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弁護士の経営戦略

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 高井 伸夫 、 出版  民事法研究会
80歳になる著者は、もちろん現役の弁護士です。事務所には、朝8時ころに出勤し、夕方6時まで仕事をしているとのこと。年齢(とし)のせいで耳が遠くなったそうですが、この点は私にも同じ傾向があります。
これまで365日、仕事をしてきたそうですが、オンとオフの切り替えにも気を配っています。
オフが充実しないと、オンは充実しない。
まことに、そのとおりです。趣味に生きるということで、読書(小説を読む)とあわせて、絵を見ることが紹介されています。本を読むのは私も実践してきましたし、映画も大好きです。最近も、東京の岩波ホールで映画を見て楽しんできました。
そして、旅行です。このところ海外へは行っていません。国内旅行も、まだ行っていないところがたくさんあります。
著者は新しい友人を少しずつ増やすといっていますが、なかなか出来ません。というか、あまり開拓意欲が湧きません。若い女性なら、少しずつ増やしたいのですが・・・。
著者は大切なことを指摘していると思いました。たとえば、依頼者自身が社会貢献意識をもつように促すということ。弁護士は依頼者をもうけさせるだけではいけない。うむむ、そうなんですよね。でも、ここは、弱いところです・・・。わたしは、大いに反省しました。社会貢献というのは、いろんなアプローチがあっていいわけですから、この意識をもつように働きかけることも忘れてはいけないということです。私も、これから、改めて気をつけたいと思います。
弁護士は、常に早め早めに準備をし、対処していかなければならない。
仕事は、まずは易しいものから、どんどん片付ける。そして、難しいものについても、1日以内に終わらせるようにする。拙速は巧遅に勝る。
私も、まったく同じ考えです。悩んで、仕事をかかえこんではいけません。
弁護士は、決断力を要する職業である。
自分の発言に責任をとる覚悟が必要だし、決断は実行してこそ意味がある。
リーガルマインドは、論理的思考とバランス感覚の二つの両方が必要。
弁護士を採用するときには、目線が強い人を選ぶ。人間観察力が強い人だ。
弁護士は書くことも大事だし、話をすること、その前に読むことも大事。執筆力、表現力、さらに分析力が求められる。そして、先見性、迅速性、さらには機動力が高いこと。
いやあ、弁護士って、いろんな能力が求められるのですよね・・・。
さすがに、大先輩の言葉には実践に裏づけられた重みがあります。
若手弁護士に限らず、弁護士全般にとって大いに参考になることが満載の本です。
(2017年5月刊。1700円+税)

108年の幸せな孤独

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 中野 健太 、 出版 KADOKAWA
前から気になっていた、この本を読んだのは、富山の鍛冶富夫弁護士のキューバ旅行記を読んだ直後、まさにその日でした。まったくの偶然の一致なのですが、そんなことも世の中にはあるのですよね・・・。
私は残念ながらキューバには行っていませんし、遠すぎるし、フランス語圏でもないので、恐らく行くことはないと思うのですが、カストロ、ゲバラそしてマルケル・ムーア監督の映画『シッコ』をみていますので、あっ、もうひとつ、例のキューバ危機ですね、キューバには強い関心をもっています。
この本は、キューバへの移民一世の島津三一郎氏が108歳の誕生日を迎えるまでをたどっています。島津氏は、やがて亡くなられましたが、キューバへの日本人移民の実際を知るうえで、貴重な生き証人でした。表紙の顔写真をみると、いかにも誇り高い男性だったようです。
キューバは人口1100万人。そこに108歳の日本生まれの男性が暮らしていた。20歳のとき、農業移民としてキューバに渡り、以来、日本に帰ったことは一度もない。
キューバ移民のあいだでは、1万ドルを日本へもち帰ることが成功の目安とされていた。
しかし、それを達成したのは、128人の日本人移民のうち1割もいなかった。
キューバを訪問する外国人は年間350万人。ハバナの民泊料金は、安くても1ヶ月に6万円ほどかかる。
島津氏が入居している老人ホームの入居費は月に200円。月に1000円の年金が支給されるので、生活費のすべてが年金でまかなえる。島津氏は108歳まで長生きできたのは、お金をもっていないからだと胸をはって説明する。
「お金のために争いが起こり、騙したり、やましくなったり、不安になったり、そして死んでしまう。長生きできない」
キューバでは、お金の心配をすることなく生きられる。人を騙さず、自分を騙さずに生きてきたと島津氏は胸をはる。
第二次大戦中、350人もの日系人が1943年2月に刑務所に強制収容された。そして1946年1月から3月にかけて釈放された。その厳しい差別的扱いを日系人一世は子どもたちに話すことはなかった。話せば、国(キューバ)を批判することになるからだ・・・。
キューバの老人ホームは要介護度によって入居者を選択していない。
キューバの老人ホームは、すべて国が運営していて、介護ビジネスは存在しない。老人ホームには専属医師が常駐している。老人ホームでは、3度の食事のほか、おやつも一日3回出る。島津は、全部食べる。食欲旺盛だ。
キューバには7万6506人の医師がいる。人口1000人あたりで6.7人。日本は2.3人、アメリカ2.5人と比べて、2倍以上。医師の4割の3万人がホームドクターとして活動している。
キューバでは、医師も製薬会社も民間ではない。つまり、医療で金もうけを競うライバルは存在しない。人工透析治療によって利益を得る人も会社もいない。
キューバは、国の財政難が深刻になっていくなかで、それまで以上に地区住民の予防医療に力を入れた。その結果、患者の重症化を未然に防ぎ、結果として医療財政の全体を抑制することができた。新生児や乳幼児の死亡率はアメリカより低い。
フィデル・カストロは、どんなに国内経済が疲弊しても、国民の命を守ることは国の最大の使命であると考えた。
これこそ、ホンモノの政治ですよね。老後を個人の貯えではなく、国が安心して暮らせるように保障するキューバの考え方を日本でも一刻も早く取りいれるべきだと痛感しました。
いい本です。元気が出てきます。
(2017年1月刊。1700円+税)
 フランス語検定試験(仏検)が近づいてきましたので、過去問にあたり始めました。朝と夜ねる前に1年分ずつやります。仏検一級を受けはじめたのは、なんと1995年からです。ですから、もう20年以上になります。3級から受験していますので、恐らく30年になると思います。
 肝心の成績ですが、準一級には合格していますが、一級は歯が立ちません。前置詞も動詞と名詞の書き替え、成句どれをとっても私にとっては超難問ばかり。あきらめることなく挑戦しているだけが取り柄の私です。

忍者の末裔

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 高尾 善希 、 出版  角川書店
「江戸城に勤めた伊賀者たち」というサブタイトルがついた本です。甲賀・伊賀というと、忍者集団が活躍したと連想しますが、平和な江戸時代には、あまり忍者が活躍できたとも思えません。
この本によると、本能寺の変のあと徳川家康が伊賀忍者の助けを借りてなんとか山越して江戸に帰りついたというのは、必ずしも史実ではないということです。もし、そうだったとしたら、もう少し重用されていただろうというのです。なるほど、と思いました。
この本は、伊賀忍者の子孫を名乗る人の家にあった古文書を解読した結果をもとにしていますので、まさしく新発見史料によって江戸時代の下級武士の生活が判明し、紹介されています。
伊賀者の家禄は高30俵二人扶持が多かった。これは、現代の年収でみると100万円から200万円までとなる。これでは、生活は成り立たない。松下家は、さらに少なく、家禄はわずか高20俵2斗6升2合勺、二人半扶持でしかなかった。
徳川時代の泰平の世においては、伊賀者は忍者としての特殊な役割はあまり要求されていなかった。
徳川幕府の「伊賀者」は単に職名にすぎないので、伊賀国出身の家系をもたないものも伊賀者に属することがあった。「紀州系伊賀者」は、やがて分派した御庭番となり、幕府の諜報活動に従事するようになった。
吉宗将軍は、全国の薬草の採集のため「伊賀者」をつかって全国をまわらせていた。
旗本と御家人とでは、家格が大きく異なっていた。御目見以上の旗本であれば殿様そして奥様と呼ばれたのに対して、御家人は、どんなに裕福であっても、殿様とも奥様とも呼ばれず、旦那様、御新造様と呼んだ。
古文書に書かれている文字は、「御家流」のくずし字であることがほとんど。私も、このくずし字を読めたらどんなにかいいことかと思いますが、語学はフランス語だけで手一杯なので、古文のくずし字にまでは残念ながら手がまわりません。
江戸時代の下級武士の生活が、戦災にあわず残っていた家伝の古文書にもとづいて明らかになったというのです。すばらしいことです。しかも、最近の発掘調査で、胞衣皿が見つかったといいます。恐るべき偶然です。
(2017年1月刊。1700円+税)
日曜日の午後、ジャガイモを掘りあげました。地上部分の茎が茶色になって枯れはじめていました。あれっ、どうしたんだろう。6月になったら掘りあげようと思っているのに、今年は失敗してしまったのかな・・・。心配して、そっと一本の茎を引っぱってみました。すると、いい形をしたジャガイモが姿をあらわしたのです。そこで、スコップをもって、掘り下げてみました。すると、次々に見事なジャガイモたちが出てくるわ、出てくるわ・・・。メイクイーンと男爵とキタアカリの3種類です。3列を1列ずつ植込んでいましたが、その全部から収穫できました。早速、夕食のとき、ゆでてバターをつけていただきました。とても味が良く、大満足でした。
ジャガイモを全部掘りあげたあとは、大きめの穴を掘って、コンポストに入れておいた枯れ枝などを投げ込み、生ゴミも投下しました。この作業の途中、小ヘビの死骸を見つけてしまいました。ハエがたかっていたのです。どうして死んだのか不思議です。長さは15センチほど、黒と白のだんだら縞がありました。まさかマムシじゃないでしょうね。アオダイショウではないでしょう。我が家の庭には昔からヘビが棲みついているのです。小ヘビの死骸も生ごみと一緒に埋めてやりました。
初夏の到来を告げる黄色いカンナの花が咲いているのに気がつきました。
夕食後、うす暗くなってホタルを見に出かけました。我が家から歩いて5分のところに「ホタルの里」があります。そこにたどり着く前から小川の周囲にホタルが明滅しています。道端を飛ぶホタルを両手で包み込みんでみました。重さは感じません。ふっと息を吹きかけると、慌てて飛んでいきます。たくさんのホタルの飛びかう様子は、毎年見ていますが、いつもたちまち童心に戻ります。幽玄境に遊ぶ境地です。といっても、実は道の舗装部分の段差につまづいて、危く小川に飛び込んでしまうところでした。おたがい暗い夜道と甘い言葉には気をつけましょうね。たちまち現実に引き戻されてしまいました。

僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山中 伸弥、羽生 善治ほか 、 出版  文春新書
実に面白い本です。私も大学生のころを思い出して、一気に読みすすめました。いやあ、若いって、いいですよね。若いときには、いろんなことをしてみて、いろいろ失敗してみると、それがあとになって生きてきます・・・。そのとき、どんなに苦しくても、必ず得られるものがあるのです。といっても、そのときには、ただ苦しいだけなんですが・・・。
各界の第一人者が、若いころの不安、焦燥、挫折を語っています。うひゃあ、この人でも、こんなことがあったのかと驚きます。みなさん、苦労知らずに栄冠を勝ちとったというのではないのですね・・・。
ある何かが起きたときに、心底から不思議と思えるとか、心の底から驚くとかっていうのは、研究者になるための条件ではないか。予想外のことに我を忘れて興奮できるかどうか。それが研究者には大切なこと。
ノーベル賞をとった山中さんは、毎月アメリカに行っている。それは、実際に行ってみないと分からないことが多いから。アメリカの研究の中に行くと、日本にいる残りの時間よりも、はるかに多くの情報が入ってくる。
山中さんはアメリカにも研究室をもっているそうです。でも、毎月のアメリカ行いって、くたびれるでしょうね・・・。
挑戦をしていくときに大切なのは、ミスをしないこと以上に、ミスをしたあと、ミスを重ねて傷を深くしない。挽回できない状況にしないこと。
20歳前後の5年間というのは、何にも代えられない宝物みたいな時間だ。20代の失敗は、宝物であり、財産だ。
羽生善治氏は、人間は誰でもミスをするものだ、動揺して、冷静さや客観性、中立的な視点を失ってしまうとミスを重ねてしまうと語っています。
それにしても、次の一手を打つ前に4時間もじっと考え込むというのは、すごいことですね。
京都大学の山極寿一総長の入学式での祝辞は素晴らしいものでした。さすが京大です。「おもろいことやる大学にしたい」というのですが、大先輩は、「関西弁でおもろいいうのはな、もうひとつ言葉が続くんや。ほな、やってみなはれ」
うん、いい言葉ですね。
山極さんは、アフリカに行って、ゴリラの家族(群れ)のなかに入りこみます。5年から10年かかるそうです。
ゴリラは相手の顔をのぞきこむ。それは、ゴリラ流の挨拶。ニホンザルと違って、ゴリラは相手を見ることが威嚇ではない。挨拶だったり、仲直りのしるしだったり、友好的な合図を意味する。
ゴリラのドラミング(胸を両手で叩く)は、戦いの布告ではなく、興奮や好奇心の表れだったり、遊びの誘いだったり、いろんな意味をもつ重要なコミュニケーションであることが分かってきた。
ゴリラは、相手の言ってることが分かっても、その言いなりにはしたくない。相手の下に立ちたくないからだ。それがゴリラの感性。
ゴリラが6歳のときに親しくなった山極さんが、26年後、同じゴリラに会ったときの反応は信じられません。山極さんがゴリラ語で挨拶するとタイタス(ゴリラの名前です)も、それに答えた。
タイタスの目は好奇心に燃えているときのように金色に輝き、顔つきは少年のようになり、目がくりくりとしてきた。そして、土の上に仰向けに寝っ転がった。山極さんに向かって、大口を開けてゲタゲタ笑い、まったく子どものころの彼に戻っていた。
いやあ、すごいですね。見てみたかったですね、この場面を・・・。
心の震えるような、とてもいい本です。一人でも多くの若い人に読んでもらいたいと思いました。
(2017年2月刊。700円+税)

果てしなき山稜

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 志水 哲也 、 出版  山と渓谷社
いやあ、若いってすばらしいですね。若いときにしか出来ない、無謀な北海道の冬山を山スキーで単独踏破した山行記です。寒がりの私なんか思わず、身震いしてしまいました。
山頂へ向かう鞍部にいいテントサイトを見つける。地図ではテントなんて張れそうにないと思わせるヤセ尾根上でも、現地に行くと雪庇の陰に風の当らない絶好のテントサイトを見出すことがある。しかし、風を防ごうとすると雪が積もり、除雪を嫌うと、そこは風が吹く場所だというのが常だ。
夕方から、また雪。雪は、すべてのものを美しく真っ白に覆ってしまうから怖い。
苦しかったこと、怖かったこと、寂しかったこと、楽しかったこと、いろいろあったが、そんな体験のすべてが、やがてただ自分の書いた文字や写真を通してしか思い出せなくなってしまう。文字も写真も、所詮はつくりもの。どんなに努力しても、それをとどめようとしても、どうしたって実際のときめきや感動は、記憶の上に積もる膨大な時間の中で次第に見えなくなってしまう。
なだれにあって、ぼくは奇跡的に窒息死する前に止まった。生きていることすら認識できない茫然自失の状態だった。ぼくは、むせかえりつつ、雪をコホゴホ、ゲェーゲェーと吐き出し、登りはじめた。傾斜60度の、胸まで没する雪壁を、35キロの荷を背負って。その途中にも、斜面は何回となく雪崩れ、一度はザックと別になって再び流されたりもしたが、ぼくは死にもの狂いで登った。
雪崩で遭難し、3日間は生きながらえていた人の書きつづった遺書が後になって発見されたこともある。「死んだらおしまい」とは、誰だって言える。物理的には、たしかにそうだろう。だが、情熱をもって生きていない人間にそれを言う資格があるのか。情熱をもたないで生き続ける人間よりも、たとえひとときでも情熱をもち、死んでいった人間のほうが、きっと、ずっといい。
登山は年数ではない。中身だ。どれだけ情熱をもって山に対しかだと思う。人生だって、きっと同じことだ。
この本は、1994年、著者が28歳のときの北海道縦断の山スキー記行が文庫になったものです。今では50代になった著者は、富山県に住むプロの写真家です。文庫として復刊していただいたことに感謝します。
(2016年10月刊。950円+税)

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