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驚くべき日本語

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ロジャー・パルバース 、 出版  集英社
日本語って、ガイジンさんには難しいと思っていますが、実は話し言葉としては、世界でも易しいほうなのだそうです。難しいのは漢字のまじっている読み書きなのです。
日本人は、日本語があいまいな言語だと信じ込んでいる。しかし、日本語は明らかにあいまいではない。日本語には秘密もなければ、不可解さも、暗号のようなところもない。
話し言葉としての日本語は、学ぶにはもっとも平易な言語の一つである。
言語は、結局、戦いの基本的な道具である。
言語は「同じ人種でくくられた集団」という意識をつくり上げる武器である。「他者」をたしかな方法で識別して自分たちの集団から疎外することに加担する。自分がどの民族に属するかを決定するのは、言語なのである。
第一言語を話す能力と外国語のそれとは、それぞれ脳の違う部分に刷り込まれる。
第一言語の音の響きだけが、ものごとのイメージと結びつく。
言語は私たちに民族的なアイデンティティを与えるもの。国家にとって、言語はきわめて大切な道具であり、一方で目に見えない武器なのである。民族を一つにまとめるのに、まさに言葉ほど力をもつものはない。言語はまた、悪しき目的のために強制的に使われることもある。
多くの人は、自分の頭を白紙状態にできないでいる。これは、それ以上、他の言語を学ぶことができない状態でいるということ。他言語を学びたいと思うなら、その独自の秩序を学ぶためには、すでに頭のなかにセットされている第一言語の統語の体系をまず消し去る必要がある。自分の第一言語の論理を消し去れば、だれでも日本語の修得は可能である。
日本語のきわだって特徴的で重要なポイントは、日本語の表現力は異なる言葉によって生み出されるのではなく、同じコトバの語尾変化によって生まれるということにある。
動詞と連結させて縦横無尽に表現をつむぎ出せる擬態語という道具があれば、もともとの語彙の数が多くなくても、さまざまな行動や感情を表現することが可能になる。
日本の国際化は、英語で始まるのではない。日本語で始まる。
日本語の音の響きの美しさは、書き言葉とのすばらしい連携から生まれる。
1944年にアメリカで生まれ、日本には1967年以来、50年も生活していますので、もちろん日本語はぺらぺらです。いえ、ロシア語も、ポーランド語もできます。すごい人ですね。
私も、フランス語をもっと気楽に自由に話せるようになりたいです。
それにしても、世界のなかの日本語の位置づけを考え直しました。
(2014年8月刊。1000円+税)

世界をたべよう!旅ごはん

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 杉浦 さやか 、 出版 祥伝社
眺めているだけでも楽しい、旅ごはんの本です。なにしろ世界24ヶ国、そして日本国内も21軒のレストランやら屋台を素敵なカラー・イラストで紹介していますから、ついついよだれがこぼれそうになってしまいます。
著者はいったい何を職業としているんだろうかと、やっかみ半分で頁をめくっていきます。最後の著者紹介にイラストレーターとあります。なるほど絵がうまいはずです。それにしても、旅行して美味しいものを食べて、それを絵に描いて本にして、本が売れたら収入となるなんて、なんてうらやましいことでしょう。まさしく趣味と実益が一致しています。
ベトナムでは若い女性二人だけで、100%男性客しかいないビアホイに入った。ビアホイとは、工場直送のポリ容器入りの生ビールのこと。そして、そのビアホイを飲める店のこと。ビアホイは、東南アジア特有のかなりの薄味。冷え方はあまく、ジョッキに氷を入れて飲む。薄いビールがさらに薄まるけれど、これがクセになる美味しさ。この薄々ビールと絶妙なおふくろの味、そして、ベトナムおやじたちの優しいまなざしに迎えられて、最高の旅の思い出となった。
インドネシアのバリでは、昼食にバイキング方式みたいに好きなものをたくさん食べ、ついに夕食は抜かしてしまった。これも若さからの失敗ですね。今の私は、なんでも腹六分目をモットーとして、少しずついただくようにしています。
ハンガリーではグヤーシュを食べたとのこと。昔、私の行きつけのプチ・レストランにハンガリアン・グラッシュという名前の料理があり、大好物でした。たっぷりの野菜と牛肉を粉末のパプリカで煮込んだシチューです。その店は今はもうありませんが、ぜひまた食べたいです。
フランスでは、ノルマンディのカキを食べて、なんとあたってしまったとのこと。お気の毒です。10年以上も前にパリのカルチェラタンで泊まったプチ・ホテルの近くに生カキを食べさせてくれる店があり、一家5人で美味しく食べたことを思い出しました。このプチ・ホテルで食べたフランスパン(バゲット)の塩加減の素晴らしさは、今でも家族全員のいい思い出です。
著者はラム(羊肉)がダメだとのこと。可哀想ですね。でも、ノルウェーのラム肉は臭くなくて、柔らかくて、初めて完食したそうです。おめでとうございます。
いかにも若い女性の手になる可愛いらしいイラストが満載です。ぜひ手にとって眺めて楽しんでください。
(2016年11月刊。1400円+税)

元老

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 伊藤 之雄 、 出版  中公新書
元老というコトバは、現代日本では死後同然ですが、なんとなく意味するものが今の私たちにも想像できます。
元老とは、紀元前9世紀から前7世紀の中国の古典にみられる年齢・名望・官位の高い長老といった一般的用語が、近代に入って特別な制度をあらわすのに使われるようになったコトバ。その由来や制度形成の過程は曖昧である。
桂太郎を元老とするのは誤りである。元老は元勲とは異なる。
1989年(明治31年)の1年間で、元老は名実ともに確立し、一般にも認識されるようになった。
明治天皇は、21歳になった1874年でも、表の政治に影響力を及ぼすことはできなかった。明治天皇は30歳代前半になっても表の政治に影響力を振るうことを許されなかった。
西南戦争は、大久保体制の下で戦われた。その大久保は、1878年(明治11年)5月14日、47歳で暗殺されてしまった。そのあとを継いだのが伊藤博文で、36歳だった。
伊藤博文は、人に好かれる気さくで飾らない人柄だった。藩閥にこだわらず、長期的なヴィジョンをもって日本の立憲国家の形成を目指して、現実的に問題を処理する能力があると他のリーダーたちに認められた。
伊藤は足軽出身だったが右大臣になった。破格の待遇だった。藩閥中枢8人のなかで、伊藤が飛び抜けて地位が高く、山県、黒田と続き、かなり離れて井上、そして松方という序列だった。これは、明治天皇がこの5人の屋敷に行奉した順番や時期から分かる。
1887年(明治20年)に、伊藤に対する批判が強まっても、天皇は信頼する伊藤の辞任を許さなかった。天皇と皇后は、新しくできる憲法のなかでの自分の役割を理解し、かつ伊藤への揺るぎない信頼をもつようになった。憲法のなかでの自分の役割を確信した明治天皇は、大久保利通のあとを継いで伊藤が国政の根幹をつくり、さらに帝国主義や皇室典範を制定したことを高く評価した。そこで、臣下に与える勲章そして、それまでの旭日大綬章という勲章を制定して伊藤のみに与えた。
伊藤のバランスのとれた知識と判断力を信頼し、明治天皇は日清戦争の終了までの間、文官の伊藤に対し、非軍事・軍事にかかわらず、重要問題の下問をしばしば行った。
大津事件が起きたとき、大国ロシアと戦争になるのではないかという恐怖が日本国中に走った。この大津事件に際して、明治天皇への助言者としての主導権は、松方首相以下の閣僚にはなく、断然、伊藤にあった。
初期の議会において、政党にどのように対応するかをめぐり、藩閥内が大きく亀裂したため、元老が形成された。
1903年(明治36年)ころまでには、元老は、後継首相の推薦に関わる慣例的なポストという意味と、特定の分野の最高権力者・実力者の意味で使われるようになった。
日清戦争後、伊藤が政党に接近するのに反発した藩閥官僚たちは、反政党の姿勢を明確にし、陸軍への影響力を保持していた山県に接近していき、山県が台頭していった。
伊藤が政友会を創設したことは、山県らには許しがたいことだった。
元老の一人である西郷従道は、度胸があって決断力のある人柄で、海外体験と外国語能力に裏打ちされた幅広い視野をもった人物である。ところが、兄隆盛と対決して死なせてしまったことを負い目とし、海相以上の晴れがましい地位には、決して就こうとしなかった。
日露戦争後に元老は権力を衰退させていったが、伊藤はそのなかで明治天皇の信任を背景として、もっとも高い地位にあり続けた。天皇は、伊藤を山県より上であると公然と位置づけた。天皇は、伊藤が韓国統監を引退した日に勅語を与え、10万円(今の14億円)を下賜した。伊藤が暗殺されたときの国葬も天皇の意思で決められた。
桂太郎は、元老たちから元老として扱われず、まもなく政治的に失脚して死去した。桂は元老になることができなかった。
大正天皇の時代、山県ら元老たちの行動に公共性がなく、権力の正当性がないと国民がみるようになったことで、元老の高齢化に伴い、政治的実力は低下し、政党が台頭するなかで、法的根拠のない元老の正当性が問われるようになった。
日本の元老制度の実態がよく分かる本です。
(2016年6月刊。880円+税)

黒い巨塔、最高裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版  講談社
最高裁判所の内部を小説として描いた話題の本です。
さすがに最高裁で働いたこともある元裁判官だけに、その描写は精密をきわめます。私も弁護士会の役員をしているときに最高裁の判事室や民事局長室などに立ち入ったことがありますので、なんとなく部屋の雰囲気が分かります。
事件の関係でも最高裁調査官と面談したことが昔ありました。今では調査官すら面談に応じてくれないようです・・・。
当然のことながら、この本の冒頭には、「この作品は架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係がありません」という但書があります。しかし、それにしては、あまりに迫真的な描写です。最高裁による青法協つぶしについても「東法協」攻撃として登場してきますし、裁判官会同を開いて最高裁が全国の裁判をリードしていること、裁判官と政治家との結びつきなど、フィクションどころではありません。
砂川事件の最高裁判決のとき、ときの最高裁長官・田中耕太郎(裁判官の名に値しない、軽蔑するしかない人物ですので、呼び捨てにします)が司法の独立どころか、アメリカの下僕として言いなりに動いていたことが最近明らかにされましたが、最高裁上層部の自民党言いなりは昔も今も変わりません。本当に情けない話です。
出世主義者の裁判官がいるのは現実です。出世主義者の裁判官は、お世辞(せじ)、お追従(ついしょう)には、きわめて弱い。上の人の履き物を背広の中に入れて温めんばかりの忠誠を尽くす。
東法協(青法協)パージは、1970年代に急速に薄れていった。その会員のなかで成績や能力において秀でていた人々のほとんどが転向し、一定の節を守り続けた人は少なかった。そして、日本における左派の転向の常として、自由主義のレベルにとどまることなく、極端な体制派、狭量な保守派となって、出世の階段をひた走った。同時に、人事による締め付け、裁判官支配、統制工作に一役も二役も買った。
東(青)法協の後身である日本裁判官懇談会(懇話会)も、政治的な色彩を薄めたが、最初のうちこそ新任判事補の加入者も多かったが、7、8年のうちには、ほとんどが脱会してしまっていた。
転向者が極端な極右になったりするのは、日本だけではありません。アメリカのネオコンもそうです。そして、裁判官懇話会は会員制ではなかったし、8年で消滅したどころではなく、平成18年まで20年以上も続いていました。ここらは、著者の思いこみと認識不足だと私は思います。
最高裁長官による人事は、昔から、基準がよく分からず、恣意的で有名だった。一度でも意に逆らったり、許しがたいと思われる行動をとった人物に対して意識返しをするのは明らかだった。こうした恣意的な、あるいは報復であることが明らかな人事は、長官の思惑をはるかに超えた強烈な効果を裁判官たちに及ぼした。判決の内容や論文執筆のみならず日常のさまざまな言動にまで細かく気を遣い、長官や事務総局の意向をうかがう人々がどんどん増えていった。
これは今も生きている現象ではないかと思わざるをえません。
最高裁長官は、持ち前の冷徹な勘を最大限に発揮し、緻密な戦略の下に、確実に敵をつぶし、若手の優秀な裁判官たちを一人また一人と転向させていった。
『法服の王国』にも似たような状況が描かれています。
裁判官のなかに、大学時代に地域密着の学生セツルメント活動をしたという経歴の人が登場します。実際、私の知っている元セツラーが何人も裁判官になり、真面目に仕事をしています。
この本は、学生時代に民青シンパだった裁判官について、次のように揶揄した表現をしていますが、これは著者の本には過去何度も登場してくるもので、鼻をつくとしか言いようがありません。
「そんな学生によくあるように、彼の思想は深いところまで突き詰められたものではなく、系統的な読書にもとづいたものでもなく、ただ単純かつムード的な正義感に根差していた」
著者のこのような表現は、私からすると、著者こそ根の浅い表層的なモノの見方しか出来ない思考を反映しているものに思えてなりません。
良識派の裁判官たちを苦しめているのは、出世欲ではなく、閉じられた横並び社会における、理由のよく分からない線引きや選別にさらされることの辛さ、そうしたことの不安ではないか。自分の能力が正当に評価されない可能性についての不安だ。
ヒラメ裁判官ばかりになってしまったという反省が少し前には多く聞かれましたが、最近は、それがあたりまえになったためか、反省の声が内部からあまり聞こえてきません。
本人たちは自由に発想しているつもりでも、客観的には、がっしりした枠のなかの小さな「自由」でしかない。それが残念ながら現実ではないかと私は考えています。まだ読んでいませんが、先日『希望の裁判所』という本が発刊されました。「絶望」しているだけではダメですので、なんとか少しでもより良い裁判所につくり変えていきたいものです。
そのような問題提起の本として、一読をおすすめします。
(2016年10月刊。1600円+税)

編集とは、どのような仕事なのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 鷲尾 賢也 、 出版  トランスビュー
編集者は、まずプランナーでなければならない。無から有を作り出す発案者である。
編集者は、真似も恐れてはならない。柳の下にドジョウは三匹いる。アイデアは、真似をしながら変形させていくことによって新しくなるもの。
編集者は、ある面では「人たらし」でなければならない。依頼を気持ちよく引き受けてもらい、スムーズに脱稿にまでこぎつける。
編集者は、雑用の管理者という側面も持っている。すべてのことが同時進行になることが多い。企画を考えながら、ゲラを印刷所に返す。装丁家に依頼もしなければならない。営業との打合せも入る。こんなことは日常茶飯事。どのようにしてリズミカルにいろんな局面に対応できるか。これも編集者の大事な能力。口、手足、頭をマルチに使えるのが一流の編集者だ。
編集者には、フットワークが求められる。軽く、気軽に実行できる即応力である。
編集者の仕事の源は人間。それ以外に資源も素材も何もない。つまり、優れた人間を見つけるか、育てるかしか方法はない。
編集者は、旺盛な好奇心の持ち主でないといけない。素人の代表である。
編集者ほど、人間が好きでないとやっていけない職業はない。そして、夢を描き続けられることも編集者に必要な資質である。少年の夢に似た憧れを抱き続けられる持続力は、編集者に必要な資質だ。
編集者は、著者には読者の代弁者、読者には著者の代弁者でなくてはならない。執筆は苦しい作業である。身を削るほどの労力・時間を使い、ようやく完成する。
著者は機械ではない。催促なしの脱稿という夢のようなことは一切考えないほうがいい。催促なしに原稿は完成しない。それが原稿というものである。依頼したあと、編集者は著者を励まし、叱咤し、助力し、ほめたたえ、応援し、だまし、なんとか完成にこぎつける。どんな手段をとっても原稿が出来上がるところまでもっていかなければならない。
商品にするために、表現上の化粧は編集者がほどこさなくてはならない。
導入部は大切。ともかく読者を引き込まなければいけない。
パソコンで書かれる原稿は、どうしても漢字が多くなる。しかし、ベストセラーに共通しているのは、誌面に白地が多いこと。活字がぎっしり詰まっていると、読もうという意欲を失わせる。漢字とひらがなの比率、適度な改行が整理するときの大切なポイントである。
モノカキを自称する私ですが、同時に編集も業としています。この本は、その点さすがとても実践的な内容で参考になりました。
苦労してつくった真面目な本が本当に読まれません。残念です。みんな、もっと、本を本屋で買って読んでほしいと心から願っています。
(2014年10月刊。2000円+税)
 いま、今年よんだ単行本は492冊です。読書ノートをつけています。大学生のころから読書ノートをつけているのです。それによると、20年前から年間500冊のペースで変わりません。もっと前、30年前には200~300冊でした。読むスピードを少し上げたのと、訓練して速くなりました。でも、これ以上は増やしません。本を読むのは、電車のなか飛行機のなかです。ですから車中や機中で眠りこけないように、家でしっかり睡眠をとるようにしています。
 本を読むと、世界が広がります。こんなことが世界で起きているのかと、新鮮な刺激を受けられるのが楽しくて、本を読み続けています。

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