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北朝鮮の国家戦略とパワーエリート

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 玄 成日 、 出版  高木書房
 これはすごい本です。北朝鮮の現状、そのトップの人事構造と統制の仕組みについて、これほど詳細かつ具体的に分析できるとは、見事というほかありません。
 著者は脱北者の一人です。父親は、万景台革命学院を卒業し、政府護衛総局、東欧留学を経て労働党中央員会組織指導部副部長、第1副部長、幹部部長、検関委員長、道党責任秘書などを歴任している。まさしく北朝鮮の権力の核心に長く身を置いていた。そして、叔父もまた、著者が脱北したあとも軍部にいて、金正日の側近として体制に忠誠を尽くしている。著者自身は、権力層家族のための平壌南山高等中学校と金正日総合大学英文科を卒業し、同大学の教員、外務省と海外公館の外交官として勤務していた。ですから権力上層部の動向が身近なものでもあったようです。
金正恩権が誕生して3年たったが、この政権を構成している核心権力エリートの大部分は依然として金日成と金正日によって育成され補充された人物たちである。
 基本的に先代の路線と政策の枠組みから抜けられずにいるのも、継承を通した正当性確保が世襲政権の生命であり、先代の遺産である既存統治システムと権力エリート構造が世襲政権の基礎になっている。
北朝鮮では、全住民を多くの階層に分類し、各個人に一定の成分を付与することで、入党と各種人事に活用している。
 1971年末までに全住民を3階層51部類に分類した。基本階層391万人、動揺階層315万人、敵対階層793万人。北朝鮮の半数以上が動揺階層と敵対階層に属している。
北朝鮮では、すべての住民が出身成分と社会成分の2種類の成分を付与される。出身成分は生まれたときに家庭が置かれた社会階級的関係によって区分される成分。つまり、本人が出生した当時の父母の成分を意味する。出身成分は、日帝時期や朝鮮戦争のような過去の身分と職業を反映したものが大部分である。社会成分は、主として現在の身分と関連したもので、本人が直接社会生活を始めたあとの職業と社会階級的関係によって規定される成分を意味する。すなわち、職業を基準としている。
 思想性の強調は出身成分の強調を意味し、思想性中心の幹部選抜は、結局、労働者階級出身中心の選抜を意味する。政治性中心の原則は、結局のところ一般的な幹部補充よりも政治エリート補充に目的を置いている、金正日時代に、北朝鮮の指導思想がマルクス・レーニン主義から金日成主義に転換された背景には、既存の指導思想と理念が、金正日の絶対的権威と金正日の後継体制構築に障害になるという判断によるとみられる。過去、権力層で金正日の権威と路線に挑戦したエリートは、ほとんどマルクス・レーニン主義の理念と党性で武装した理論家だった。いくらマルクス・レーニン主義理論に精通して能力を備えたとしても、忠誠心に問題があると判断された者は、幹部はおろか、北朝鮮社会で生きていくことさえ困難になった。
幹部対策の重要な原則の一つが、派閥形成遮断の原則である。人事担当者は、血縁、地縁、学縁、人縁などによって人事問題を処理できないよう、厳格な禁止事項が定められている。幹部政策として、学縁や学閥による補充も原則として排除された。金正日総合大学出身者が派閥を形成する可能性はまったくない。
「散れば生き、まとまれば死ぬ」。
北朝鮮が強調する専門性は、忠実性の別の表現であり、忠実性が欠如した専門性、金日成と金正日の路線に反する専門性は、幹部政策では絶対に許されない。
 密室政治を通じて、側近は金正日に自身の見解を表明する空間が与えられ、北朝鮮の政治に実質的影響力を確保することができた。
 金正日後継体制において、組織指導部は、4~5人の第1副部長と10人余りの副部長、300人ほどの職員で構成される巨大な組織に拡大した。ここは、金正日の直属部署として唯一指導体制確立の核心道具だった。側近の資格は、金正日の意図を事前に十分に把握し、それにあうように自己啓発をし、建議できる人にあること。側近になるには、飲酒と歌唱力、ユーモア感覚のようなパーティー文化に必要な資質や、最小限その雰囲気に適応できる融通性が求められた。このパーティー文化は、少なくない側近の寿命を縮めた。飲酒運転による死亡事故、過度の飲酒が原因の病気による早死などである。
 金正日政権下の北朝鮮の権力構造の特徴は、金正日が場・軍・政の各分野をタテの従属関係ではなく、ヨコの並列関係において、自分が直接政治する方式が定着したことにある。
側近といっても、絶対に油断も隙も見せられない。突然の左遷、そして粛清もありうる。
過去に党政治局が行っていた上層部での政策決定の役割を金正日時代には側近政治が代替した。
 張成沢にとって、党組織指導部との対立関係を解決できなかったのは、致命的な失敗だった。張成沢の電撃的で公開の粛清は、北朝鮮権力層とエリート、住民に金正恩を幼いと見くびり、もしくは金正恩の「権威」と指導に挑戦する者は、誰であれ容赦しないことを明確に示した恐怖政治の典型だった。
 北朝鮮トップに君臨しているエリートたちが氏名をあげて論じられています。実に具体的で、なるほどという分析が続きますので、430頁の本を一日で一心に読みふけってしまいました。北朝鮮に関心をもつ人々には一読を強くおすすめします。
(2016年9月刊。3000円+税)

偽囚記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 鬼塚 賢太郎 、 出版  矯正協会
東大法学部生がニセの看守になり、また囚人として刑務所に入ったときの体験記です。
ときは戦後まもなくの昭和22年(1947年)のことです。団塊世代の一人である私の生まれる前年です。教授になったばかりの国藤重光教授が志願囚をつのったのでした。4人の学生が応じ、そのうち3人が実際に看守となり、また、囚人となって刑務所に入っています。
場所は横浜刑務所です。横浜修習だった私も横浜刑務所のなかに見学者として入りました。高い塀があり、模範囚が塀の外で花壇の手入れをしている光景を思い出します。
しかし、学生が3人もニセ囚人になるというのは容易なことではありません。いったい、どんな犯罪をしたことにするのか、家族や出身地、そして当時なら兵隊経験はあるのか、どこに行ったのか、嘘をつき通して、つじつまを合わせなければいけません。
囚人から次第に疑われていく様子がリアルに描かれています。要するに当局から送り込まれたスパイではないかと疑われるのです。それが確定したら、ひそかにリンチされるのは必至です。そのとき、本当に誰かが助けてくれるのか・・・。
体験者は、無事に「出所」したあと、国藤教授に「もう、あとの人には、こういう体験をすすめるようなことをしないで下さい」と迫ったそうですが、それもなるほどだと思いました。
罪名はPCとされています。要するに、進駐軍(アメリカ軍のことです)の物資の不法横流しをしたというのです。それで刑期は5年。
刑務所内ではタバコを吸っていた。その火種はどうしていたか・・・。
ホウキの柄と綿くずを使って、ゴリという発火の方法を利用していた。
今から30年ほど前でしたか、福岡刑務所でピストルを製造していたことが発覚したことがありました。戦後間もなくの刑務所では、それこそいろんなことがあっていたことでしょう。タバコを吸っているというのは、20年ほど前の刑務所の話としても聞いたことがあります。今はないのでしょうか・・・。
それにしても、この体験をした著者が、裁判官になり、機会の許す限り矯正施設を訪問していたというのにも感銘を受けました。やはり、刑事裁判では行刑の実際を知ることも大切だと思います。裁判員裁判を担当する人には、事前に刑務所見学もしてもらい、その実情の一端を知ってほしいものだと思います。いかにも貴重な体験記です。
先日の本(原田國男『裁判の非情と人情』)に紹介されていましたので、早速ネットで注文して読んでみました。
(昭和54年3月刊。850円+税)

赤い星は如何にして昇ったか

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者  石川 禎浩 、 出版  臨川書店
 毛沢東がまだ有名ではなかったころ、日本をふくむ国際社会が毛沢東をどう見ていたのかを知ることのできる本です。
 日本の外務省が1937年8月の官報の付録に載せた毛沢東の顔写真は、今から見ると、どう考えてもまったくの別人。革命家という雰囲気はまったくない。太った、人の好さそうなブルジョアという印象の中年男性の顔写真。とても「極悪人」には見えません。それほど、この1937年の時点では毛沢東は知られていなかったのです。
 その毛沢東を世界に紹介したのが、アメリカ人ジャーナリストのエドガー・スノーによる、『中国の赤い星』でした。1937年秋にイギリスで、1938年初めにアメリカで刊行され、ベストセラーになりました。
当時、エドガー・スノーは32歳の若さです。取材申請を許可されて3ヶ月ものあいだ赤軍根拠地に入り、毛沢東に直接取材したのです。毛沢東が自分の生い立ちから青少年時代までを語った本は、この『赤い星』が唯一といえる貴重な本です。
私も大学生のころに読み、とても感銘を受けました。もっとも、そのころには文化大革命が進行中でしたし、あとになって、その本質が毛沢東による権力奪還闘争ということを知りました。今では、毛沢東とは、要するに権力欲にとりつかれたエゴイストだったと今では考えています。功もあったけれど、はるかに罪が大きい。
毛沢東は生涯、外国に行ったことは一度もない。中国語しか話せない。
毛沢東は4度結婚している。4回目の妻が例の悪名高い江青で、このときは多くの党幹部の反対を押し切って結婚した。毛沢東には三人の男の子と三人の娘がいて、娘二人は、今も生きているようです。全然ニュースになりませんね。なぜでしょうか・・・。
 毛沢東の肖像画が、本物の写真をもとにして描かれたのは1934年が初めて。これは、1927年3月に武漢で撮影された国民党幹部の集合写真の一人としてうつっている写真をもとにしている。国共合作時代、毛沢東は共産党員でありながら国民党員であり、国民党の中央委員として活動していたというわけです。
 エドガー・スノーは、中国共産党の根拠地へ一人でいったのではなく、もう一人、ジョージ・ハテムという医師と二人だった。そして、孫文の妻・宋慶齢がエドガー・スノーの中共基地への潜入を手助けした。
戦前の日本では、この『赤い星』は一般に刊行されることはなかった。要するに、日本は敵がどういう人物であり、集団であるかを知らないまま戦争していたことになる。これは、ひどいですよね。「敵」を知らないで戦争に勝てるはずはありませんから・・・。
エドガー・スノーの『赤い星』と毛沢東の初期の活動状況、それについての日本の認識について知ることのできる興味深い本です。
(2016年11月刊。3000円+税)

熱狂の王、ドナルド・トランプ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 マイケル・ダントニオ 、 出版  インプレス
 アメリカの変な大統領の実体を知らなくては、と思って読みました。本当は読みたくもないのですが、読まざるをえません。
 ドナルドは、普通の実業家ではなく、他に類を見ないやり方で、政治権力を利用できる人々とのつながりを築いていた。「話をつける」ときには、利益や脅しで動く政治家たちが関わるのが常だった。
 トランプタワーをつくるときには、「ポーランド軍団」と呼ばれる不法就労者の数百人を熟練作業員20人あまりに監督させながら使った。熟練作業員はマフィアがらみの作業員組合から連れてきた。ポーランド人の労働者たちは、労働時間は週7日、1日18時間労働で働かされた。そして、寝るのは、ぎゅうぎゅう詰めの部屋が解体のビルの床。賃金は組合基準よりずっと少なく、支払いもまちまちだった。不満を言えば国に送り返すと脅された。代わりはいくらでもいた。
マフィアに抵抗する建設業者は放火されたり、機材などを盗まれたり、作業を止められたりするので、逆らわない方が安全で、結局は安上がりだった。
これって、今の日本の公共工事について暴力団が総工事費の2%とか3%をピンハネしているのと同じ構図ですね。
 ドナルドが有名人になれたのは、彼のような人物にあふれんばかりの関心を注ぐ、新種とも言えるマスメディアが出現したからだった。ドナルドにとって、メディアに出ることが、エゴを満たす必須の栄養素なのは明らかだった。
トランプのように美男子でなくとも、金と名声と社会的地位という成功の現代的定義に当てはまっていさえすれば、「セクシーである」と認められた。メディア時代のセレブに不可欠な3大要素は、名声と富そしてセクシーさだ。
ドナルドは、酒もドラッグもやらず、タバコも吸わない。女好きなだけ。
トランプには資産はあっても、手持ちの現金はなかった。
トランプは結婚する前にかならず婚姻契約を妻となる女性と取りかわした。
イヴァナはトランプと離婚したとき、前払いとして1000万ドル、そして、子どもの養育費と生活費として年に65万ドルを受けとることになった。
ドナルド・トランプは、有名であることをお金に替える方法を知っていた。ドナルドは、自分のプライバシーも金もうけのネタであることを知り、利用していた。
破綻したはずのドナルドに対して、債権者は毎月45万ドルを支出することを認めた。
上流階級が格好をつけるために骨を折っていた昔と違い、現代のセレブたちは自ら進んで恥知らずなショーを大衆に提供する。セレブたちは悪行を重ねても、次々とスキャンダルを乗りこえてスポットライトを浴び続ければ、お金を稼ぐことができるのだ。
 ただし、これには相当な面の皮の厚さが必要で、無傷のままで有名になれる者はごくわずかだ。有名になりたいものとは嘲笑され、屈辱されても、平気なくらいタフでなくてはならず、それでも完璧な笑顔を保ち続けなければならない。名声とはドラッグのようなもので、いったん中毒になると、それを手に入れるためには何でもするようになる。自分の存在が忘れられないよう、メディアに自ら話題を提供するのだ。
 金持ちで見栄のいい男としてメディアと大衆の注目を集めることに成功したトランプは、その後も注目を求め続けた。中年太りとたたかい、常に高級なスーツに身を包み、髪の毛を守るために最大の努力をささげてきた。「はげるのは男として最低だ。絶対にはげになってはいかん」
私は幸いにもはげてはいませんが、これって遺伝的なものが大きくて、本人の努力だけではどうしようもないと思うのですが・・・。
 この本は、最後に、ドナルド・トランプは特異な男ではない。彼は、むしろ現代を生きる我々の誇張された姿に過ぎない。こうしめくくっています。
 それにしても最悪の人物がアメリカの大統領になりましたね。超大金持ちを、豊かでない大衆が手を叩いて支持するなんて、最悪です。まるで過去のヒトラーの再現のような気さえします。もちろん、大虐殺はしないでしょうが、それでも、あきらかな人種差別を公然と口にするところは共通しています。
 日本だって「政治改革」で最悪の小選挙区制が実現し、国鉄民営化で、安全無視のJR各社が誕生し、郵政民営化でアメリカ資本が日本の保険業界でむさぼり、身近な郵便局が次々になくなっています。一時の熱狂をかきたてた新聞もテレビも、今ではどこも経営困難に直面しています。もっと、日本人の私たちも足をどっしり地につけて考え議論し、投票行動で意思表示すべきなのだと、つくづく思います。
(2016年10月刊。1780円+税)
東京は日曜日に桜が満開だといいますが、まだ4分咲きです。今年は桜の開花が1週間ほど遅れています。入学式に間にあいそうです。
チューリップのほうも少し遅くて8分どおり咲いています。
日曜日の午後、やわらかい春の陽差しを浴びながら庭の手入れをしました。ウグイスが青空の下で気持ち良さそうに高らかに鳴いています。先日、観音竹の葉先が目にあたって痛い思いをしましたので、庭をすっきり整理しました。春本番です。

すきやばし次郎 旬を握る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 里見 真三 、 出版  文芸春秋
いやあ、ホンモノの寿司って、実に見事に美味しそうです。
映画にまでなった「すきやばし次郎」の寿司のオンパレード。残念ながら映画は見ていませんし、店に入ったこともありませんが、この本一冊で、なんとか我慢することにします。
原寸大の寿司のカラー写真がたっぷりなので、眼のほうだけは満腹感があります。そして、次郎さんのセリフが素敵です。さすが超一流の職人芸は違います。
本書は、当代一の鮨職人、小野二郎が一年間に供する握り鮨、酒肴、小鉢などの全点を洩れなく収めた、究極の「江戸前握り鮨技術教本」である。
本書は、旬(しゅん)を知る歳時記としても大いに役に立つ。寒い季節の自身の王者はヒラメで、夏はフッコやマコカレイ。タコの足は冬に味が乗って、関東のアワビの旬は夏。シャコは子を持つ春が一番うまい。
小野二郎が握る鮨は、端正で美しい。一流の料理人に必須とされる抜群の嗅覚と味覚、そして未蕾(みらい)の記憶力を兼ねそなえているばかりではない。例を見ないほど度外れて執念深い完全主義者であり、凝り性だ。小野二郎は、味の改革改良のためには労をいとわない。だから、その握る鮨は、日々進化する。
握りの横綱はコハダ。コハダは鮨ネタで一番安い魚。しかし、上手に加工すれば喉が鳴る「握りの横綱」になる。とくにコハダの稚魚であるシンコは秒争い。
小野二郎は、一日に何回も、ネタの味見をする。鮨屋のオヤジが味をみて、「これは、うまい!」と自信をもって握らなかったら、お客さんに失礼にあたる。このように考えている。
コハダは、朝に食べて、お昼に食べて、夕方に食べて、明日の締め具合を見るのにノレンを下ろしから食べる。自分が納得するまで、こうして食べ込んでおけば、お客さんは、決して「まずい」とは言わない。
脂の乗った旬のイワシは、煮て食べる。これが楽しみで鮨屋をやってるんじゃないかと思うほど、煮ると実にうまい。これぞ鮨屋のオヤジの特権である。
カツオを握るのは、春の初ガツオだけ。秋の戻りガツオは使わない。戻りガツオは脂がクドすぎるから。戻りガツオは秋の菊。香りが強すぎる。
マグロに限らず、微妙な香りをどうやって嗅ぎ分けるのかというと、口に入れた瞬間、上あごにネタを少し押さえつける。そして、匂いをフンと鼻に抜いて香りを確かめる。舌では分からない。舌ではなく、鼻で味わう。
うまい握り鮨を楽しむためには、前に食べた握りの味と脂、それに匂いをガリの刺激で消して、粉茶でつくるうんと熱いアガリで口中を洗う。これが江戸前の流儀。だから、アガリは熱くないといけない。このように、鮨屋のアガリは、いれ加減がむずかしい。濃すぎてもダメ、薄くてもダメ。粉茶は一度しか使わない。新茶や玉露ではない。
小野二郎の握った鮨は、食べても喉が渇かない。店を出たあとで、ああ、もう少し食べたかったなあ、そんな気にさせるには、シャリは薄味でなければいけない。
『すきやばし 次郎』の客は、何も言われなくたって、看板の10分前、午後8時20分になると、一斉に席を立つ。
見事な鮨の写真には、ほれぼれします。そして、鮨の技術教本というだけあって、写真付きの懇切丁寧な解説までついています。20年前の本をネットで注文して読んでみました。あなたに至福のひとときが約束される本です。
(1997年10月刊。2800円+税)

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