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オーロラ!

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者  片岡 龍峰 、 出版  岩波科学ライブラリー
  私は残念ながら現物のオーロラを見たことはありません。映像のみです。
オーロラほど不思議な光はない。冷たい炎のような光が色を変え、形を変え、音もたてずに空を舞う姿の圧倒的な不思議さには、驚きと畏怖の言葉が尽きない。
100年前、ノルウェーの科学者(ステルマー)が電話をつかって30キロ離れたところで写真を同時に撮影し、オーロラの高さの精密な三角測量を繰り返した。その写真乾板は4万枚をこえる。その結果、オーロラが地上100キロ、高いものだと1000キロで光っていることを突きとめた。
オーロラの緑や赤は、酸素原子がエネルギーを受けたときに自然に出てくる色。緑の光を放つには0.7秒かかるが、赤の光を放つには110秒の時間がかかる。したがって、オーロラの赤は、緑が光る場所よりももっと真空に近い、110秒ほど励起状態のまま仲間と会わずに漂うことのできるほど空気が薄い状況、つまりより高い場所でないと光ることができない。上が赤く、下が緑という、あのオーロラのクリスマスカラーは、酸素原子がつくり出したグラデーションなのだ。
北極の近くでは、オーロラは見えない。オーロラは、地球規模で「輪」を形づくっている。
地球が磁場をまとっていることによって、電子は磁場気に捕らえられ、オーロラオーバルの近くに輪のように電子が流れこみやすい状況になっている。そこで、猛スピードで大気へ流れ込んだ電子が、空の終わりの酸素原子と衝突して、オーロラを光らせている。
オーロラの全体像は、今ではほとんど明らかになった。でも、今なお、電子と陽子の動きの違いや細かなプラズマの構造など、分からないことは多い。
オーロラの解説が十分に理解できたということはありません。それでも、オーロラの生成・構造が単純なものではないことだけはよく分かりました。宇宙には不思議なことだらけですね・・・。
それにしても、マイナス40度とかいう世界でオーロラを観察しようとは思いません。やっぱり、ぬくぬくとしながら、映像でガマンしておくことにします。
  
(2015年10月刊。1300円+税)

「ミレニアム4」(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  グヴィッド・ラーゲルクランツ 、 出版  早川書房
  スウェーデン発の「ミルニアム」を初めて読んだとき、その迫力に圧倒されました。ところが、著者のスティーグ・ラーソンが三部作を出したあと心臓発作で急死してしまったのです。ですから、当然、第四部はないはずなのに、版元が新しい著者を確保して、四部作を発表したというのです。
 私も、恐る恐る読みはじめましたが、なかなかどうして、第一作を読んだときと同じほどの迫力がありました。読ませます。私は、実は映画はみていないのですが、この第四部もハリウッドで映画化されるとのことです。
 インターネット世界の最新の状況が詳しく紹介されます。匿名で誰かを批判していると、なんと、敵対的なコメントを書きこんだ連中が、みな匿名ではなくなった。氏名、住所、職業、年齢が、いきなり表示されてしまった。
 私も、こんな仕掛けがあったらいいなと思います。無責任なヘイトスピーチのようなものを書き込めないようにするため、これは絶対的効果があると思います。
他人のアイデアを盗んで大もうけするようになったら、もう犯罪者への一線を越えてしまったことになる。あとは堕落していくだけだ。
 優秀な法律の専門家を身につければ、安心して何でも盗める。弁護士は、現代のギャングだ。うひゃあ、そ、そんなことはありませんよ。弁護士がギャングだなんて、絶対に違いますよ・・・。
 超絶したインターネット技術を駆使するリスベットの活躍から目を離せません・・・。
  
(2016年1月刊。1500円+税)

戦国の陣形

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 乃至 政彦 、 出版  講談社現代新書
 戦国時代の合戦といえば、魚鱗とか鶴翼、そして車懸(くるまがかり)の陣立(じんだて)が有名です。ところが、著者は、このような陣形が実際に存在したという証拠の文書はないというのです。
陣形とは、布陣の形状である。
中世の足利(室町)時代には、その軍政は騎兵中心だった。楯兵も弓兵も、騎兵が下馬して構成されていた。中世における正規の戦力は、原則として騎兵だった。そして、騎兵が下馬することなく騎兵として戦うとき、武士としての真価が発揮された。
この時代の合戦の特徴として、しばしば騎兵の集団が遠距離戦闘を介することなく、戦闘を仕掛けた。足利時代の騎兵は、頻繁に接近戦を行った。中世の騎兵は、「馬上十飛道具」ではなく、「馬上十衝撃具」で戦った。
 中世の戦場では、定型の陣形があらわれることはなかった。それは、それを実用する規律ある軍隊がいなかったからだ。中世の武士は私兵の寄り合いに過ぎず、そこには基本となる部隊教練も存在しなかった。
 武田信玄と上杉謙信との戦いのなかで、上杉軍の一翼となった上村義清の部隊は、弓隊150人、鉄砲50人、足軽200人、騎馬隊200騎、長柄のやり100人という兵種別編成で戦った。そして、武田軍の本陣に切り込み、戦傷を負わせた。
上杉謙信は、村上義清の使った隊形を常備の隊形として取り入れた。それには強い信念と大量の物量が前提となった。この兵種別の五段隊形が全国に広がった。
 文禄の役のとき、朝鮮の官軍は、日本軍の「陣法」について学んで対抗した。
 「旗持が最前列、島銃手が二列。槍剣手が三列と、三段に構え、その左右に騎兵を配した。戦いが始まると、最前列の旗持ちが左右にひらいて、二列目の銃手が発砲し、ころあいを見て槍剣手が突撃する。そのあいだ左右にひらいていた旗持軍が両方から、左右の伏兵が敵の背後にまわって包囲する」
 いま有名な定型の陣形は、戦争が日常だった戦国時代には使われなかったが、天下泰平の徳川時代になると、机上に復活しただけのこと。
 武田信玄の「八陣」が一般に広く知られるようになったのは、なんと戦後のことだと著者は指摘しています。
 なんだ、なーんだという感じです。まあ、それもそうなんでしょうね。戦場で、そんなに形ばかりにとらわれていたら、敗北してしまいますよね。大いに目を開かされました。
                           (2016年1月刊。760円+税)

無私の日本人

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  磯田 道史 、 出版  文芸春秋
 思わず泣けてくる話です。心がじんわり温まります。江戸時代の話なんですが、現代日本にも、そんな人はいますよね。
 自分のことしか考えずに、金もうけのみに走る人が少なくないわけですが、反対に、自分のことより他人のことを先に心配して、善意の支援を決して誇らず、目立たずひっそりと一生を終えるという人もいるのです。
 町人が町(吉岡宿)を救うために同志をつのってお金を集め(なんと、千両です)、仙台藩に貸し付け、その年1割の利息100両で町の経済を支えるのです。実話というのですから、信じられません。町人って、やはり経済的な実力をもっていたのですね。
 財政状況が窮乏していた仙台藩も、おいそれと町人から借金するわけにはいきません。そこで、虚々実々の駆け引きが始まるのです。その過程が詳しく明らかにされていますが、さすが日本人らしいドラマになっています。ついに、仙台藩に1000両を貸し付け、毎年100両ずつの利息をもらっていくのです。すごい発想ですね。その大胆さには圧倒されます。
 仙台藩では、庄屋・名主のことを肝煎(きもいり)といった。そして、大肝煎は他藩の大庄屋のことで、百姓のなかから選ばれる役人としては最高の役職だった。大肝煎は、百姓のなかでは、お上にもっとも近い立場だ。仙台藩では、大肝煎が農村における絶大な権力者となった。
徳川時代の武士政権のおかしいところは、民政をほとんど領民にまかせていたこと。徳川時代は、奇妙な「自治」の時代だった。仙台藩は郡奉行をわずか4人しか置いておらず、代官30人を1郡に1人か2人割りあてて、行政にあたらせた。しかし、実際に事を運んでいるのは、大肝煎だった。
 幕末の時点で日本人口は3千万人。そのうち武家が150万人、庄屋は50万人いた。漢文で読書ができ、自分の考えを文章にまとめることが出来るのを「学がある」と言った。農村にいた庄屋の50万人が文化のオルガナイザーになっていた。
 江戸時代、庶民の識字率は高いと言っても、男女の半数以上は字が読めなかった。そこで、法律や政治においては、読み聞かせが大きな意味をもった。
 吉岡宿の人々にとって、迫りくる貧困への恐怖は、火事よりも恐ろしいものだった。仙台藩に現金で千両を貸し付けて吉岡宿を救うという企てを始めてから、すでに6年という星霜がすぎていた・・。
 すごいですよね、6年も粘り強くがんばったというのです。
 そして明和9年(1772年)9月、仙台藩に金千両を納めた(貸し付けた)のです。明和9年といえば、「迷惑」な年ですから、江戸で振袖火事が起きたころですよね・・・。
 安永3年から、吉岡宿では暮れになると千両の利金(利息)である百両が配られるようになり、吉岡宿は潤い、幕末に至るまで人口が減ることはなかった。仙台藩主・伊達重村は領内巡視の途中、吉岡宿に立ち寄り、浅野屋の座敷にあがり込んだ。領主の「御成り」である。そして、浅野屋の売っている酒のために名付け親となって、酒が飛ぶように売れた。苦労した浅野屋はこれでもち直した。同じく穀田屋も平成まで生きのびた。
 世のため、人のためにしたことを自分の内に秘めて、外に向かって自慢気に語ることをしなかった人たちがいたのです。実話ですし、詳細な古文書の記録が残っているのでした。それを著者が読みものとしてまとめたのが本書です。近年まれにみる良書だと思います。
 このごろ人生に疲れたなと思っているあなたに、いやいや人生はまだ捨てたものではないと悟らせてくれる本です。ぜひ、ご一読ください。
(2015年5月刊。1500円+税)

おひとりさまの最期

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  上野 千鶴子 、 出版  朝日新聞出版
 著者は私と同じ団塊世代です。団塊世代の私たちにも、いよいよ死が身近なものとなってきました。といっても、20代、そして50代のうちに亡くなった知人も一人や二人ではありません。老後をいかに過ごすのか、どうやって死を迎えるのかは、それぞれ重大な課題になっています。
 おひとり様の数は増え、2013年には、高齢者世帯の4世帯に1世帯が単身世帯である。それに夫婦世帯が3割。両方を合わせると、5割以上。いまや、子と同居している世帯は3割台でしかない。
著者は、本当のことを言えば、死んだあとのことなんて、気にしちゃいないと書いています。私も同じです。宇宙のチリの一つにしかならないし、いずれみんなそうやって宇宙を漂っていく存在なのです。だから、宇宙に本当に果てがあるのかどうか、今から気になるのです・・・。
 おひとり様人口は、これからも増えるし、これから先は、病院でも施設でも死ねなくなる「死に場所難民」が増える。
日本人の最新の平均寿命は、女性は86.83歳、男性が80.50歳。6歳も違うのですよね。それでも、男性も80歳を超えたのですね・・・。仕事人間、社会人間ばかりではなくなった、ということでしょうか・・・。
日本人の死に場所として、病院が80%、在宅が13%、そして施設が5%。
末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフィンが出て、モルヒネと同じ作用をする。だから、苦しくはない。これが老衰のときの大往生。その自然死の過程に、医療は余計な介入をしないほうがいい。
病院では、死は敗北。しかし、高齢者施設ではゴールであり、達成。
住宅をただのハコとは考えるべきではない。記憶や経験が詰まった、暮らしの場。身体の延長のような装置系。
在宅医療には、病院にはない不思議な力がある。在宅では、医療職の想定をこえた「奇跡」がいくつも起きている。なんでもない日常が、家族にとって、かけがえのない時間となる。
本人が強い意志を持たない限り、周囲が意思決定して終末期は病院に送られてしまう。
 日々の暮らしとは、口から食べて、お尻から排泄して、清潔を保つことの日々の積み重ね。食事介護、排泄介護、入浴介護というのが三大介護。
生きるとは、迷惑をかけあうこと。親子の間ならとめどもなく迷惑をかけてもかまわないと共依存する代わりに、ちょっとの迷惑を他人同士、じょうずにかけあう仕組みをつくりたいもの。
そうなんですね。もつべきは相互に支えあう人間関係なんですよね・・・。老後を真剣に考えされられる本でした。
(2016年2月刊。1400円+税)

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