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大本営発表

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  辻田 真佐憲 、 出版  幻冬舎新書
 いい加減な政府当局の発表を今でも大本営発表と言いますよね。安倍首相は、いくつも大本営発表しています。たとえば、オリンピックを東京に誘致するとき、原発事故は完全にコントロールしていますなんて、真っ赤な大嘘を高言しました。また、アベノミクスで国民生活が豊かになる(なっている)かのような幻想を今なお振りまいています。
 この本を読んで、堂々たる嘘を戦争中ずっと高言してきた大本営発表の本質を知ることができました。それは、一言でいうと、軍部と報道機関の一体化にある。でしたら、今の日本のマスコミも、NHKをはじめとして、権力にすり寄ってアベノミクス礼賛がほとんどですから、似たような状況にあるってことじゃないですか・・・。恐ろしいです。
 大本営発表は1941年12月8日からと一般に言われ、846回の発表がなされた。しかし、実は、その前の1937年12月の南京攻略のときにもあった。
昭和の大本営は、敗戦の年まで首相の参加を認めていなかった。その実態は陸海軍の寄合所帯にすぎなかった。参謀本部が大本営陸軍部を名乗り、軍令部が大本営海軍部と名乗っていた。統合されたのは、1945年5月のこと。敗戦の3ヶ月前だった。
 当初は陸軍が熱心で、海軍将校は報道を無用なおしゃべりとみなし、チンドン屋と呼んでバカにしていた。
当初は、軍当局は新聞をよくコントロールできていなかった。それは新聞各社の部数拡大をめぐる熾烈な競争があったから。そして、報道合戦に勝ち抜くためには、軍部との協力が不可欠だった。
新聞はジャーナリズムの使命感というより、単なる時局便乗ビジネスに乗っていただけ。これは毒まんじゅうだった。軍の報道部と新聞は、いつのまにか持ちつ持たれつの関係になっていた。
 1941年12月8日からの大本営発表は戦争報道を一変させた。新聞に代わってラジオが全国に速報する役目を担った。聴く大本営発表の時代が到来した。同時に軍歌が流された。
「ソロモン海戦に関する大本営発表は実にでたらめであり、ねつぞう記事である」
これは、昭和天皇の弟である高松宮(海軍中佐)が日記にかいた文章。
日本軍は情報を軽視していた。事実を確認することなく(確認できず)、戦果を誇張して発表し、それに自ら騙され、しばられていった。
 ミッドウェーでの敗北を発表すると、国民の士気が衰えることを心配した。大本営は国民を騙しただけでなく、海軍にも正確な情報を伝えなかった。
サボ島沖海戦で手痛い敗北を受けると、作戦そのものをなかったことにしてしまった。
国民は三重に目隠しされた。日本軍の情報軽視により、戦果の誇張がおきる。そして、損害の隠蔽が起きる。さらに、ジャーナリズムの機能不全に陥る。
軍部の感覚はマヒしていた。前回もやったことだから、今回も損害を隠蔽してしまおう。これも士気高揚のためだ。いまさら嘘を覆すわけにもいかない。マスコミは自由自在に動かせるから、どうせ国民にばれることもない。
「玉砕」という言葉は、大本営から反省する機会を奪った。ただし、「玉砕」という言葉のごまかしは1年間のみ。戦局があまりに悪化したため、美辞麗句ではもうごまかせず、「全員戦死」とストレートに表現されるようになった。
 ジャーナリズムが軍部当局、ときの権力にすり寄り、一体化してしまうと大変な不幸を日本にもたらすのですね。最近、アメリカのF35戦闘機を購入するというニュース映像が流れましたが、一機いくらするのか、何のために日本がこんな戦闘機を購入するのか、欠陥があるとの指摘はまったくありませんでした。ひどいニュースは、もう始まっています。
(2016年8月刊。860円+税)

漂うままに島に着き

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  内澤 旬子 、 出版  朝日新聞出版
 この著者の『飼い喰い、三匹の豚とわたし』には圧倒されました。だって、みるみる巨体になっていく3頭の豚を自分で飼って最後まで面倒みたあげく、その豚肉を美味しくいただいたという話なのです。エサをきちんと与え、運動させた豚の肉は素晴らしく美味しかったとのことです。たしかに、そうなんだろうなと思います。というのも、私も最高ランクの牛肉を食べたことがあります。すると、いつもの牛肉の味とはまるで違うのです。やっぱり、エサと運動、健康管理が味にきちっと反映されるのですね・・・。
 この本は、乳がんになり、離婚もして一人で生活する40代の独身女性が東京を捨てて、何と小豆島に単身移住するという話です。
ガンを抑えるためのホルモン療法中に起きた副作用をきっかけとして、狭い場所や騒音が苦手となり、自分の居住空間のゆとり部分を広げるべく、蔵書を半分以上も処分し、仕事で書いてきたイラスト原画や収集してきた古書も手放した。別居を経て離婚し配偶者に去っていただいた。すっからかんの、何もない、静かな部屋で暮らしたい・・・。
これは、私もまったく同感です。子どもの情操教育に必要だと思って小さなピアノを置いていたのを、まず処分しました。すると、隣にあった背の高い本棚が邪魔だと思うようになりました。幸い引き取り手を得て、私にとって不要な本を次々に放出していき、今では12畳もあろうかという広い板張りの居間には何もありません。座卓と背筋トレーニング・マシーンがあるだけ。そして、昔は大きなステレオセットがありましたが、今では小さなステレオセットは本棚に埋め込んでいます。テレビはないので、夜は、虫の音しか聞こえてきません。静かなものです。じっと坐っていると、夏の夜には夜香木の香りが漂ってきます。といっても、一方の壁は、天井まで全面が本棚になっていて、縦にも横にも本が積み重なっています。そして、その本の背表紙を眺めるのが私の寝る前のささやかな楽しみなのです。
 小豆島での借家探しの苦労話が詳細に語られますが、それ自体を楽しんでいる風情なのです。そして、決め手は、月と海と暖かさと収納、ということ。トイレはもちろん水洗ではありません。それでも臭いが気にならない、うまい仕掛けになっているのでした。
 そして、小豆島では、豚ではなく、ヤギを飼ったのです。ヤギを飼うって、意外にも大変そうです。心配していた近所つきあいもなんとかなっているようです。
驚いたのは、よそ者の女性が一人で小豆島に流れ着いて定住する人が多いということ、そしてまた、ふらっと去っていく人も多いというのです。日本の女性って、今も昔も勇気がありますね・・・。
(2016年8月刊。1500円+税)

日本で初めて労働組合をつくった男

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者  牧 民雄 、 出版  同時代社
 今の日本ではストライキという言葉は、まるで死語同然です。ところが、江戸時代が終わって10数年たったばかりの明治の日本で、ストライキが起こり始めました。これも、江戸時代の「オカミ」に盾つく百姓一揆の伝統を受け継いでいたからなのでしょうか・・・。
 日本人が、昔から皆、従順で、モノ言わぬヒツジだったというのは、真っ赤な嘘です。それは江戸時代の一揆の規模・回数をまったく知らない人の言う妄言にすぎません。
 明治19年10月に靴職工のストライキは、日本初だった。この靴職工たちは、士族上りが多く、他の職工とは品性を異にし、気質温和、恥を知る美風があった。
 城(じょう)常太郎は、明治21年9月、25歳のとき、アメリカへ向けて旅だった。常太郎はアメリカはサンフランシスコに定着し、ホテルの客引きをしていた高野房太郎と出会った。
 アメリカで日本人のできる仕事で最も有望なのは、靴工業だった。靴が生活必需品であるアメリカでは、手先の器用な日本人靴工による靴の修理は大好評だった。
 明治22年11月、日本人靴職人14人がアメリカに集団移民した。日本人靴職人は修理費が格安で、納期をきちんと守ったことから顧客が増えた。
 1886年1月、サンフランシスコ市内の靴工は7000人いた。その多くを中国人靴工が占め、白人靴工は2割、1000人ほどだった。しかし、白人靴工の日給手当は2ドル、中国人靴工は1ドルだった。
 明治19年以降、東京や関西の靴工場で、工員たちによる労働争議が頻繁に起こり始めていた。
 明治25年12月、300人もの靴工たちが日比谷公園に集まり、衆議院に向かって堂々のデモ行進を遂行した。日比谷公園は、日本におけるデモ行進の発祥の地なのである。
 弁護士会も安保法制法案の成立反対を叫んで、日比谷公園から国会に向けて何回となくデモ行進をしました。もっとも、今は、パレードと呼ぶことが多いのですが・・・。
 明治20年1月、カリフォルニア市内で、城常太郎の音頭のもと、「加州日本人靴工同盟会」が発足した。白人靴工に対抗するとき、非暴力で相手の怒りを鎮めようとする平和的な道を選んだ。このころサンフランシスコ市内の日本人靴店は20店、靴工は60名いた。
 明治42年になると、会員数327人にまで膨れあがった。日本人靴店も76店あった。当時、ゲルマン人の食料品、フランス人の洗濯屋、イタリア人の魚商、中国人の薬舗、日本人の靴工と言われていた。
 明治29年の末、城常太郎は、ストライキに反対する者たちから袋叩きにあい、重傷を負った。
 明治30年6月、東京・神田の青年会館において職工義友会の主催する演説会が開催された。1200名の聴衆を前に、学歴のない城常太郎が一番に演説した。
労働組合期成会は、明治30年にわずか71名でスタートしたが、翌31年7月には2500人の会員を擁するまでに発展していた。初期の労働運動のピークは明治32年夏だった。
 城常太郎は、その後、中国大陸に渡ったが、明治38年7月に、42歳で肺結核のために死亡した。
明治29年に高野房太郎よりも早く日本に帰国し、日本の労働運動を大きく盛り上げたのが城常太郎だったことを初めて知りました。
 それにしても明治20年代ころのカリフォルニアに日本人靴店がたくさんあったことを知り、目を開かされました。今では、町に靴を修理してくれる店なんて、とんと見かけませんね・・・。
 歴史の掘り起こしは大切だと痛感した本でもありました。
(2015年6月刊。3200円+税)

漫画は戦争を忘れない

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  石子 順、 出版  新日本出版社
 大学生のころまではマンガ週刊誌をふくめてマンガをよく読んでいましたが、大学を卒業すると同時に、基本的にマンガからも卒業しました。
 でも、弁護士の仕事に役立つマンガも実際にありますので、今でも単行本は買って読むことがあります。生活保護や介護の現状など、マンガで視覚的に問題状況をつかむことが出来ます。
 大学受験のためには、日本史や世界史もマンガで全巻通読しておいたほうがいいという、奈良の佐藤真理弁護士夫人の指摘には、恐らくそうなんだろうな・・・と思います。
 この本は、漫画で戦争の悲惨さが語りつがれてきたことを振り返っています。
 水木しげるをはじめ、戦争体験者や中国からの引き揚げを体験したマンガ家って、想像以上に多いのですね・・・。
 戦争漫画は、陸、海、空で展開された戦争の激しさ、むなしさを描く。
 過去を知らないと未来はないことを、戦争を見つめ反省しないと平和はないことを、つかみとることが出来ないことを漫画は描いている。
 戦争は、戦場で敵を倒す。人間を殺すことを合法化した争いで、多く倒せば英雄となる。このさまざまな武器をつかって戦うさまをカッコよく描くのが、かつての戦争漫画だった。
 手塚治虫は、8月15日に終戦になったあと、焼跡に電灯がついているのを見て、本当に戦争が終わったことを知り、大喜びした。
 「こんなに感動したことはない。それは、もう40数年たって、まだその感動を覚えている」
 日本に帰ることができて漫画家になったものたちが、その記憶を漫画にしたそこには、二度と戦争を繰り返してはならないという思いがこめられていると同時に、亡くなった多くの子どもや大人への鎮魂の紙碑となっている。
 マンガは大きな力をもっていると思います。反戦・平和の願いをマンガに託して、さらに飛躍させてほしいものです。
 いい本でした。漫画拝論を書いて50年になる著者の最後の本になるかもしれないとありますが、まだまだ元気にがんばってほしいものです。
(2016年6月刊。1000円+税)

財界支配

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 佐々木 憲昭、 出版  新日本出版社
 今の日本の財界は、目先の、自分たちさえもうかれば良しとする傾向がいちだんとひどいように思います。
 自分も良いけど、客も喜んでいる、そして地域がニコニコ笑顔で暮らしていける、そんな社会を日本の財界人が目ざしているとはとても考えられません。残念です。
 日本の支配層団体である日本経団連とは、一体どんな組織なのか。それを資料にもとづいて明らかにしている貴重な労作です。
 日本では巨大企業が株主配当を最優先させる株主至上主義の傾向を強め、投機的資金を動かし、金融資産を肥大化させ、経済の金融課に拍車をかけている。大企業のもつ内部留保は空前の規模に達している。そのベースは、生産拠点をアジアなど海外に写し、国際的な生産ネットワークによって最大限の利潤を確保する多国籍企業へ変貌しつつある。そして、政府の軍事予算増大に寄生し、経済が軍事化しつつある。
日本の経団連の役員総数が増えているのは、日本の産業構成が複雑化していることの反映だ。1970年に役員は13人だったのが、45年後の2015年には36人と3倍に増えている。
日本経団連は製造業中心の財界団体であるが、2005年の64%をピークとして、2015年には39%まで減っている。総合商社の比重が高まり、金融保険業も急増している。世界的に投機資金が膨張するなかで、保険業界の機関投資家としての役割が飛躍的に増大している。
経団連役員企業の総資産は、1970年の1兆92億円から2015年には24兆5368億となって、24倍にも巨大化している。
経団連のトップ企業は、アジアをはじめとする海外市場に活路を求め、海外売り上げへの依存度をますます高めている。
 そして正規労働者が減り続けている。2000年と比べて、2015年には9240人も減っている。ところが、非正規労働者は急増している。2000年に比べて、2015年には、1万2839人も増加した。三菱重工における非正規労働者は、2005年の9.4%が2015年には17%まで倍増している。
外資の影響力が格段に高まっている、1970年に3%なかったのが、2015年には35%に近い。外資比率30%以上の企業が23社となり、経団連役員企業33社の7割を占めている。
 カストディアンという用語を初めて知りました。投資家に代わって有価証券を管理・保管する業務に特化した信託銀行、資産管理信託会社のことである。日本経団連の役員企業は、日米カストディアンの圧倒的な保有下に置かれている。カストディアンは、株主への利益還元を増進させている。
経団連企業の役員報酬額が増大している。一人で1億円をこえる報酬を受けとっている役員は、2010年の56人から2015年の89人へと増えた。全部では、211社の411人となっている。ところが、正規労働者の賃金は2000年の734万円が2015年の953万円へ1.3倍にしかなっていない。
日本の軍事予算は、2012年度に4兆7138億円だったのが、2016年度には5兆円を突破した。
 日本の「防衛装備品」の7割を20社で受注している。三菱重工業をはじめとする日本経団連役員企業が軍需産業と深くかかわり、国の軍事予算への依存を強めている。
 北朝鮮や中国の脅威をことさらにあおって、日本の軍備増強を叫んでいる政治家は、実はうしろで軍需産業と腹黒い交際をしているのがしばしばです。
それにしても、先日、稲田防衛大臣が軍需企業の株を夫婦で大量にもって増やしていると報道されました。「危機」を金儲けの口実にしているとしか思えません。プンプン・・・。
(2016年3月刊。2500円+税)

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