヒトは、100兆個もの細菌や真菌の住かでもある。
母親は赤ん坊の臭いを知っているし、赤ん坊は、母親の臭いを知っている。臭いは重要である。それは、たいてい微生物に由来する。
 ある種の細菌は、ビタミンKを産生する。ビタミンKは血液の凝固に必須なビタミンであるが、ヒトはそれを産生できない。ヒトの細菌は、内在性の「バリウム」さえ産生する。
 細菌叢のもっとも重要な役割は、免疫の提供。ヒトの体内細菌は、数百万個の独自の遺伝子をもっている。
抗生物質は効果がてきめんで、明らかな副作用はないと思われてきた。問題は、私たちの子どもの世代だ。子どもたちは、今の私たちが予想もできないような脆弱性を抱えることになる。抗生物質過剰使用のもっとも明らかな例が、上気道感染症として知られる疾患だ。
 ところが、抗生物質の使用量は膨大であり、毎年、伸び続けている。抗生物質の過剰使用と耐性菌の出現によって、製薬会社の新薬開発が耐性菌の出現に追いつかないという危機が生まれた。抗生物質を使えば使うほど、耐性は出現しやすく、抗生物質の有効期限は短くなっていく。
 アメリカで生産される抗生物質の大半は、巨大な飼育場で使用される。ブタやニワトリ、七面鳥なのである。抗生物質は太らせるために使われている。食肉生産の最大化が目的だ。
 2011年、アメリカの畜産農家は3000万ポンドの抗生物質を購入した。これは、史上最高だ。これを、日本人の私たちも知らないうちに食べているわけです。
糞便移植という治療法が何年も前から実践され、効果をあげてきた。
 ある人から別の人へ、糞便を計画的に移植する、健康な人から、新鮮な糞便を手に入れ、食塩水で便の懸濁液をつくる。生じた不透明な茶色の液体から、管や経鼻的に十二指腸内視鏡を通して、胃に、あるいは逆方向を直腸から大腸内視鏡によって投与される。
 すなわち、腸内・生態系が破壊された人に対して、失われた細菌を戻してやるのは、有効な医療でありうるということ。
 人類は、細菌が人体内で機能する機構を解明しきれていないのだ。
生長促進を目的として家畜へ抗生物質を使用するのは直ちに禁止すべきだと思いました。
 ヨーロッパでは既に禁止されていますが、アメリカではまだです。日本はどうかというと、この分野でも、アメリカにならって全面禁止にはなっていません。問題ですよね。
 私がマックやケンタを食べないのは、そのせいでもあります。
(2015年7月刊。3200円+税)

平泉

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 斉藤 利男   出版 講談社書選書メチエ
 
中尊寺とは、清衡による奥六郡支配の最初に、奥州の中心に位置することを意識して創建された寺院だった。奥大道を通行する人々は、金色堂以下の壮麗な伽藍を間近に見る仕掛けだった。中尊寺は、すべての人々に開かれた「公の寺」だった。
奥州藤原氏は、「北奥政権」にとどまっていなかった。平泉開府の最大の意義は、衣川を越えて、「俘囚の地」奥六郡の南へ出たことにある。そして、清衡の目は、奥羽南部から関東・北陸、さらに首都京都を越えて、西国九州に達し、博多の宋人商人を介して、寧波(ニンポー)、中国大陸に及んでいた。
初代清衡は、大治3年(1128年)7月に73歳で病死した。
清衡の死は、わずか2週間後に京都の貴族に死んだことや年齢まで日記に書かせた。この日記が今も残っていることから、さらに多くのことが解明できたのでした。
平泉は、海のシルクロードの東の終点に位置する都市である。それは、院政期仏教美術の直輸入ともいえる中尊寺の仏像、仏具類、海外産の材料(夜光貝)象牙、紫檀材など。都の一流の匠・工人に依頼することなしでは、建立不可能だった中尊寺金色堂。
そして、ここには中国・海外産の経典・宝物などもある。
平泉・中尊寺は私も何回か行きました。その金色堂の見事さには、言葉が出ないほどの衝撃を受けたものです。
(2014年12月刊。1950円+税)

下山事件

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者  柴田哲孝 、 出版  祥伝社
 1949年(昭和24年)7月5日、初代国鉄総裁である下山定則は出勤前に日本橋の三越本店に立ち寄ったあと、そのまま消息を絶った。これが下山事件の始まりである。
 そして、翌7月6日未明、足立区五反野の常磐線の線路付近で遺体となって発見された。
 この本は、下山殺害の犯人をアメリカ軍の下にいた謀略部隊として話を展開しています。
 下山定則は、国鉄総裁を辞めたあとは、国政選挙に出て代議士になるつもりだった。つまり、自殺するような動機はまったくなかった。
 下山を三越本店に呼びつけたのは、計画的に拉致する目的からなされたこと。ただし、拉致したあと、殺害するしかないと考えていたグループと、下山の考えを改めさせればよいと考えていたグループの二つに分かれていた。
 GHQのなかにも、国鉄の利権で甘い汁を吸っているグループと、それほどでもないグループがいた。利権派は、下山を役人としてクリーンすぎる、コミュニストに寛容だし、国鉄の電化に反対しているとして嫌っていた。
GSのケーディス大佐を失脚させたのは、吉田政権であり、旧内務官僚と日本の警察関係者だった。スキャンダル(女性問題)を騒ぎたてたのだ。
 下山は、アメリカ軍(GHQ)了解の下で、日本の特殊機関の連中から血を抜かれて死亡し、現場に運ばれて列車からひかれた。だから、血が少なかったし、身につけていたはずのものが、いくつも見つからなかった。
 これらは自殺だったら、ありえないこと。ところが、法医学教室の鑑定も結論が「まちまち」だった。強引な「自殺」説に符丁をあせた「鑑定」書が出されたのだ。
 戦後まもなく日本では謀略がまかり通っていたのですね・・・。
 中国大陸で何人も人を殺してきた体験者が下山殺害の実行犯だったようです。
 小説(フィクション)だからこそいろいろ書けたようで、勉強になりました。
(2015年6月刊。2000円+税)

遠山金四郎の時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 藤田 覚   出版 講談社学術文庫
 
ご存知、遠山の金さんの実像を探った本です。なるほど、そうだったのかと膝を打ちながら読みすすめました。江戸時代の社会的状況を明解に説明していますので、背中に桜吹雪の名奉行がなぜ世間に大受けしてきたのか、よく分かります。
江戸時代の名奉行として有名なのは、大岡越前守(えちぜんのかみ)忠相(ただすけ)と遠山左衛門尉景元(さえもんのじょう・かげもと)の二人。大岡越前守は八代将軍吉宗の時代。そして、遠山景元は水野忠邦による天保の改革のころの町奉行。
「大岡政談」は、実際の大岡とは関係のない創作だということが判明している。しかし、遠山の金さんにはタネ本はない。
遠山の金さんの場合は、天保の改革という厳しい政治改革をすすめていた老中・水野忠邦と、その下で活躍した町奉行・鳥居燿蔵という敵(かたき)役がいてこそだった。
刺青(分身、入墨)は、天保13年(1842年)には、幕府が禁止令を出さざるをえないほどに流行していた。
遠山景元は、町奉行在職はのべ12年に及んだ。在職当時から名奉行として評判が高かった。12代将軍・家慶(いえよし)は遠山景元を公の場でほめ、将軍のお墨付きを得た。
この遠山景元は、天保の改革をすすめようとする老中・水野忠邦と意見が合わなかった。
その前提には、江戸の町の深刻な不景気があった。遠山景元は、身分不相応のぜいたくはいけないが、江戸の町はにぎやかで繁栄させるべきで、さびれさせてはいけなと考えた。これに対して、老中・水野忠邦は、ぜいたく禁止を徹底すべしと考えた。
このころ、江戸の町には、なんと233ヶ所もの寄席があった。老中・水野忠邦はそれを全廃せよと迫った。遠山景元たちの必死の抵抗で全廃は免れたものの、わずか15ヶ所だけ残った。
寄席は、入場料が安く、下層町人にも楽しめる大衆的娯楽施設だった。入場料は銭20文前後、いろいろあわせて銭50文で一夜を楽しめた。奉公人などが、男女、年齢を問わず、寄席に詰めかけて楽しんでいた。
天保の改革が失敗したあと、寄席はたちまち復活し、700軒にまで増えている。
遠山景元のせりふとして次のように言わせている。
「江戸ほどの大都会には、相当の遊山場(ゆさんば)がなくてはならぬ。いかに御倹約の世の中でも、人間は牛馬のように働いてばかりはいられまい。それ相当の休息もせねばならぬ、それ相当の物見遊山もせねばならぬ。吉原通いをするよりは、まだしも芝居見物のほうがましではあるまいかな。いかなる御政道も、しょせんは人間を相手のことだ。人間が楽しく働いて、楽しく暮らされるようでなければ、まことの御政道とは申されまい」
遠山の金さんら名奉行の主張の背景として、天明の江戸打ちこわしのような下層民衆の蜂起騒動への恐怖が存在していた。営業と生活が成り立たないような状況に追い込まれれば、事態を打開するために蜂起し、騒動を引きおこすことによって、幕府に手痛い打撃を与えることができるほどに、江戸の民衆は政治的に成長していた。
名奉行の陰には都市下層民衆あり、だった。そして、天保の改革という、江戸民衆に苛酷な政治改革を強引にすすめていった水野忠邦や鳥居熠蔵という敵侍がいてこそ、名奉行、遠山の金さん物語が生まれたのであろう。
なーるほど、よくよく分かりました。
(2015年8月刊。900円+税)

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