法律相談センター検索 弁護士検索

商店街の復権

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 広井 良典 、 出版 ちくま新書
 近ごろ都に流行(はや)るもの。コンビニ、ドラッグストアー、コインランドリー、そしてシャッター街の商店街。全国どこに行っても、まともな商店街に出会うことが残念ながらほとんどありません。
先日、大阪で長い長い商店街を歩いてきました。そこは、車の入らない路地のような通りで、両側に小売店が延々と並んでいて、通行人と買物客で一杯でした。
 自動車と商店街が共存するのは至難の業(わざ)です。車があれば、ショッピングモールに少し遠くてもみんな出かけていきます。
 では、商店街の再生(復権)は不可能なのか・・・。本書(新書)は、その可能性を探っています。豊田高田市の「昭和の町」は商店街を観光資源としている。東大阪市では商店街に泊まるホテルを設けた。ここでは、まち全体をホテルと見立て、空き家も活用している。
 京都府長岡京市にあるセブン商店会は、かつては30店舗を下まわっていた会員数が2倍をこえているとのこと。ここには、保育園や法律事務所もあるというので驚かされます。
 東京は荒川区の西尾久では、商店街に5つの店を新しく同時にオープンさせた。ここは最寄り駅がなく、駅前商店街でもない。ここでは銭湯で落語やヨガなどのイベントも実施した。
東京の下北沢、新潟の沼垂のように、ほぼゼロから商店街が生まれ変わり、にぎわっている。
 日本全国に空き家が850万戸も存在している。全国の住宅の実に14%近い。日本の空き家率は、諸外国と比較しても、かなり高い。
 ドイツなどのヨーロッパの商店街には、日本の商店街にあるようなアーケードはほとんど見られない。日本でも、シャッター街になっていた商店街を再活性化しようとしているところがあるのを知って、すこしうれしくなりました。いい新書です。
(2024年2月刊。1200円+税)

検証・学徒出陣

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 西山 伸 、 出版 吉川弘文館
 『きけわだつみのこえ』が初めて発刊されたのは1949年10月のこと。戦後まもなくです。初めは東大協同組合出版部からで、今は岩波書店から「新版」が刊行されています。もちろん私も読みました。心を打たれる遺稿集です。みていませんが、映画にもなったようですね。
 学徒兵は、「真実を見る目をふさがれ、虐げられ、酷使され、そして殺されていった」のです。昨年(2023年)は、学徒の一斉入隊から80年ということで学徒出陣が少し話題となったとのこと。
戦争意欲が煽られるなか、戦場に勇んで赴いた学徒兵もいたことでしょう。しかし、戦場の現実は悲惨なものでした。餓死者のほうが銃弾にあたって死傷した兵士よりはるかに多かったのです。
学徒出身の予備士官が自らの足場を確保するため、軍隊の非合理性に過剰に適応し、かえって暴力的になった例も少なくないようです。学徒兵は、軍隊における非合理性の一方的な被害者ではなかったのです。学徒出身兵が戦場で捕虜を虐待したとして、戦後、戦犯となって処刑された例もあります。
 人間にとって、生まれ育った時代がどういうものであったかというのは、かなり人間(人格)形成に大きな意味をもっています。学徒兵として一斉入隊した学生たちは1920年から1922年のあいだに生まれました。小学生のころに満州事変が起こり、中学生時代には日中全面戦争が始まり、高校や大学専門学校生のとき、米英との戦争に突入したのです。いやあ、戦意高揚の時代そのものですよね。それを免れた人がいたのが不思議なくらいです。
政府と軍にとって、兵の指揮にあたる仕官の大量確保が必要だったので、学徒兵の確保が急がれた。うむむ、そういうことだったのですね。
今日の世態はまことに奇態なり。戦争を学んだ軍人は銃後にあって政治・経済に従事しているのに、政治・経済を勉強した学生が前線に出て交戦に従事している。これが本当に総力戦の姿なのか…。
 これは近藤文麿首相の側近だった細川護貞が1944年4月15日の日記に書いた内容です。ホント、おかしな日本でしたね。こんなおかしなことに日本が再びならないように、私たちは目を大きく見開いておく必要があります。「中台紛争」の危機とやらに、煽り立てられ、日本も軍備を増強すべきだなんて、そんな嘘というかデマに流されないようにしましょう。
(2024年8月刊。1700円+税)
 川崎セツルメントのOS会(オールドセツラーの会)が川崎市内であり、参加してきました。50年ぶりに再会する人もいて、この人、誰だっけ…と戸惑う人もいましたが、やがて思い出し、旧交を温めることができました。
 「それなりの大学」(東大)を出て大会社に入社したけれど、さっぱり出世しなかったという人がいました。私の尊敬していた先輩です。企業の論理からはじき出されてしまったようです。本人にとっても会社にとっても残念なことだと思いました。
 私は高校の先輩に誘われ大学1年生の4月にセツルメントに入り、3年間もどっぷりセツルメントに浸っていました。本当に温かい仲間たちで、居心地が良かったのです。そして、そのなかで、人生のターニングポイント、生まれ変わった気がしています。

ナチスと大富豪

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 ダ―フィット・デ・ヨング 、 出版 河出書房新社
 大金持ちって、ホント、あくまでもえげつないことをする人たちだと改めて実感させられました。ヒトラー・ナチスにうまくとり入り、ナチスへの入党もためらいません。
 まず、ユダヤ人経営者を追い出し、ユダヤ系企業を安価で乗っ取ります。そして自分のものにした工場で戦車や武器・弾丸をどんどんつくって儲けます。工場に人手が足りなくなったら強制(絶滅)収容所の「囚人」を死ぬまで酷使します。
 ヒトラーが自殺し、ナチスが敗北した戦後は、ナチスに協力させられたのは強制なので、真意ではなかったと強弁し、自分の責任は決して認めません。酷使した元「囚人」に対する賠償も拒否し続け、いつのまにかナチス時代のように繁栄し、再び大富豪に返り咲きます。そこでは、あくまでお金がすべての世界です。
 そして「賢い人」は、マスコミ取材を一切拒否して、自分の姿が世間から見えないようにします。この本は、そんな彼らの実相をトコトン明らかにしています。
この本でもう一つ詳明に明らかにされているのは、ゲッペルスの妻マグダの行状です。マグダは大富豪の妻だったのです。ところが、大富豪と離婚すると、ナチスに憧れ、ついにゲッペルスと結婚し、6人の子をもうけたのです。ヒトラーの自殺のあと、ゲッペルス夫妻はベルリンの首相官邸の地下室で6人の子どもを青酸カリで死なせたあと、自分たちも自殺しました。
ところが、マグダには、もう一人、別れた大富豪との間に男の子がいたのです。この子はナチス軍に入り、戦後まで生きのびました。
 マグダは恋多き女性だったようです。夫以外の男性と次々に関係を結び、夫とは離婚しようとしますが、ヒトラーが許さなかったのでした。ナチスの理想的なカップルとして売り出していたので、それが壊れては困るとヒトラーは考えたようです。妻の浮気に対抗して、ゲッペルスも女優を愛人としました。
 ヒトラーが政権を握る前、ナチスには選挙資金が枯渇していました。それを救ったのがドイツの経営者たちでした。
 民主主義を葬り去るための資金提供に、大物実業家たちは何の抵抗も感じていなかった。1933年2月のことです。ゲッペルス(当時35歳)は、日記に「300万ライヒスマルク(今の2000万ドル)もの選挙資金が集まった。やったぞ!これで資金はととのった」と書いた。このなかにはIGファルベン社(40万ライヒスマルク)も含まれている。
ドイツ人実業家たちは計算高く、無節操な日和見主義者にすぎず、自分の事業を拡大するためなら手段を選ばなかった。ゲッペルスは、作家、劇作家、ジャーナリストの道に進もうとしたがうまくいかず、発足まもないナチ党に1924年に入党した。弁が立ち、派手な演説に長(た)け、ヒトラーに対して絶対的な忠誠を示したので、一気に出世を遂げた。
 ゲッペルスは情報の力についてよく把握していた。ゲッペルスは、いつも他人(ひと)より優位に立つことを求めていた。
 ゲッペルスの取り柄は、機転がきくところと、ヒトラーへの忠誠心だけだった。
 マクダをめぐるゲッペルスのライバルは、ほかでもないゲッペルスが崇拝するヒトラーだった。マクダとゲッペルスが結婚した(1931年)とき、ヒトラーは花婿付添人をつとめた。
 ユダヤ人実業家たちは、とんでもない低額で企業をナチスに加担した起業家に譲り渡さなければならなかった。それはロスチャイルド家でも同じだった。2100万ライヒスマルクもの保釈金を支払って、ようやくアメリカに移住できた。いまのお金で3億8500万ドルに相当する保釈金です。
 ベルリン郊外のヴァンゼーで開かれた会議(ユダヤ人問題の最終的解決をテーマとする)について、ゲッペルスは日記に次のように書いた。
 「実に残酷な措置が施されることになる。そうなれば、ユダヤ人という人種が生き残る道はほぼ絶たれるだろう」
 いま、イスラエルはガザ地区でかつての自分たちがされたことをアラブ人住民にしています。どちらも許せません。
 ドイツ人の男性は兵士にとられてしまったため、労働力が著しく不足していた。それを埋めるのが「東方労働者」(ソ連やポーランドの人々)であり、強制収容所の「囚人」たちだった。
 奴隷労働に関して、ドイツ企業はSSの運営する強制収容所と連携していた。囚人たちは「奴隷以下」の扱いを受けた。
 戦後、1970年の西ドイツの資産トップの大富豪4人は、いずれも元ナチ党員だった。
 そして、そのなかに、ドイツの右派、極右の政治団体に大口献金していた。ナチス時代の自分の行為をまったく反省していないというわけです。
 ドイツ敗戦後の連合軍によるニュルンベルク裁判にかけられた実業家は一人だけで、それも有罪にはなったけれど、刑期が短縮されて、すぐに出所してきて、やがて西ドイツ一の大富豪になった。
 BMW、ポルシェ、エトカー(プリン)など、日本でも有名な大企業の裏の歴史が暴かれている本でもあります。知らなかったことがたくさんありました。ぜひ、ご一読ください。
(2024年5月刊。3960円)

私たちは電気でできている

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 サリー・エイディ 、 出版 青土社
 人間が体内で電気を起こして(発電している)と聞いたとき、そんなバカな…と思ったことでした。でも、どうやら本当のようです。誰が、いったい、何のために体内で発電しているというのでしょうか…。
骨、皮膚、神経、筋肉など、人間の身体のすべての細胞は、さながら小さな電池のように電圧をもっている。この生態電気があるからこそ、脳は体全体に信号を送ることができる。
電気は、心と身体の病気を治療するため、いろいろな方法で利用されている。
 たとえば、パーキンソン病を治療するため脳深部刺激療法は、乾燥スパゲッティほどのサイズと形をした2本の電極を脳の深部に滑りこませて、病気の破壊的症状を鎮める。
 電気薬学は、米粒大の電気インプラントを体内の神経周辺に固定することにより、糖尿病やぜん息の回復につながる可能性がある。ラットやブタの実験では実証されている。
 人間の身体には発電所がある。体内の40兆個の細胞ひとつ一つが、それ自身の小さな電圧をもつ、小さな電池だ。
細胞が休んでいるとき、細胞の内側は、外側の細胞外液よりも平均して70ミリボルトほどマイナスに帯電している。
 生体電気は脳だけでなく、体内のあらゆる細胞に役立てられている。カエルを実験に使ったのは、カエルの神経は場所が特定しやすく、筋肉の収縮が見やすいから。カエルを解体してからも、最大44時間は、収縮が持続する。
 カエルが実験に大量に使用されるようになって、ヨーロッパではカエルが不足するようになった。
神経系は細胞から出来ているが、このことはなかなか気づかれなかった。ニューロンは、標準的な細胞のようには見えないから。
 イオンはプラスまたはマイナスの電荷をもつ原子。「細胞外液」に溶けているイオンは、海水の成分と非常によく似ていて、主にナトリウムとカリウム、このほかカルシウム、マグネシウム、塩化物が少しずつ含まれている。これらの物質の濃度が、電気信号の通過を許可するかどうかの主要な決定要因となる。
 ひとつの穴があいていると、カリウムイオンとナトリウムイオンが1ミリ秒につき、1万個から10万個の範囲でひとつの細胞に出たり入ったりする。
 ナトリウムチャンネルとは何なのか、突きとめると、つまりはタンパク質だった。
 イオンチャンネルは、ひとつのグループとしては30億歳くらい。植物も菌類も動物も、私たち人間の体内に既にあるものは…?
 膜を隔てたイオンを分離し、移動させることは、すべての生き物にとっての基本である。
 ペースメーカーを使用している人は、50万人に近い。ペースメーカーのもっとも一般的な用途は、遅い心拍数の速度を上げる。
 脳も電気を発している。このことは実験で確認された。
イオンチャンネル薬は、がん治療を前進させるもっとも妥当な方法である。
 生体電気的特性を使って、がん細胞を健康な細胞と区別できることが分かった。
 人間の生体の電気の働きについて、いろいろ役に立つことを教えてくれる本です。不思議だらけの本でもあります。
(2024年7月刊。2800円+税)

医療過誤弁護士・銀子

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 富永 愛 、 出版 経営書院
 元外科医で、今は弁護士。しかも、珍しいことに医療側ではなく、患者側で事件を扱う弁護士だそうです。
 久留米にも、現役の医師であり、弁護士でもあるという人がいます。週末は病院の勤務医として働きながら、平日は弁護士をしています。すごいですね…。
 この小説の主人公・銀子は、45歳のバツイチ子持ちの元外科医、今は、ほぼ弁護士、という設定です。患者側に立つと、かつての医師仲間からは「裏切者」のような白い眼で見られるのだそうです。やはり、どこでも同業者という眼はありますからね…。
 一般的に、病院やクリニックでは医療関係者の患者は喜ばれない。医療に詳しいだけに、一歩間違えばクレーマーになるモンスター予備軍だから…。
患者が医療ミスだと騒ぎだすと、医師たちは、たいてい慌てふためく。日ごろ、ありがとうと言われ慣れている医者たちは、責められることに免疫がなく、冷静に落ち着いた対処ができなくなる。たいていの医者は、逃げるか、キレる。トラブルになったときこそ、その医者の人間性があぶり出される。
患者(遺族)側からのカルテ開示も証拠保全も、予想していれば恐れることはない。日ごろから記録を整理し、開示してもよいように備えておくことが基本だ。
手術の状況などは、さすがに元外科医だけあって、とても臨場感があります。
 そして、医療過程裁判の証人尋問です。手術に立会した看護師が証人として法廷で証言することになりました。もちろん病院側です。弁護士から、このとおりに回答するようにと言って問答が記載されたペーパーを渡されます。予行演習を繰り返し、ペーパーを見ないで答える練習を3時間かけて何度も繰り返した。
 これは現実にやられていることだと思います。しかし、案外、「鉄壁の守り」のはずが、ちょっとしたことからボロボロ崩れることもあります。それが反対尋問の妙味です。ところが、肝心の裁判官が、その逆転本塁打をまるで見逃してしまうところがあるのです。それが裁判の怖いところです。
 「遺族のかわりに医師を法廷でやっつけてあげるのも、私ら(患者側弁護士)の仕事やんか。命をかけてやらんと伝わらんこともあるからね」
 同じような気持ちで証人尋問にのぞんだことは何度もあります。聴いている依頼者から、「おかげで気持ちがすっきりしました」とお礼を言われます。それが勝訴に結びつかなくても、それで良しとすることがあるのも裁判なのです。
 裁判では、敵は相手方というより裁判官だ。彼らが判決を書けるところまで証拠をそろえてやり、根気よく説得するしかない。
 これまで何度も裁判官から、ひどい煮え湯を飲まされました。あっという奇想天外な負け判決をもらったことは決して1回なんてものではありません。裁判官を軽々と信用してはいけないのです。
保険会社に医師を守ろうという視点はない。病院側の代理人は、実際には保険会社の代弁者。できるだけ、1円でもお金を支払わない方向での主張をするのが仕事だ。いやまったく、そのとおりです。1円でも支払い額を減らす。その精神が貫かれているからこそ、駅(ターミナル)周辺のビルを損保、生保の保険会社が占めているのです。
 とてもよく出来た医療裁判小説だと思いました。ところが、高裁での控訴審の判決言い渡しの場面なのに、「ひこくは…」と書いてあったのに腰を抜かしてしまいました。とんでもない間違いです。校正もれです。ぜひ訂正してください。
(2024年10月刊。1760円)
 つい先日、熊本の裁判所でひどい裁判官(道場康介、62期)にあたりました。証人尋問が終わったとたん、道場判事は「弁論を終結します」と宣言したのです。ええっ、もう一人、証人申請しているのに、却下することもなく弁論終結するって、どういうことなの…。前回の裁判期日のとき、この道場判事は、別の証人の採否は証人尋問を聞いてから決めますと言っていたのです(それは証人採用なんか考えていないというニュアンスではありましたが…)。
 証人尋問申請を却下したら、私はその理由を裁判官に問いただすつもりでした。それで証人を採用しない理由は何かと訊くと、それは判決のなかで明らかにすると道場判事は言うだけでした。
 そこで次に、本日の証人尋問を踏まえて最終準備書面を提出したいと言うと、審理は終結しましたと繰り返し、とりあいません。ひどいものです。
 そこで、私は翌日、異議申立書を提出しました。
 当事者双方の主張に十分耳を傾け、書証も人証も踏まえて判決するのが裁判官のつとめです。それなのに、この道場判事は人証を調べる前から請求棄却の結論を早々に出し、当事者の主張をまったく聴く耳をもたず、判決を急いだのです。それなのに、判決の言い渡しは、2週間後ではなく、なんと2ヶ月後なのでした。これにも驚きました。
 道場判事の偏った心証にもとづいて判決を書くのなら2週間もかかるはずがありません。
 私が、こんなひどい裁判官にあたったと憤懣(ふんまん)を訴えると、聞いた弁護士の多くは、いるんだよね、そんなひどい裁判官が…と、あまり驚きません。
 こんなことで、国民の司法に対する信頼がますます遠ざかってしまうことを、私は本気で心配しています。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.