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ベテラン弁護士の「争わない生き方」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  西中 務 、 出版  ぱる出版
  私も弁護士生活が40年以上となりましたが、この本の著者は45年以上ですので、さらに先輩となります。
  弁護士の仕事というと、人の争いごとでもうけていると思われるかもしれないけれど、大きな誤解だ。弁護士ほど「争わない生き方」を望んでいる職業はない。なぜなら、争いをして人生に良いことはなにもないと実感しているから・・・。
  私もまったく同感、と言いたいところではありますが、残念ながら、それほど簡単に断言することはできません。というのも、人の社会(世界)に争いごとがなくなるはずはないというのも日々、実感しているからです。争いごとは、金銭・男女・親子関係・政治・思想など、さまざまな要素で発生します。そのとき、一定のルールに従って処理しようとする専門家は不可欠だと思うのです。また、「もうける」というが、それによって「食べていくプロ」が生まれるのも必然のように思うのです。なぜなら、プロだからこそ職業倫理でしばることができるからです。これは行政による監督もあれば、弁護士会のような自治組織であっても言えます。
  まあ、そうは言っても、争いごとが少ないほど人生は充実している気がしています。無用な争いに時間を割くのは人生のムダだと日々、私は実感しています。
  高級老人ホームを経営している理事長は、子どもの教育に熱心な親ほど、老人ホームに入所したあと、子どもが親に面会に来ない。子どもを一流大学に入れ、一流会社に就職した子どもほど、面会に来ない。ところが親が亡くなると、すぐに駆けつける。
  老人ホームの保証金がいくら返ってくるかをめぐって、子ども同士の争いが始まる。高学歴で、一流の会社に働いていると、自らの能力が高いために、おごり高ぶり、相手の至らぬ点を改めて自分の利を得ようとする考えになりやすいようだ・・・。
 うむむ、胸の痛む指摘です。幸い、私の両親が亡くなったとき、我が姉兄で争族問題は起きませんでした。
  大阪で活躍しているベテラン弁護士が書いた本です。大阪には、かの橋下のような嘘八百を並べる鉄面皮の弁護士がいて、弁護士の社会的評価を下げているのが残念でなりません。
(2015年11月刊。1300円+税)

武器ビジネス(下)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者  アンドルー・ファインスタイン 、 出版  原書房
  アメリカの武器製造は、1941年から43年にかけて、8倍に増大した。
  戦争は芸術ではなく、ビジネスでありアメリカは巨大な、超巨大な企業である。
  アメリカ海兵隊出身の将軍は退役してから、自分の半生をふり帰り、「大企業の高級用心棒として過ごした。つまり、ゆすり屋、資本主義のためのギャングだった」と述懐した。
  アメリカの武器ビジネスは、軍需品製造業者と軍部だけでなく、議会も加わった組織的共謀である。
  1980年代を通じて、アフガニスタンのムジャヒディンは、ソ連にとってのベトナム戦争になった過酷なゲリラ戦におけるアメリカの代理兵士だった。要するに、アメリカは、ムジャヒディンを養成していたのです。そして、養成された彼らが今、アメリカに歯向かっています。なんという皮肉でしょうか。
1980年代のアフガンの自由の戦士たちは、1990年代と2000年代のアルカイダとタリバンの戦闘員の先祖だった。アフガニスタンの真の勝利者は、アメリカの軍産複合体だった。
  オバマ大統領は、世界最強の軍隊を受け継いだ。それは、もっとも高価で、間違いなく、もっとも組織的に腐敗した軍隊でもあった。
  アメリカは群を抜いて世界最大の武器製造国であり、売却国であり、輸入国でもある。
2008年の61%を最高に、世界の武器の40%を売却している。その軍事支出は、2001年以降、81%も増加し、今や世界の43%を占めている。それは、第二位の中国の6倍である。
  「我々の腐敗行為は合法である。合法的な贈収賄だ」
世界最大の防衛受注企業であるロッキードは、同じアメリカの巨大企業ボーイングとノースロップ・ブランマン、イギリスのBAEとともに武器ビジネスを支配している。
  政府と防衛受注企業とのあいだには、「回転ドア」と称される激しい人の出入りがある。
  1969年の1年だけで2000人以上の軍将校が主要な防衛受注企業のために働こうとしていた。ロッキードは、210人の元軍将校を雇用してトップに立った。
  アメリカでは、融資は受注企業だけでなく、その顧客にまで行われる。たとえば、1970年代、アメリカ政府のチリ向け融資は、独裁者ピノチェト将軍のもとで軍事費3倍増となる資金を供給した。アメリカ国防総省の受注企業の上位10社の取引総額は2001年の460億ドルから、2003年には800億ドルとなり、75%ほど上昇した。
  アメリカの副大統領となったディック・チェイニーは、「ハリバートン」のCEOになった。チェイニーは、在任中、定期的に「ハリバートン」を賞賛した。副大統領として「ハリバートン」の
120万ドルのストックオプションをもち、そこから毎年、何百万円もの配当を受けていた。
  過去2年間に、イラクでは30億ドル分もの武器取引がおこなわれた。イラク軍へ36万挺という小火器が取引された。その多くは、アメリカ製とイギリス製。
  そのほか、6万4000挺というカラシニコフがボスニアからイラクへ送られた。
  防衛に10億ドルを投資するごとに、8555人の雇用が創出される。これに対して、医療に同額を投資したら、18万3千人の雇用。教育分野では、1万8000人の雇用が創出される。
  イスラエルは、アメリカの軍事援助の大半を、対外軍事融資と呼ばれるものを通じて受け取っていた。アメリカの武器購入助成金である。イスラエルは、アメリカの軍事援助を受けて成り立っている国なのである。
戦争で人を「合法的」に殺すのに加担し、推進する軍事ビジネスが日本で栄えることを、日本人として許すわけにはいきません。
  
(2015年6月刊。2400円+税)

さらばアホノミクス

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  浜 矩子 、 出版  毎日新聞出版
  小柄な著者の講演を何回か聴きましたが、そのたびに小気味のいい切れ味で、すっかり共感したものです。この本は、著者の語りそのままが活字になっていて、読んでスッキリ、納得できます。
  なんで、こんなアホなアベ首相を支持する人が今なお4割を超えているのか、私には理解できず、不思議でなりません。
  アベノミクスは、経済政策とも呼べない。まともな政策の体(てい)をなしていない。「三本の矢」といっても、矢どころか、的そのものかはずれ。
  アベノミクスは、強さと力と大きさのみ。これらに固執していると、人間不在の世界になる。経済活動は人間の営みなのに、その中で人間が主役になれない。労働者ではなくて労働力。技術者ではなくて技術力。国民ではなくて国力。関心の商店が「人」から「力」へ移っている。
  アベ首相は、アベノミクスは外交安全保障政策と表裏一体だと高言した。防衛費を増すことは考えても、国民福祉の考えはない。防衛費は3年連続で増やし続け、今や5兆円をえている。他方、生活保護費は削減するばかり。
  アベノミクスは、貧乏人を救うためには、金持ちをより金持ちにすることが必要だという。何ともおかしな考え方である。今の日本でやるべきことは、分配政策。豊かさの中の貧困の解消だ。今の日本経済は成熟経済だ。成熟経済に必要なのは、分かち合いの論理であって、奪い合いの論理ではない。一握りの強者が栄えることで、全体が元気になれるという発想は幻想だ。
 政策は強き者をより強くするためにあるわけではない。弱き者の生きる権利を守ることが、その本源的役割だ。
 とても切れ味よく、爽やかな読後感のある小冊子(190頁)です。すぐに読めます。あなたも、ぜひ、ご一読ください。
(2015年12月刊。1100円+税)

満州と岸信介

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  太田 尚樹 、 出版  カドカワ
  アベ首相の憧れの祖父・岸信介を美化した本です。ただ、岸信介が満州国づくりに深く関わっていたことを再認識することができる本でもあります。
  満州国の表の顔は、満州産業開発5ヶ年計画によって、東洋一の規模の豊満ダム、鴨緑江水電、重工業、製鋼所、浅野セメント、住友金属、沖電気・・・、そして満鉄「あじあ号」、ヤマトホテル、関東軍司令部・・・。このようにして、広大な原野に大都市が出現した。
岸信介にとって、満州にいた3年間は、革新官僚・岸信介が政治家・岸信介に変貌していく3年間でもあった。
夜の満州は甘粕正彦が支配していた。甘粕はアナーキストの大杉栄一家を関東大震災のときに虐殺した張本人である。岸は甘粕を頼りにしていた。
  満州国の裏の顔は阿片。岸信介が阿片による金もうけ無縁だったはずはない。岸の側近であった古海忠之は、自分が阿片に深く関わっていたことを認めている。
  満州国というのは、関東軍の機密費づくりの巨大な装置だった。謀略に使われる機密費を阿片によって捻出していたのが総務庁だった。岸信介は総務庁の次長として、それを取り仕切っていた。
  阿片の上がりは、満州中央銀行、上海と大連の横浜正金銀行、台湾銀行の口座に預けられていた。中国大陸に広く展開する総勢100万の日本軍を維持するのに、国家予算ではとうてい追いつかない。そればかりか、内地の陸軍部隊も阿片から収益に頼る部分が大きかった。
  阿片を吸引していた中国人が廃人となっていったのです。その悲惨な状況をつくり出した責任は日本軍にもありました。本書は、その点に触れることはありません。あくまで岸の手柄話に終始しています。良心に欠けているところがあるようで、とても残念です。
(2015年9月刊。1700円+税)

『昭和天皇実録』を読む

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  原 武史 、 出版  岩波新書
  昭和天皇は、生まれてすぐ沼津に行った。東京生まれ、東京で育ちながら、かなりの
時間を沼津で過ごした。川村純義(すみよし)という伯爵の家に預けられるが、川村の別邸が沼津にあり、1年のうち3ヶ月も沼津で過ごした。そこで、多くの女性に囲まれていた。母親も、皇后も、実の祖母も曾祖母まで沼津にいて、4人の叔母たちもいた。
  昭和天皇は幼少のころ、キリスト信者者が保母だった。
  昭和天皇は天皇家のしきたりを改めようとするが、母親や側近の女性たちの抵抗にあう。昭和天皇はヨーロッパ訪問したあと、ライフスタイルを西洋風に改める。これが母親との確執の原因となる。母親は、日本の伝統や皇室のしきたりを蔑ろにして、西洋かぶれになってしまったと昭和天皇を心配(批判)した。
  昭和天皇には女性的なところがある。かん高い声や話し方など、だから、政府は、1945年8月の玉音放送まで一般国民に対して声を聞かせることがなかった。
  戦前、神功皇后を天皇として認めなかったのは、昭和天皇が天皇になる前に、母親が自分のかわりに天皇となる可能性があったから、それを恐れていた。
  「昭和天皇実録」という本は昭和天皇の実像を知る手掛かりにはなるようですね。といっても、61冊、1万2千頁にもなるというのですから、とても実物を読もうとは思いません。
  そこで、その内容をコンパクトに紹介してくれる便利な本です。
(2015年9月刊。800円+税)

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