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テレジン収容所の小さな画家・詩人たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 野村 路子 、 出版  ルック
アウシュヴィッツに消えた1万5000人の小さな生命(いのち)というサブタイトルのついた絵本です。
アウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所で殺された子どもは1万5000人どころか、150万人といわれている。そんな子どもたちの怒り、悲しみ、夢、祈り、そして、生きたいという叫び・・・。生命のメッセージが伝わってくる。
ユダヤ人の子どもたちは、学校へ行くことを禁じられ、遊園地やプールからも締め出された。もちろん、これはヒトラーが叫び、権力を握って推進した政策ですが、それを支援したドイツ人大衆がいたわけです。いまの日本で、ヘイトスピーチをし、それに沈黙して、実は手を貸しているという人たちが少なくないことを考えると、おかしいことを権力者がしていると思ったら、すぐに抗議の声を上げないと大変なことになるということです。
いまの日本のアベ首相の手口はあまりにも恐ろしいと私は思うのですが、不思議なことに、年金を切り下げられている年寄りに支持する人がいて、非正規でしか働けず、明日への希望を失っている人が解雇の自由を促進しているアベ政権を支持しています。まさしく矛盾です。
収容所の食事。朝はコーヒーと呼ばれる茶色い水が1杯だけ。昼はピンポン球くらいの大きさの小麦粉の団子の入った、うすい塩味のスープ。夜は、同じスープと小さな腐りかけのジャガイモが一つか、かたいパンが1かけ。それが子どもたちの食事だった。
テレジン収容所の「子どもの家」にいた10歳から15歳までの子どもたち1万5000人のうち、戦後まで生き残っていたのは、わずか100人だけだった。
12歳の男の子の描いた絵があります。首を吊られた男性が描かれています。その男性の胸にはユダヤ人の印であるダビデの星が色濃く描かれています。
どうしてなのか、幼い彼にはその理由は理解できなかった。でも、胸にこの黄色い星のマークをつけさせられた日から、辛いこと、悲しいことが多くなったことだけは分かっていた。
この絵は、少年の大好きな父親が処刑される場面だったのかもしれない・・・。
テレジン収容所が1945年5月8日に解放されたとき、ドイツ軍が自分たちの蛮行を証明する書類を焼却していった焼け残りの書類の下に、子どもたちの絵があった。それを見つけた人が、トランク2つに詰めてプラハへ持ち帰った。子どもたちの絵が4000枚、詩が数十編・・・。それは、子どもたちがこの世に生きていた証だ。
今も、プラハの博物館に残されているそうです。ぜひ、現物をじっくり見てみたいと思いました。年齢(とし)とって涙もろくなった私は、涙なしには絵を見ることも、詩を読むことも出来ませんでした。私たちみんな、この事実を忘れてはいけないと何度も思ったのです。ヘイトスピーチなんて、許せません。
(1997年6月刊。2200円+税)
 土曜日は午前中のフランス語教室を終えて、午後から天神の映画館でフランス映画『アルジェの戦い』をみました。「アタンシオン、アタンシオン」(注意して下さい、注意)という有名なフランス語のセリフが流れてきます。アルジェリアが戦後、フランスから独立するまでにおきたテロや暴動、そしてフランス軍による拷問、弾圧を生々しく再現した映画です。
 実は、私は1967年(昭和42年)4月、渋谷の大きな映画館でこの映画をみたのです。大学に入ってすぐのことです。それまで九州の片田舎に住んでいて大東京に出て、何もかも目新しい生活を始めたとき、世界ではこんなことが起きているのかと、目を大きく見開かされました。
 この映画は前年(1966年)にベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのですが、「反仏映画」だという批判も受けました。フランス軍による活動家への拷問シーンはたしかに凄惨です。
 そして、昨年のパリ同時多発テロを思い出させる映画でもあります。相次ぐ爆弾テロ、車から連射して路上の罪なき市民を倒していくシーンなど、50年前の出来事が今よみがえってきます。
 暴力に暴力で対処してはダメなんだと独立運動の指導者の一人が語ります。革命を始めるより、続けることが難しいし、成功したあとが、さらに難しいともいます。アルジェリアは独立後、実際にそのような経過をたどります。 
 一見に値する貴重な映画です。ぜひ、時間の都合がつけば、ご覧ください。

山谷ヤマの男

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 多田 裕美子 、 出版  筑摩書房
かつてドヤ街として有名だった山谷(さんや)と釜ケ崎。私は、そのいずれにも行ったことがありません。名前を聞いていただけです。
今、その山谷は若くて勇ましかった「労働者の街」から老いと病で苦しむ「福祉の街」に変わってしまった。かつては高給とりだった鳶(トビ)でさえ、今では仕事がなくなってしまった。ドヤにも住めず、路上生活が長くなれば、心身ともに疲弊していく。やっと生活保護を受給できたとしても、若いときの勢いはなく、高齢で慢性疾患者とのつきあい。ドヤの利用者の9割が生活保護の受給者。
ドヤとは簡易宿泊所のこと。ドヤ暮らしは、住民票や保証人がなくても、その日のドヤ代さえ払えば、過去を問われることもなかった。
ドヤに泊まれなければ、アオカン(外で寝ること。青空簡易宿泊)するしかない。
著者は、山谷にある丸善食堂の娘として育ち、山谷にある玉姫公園で、1999年から2年間、山谷の男たちの肖像写真を撮った。
この本には、その男たちの肖像写真の一部が紹介されています。皆さん、なかなか魅力的な、味わい深い顔つき、表情です。
丸善食堂の客は、だいたい一人で吞みにきていて、愚痴をこぼすことはなかった。
ここでは、誰もが過去を語らないし、聞きたがらない。いや訊いてはいけないのが、ここの暗黙のルールだ。
カウンターはコの字型。ひとりで吞んでいても淋しくなく、向かいあっていても、ほどよい距離感があって、実によくできているカウンターだ。
許せないことがあれば、ささいなことでも暴力手になり、暴動がおこる。何も守るものがなく、身一つの人生なので、火がついたら激しい。いまの山谷に必要とされているのは、食事や健康面のケア、寝る場所などのきめ細かい支援。
山谷の絶頂期は昭和40年代。私が大学生のころです。この当時、日雇い仕事は、いくらでもあった。立ちん坊という呼び名がありました。早朝から手配師が人を求め、トラックに乗せて日雇いの人々を工事現場に連れていくのです。
現代に生きる日本人をうつし撮った貴重な写真集だと思いました。
(2016年8月刊。1900円+税)

最後の秘境・東京藝大

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 二宮 敦人 、 出版  新潮社
天才ぞろいの大学です。奇人・変人ばかりと言っては失礼にあたります。安易な常識では理解できるはずもありません。こんな人たちがいるおかげで、世の中は楽しく心豊かに生きていられるのかなと思いました。やっぱり、世の中は、カネ、カネ、カネではないのです。
ここは、芸術界の東大とも言われていますが、実は、東大なんて目じゃないのです。なにしろ競争率が違います。絵画科80人の枠に1500人が志願する。18倍。昔は60倍をこえていた。だから、三浪して入るなんてあたりまえ、珍しくはない。専門の予備校がある。
音楽系だと、ある程度の資金力があって、親が本気じゃないとダメ。ピアノとかバイオリンだと、2歳とか3歳から始めるのが当たり前。
美校の現役合格率が2割なのに対して、音校は浪人は少ない。演奏家は体力勝負だから、早く大学に入って、早くプロとして活動しはじめたほうがいい。
センター試験は重視されていない。三割でも、場合によっては一割でも、実技さえよければ合格する。
絵画科の実技試験は、たとえば2日間で人間を描くこと。
そして卒業すると、その半分くらいは行方不明になる。
活躍している出身者はたくさんいる。しかし、それは、ほんの一握り。何人もの人間がそこを目ざし、何年かに一人の作家を生み出す。残りはフリーターになってしまう。それが当たり前の世界だ。
この大学は、全部で2千人。学科ごとに分けてみてみると、たとえば、指揮科の定員は2人。作曲家は15人。器楽科の定員98人は、楽器ごとの専攻なので21種類に分けたら、たとえばファゴット専攻は4人しかいない。少人数教育なのですね。
国際口笛大会でグランドチャンピオンの学生もいる。
音楽は一過性の芸術だ。その場限りの一発勝負。そして、音楽は競争。音校では順位を競うのが当たりまえ。それが前提となっている世界。
工芸科の陶芸専攻では、一緒に泊まって、一緒にご飯を食べて、一緒に寝る。窯(かま)番があるから。
人間の社会が実は奥深いものだということを少しだけ実感させてくれる本でもあります。音楽系と美術系が、これほどまでに異なるものだというのを初めて識りました。面白いです。読んで損をしたと思うことは絶対にありません。東大法学部はロースクール不振から定員割れしているとのことですが、こちらはそんなことは考えられませんね。万一、そうなったときは、日本社会が壊滅してしまったということでしょうね。
ベストセラーになっていますが、社会の視野を広げる本として、ご一読をおすすめします。
(2016年11月刊。1400円+税)

自由民権運動

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 松沢裕作 、 出版  岩波新書
 自由民権運動とは何だったのか、改めて考えさせられました。それは、幕末そして明治維新の原動力となった動きに当然のことながら連動していたのです。
 そして、「板垣死すとも自由は死なず」と叫んだという伝説のある板垣退助の実像が浮き彫りにされています。なるほど、そういうことだったのか・・・・、と思わず膝を叩きました。
 1874年(明治7年)1月17日、板垣退助ら8人が、国会の開設を要求する建白書を政府に提出した。これが自由民権運動の始まりとされている。板垣は土佐(高知県)出身の士族であり、かつての政府首脳の一人である。板垣は、民権運動が西日本の士族たちを主たる担い手として始まったことを象徴する人物である。
 戊辰戦争後の高知藩で実権を握ったのは、大政奉還の立役者である後藤象二郎と、戊辰戦争の英雄である板垣退助の連合政権だった。この二人は、いずれも上士出身である。これに対して、国許の高知で実権を握ったのは、下士・郷士をふくむ凱旋した軍人たち。谷干城、片岡健吉らで、藩の軍務局を拠点としていた。東京の板垣・後藤と高知の谷らは対立していた。高知藩において士族・率族の等級制の廃止に抵抗したのが、のちの自由民権運動の指導者になる板垣退助その人だった。
 このころ、板垣は、藩内の人物を家格によって差別する人物であると認識されていた。板垣らの新政府軍と戦った江戸幕府の歩兵隊は、日雇いの肉体労働で生計を立てているように日用層、つまり都市下層民(「破落戸」(ごろつき))の軍隊だった。
 近衛兵として勤務する薩摩や土佐の軍人たちは、戊辰戦争の、また廃藩置県クーデターの勝利者であるにもかかわらず、自分たちの存在意義の危機に直面していた。
 藩を失い、徴兵制によって、その存在意義も失われつつあった士族たちの不安とは、身分制社会の解体によって所属すべき「袋」を失った士族たちの不安であった。
板垣らは「建自書」を提出した自分たちの行動を「反体制」の活動だとは考えていなかった。民選議院の設立というポスト身分制社会の新たな構想を実現するためには、その主体として、知識と意欲をもつ士族集団が生きのび、そして理想の実現のためには、権力の座につかなくてはならない。彼らは、そう考えた。
指導者としての板垣の権威は、戊辰戦争の功績によって支えられていた。その指導下にある立志社は、潜在的な軍隊であるからこそ、存在感をもっていた。
 西南戦争における西郷の敗北と、立志社の蜂起の未発は、政府から見た潜在的な軍隊としての立志社の存在感を失わせることになった。
自由党の指導部は、実力行使に否定的だった。しかし、板垣以下の自由党指導部は「武」の要素を全面的に否定するわけにはいかなかった。なぜなら、暴力に訴えてでも新しい秩序を自分たちの手で創出するというのは、自由党の存在意義そのものであり、自由党の思想の中核をなしていた。そして、実際に暴力で旧秩序を打ち倒した戊辰戦争の経験があり、その戦争の英雄だった板垣が党首として権威をもち続けたのである。だから、自由党は暴力による新秩序の創設を全面的に否定する論理はもたなかった。だから、自由党の指導部は、急進化した党員を抑えることが出来なかった。
オッペケペーの自由民権運動を改めて多面的に掘り下げるべきだと痛感しました。
(2016年6月刊。820円+税)

プライベートバンカー

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 清武 英利 、 出版  講談社
日本人の大金持ちが税金逃れ(脱税ではありません)でシンガポールに大挙して渡っているそうです。でも、何もやることがなくて、ヒマを持て余して嘆いているというのを聞くと、なんと心の貧しい人たちかと、気の毒さを通りこしてしまいます。
やはり、自分と家族のためだけではなくて、少しは世のため、人のために何かをし続けたいものです。
プライベートバンカーは1億円以上の金融資産をもつ金持ちしか相手にしない。富裕層とは、1億円から5億円未満を保有する人、超富裕層は5億円以上の資産をもつ人。これは不動産を含まない、金融資産のみの金額。
それ以下の5千万円から1億円未満は準富裕層、3千万円から5千万円未満はアッパーマス層。持たざるマス層、つまり庶民はプライベートバンクに口座を開設することもできない。
シンガポールには日本人が2万4500人も住んでいる。治安が良くて、時差は1時間、日本人会があり、日本語だけでも生活できる。
シンガポールには相続税がない。だから、日本の大金持ちがシンガポールに資産を持ち込めば、相続税を払わなくてよくなる。そのために「5年ルール」がある。親と子が、ともに5年をこえて日本の非居住者であるときには、日本国内の財産にしか課税されない。
「日本の非居住者」とは、1年の半分以上を海外で暮らしているということ。それを5年続ければいいのだ。
プライベートバンクは、もともとヨーロッパの階級社会の中で生まれた。王侯貴族などの超富裕層の資産を管理し、運用する個人営業の銀行である。資産家のために働くバンカーだから、カネの傭兵とか、マネーの執事とも呼ばれる。
プライベートバンカーの仕事は三つ。一つはビリオネアの口座を銀行に開設させること、二つ目はその口座に彼らのお金を入金させること。三つ目が、そのお金を運用して守ること。
シンガポールを舞台とするヤクザの資産洗浄(マネーローンダリング)や脱税事件がしばしば発覚している。問題なのは、その多くが真相不明のまま、タブー視されていること。その一つが、超高額を集めたヤミ金である五菱会事件。このとき、スイスの銀行の51億円については、犯罪収益として凍結され、没収して、相当額が日本に戻ってきた。ところが、シンガポールの銀行への43億円は、うやむやにされて終わっている。なんということでしょうか・・・。今でも下手に話すと、生命にかかわるということで、金融業界でタブー視されているのです。
シンガポールに移住してきて「5年ルール」を達成しようという「あがり」の富裕層には、家庭円満というケースがほとんどないと言われている。
そりゃあ、そうでしょうね。何もやることなく無為徒食で5年間をすごせと言われたら、少しでもまともな人には耐えられるはずがありません。人間、カネだけで生きてはいけませんからね。
「お金を残すのは、おまえたち家族のためなんだぞ」
そんなセリフを父親から聞かされて、「はいそうですか」と従う子どもがいたら、哀れですね・・・。
「いくらお金を持っていても、人間やることがないのは非常に辛いです」
まったく、そのとおりだと私も思います。
ところが、3.11東日本大震災のあと、日本からシンガポールへの移住者や資産移動が急増している。
シンガポールで100万米ドル以上の投資可能な資産を保有している富裕層は、2011年に9万1千人だったのが、2012年に10万人をこえ、2013年には10万5千人、2014年には10万7千人となった。この増加したなかに日本人資産家も相当ふくまれているはず。
そして、大金持ちの日本人が犯罪のターゲットとして狙われることになる。自分の身は自分で守らなければいけない。ところが、真の友人を見知らぬ海外に見つけるのは、たやすいことではない。プライベートバンカーが隠していた牙(キバ)をむき出しにしたら、いちころです。スッテンテンになる危険だってあるでしょう・・・。
シンガポールの日本人社会の一端から現代日本の病相を知った思いがしました。
(2016年8月刊。1600円+税)

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