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日本法の舞台裏

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 新堂 幸司(編集代表) 、 出版 商事法務 
立法や制度改革の過程で起きていたことを立法秘話として関係者が語った本です。商事法務の編集長を長くつとめてきた松澤三男氏の古稀記念論文集でもありますが、学者や弁護士、そして官僚など、日本の法曹界で名高い人々が登場している点でも画期的な内容になっています。
法制審議会やら国会対策、そして各種研究会でのエピソードが豊富で、さまざまな法律の立法過程が手にとるように見えてきます。
研究者が発言するとき、わざわざ「個人的見解だ」と断りを入れる人がいるが、不自然な感じを受ける。研究者にとって、個人的見解以外のものが果たして、あるのか。そして、自らの意見を開陳するのは義務というべきこと(伊藤眞)。
法案づくりは、営業と似ている。消費者法を改正しようとするとき、説明すべき業界は限りなく多い。もれがあると、あとあとのプロセスで表面化し、大きな問題になりかねない。(川口康裕)。
閣法とは、内閣の提出する法案のこと。議員提出法案は、議員の所属による提出先議院の違いにより、衆法とか、参法と呼ばれる(村松秀樹)。
日本でも、渉外婚姻等によって夫婦や親子間で氏を異にする家庭も少なくない。それを考えたら、氏を異にすることが家族の一体性を害し、婚姻の意義を薄れさせるという消極論は、現実を見ない、観念論にすぎない(加藤朋寛)。
審議会の意見をまとめる必要があるときには、結論に至る論理をまず展開し、次にそれと異なる意見があったことを具体的に紹介する。責任は結論をまとめた学長がとることになっている(平野正宣)。
新法の名称をどうするか話題になったとき、幹事として出席していたので、「民事再生法」としてはどうかと提案したところ、並居る論客から一蹴された。ところが、法務省の呈示した案の一つに民事再生法があったので、うれしかった。あきらめかけていた迷子の子犬にめぐりあった気分だった。日弁連では大方の賛同を得られた(瀨戸英雄)。
私も、個人版民事再生法の制定過程の議論に少しだけ加わりました。一丁あがり方式の破産免責では救われない債務者が少なくないことから、私が必要に迫られて実践していた方式を踏まえて発言したのです。
民事執行法の制定過程では、午前3時ころに議論を終え、会議室の床に貸布団を敷いて就寝する。庁舎内で泊まると、朝8時半まで眠れるので便利だ。そのうち、会議室の床よりは、じゅうたん敷きの局長室の床が良さそうなので、密かに寝場所を変更した。起床後は、局長の出勤前に臭気取りのために窓を全面開放して部屋を寒気にさらした。帰宅するのは交替で週1日だけ、入浴のため。やせた豚になるよりは、太った豚になるほうがまし、と考えていた(園尾隆司)。
平成8年の新民事訴訟法の制定過程で部会のなかで敢然として発言する気骨ある弁護士がいて、感銘を受けた。ところが、当局のつくった原案に賛成する意見を述べるばかりの弁護士もいた(高橋宏志)。
商事法務研究会は経営法友会の事務局を支えている。そして、法律編集者懇話会が組織されている。
いずれも私の知らないことでした。そんな立法秘話が満載ですから、500頁もの大作になっています。私は、東京から福岡までの帰りの飛行機のなかで、一気に読みとおしました。
(2016年10月刊。4600円+税)

久保利英明、ロースクール講義

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 久保利 英明 、 出版  日経BP社
 「債権者集会って、面白くないよね」
 「そんなことはないさ。債権者集会は宝の山なんだぜ」
 「えっ、どうして?」
 「だって、債権者集会に来る債権者は、今日は債権者だけど、いつ債務者になるか分らない零細企業なんだ。だから、倒産した企業の代理人となった弁護士がどれくらい頼り甲斐があるか、よく見ている。ビシッと債権者集会を仕切っていたら、自分が倒れたときには、この弁護士に頼もうっていう気になる」
 「なるほど、債権者集会は弁護士にとって依頼者獲得の場でもあるんだね・・・」
 「そう、そのとおり」
 このやりとりは、私も、なるほどと思いました。
 良い準備書面とは、司法修習所で評価される模範答案とは違う。何のために準備書面を書くのか。自己満足のためでなく、依頼者のためでもなく、相手方をやっつけるためでもない。裁判官に、そうか、この事件は、こういう話なのかと、思わず膝を叩いてしまうような書面を書かなければいけない。
話を聞くときは、まずは依頼者の立場に立って、どうしてこういう経緯になったのか、それぞれの時点で依頼者はどういうことを考えてこうしたのか、といった動機や理由を理解してあげることが必要だ。そのうえで、疑問に思ったところをきちんと正面から尋ねて理由を解明していく。そのとき、決して依頼者を責めないこと。
訴訟の見通しを説明するときは、「現時点の情報によれば」と、その時点で得ている情報にもとづく見通しであることを明確にしておく。
 腕のいい弁護士は、よく負ける。勝率の高い弁護士は、負けようのない種類の仕事を数多くこなしているだけのことが多い。勝率の高い弁護士を目ざしても意味はない。
 裁判期日の報告は、きちんと書面で作成して依頼者に渡すのが良い。信頼関係を生む始まりだ。
 予想外の判決をもらうことは弁護士生活30年になってもある。ホント、そうなんですよね。裁判官次第で、判決の勝ち負けが決まる。そのとき、必ずしも論理と事実によらず、好き嫌いの感情論が隠れたベースになっていることが少なくない。
 おそらく先に結論を決め、どの論点でその結論を導くかを決め、それにあわせて事実認定しているのではないかとしか思えない判決文がある。本当に、私も何度となく実感させられました。
人生を元気に、やり甲斐をもって生きることが幸せなのだ。自主性と、能力、そして人間関係が大切だ。
弁護士にとって一番大切なことは、依頼者を、事務所に入ってきたときよりも、事務所のドアを開けて出ていくときのほうが元気にして帰すこと。
これらの指摘(岡田和樹弁護士)に、私もまったく同感です。
 全力では仕事をしない。ふだんから「ゆとり時間」のない状態で、いつも全力疾走していたら、緊急事態に対応できない。つまり自由になる時間をもっておくこと。
 自分のもらう給料の3倍は稼がないと、独立した職業人とは言えない。
 病気するのは、日頃の生活態度にゆるみがあるから。弁護士が風邪をひいて休むなんて、恥ずかしいことともうべき。病気にならないよう、仕事と生活を適切に管理し、定期的な運動や休息をとる。
久保利弁護士には、先日、福岡で講演していただきましたが、そのきっかけがこの書評コーナーによる本の紹介だったと聞きました。うれしいことです。先輩弁護士の培った貴重なノウハウをきちんと受け継ぎ、次に伝達していきたいものです。
 
(2016年8月刊。1800円+税)

外来種は本当に悪者か?

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  フレッド・ピアス 、 出版  草思社
何が外来種なのか、そう簡単な話ではないということを、この本を読んで知りました。
自然はたえず流動しており、不変の生態系など、ほとんど存在しない。どこに生息しようと、そこは仮の宿でしかなく、あらゆる生態系はたえず変化していて、地質学的な偶発現象の犠牲になる生き物も多々ある。
セイヨウミツバチを、ほとんどのアメリカ人は在来種と信じている。しかし、イギリス人が17世紀にアメリカに巣箱を持ち込んだもの。つまり、意外にも外来種なのである。
スノードロップは我が家の庭にも春に咲いてくれます。これがイギリスの花かと思っていると、16世紀にフランスのブルターニュ地方から園芸植物として入ってきて、すぐに野生化したものなのだ。
熱帯には手つかずの自然がそのまま残っているというのは神話でしかない。実は、どんなに深い密林にも、数千年前から人間の手が入っていた。手つかずの自然というより、放棄された農園なのだ。昔、熱帯雨林でも、偉大な文明が繁栄していた。
自然はぜったいに後戻りしない。前進するのみ。たえず更新される自然に、外来種はいち早く乗り込み、定着する。
外来種の侵入は人間にとって不都合なこともあるが、自然はそうやって再野生化を進行させている。それが、ニュー・ワイルドということなのだ。
私たちの素朴な思い込みは、案外まちがっているということのようです。
たとえば、ひところセイタカアワダチソウが危険な外来種として日本全国で話題となり、躍起になって、その絶滅を目ざしていましたよね。ところが、今では、ほそぼそと生き残るだけで、かつての勢いはどこにも認められません。それは、ひところの絶滅運動の成果ではなく、自滅システムが作用したからのようです。
先日、わが家の庭に固くなった古パンをまいていると、真っ先に見つけてやってきたカササギを三羽の黒光りのする太いカラスが追い払ってしまいました。このカササギは朝鮮半島からの外来種とされていますよね。ところが、ヨーロッパに行くと、列車の車窓から田んぼにカササギを普通によく見かけます。自然って、偶然と必然が交互に起きるものでもあるのですね・・・。
(2016年8月刊。1800円+税)

受難

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  角川書店
済州島に行くフェリーが沈没し、修学旅行のために乗船していた韓国の高校生が300人も亡くなった、世にも悲惨な事件は、私にも忘れることが出来ません。本当にひどい話でした。
この本は、その実話を取り込んだ小説です。事件の背景がよく分かる展開です。
沈没してしまった船は、もとは日本の船でした。それを韓国の船会社が買って大改造したのです。乗客を積め込めるだけ積め込む利潤本位でしたから、安全性は完全に無視。問題は、それを見逃した当局の監視体制の甘さです。
そして、事故が起きたときの対処にも問題がありました。なにしろ、船長たち幹部船員が真っ先に船から脱出し、高校生たち乗客には、じっとして動くなという船内放送を繰り返して、脱出のチャンスを奪ったのでした。こんなひどい話はありません。
ところが、船員は船長以下、ほとんど非正規社員だったというのです。愛船精神が生まれる余裕なんて、なかったようです。となると、オーナーと海運当局、そして救難体制の不備が問題となります。
それはともかく、300人もの前途有為な高校生をいちどに失った親族の悲しみはなんとも言えない深さです。国家的損失でもあります。本当に思い出すだけで悲しい、悔しい話です。
この本は、この事故で水死した少女が細胞再生技術によってよみがえる話を中心にして進行していきます。やや出来すぎという感を受けましたが、それも小説だから許せます。
日本だって、安全第一のはずの原発で大事故が起きたのに、今なお原発の安全神話にしがみつき、金もうけしか念頭にない電力会社と政治屋の一群がいます。それには、本当に許せない思いです。
それにしても、人間の再生技術って、簡単なことではないでしょうが、それは是非やめてほしいと思いました。人間が人間ではなくなりますから・・・。
(2016年6月刊。1800円+税)

江戸のパスポート

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  柴田 純 、 出版  吉川弘文館
江戸時代、旅行している旅人が病気になったり、お金がなくなったとき、病人の郷里まで安全に送り届ける仕組みがあったというのです。
56歳の女性が旅の途中で仲間とはぐれて一人旅になってしまったあと、足を痛め、所持金も乏しくなったので、保護願いを出したら、村役人が郷里まで無事にリレー式で引き継いで届けてくれた。
保護から送り出しまでの過程がシステム化していた。旅の途中で困難にあい、しかも所持金がなくても、往来手形さえ携帯していれば、何とか国元まで送ってもらえた。このように十分な旅費をもたない旅人が、途中で野垂れ死にを心配せず、旅に出る条件が生まれていた。
往来手形を発行してもらえる人々にとっては、パスポート体制は福音だった。他方、往来手形を発行してもらえない無宿(むしゅく。無国籍の人々)は、パスポート体制から完全に除外されていた。
江戸時代の庶民の旅は、元禄時代、つまり17世紀末から18世紀初めから増えはじめ、18世紀後半から急増し、19世紀前半にピークを迎えた。旅行難民対策が整備され、旅行難民救済システム体制が日本列島全体で機能しはじめたので、19世紀前半のピークを迎えたのだ。
加賀藩は、歩行できなくなった旅人に対して、本人が希望すれば、馬や駕籠を使い、足軽を差し添え、「宿送り」を続けていた。ただし、全国どこの藩でもそうだったというのではない。このように旅行難民対策は、諸藩がそれぞれ異なった対応をとっていた。
19世紀前半のころ、田辺城下には、少なくとも年間10万人ほどの順礼が宿泊していた。うひゃあ、これって、すごく多人数ですよね・・・。
日本の往来手形に保護救済規定が入ったのは、往来手形が領主の側からではなく、民衆の救済慣行をもとにして、自律的に形成されたものであるからと考えられる。
江戸時代の日本人は、現代日本人と同じく、旅行が大好きだったようです。女性の一人旅も珍しくなかったというのですから、まさしく平和の国、ニッポンならでは、ですよね。
そして伊勢参りやら、「ええじゃないか」の大群衆など、旅行好き日本人の面目躍如だったのですね。江戸時代の世相を知ることのできる本です。
(2016年9月刊。1800円+税)

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