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いのち輝け、二度とない人生だから

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 蓼沼 紘明 、 出版 東京図書出版
 著者は満州開拓団の子として生まれ、父が兵隊にとられたため、日本敗戦より前に母と一緒に内地に帰ってきて命が助かったのでした。敗戦時まで満州にいたら、無事に日本へ戻れたとは限りません。
 そして、父親は兵隊にとられて乗り込んだ船が沈められるなか、海上を2時間も泳いで奇跡的に陸地にはい上がって助かったのです。すごい生命運です。
 満州では著者が赤ちゃんのとき、夜中にネズミに頭をかじられ、朝起きたら布団が真っ赤に染まっていたというのです。よくぞ助かったものです。
弟を戦争で亡くした母親はテレビに昭和天皇が登場すると、いつも怒りを爆発させた。
 日本を戦争に導いた責任が天皇にあるのは間違いありません。なのに、昭和天皇はアメリカ(マッカーサー)に守られ、自ら退位することもなく、むしろ戦争を止めた、平和主義者であるかのような顔をして、日本中を駆け巡り、手を大きく振って歓呼の声を浴びていたのです。許せません。
 伊丹万作(伊丹十三の父)は、「だまされた者の責任」を厳しく問いかけたとのこと。なるほど、よくよく考えもせず、批判力も思考力も信念も失って、家畜のように盲従していった国民にも責任の一端はあるでしょう。
 同じことが、先日の兵庫県知事選挙でも起きました。パワハラ知事を正義の味方かのように信じ込んで、それを助けようと投票所に駆け込んだ県民がなんと多かったことでしょう。ヒトラーばりに、嘘も百回繰り返すと「真実」になるというのを証明してみせたのです。おお、怖い世の中です。
 著者は東大に入って駒場寮では聖書研究会に入ります。私は「教行信証」など仏教系の本は読んだことがありますが、キリスト教系は昔から縁がありません。カトリックとプロテスタントの、血で血を争う戦争を繰り返してきたキリスト教は生理的に受けつけません。
 大学生のとき肺結核となり、療養所に入ります。そして退院してくると、学友から無理なアルバイトをしないですむように毎月カンパしてくれたというのです。これはとてもいい話ですね。たしかに、昔はそんな雰囲気がありました。
 東大闘争が始まると、全共闘の暴力に抗して著者はノンセクト・ラジカルとして民青と共同戦線をはってたたかったとのこと。そのころは、多くの学生がヘルメットをかぶり、ゲバ棒を持ちました。私も何回もそんな場面にいました。暴力には身を守る暴力が必要だと考えたのです。まったく、非暴力・無抵抗でいいとは思えませんでした。今も昔も、暴力は嫌なんですけど…。
 それから、著者は東京都庁に入り、裁判所に入り、司法試験も受験します。合格できず、伊藤塾の手伝いをするようになりました。ご承知のとおり、平和と人権を守る憲法の伝導師として大活躍している伊藤真弁護士の下で支えてきたのです。
 著者の思いのたけがぎっしり詰め込まれた460頁もの大作です。
 福岡で元裁判官の西理(おさむ)弁護士より贈呈を受けました。ありがとうございます。著者の今後引き続きの活躍を祈念します。
(2024年6月刊。1980円)

私はヤギになりたい

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 内澤 旬子 、 出版 山と渓谷社
 著者には3匹の豚を飼って育て、そして仲間と一緒に食べたという過程を迫った本があります。豚はとても賢い動物だということが、その本を読んでよく分かりました。そして今回はヤギです。瀬戸内海の小豆島に住む著者は5頭のヤギと1頭のイノシシを飼っています。
 もちろん、みんな名前がついています。その中心にいるのはメスヤギのカヨ。残り4頭の母親でもあります。
ヤギは孤独に耐えるとみられていますが、実は仲間がほしくて、ひとり(1頭)では寂しがります。ヤギ舎内では単独行動するけれど、基本は団体行動。
ヤギの食べる草にもヤギによって好き嫌いがあり、違っている。つまり、ヤギにも個性がある。ヤギたちの大好物はクズ。マメ科。露草(ツユクサ)は、まるで食べない。ニレの木の葉もアカメガシワやエノキと同じくヤギの大好物。ヤギは地面に落ちた葉っぱは食べたがらない。なので、なるべく枝付きの葉を差し出して食べさせる。ヤギは草よりも実は木の葉を好む。果樹のせん定時に出る枝葉は、どれもヤギの大好物だ。
 ヤギの乳しぼりを手でやるのは大変。乳搾り器を使うとおとなしく乳しぼりが出来てヨーグルトそしてチーズが出来た。ヤギミルクは脂肪の粒子が小さくて消化が容易なので、母乳の代わりになる。
 メスのヤギは21日ごとに発情期が来る。春と秋には、特別強く発情する。
 ヤギたちはみんな人間にされたことを忘れずに憶えている。
 ヤギは、同腹の兄弟の絆はとても強い。兄弟の1頭が事故で亡くなったあと、残る1頭は半年以上もうつ状態で自閉してしまった。
 ヤギたちは、赤ちゃんヤギをとても可愛いがる。
 ヤギのクールな瞳も毎日よく見ていると、実はさまざまに変化する。顔の表情の変化や耳の動きなど、こまやかな感情、そして要求などが読みとれる。
 ヤギは著者の日本語も聞きとり、理解している。
 ヤギはヤブ(藪)が好きではない。見通しの良い平なところにいるのを好む。天敵から早く逃げるため。
 ヤギの糞便と歩き方は毎日チェックする。歩き方がおかしいときは、腰麻痺を疑う。毎日のエサの心配と体調チェックが8割を占める。
ヤギは意思がはっきりしていて、好奇心が強い。おとなしいヤギもいるけれど、人間に対して強く出るヤギもいる。ヤギはかなり気性が荒い。
 そうか、前に『カヨと私』という本も読んだことを思い出しました。その続編になるのですね。ヤギの多頭飼いは大変ですが、面白くもあるようです。
(2024年9月刊。1980円)

鍋島閑叟と江藤新平

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 毛利 敏彦 、 出版 明治維新史研究会
 幕末のころ、佐賀藩は鉄製大砲の鋳造に成功し、長崎砲台に備え付けた。
 江戸幕府も品川の沖合に砲台をつくって大砲を並べることにした。それで、佐賀藩に200門を至急つくるよう注文した。一度に200門は無理なので、佐賀藩はまず50門を納入した。つまり、江戸湾品川台場に備え付けられた大砲は佐賀藩が製造した鉄製の大砲(アームストロング砲)だったのです。
 そして、明治維新を迎え、鍋島閑叟は岩倉具視とともに大納言になった。つまり、明治新政府は、岩倉・鍋島連立政権だった。
 この鍋島は岩倉と個人的にも親しく、岩倉は二人の子を鍋島に預けて教育してもらった。鍋島は長崎に宣教師のフルベッキに英語学校で教えてもらっていたので、岩倉の長男・次男も、そこで勉強している。
 ところが、鍋島閑叟は病気のため明治4(1871)年に58歳で亡くなった。
 このとき、葬儀委員長になったのは江藤新平。候補者のなかで身分は一番下だったのに、閑叟がもっとも信任していたことから選ばれたのでした。
 そして、岩倉も閑叟を通じて江藤新平を深く信頼していたのです。
 明治新政府で江藤新平は学校制度について、国民皆教育を打ち出し、また、初代司法卿として、行政と司法の分離、裁判所の設置、検事と弁護士制度の新設、さらには日本人の人権のための司法を目ざした。このような流れを大久保利通は江藤新平を抹殺することによっておし止めようとした。
 なーるほど、まったく知らない話のオンパレードでした。
(2005年9月刊。非売品)

羊は安らかに草を食み

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 宇佐美 まこと 、 出版 祥伝社文庫
 いやあ、よく出来ています。満州開拓民の戦後の苛酷すぎる逃避行を現代によみがえらせるストーリー展開で、思わずのめり込んでしまいました。
 私も、叔父(父の弟)が応召して関東軍の兵士となり、日本の敗戦後は八路軍(パーロ)と一緒に各地を転々としながら紡績工場の技術者として戦後9年ほど働いた状況を本にまとめ(『八路軍とともに』花伝社)たので、日本敗戦後の満州の状況は調べましたが、この本は、11歳の少女2人が親兄弟を失いながら助けあって日本に引き揚げてきた状況をストーリー展開の核としながら、その苦難の状況と、それが戦後の生活といかに結びついたのか、少しずつ解き明かされていきます。その手法は見事というほかありません。
その苦難の逃避行をした女性の一人は、今や認知症になっていて、自ら語ることは出来ません。でも、人間らしさは喪っておらず、また、昔の知人と会えば反応はするのです。認知症だからといって、完全に人格が崩壊しているのではありません。
 俳句を通じて仲良くなった80歳台の女性3人が、四国そして長崎の島まで認知症となった女性ゆかりの地へ旅行するのです。
人間の尊厳を見つめた、至高のミステリー、とオビに書かれています。11歳の少女のときの苛酷すぎる状況の記憶が現代にいかにつながるのか、しかも、それが認知症だとどうなるのか、人間とは何かをも考えさせられる文庫本でした。  
東京からの帰りの飛行機で一心に読みふけりました。初版は3年前に刊行されていて、今回、著者が加筆修正して文庫として刊行されたものです。
 参考文献のいくつかは私も読んでいましたが、未読のものも多々ありました。
(2024年3月刊。990円)

法廷弁護士

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 リチャード・ズィトリン 、 出版 現代人文社
 サンフランシスコに住み、40年以上活動している弁護士が自らの活動を振り返っている本です。
 アメリカでは裁判官は弁護士のなかから指名または選挙によって選任される。カリフォルニア州では、裁判官の候補者は、弁護士会および知事所轄の委員会の審査を受けたあと、知事によって指名される。
 アメリカの実態は、その司法制度は、全体として、社会を性格づけている不平等にみちあふれている。大多数の被告人は貧乏であり、かつ、圧倒的に有色人種である。黒人が白人よりも重い刑罰を受けていることは疑問の余地がない。
貧困であるほど保釈される可能性は少なく、事件が係属中、身柄は拘束されたままで、身体の自由を求めるあまり、有罪の答弁をする圧力にさらされる。
 有罪の答弁は、しばしば有罪後の保護観察や仮釈放制度へとつながることを意味する。
法廷弁護士はストレスに満ちた仕事である。
 陪審裁判はまったくの重労働であり、休日なしで16時間労働ということもよくある。
弁護士の自信過剰な傾向にもかかわらず、多くの法廷弁護士は、勝利の喜びのために長時間働いているのではない。そうではなく、敗訴の恐怖から逃れるために働いている。
 この本のなかに、「17ヶ月間を事実審理に要し、陪審員の評議は100日を超えた」(67頁)という記述があります。事実審理が1年半かかるのは、日本人の弁護士にとって何ら驚くことでもありませんが、陪審員の評議が3ヶ月以上もかかったというのはまったく想像できません。評議の秘密、そして生活・仕事の補償はどうなるのでしょうか…。
 日本とアメリカの法廷の違いの最大は、日本で被告人尋問は当然ありますが、アメリカではほとんどないらしいことです。この本でも次のように記述されています。
 多くの被告人は証言台に立つことを望む。しかし、被告人が証言台に立つのは例外に属する。著者の場合は、わずか2件のみとのこと。陪審員は、常に被告人から直接話を聞きたいと願っている。しかし、被告人が自らを弁護するため証言台に立つことは、自己に都合のよい弁明とみなされ、いろんな意味で、本人の証言は簡単に瓦壊してしまう。
 多くの場合、依頼者の側から見た「真実」は、結局のところ、「警察官が書いた報告書ほどには重要ではない」というのは紛れもない事実である。弁護人は手持ちの道具で弁護する。その道具が警察官の書いた報告だけであることは珍しくない。
 もっとも重要な教訓の一つは、良い弁護士というのは強さにもとづいて裁判をするのではなく、弱さにもとづいて裁判をするというもの。とくに刑事事件ではそうだ。
 アメリカでは、冒頭陳述は、最終弁論とは異なって、事実にもとづくこととされている。
この本には、ひどい裁判官にあたったとき、どう対処したかも紹介されています。それは日本もアメリカも同じようです。原則にしたがい、法律的に筋の通った主張なら、恐れることなく行動すべきだということです。
この本の訳者は刑事法分野で有名な村岡啓一弁護士です。
(2024年11月刊。5500円)

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