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僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山中 伸弥、羽生 善治ほか 、 出版  文春新書
実に面白い本です。私も大学生のころを思い出して、一気に読みすすめました。いやあ、若いって、いいですよね。若いときには、いろんなことをしてみて、いろいろ失敗してみると、それがあとになって生きてきます・・・。そのとき、どんなに苦しくても、必ず得られるものがあるのです。といっても、そのときには、ただ苦しいだけなんですが・・・。
各界の第一人者が、若いころの不安、焦燥、挫折を語っています。うひゃあ、この人でも、こんなことがあったのかと驚きます。みなさん、苦労知らずに栄冠を勝ちとったというのではないのですね・・・。
ある何かが起きたときに、心底から不思議と思えるとか、心の底から驚くとかっていうのは、研究者になるための条件ではないか。予想外のことに我を忘れて興奮できるかどうか。それが研究者には大切なこと。
ノーベル賞をとった山中さんは、毎月アメリカに行っている。それは、実際に行ってみないと分からないことが多いから。アメリカの研究の中に行くと、日本にいる残りの時間よりも、はるかに多くの情報が入ってくる。
山中さんはアメリカにも研究室をもっているそうです。でも、毎月のアメリカ行いって、くたびれるでしょうね・・・。
挑戦をしていくときに大切なのは、ミスをしないこと以上に、ミスをしたあと、ミスを重ねて傷を深くしない。挽回できない状況にしないこと。
20歳前後の5年間というのは、何にも代えられない宝物みたいな時間だ。20代の失敗は、宝物であり、財産だ。
羽生善治氏は、人間は誰でもミスをするものだ、動揺して、冷静さや客観性、中立的な視点を失ってしまうとミスを重ねてしまうと語っています。
それにしても、次の一手を打つ前に4時間もじっと考え込むというのは、すごいことですね。
京都大学の山極寿一総長の入学式での祝辞は素晴らしいものでした。さすが京大です。「おもろいことやる大学にしたい」というのですが、大先輩は、「関西弁でおもろいいうのはな、もうひとつ言葉が続くんや。ほな、やってみなはれ」
うん、いい言葉ですね。
山極さんは、アフリカに行って、ゴリラの家族(群れ)のなかに入りこみます。5年から10年かかるそうです。
ゴリラは相手の顔をのぞきこむ。それは、ゴリラ流の挨拶。ニホンザルと違って、ゴリラは相手を見ることが威嚇ではない。挨拶だったり、仲直りのしるしだったり、友好的な合図を意味する。
ゴリラのドラミング(胸を両手で叩く)は、戦いの布告ではなく、興奮や好奇心の表れだったり、遊びの誘いだったり、いろんな意味をもつ重要なコミュニケーションであることが分かってきた。
ゴリラは、相手の言ってることが分かっても、その言いなりにはしたくない。相手の下に立ちたくないからだ。それがゴリラの感性。
ゴリラが6歳のときに親しくなった山極さんが、26年後、同じゴリラに会ったときの反応は信じられません。山極さんがゴリラ語で挨拶するとタイタス(ゴリラの名前です)も、それに答えた。
タイタスの目は好奇心に燃えているときのように金色に輝き、顔つきは少年のようになり、目がくりくりとしてきた。そして、土の上に仰向けに寝っ転がった。山極さんに向かって、大口を開けてゲタゲタ笑い、まったく子どものころの彼に戻っていた。
いやあ、すごいですね。見てみたかったですね、この場面を・・・。
心の震えるような、とてもいい本です。一人でも多くの若い人に読んでもらいたいと思いました。
(2017年2月刊。700円+税)

果てしなき山稜

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 志水 哲也 、 出版  山と渓谷社
いやあ、若いってすばらしいですね。若いときにしか出来ない、無謀な北海道の冬山を山スキーで単独踏破した山行記です。寒がりの私なんか思わず、身震いしてしまいました。
山頂へ向かう鞍部にいいテントサイトを見つける。地図ではテントなんて張れそうにないと思わせるヤセ尾根上でも、現地に行くと雪庇の陰に風の当らない絶好のテントサイトを見出すことがある。しかし、風を防ごうとすると雪が積もり、除雪を嫌うと、そこは風が吹く場所だというのが常だ。
夕方から、また雪。雪は、すべてのものを美しく真っ白に覆ってしまうから怖い。
苦しかったこと、怖かったこと、寂しかったこと、楽しかったこと、いろいろあったが、そんな体験のすべてが、やがてただ自分の書いた文字や写真を通してしか思い出せなくなってしまう。文字も写真も、所詮はつくりもの。どんなに努力しても、それをとどめようとしても、どうしたって実際のときめきや感動は、記憶の上に積もる膨大な時間の中で次第に見えなくなってしまう。
なだれにあって、ぼくは奇跡的に窒息死する前に止まった。生きていることすら認識できない茫然自失の状態だった。ぼくは、むせかえりつつ、雪をコホゴホ、ゲェーゲェーと吐き出し、登りはじめた。傾斜60度の、胸まで没する雪壁を、35キロの荷を背負って。その途中にも、斜面は何回となく雪崩れ、一度はザックと別になって再び流されたりもしたが、ぼくは死にもの狂いで登った。
雪崩で遭難し、3日間は生きながらえていた人の書きつづった遺書が後になって発見されたこともある。「死んだらおしまい」とは、誰だって言える。物理的には、たしかにそうだろう。だが、情熱をもって生きていない人間にそれを言う資格があるのか。情熱をもたないで生き続ける人間よりも、たとえひとときでも情熱をもち、死んでいった人間のほうが、きっと、ずっといい。
登山は年数ではない。中身だ。どれだけ情熱をもって山に対しかだと思う。人生だって、きっと同じことだ。
この本は、1994年、著者が28歳のときの北海道縦断の山スキー記行が文庫になったものです。今では50代になった著者は、富山県に住むプロの写真家です。文庫として復刊していただいたことに感謝します。
(2016年10月刊。950円+税)

果てなき旅(上)

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 日向 康 、 出版  福音館
田中正造の伝記です。田中正造は足尾銅山鉱毒被害事件を根絶するために、現職の代議士でありながら天皇に直訴した義人として高い評価を得ています。
本書(上巻)は、田中正造34歳までの苦難の歩みを描いています。綿密な裏付け調査で読ませます。
上巻あとがきを読むと、田中正造については、まだ解明されていないところも多々あるようで、本筋からはずれたと著者が考えたところには触れていないようです。
田中正造の明治44年(1911年)8月28日の日記は日本魂(やまとだましい)を書いています。
「国家の半面は存するも、半面は空虚なり」としています。日露戦争(1904年)のあとの言葉として、重い意味があります。
田中正造は、日清戦争についても領土拡張のための戦いになるのには反対しました。
田中正造は、殺人事件の容疑者として逮捕され、拷問を受けました。もちろん、まだ監獄法もない当時のことです。ですから、よく生き延びたものです。
なぜ、無実の殺人事件の犯人とされたのか、田中正造は地方政治権力の内部抗争の犠牲者のようです。それにしても、ひどい拷問でしたから、よくぞ生き延びたものです。
田中正造伝の本書を、ながく「積ん読」状態にしていたのを掘り起こして読んだものです。
大佛次郎賞を受賞しています。
(1989年3月刊。1650円+税

東京を愛したスパイたち

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 アレクサンドル・クラーノフ 、 出版  藤原書店
戦前・戦後の東京を舞台として暗躍していたスパイの足跡をたどった本です。
私の知らないスパイが何人も出てきますが、やはり、なんといってもリヒャルト・ゾルゲに注目せざるをえません。ソ連のスパイでありながら、在日ドイツ大使館の中枢に入りこんでいた有能な人物です。日本軍が北進する可能性があるのかは、独ソ戦の勝敗もかかった大問題でした。それをゾルゲは、尾崎秀実から日本軍の北進なしと情報を受けとって、ソ連へ打電したのです。
ところが、スターリンは、ゾルゲ情報をあまり重視していなかったようです。独裁者は何でも疑うのですね。そして間違うのです・・・。まあ、それでも日本軍の南侵説を信じて、極東にいたソ連軍を対ドイツ戦へ振り向け、ようやくソ連は窮地を脱することができました。
日本政府のトップシークレットを入手していたゾルゲは「酒と女」に入り浸っていたようです。それがスパイをカムフラージュする目くらまし戦法だったのか、スパイの重責のストレスからきていたのか、単なる好きな逸脱だったのか、いろいろ説があります。ともかく、ゾルゲがスパイとして超一流の腕前を発揮したこと自体は間違いありません。
著者は、ゾルゲが出入りしていたビアホール店にまで足を運んでいます。そこで、ゾルゲは石井花子という日本人女性と親しくなったのです。
ゾルゲは、1943年4月に裁判が始まり、1944年1月に上告が棄却されて死刑が確定した。そして、この年の11月7日に絞首刑に処せられた。
ゾルゲは3年間の獄中で100冊以上の本を読んだ。
石井花子がゾルゲの死刑を知ったのは、戦後のこと。1945年11月、石井花子は雑司ヶ谷墓地にあったゾルゲの遺体を発見した。
身元不明の死体が投げ込まれる穴の中に棺があった。青色のぼろぼろの小片がゾルゲの上着の残留物であることを花子は見抜いた。そして骨のサイズからして、外国人の体格だった。大きな頭骨、近の歯冠・・・。
石井花子は、のちに彼女を訪れたソ連のジャーナリストに向かってこう言った。
「私はあなたがおいでになるまで20年も待ち続けました。ゾルゲのことを語るために、です」
花子は、ゾルゲの遺体に残っていた金の歯冠で婚約指輪をつくり、生涯それを指から離さなかった。石井花子が亡くなったのは200年7月4日、89歳だった。
ゾルゲのグループで逮捕されたのは35人だった。尾崎秀実がゾルゲと同じ日にゾルゲに先立って処刑されている。
ソ連とロシアのスパイは、こうやって明らかにされていますが、アメリカのCIAなどのスパイ行為はまったく報道されませんよね。スノーデンの世界だとは思うのですが、日本が果たしてアメリカとの関係で独立国と言えるのか、私はかなり疑問を感じています。
(2017年1月刊。3600円+税)

いのちの証言

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 六草 いちか 、 出版  晶文社
ナチスの時代をドイツ国内で生きのびたユダヤ人、それを支えた日本人がいた、この二つをドイツに住む日本人女性が実例をあげて紹介した本です。
ベルリンには、かつて16万人以上のユダヤ人が暮らしていた。たとえば電話帳にユダヤ人特有の名前であるコーン姓の人は、1925年版では5頁、1300世帯がのっていた。ところが、1943年版には、わずか28世帯でしかなかった。
終戦まで生き残ったユダヤ人は、わずか6千人だった。そのうち2千人は、ドイツ人の妻や夫や親をもっていた人たち。ゲッペルスのユダヤ人一掃作戦に抗議したドイツ人女性たちによって救われた。残る4千人は、市民が個人的に隠し通した人たちだった。
そして、実は、ベルリンにあった在独日本大使館にもユダヤ人女性がいて、大使館が守っていたというのです。
ドイツ人の女性タイピスト2人は実はユダヤ人だ。あえて日本大使館は、彼女らを雇用していた。ドイツ人が日本大使館に雇われていたら安全だと承知して頼み込んできた。そういうドイツ人は、反ナチ、反ヒトラーの感情をもっていた。
近衛文麿の弟である近衛秀麿は、オーケストラの指揮者としてドイツでも活躍していた。その近藤秀麿は、ユダヤ人家族の少なくとも10家族の国外脱出を助けた。優秀、有能な人を輩出したユダヤ人をヒトラー・ドイツは抹殺しようとしていたわけですが、日本が何人も身を挺してその救出にあたっていたことを知ると、身体が震えるほど、うれしくなります。
ところが、最近、日本のなかで「日本人で良かった」とかいう変なポスターを貼り出す日本人がいるというので、呆れて反吐が出そうです。中国人や韓国人を見下して、日本民族は優秀だ。なんて、まるで馬鹿げた考えです。その心の狭さには開いた口がふさがりません。
弱者いじめをする人は、幼いころから親と周囲から大切に育てられてこなかった、愛情たっぷりのふりかけごはんを食べられなかった気の毒な人たちだという分析がありますが、私もそうだと思います。でも、気の毒な人たちだと哀れんでいるだけではすみません。彼らが害毒をたれ流すのは止める必要があります。
「みんな違ってみんないい」(金子みすず)
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)
日本国憲法って、ホント、格調高いですよね。それに比べて、自民党の改憲草案は信じがたいほど下劣です。
(2017年1月刊。1900円+税)

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