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大航海時代の日本人奴隷

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 ルシオ・デ・ソウザ 、 岡 美穂子
日本人って、昔から案外、海外へ出かけていっていたようです。そのなかには、人さらいにあって海外に売られたという人もいたようですが、それ以外にもいたというのです。日本人の傭兵集団があったり、キリスト教信者が亡命したり・・・、です。多くはありませんが、世界各地に残っている日本人の記録を掘りおこした貴重な本です。
本書に登場するのは、マカオ、マラッカ、マカッサル(インドネシア)、ゴアとコチン(インド)、マドリッド、リスホンそしてセビーリャ(スペイン)。アフリカはモザンビーク、アンゴラ、サントメ、プリンシベ島。南アメリカのリマ(ペルー)、ポトシ(ボリビア)、コルドバとブエノスアイレス(アルゼンチン)、サンチアゴ(チリ)。最後にメキシコのアフカトラン、グアダラハラ、タアナファト、メキシコシティ、アカプルコ、ペラクルス、そしてカルタヘナ(コロンビア)です。このように、世界中、いたるところに日本人の足跡があるのです。
奴隷身分の日本人だけでなく、冒険心、商売人もいたのではないでしょうか・・・。
アメリカ大陸に渡ったアジア人奴隷は、「チーナ」と呼ばれたが、実際には、日本人もいた。
大分で1577年に生まれた日本人奴隷は、誘拐されて長崎へ連れていかれ、ポルトガル人に買われた。子どもの奴隷を買って従者にするのは、富貴と寛大さを周囲に知らしめる証と考えられていた。
長崎にいたポルトガル商人のなかに、実はユダヤ人がいて、キリスト教の異端し審問の対象になっていたというのを初めて知りました。
ポルトガルには、16世紀中ごろから、天正少年遣欧使節の到着より前から日本人が存在していた。1570年代初め、10歳にもならないに日本人少女マリア、ペレイラがポルトガルに到着し、20年のあいだ家事奴隷として仕えたあと、自由の身になったという記録がある。
マカオには、日本人女性だけでなく、日本人男性も少なからず存在した。船の乗組員にも日本人男性がいた。
長崎の頭人から町年寄へと出世した町田宗賀は若いころ、自分でジャンク船を操って海外貿易に従事する船長であり、マカオにも出入りしていた。
マラッカには、1600年ころ、町の警備役として、マレー人兵のほか、日本人傭兵がいた。関ヶ原の戦いのころのことです。
1608年ころ、ポルトガル人に仕える日本人傭兵に加え、マカオに到来する日本人奴隷の数が増加した。そして、マカオ事件が起きた。1614年、マニラに33人の教会関係者と、100人の日本人が到着した。宣教師が日本から追放され、一緒に日本人キリシタンたちがやってきたのだ。マニラにいた日本人は、1595年に1000人をこえていた。そして、1619年には、日本人コミュニティは、2000人、1623年には3000人以上となっていた。
インドのゴアにも、多くの中国人と日本人がいた。
世界中の記録をよくも丹念に掘り起こしたものですね。スペインには、今もハポン(日本)の姓の人々がいるそうです。恐らく、昔の日本人の子孫なのでしょうね。世界は広いけれど、案外、狭いものでもあるようです。
(2017年4月刊。1400円+税)

宮沢賢治の真実

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 今野 勉 、 出版  新潮社
宮沢賢治と妹トシについて、丹念に事実を発掘していて、その苦労の成果にしばし言葉が出ないほど圧倒されました。
賢治の妹、とし子は、小学生のときから学業成績が抜きんでていて、花巻高等女学校では、生徒総代として送辞、卒業生総代として答辞を読んだ。そして、日本女子大の家政学部では、最終学年では、病気のため3学期の授業をすべて欠席したが、卒業が認められた。艶(つや)めいた話もないまま病気のために24歳で亡くなった。私も、そう思っていたのですが、この本を読むと、それが、とんでもないのです。地元新聞に独身の音楽教師との仲を連載で書きたてられていたというんです。うひゃあ、本当なんですか・・・。
大正4年3月20日、岩手民報は、「音楽教師と二美人の初恋」と題する記事の連載を始めた。教師や女生徒は仮名だったが、H学校が花巻高等女学校を指しているのは明らかだった。卒業式前日までの3日間の記事は、とし子の心に致命傷を負わせた。このことを、賢治は、あとになって知るのでした。
そして、賢治自身は、同性の友人・保阪を「恋して」いたというのです。
この本は、賢治の本の一節、そして、詩を抜き書きして解説するだけでなく、その舞台となった現地に自ら行って、そこで考えていることに大きな特徴があります。
400頁にも及ぶ大著です。宮沢賢治をめぐる世界をさらに深く認識することが出来た気がします。著者は私より20年も年長です。読む前は、警察小説の著者かと錯覚していました。
宮沢賢治の深読み本の一つとして、賢治に関心ある人には一読を強くおすすめします。
(2017年6月刊。2000円+税)

沖ノ島

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 藤原 新也 、 出版  小学館
海の正倉院とも呼ばれる沖ノ島の写真集です。
8万点に及ぶ宝物があるそうですから、宝島とも呼ばれるというのは当然です。
女人禁制なのですが、この島自体は、田心姫(たごりひめ)という女神そのもの。むしろ女性上位だといいます。
男は、島に上陸する前に素裸になって海中に入って、身を清めなければいけません。歴史作家の安部龍太郎が海中で禊(みそぎ)をしている情景も紹介されています。
沖ノ島での祭祀を司(つかさ)どっていたのは宗像(むなかた)一族。古事記にも登場する豪族でしたが、秀吉の九州征伐の直前に宗像氏貞が病没し、後継ぎがいなかったので、宗像家は断絶した。
昭和29年から同41年までの学術調査によって、島内から10万点もの宝物が採集され、8万点が国宝に指定された。
写真で紹介されていますが、純金製の指輪や金銅製龍頭など、最高級工芸品と呼べるものが本当にたくさんあります。見事なものです。
ササン朝ペルシア製のカットガラス椀片は、明らかにシルクロードの交易品です。
島内には、たくさんの巨岩があちこちにありますが、ともかく人間は神職以外にはいないわけですので、まったく荒らされずに今日に至っています。
ところが、自然天然のまま林に埋もれてしまっているわけではありません。道があり、人の踏み歩く渡り石があるのです。そして、この渡り石は、大勢の人の足によって踏み荒らされていないので、青々と苔むしているのです。私も、これには驚きました。人の手が入っていながら、人が踏み荒らしてはいない自然状態があるのです。
いかにも神様がそこに存在し、生活しているのかのような沖ノ島を活写した価値ある写真集です。
(2017年4月刊。1200円+税)

殿様の通信簿

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 磯田 道史 、 出版  新潮文庫
「土芥(どかい)冠讎(こうしゅう)記」という元禄期の本があるそうです。
著者は、この本のなかから、現代に生きる私たちに、江戸時代の殿様の生々(なまなま)しい生活の実情を教えてくれます。この本は、隠密(おんみつ)の探索の結果にもつづいて、幕府高官が書いたもののようです。殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を仇(かたき)のようにみる、という意味の言葉です。
水戸黄門とも呼ばれた徳川光圀の素行調査もされている。
それによると、とても品行(ひんこう)方正(ほうせい)とは言えない。江戸時代の大名のなかでも、光圀はズバ抜けて好奇心の強い人物だった。現実の光圀は、諸国漫遊こそしなかったが、その存在は、当時の人々にとって、衝撃的だった。家康の孫という高貴な人物が、好奇心にかられて、色街に出没する。その噂だけでも、当時の人々の心は十分に浮き立った。浅野内匠頭(たくみのかみ)は、無類の「女好き」であり、さらには、「ひき込もり」行動がみられた。そして、地元の家老の仕置も、心もとない。若年の主君が色にふけるのをいさめないほどの「不忠の臣」だから、おぼつかない。
前田利家は、体が大きく、身長も高く、180センチもあった。
江戸時代は270年も続いた。人間の一世代を30年前後とすると、約10世代になる。
江戸時代は250の藩があり、それぞれ一つの大名がいた。だから、少くなくとも250人の大名がいた。
江戸城では、大名の席順は、石高ではなく、官位で決まる。そのため、「官位」は、大名の最大の関心事になっている。
この本を読むと、殿様は決して気楽な稼業とは言えなかったようです。
(2017年6月刊。520円+税)

ウニがすごい、バッタもすごい

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 本川 達雄 、 出版  中公新書
生物の生きていく仕組みを解明すると、大自然の奥深さをまざまざと実感させられます。
サンゴは動物。ただし、体内に大量の植物を共生させていて、藻類との共生が、サンゴ礁をつくり出している。
サンゴは、食べて出てくる排泄物も、呼吸で出てくる二酸化炭素も褐虫藻がもらってくれるため、排出物の処理は気にしなくていい。褐虫藻が光合成する際に排出した酸素を、サンゴは細胞内で直接もらい受けることができている。
結局、サンゴは、褐虫藻と共生しているおかげで、食う心配がほぼなくなり、トイレの心配もなく、人口呼吸器を体内に備えたようなものだから、無理に息をする必要もない。
昆虫は、体の部分ごとに、必要に応じてクチクラの硬さを調節している。
昆虫の大きな特徴は飛べること。昆虫の羽は厚さ0.1ミリほど。羽を生やして飛べるおかげで、昆虫は餌を探すにも敵から逃れるにも、また、子孫を広くばらまくうえでも、きわめて有利になった。
同じ距離を行くのに必要なエネルギーは、飛行のほうが歩行より少なくてすむ。飛ぶことはエネルギーの節約になる。昆虫は、飛べたことから、被子植物との共進化可能にし、食物供給源を確保でき、かつ種類の増大につながった。
多くの飛ぶ昆虫は、幼虫時代は植物の葉を食べ、成虫は蜜や樹液を吸う。
ナメクジは、カタツムリが殻を失ったもの。ナメクジは、昼は地中という土で守られ、かつ湿り気のある環境に身をひそめ、夜になって湿り気の多い地表近くで活動するため、殻がなくても問題がないのだろう。
ナマコは、自分のまわりの砂を触手でごそっとつかんでは口に押し込む。つまり、砂を食べている。しかし、砂は鉱物なので、栄養にはならない。ナマコが食べて栄養にしているのは、砂粒の間に入っている有機物や砂粒の表面に生えているバイオフィルム。
ナマコは、じっと動かないため、摂取エネルギーの量が極端に少なくてもすむので、砂でも生活できる。ということは、ナマコは砂の上に住んでいるから、食べものの上にいることになる。砂はほかの動物たちは見向きもしないので、競争相手はおらず食べ放題。広大なお菓子の家をナマコが独占しているようなものだと言える。
ナマコは動くといっても砂を食べる場所を少し動くくらいなので筋肉は少なくてすむ。身体の大部分は身を守る皮ばかり。皮を食べても栄養にはならないので、ナマコを狙う捕食者は減っていき、ますますナマコは安全になる。食う心配がなく、食われる心配ない。これは天国のような生活だ・・・。
ナマコは、半分にすれば、二匹になる。
ヒトデは、自腕一本から残りの腕すべてを再生するのがいる。
ウニは、殻を割って内臓を取り除いても、殻の破片が数日間は、もそもそとはいまわっている。これって、不思議ですよね・・・。
さまざまな生物の生きる実態と仕組みを平易に解き明かす貴重な新書です。
(2017年4月刊。840円+税)

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