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現代史とスターリン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 不破 哲三、渡辺 治 、 出版  新日本出版社
この本を読んで、スターリンという独裁者は、ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーと同じレベルの最悪・最凶の人物だったとつくづく思いました。
たとえば、朝鮮戦争が始まったとき、国連の安保常任理事会にソ連代表は欠席したわけですが、これまで私はなぜなのか不思議でした。この本によると、スターリンは、アメリカを朝鮮半島で戦争に巻き込みたかったのです。それは、アメリカがソ連との間で二正面作戦をとることにつながり、それだけソ連への直接的な圧力が弱まることを狙ったというのです。アメリカとソ連がヨーロッパで直接対決する事態が生じないように、「第二戦線」をアジアにつくる狙いがあったわけです。
毛沢東も、スターリンの思惑を承知して、新生中国の力を見せつけるべく大量の人民義勇軍を朝鮮半島に送り出したということなのです。
うひゃあ、そうだったのか・・・、そんな驚きに満ちている本でした。
そして、ヒトラーによるナチス・ドイツ軍の電撃的なソ連侵攻をスターリンが最後まで信じなかったのは、スターリンはヒトラーと手を組んで、世界を独・伊・ソ連そして日本の四ヶ国で再分割しようという、ヒトラーの謀略的誘いに騙されていたからだというのです。ヒットラーのほうが、スターリンより騙しの役者の点では一枚上だったというわけです。
ところで、この本は、スターリンがヒトラーの侵攻で不意打ちを喰って1週間ほど雲隠れしていたという説をとっていません。ええっ、本当でしょうか・・・。ヒトラーにすっかり騙されたスターリンが、しばらく気落ちしていたというほうが私にとって素直に理解できるのですが・・・。
フランス共産党がフランス人民戦線政府に参加していたら、もっと世の中はいいほうに変わっていたと思うのですが、スターリンは断平として、それを認めませんでした。フランスの進歩など、スターリンにとってはどうでもいいことだったのです。
そして、ポーランドです。スターリンは、ドイツと分割統治の秘密合意を成立させ、ポーランドの共産党を壊滅させ、反対しそうな知識層を一掃しようとしました。すべては、自分のソ連領土の拡張のためなのです。
いま安倍首相の下に内閣人事局が置かれ、警察官僚がトップにすわっています。トップが「一強」としてすべてを支配しているとき、身内びいきから腐敗が起こり、官僚政治がズタズタにされるという状況が日本で展開しています。これにメスを入れてたださないことには、完全な独裁政治体制になってしまうと思います。
大変知的刺激にみちみちた本でした。80歳をすぎても学問的に究明しようとする不破さんには心から敬意を表します。
(2017年6月刊。2200円+税)

私にはいなかった祖父母の歴史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 イヴァン・ジャブロンカ 、 出版  名古屋大学出版会
ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦によって殺されていったユダヤ人たちの生きざまを丹念な取材によって極力再現しようとしたフランスのユダヤ人歴史学者による力作です。
先日、天神の映画館でみた映画「少女ファニーと運命の旅」の背景にあった歴史的事実も紹介されています。
ユダヤ人住民の保護を組織する機関の一つ「アムロ委員会」は、フランスにおけるレジスタンス組織のなかではもっともはやい時期に成立した。「休暇学校」は、ユダヤ人の子どもたちを田舎に住まわせ、強制収容所に小包を送る。1943年来、500人のユダヤ人の子どもが隠れて生活していた。パリに近い、パリから300キロの範囲内。農村家族による受け入れが目立つ。受け入れ家族に頼り、子どもたちを分散させる。
そして、強制(絶滅)収容所におけるゾンダーコマンドが、これまた映画「サウルの息子」に描かれた状況ですが、詳細に再現されています。私は、ゾンダーコマンドが武器をもって反乱に立ち上がったこと、そして死体焼却棟を必死で爆破しようとしたことに深い感銘を受けました。人間の崇高さを感じ、頭が下がります。
1943年3月4日の晩に第49番列車から降ろされたユダヤ人は993人。そのうち男性100人と女性19人が選別され、残り874人は収容所に入ることもなく、ただちにガス室で殺された。彼らにとってアウシュヴィッツは、ただ殺害されるだけに降りた鉄道の終着駅だった。
1944年10月7日に起きたゾンダーコマンドの反乱は、第49番移送列車にいて選別された男性100人のうちの二人によって指揮された。この二人は、戦間期のパリで活動していたポーランド人組合活動家だった。
死体焼却炉をつくったトプフ社は、5台の焼却炉で1日につき1140体まで燃やすことできると言っていたが、実際には1日に1000「個」までいかなかった。それでも、トプフ社のナチ技師は自分の発明に大きな誇りをもって特許をとった。
ガス室から死体を引き出すのはユダヤ人からなる特別作業チーム「ゾンダーコマンド」。生き残った人は次のよう語る。
「一番ひどい瞬間はガス室を開けるときだった。あの耐え難い光景。人々は玄武岩のように押しつぶされ、固い石塊になり、なんとガス室の外に崩れ落ちてきた」
死体を焼くときには、人体の脂は燃焼を助けるが、「ムズルマン」と呼ばれる絶望した人々の死体を焼くときには体に脂がないので、コークス発生炉を運転させた。よく燃えなかった骨盤は取り出して砕く。
死体焼却炉で人々が焼かれる状況が描写されます。
「最初に火がつくのは髪の毛である。肌は気泡で膨れ、数秒にして破裂する。腕と脚はよじれ、血管と神経は引っ張られて四肢が動く。すでに体全体に炎がまわり、肌は破れて、脂が流れ出す。烈火の燃え盛る音が君にも聞こえるだろ。もう体は見えず、地獄の猛火が内側で何かを焼き尽くすのが見えるだけだ。腹が破裂する。腸や内臓が噴き出し、数分でもう跡形もない。頭は燃えるのに、もう少し時間がかかる。二つの小さな青い炎が眼窩の中で瞬いている。一番奥にある脳漿とともに燃え尽きていく眼だ。口の中では舌がまだ焦げている。全過程は2分続く。そして、一つの体、一つの世界が灰に帰す」
1944年夏。ハンガリーのユダヤ人絶滅のため、死体焼却炉はフル稼働し、このときゾンダーコマンドの人員は900人と最大になった。
1943年夏以降、ゾンダーコマンドの内部に抵抗の核が形成された。
1944年6月、ナチは反乱の計画を察知し、ゾンダーコマンドを昼も夜も死体焼却棟の中に閉じ込めた。
アウシュヴィッツの非ユダヤ人抵抗者は、できる限り長く持ちこたえるべきだと考える。それに対して、ゾンダーコマンドのユダヤ人は、自分たちがいつでも粛清される恐れがあることが分かっている。
レジスタンスたちは、外部のポーランド・レジスタンスと連携し、死体焼却棟における女性たちのガス殺の写真をとってひそかに外部へ送る。弾薬工場で働く女性たちが生命の危険を冒して渡してくれた爆薬を蓄えていく。
そして、1944年10月7日、パリ解放の1ヶ月半後、ゾンダーコマンドたちは決起した。大勢が収容所の外へ逃げていくとき、二人が残って死体焼却棟を爆破する。決起・反乱は失敗し、450人のゾンダーコマンドはナチによって処刑された。
指導者の一人は、収容所で起きたことを書いて、ガラス瓶に入れて地面深く埋めた。戦後になって発見され、活字になって紹介されたが、それは1970年代になってからのこと。
本書はフランス学士院賞をとったとのことです。思わず息を吞みこむほど、大変な迫力のある力作でした。
(2017年8月刊。3600円+税)

暴走する自衛隊

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 纐纈 厚 、 出版  ちくま新書
自衛隊は今日、世界有数の実力をもつ武力組織にまで成長している。24万人の自衛官から構成される自衛隊は、高度に組織化された専門職能集団でもある。自衛官は国家防衛を目標とし、きわめて強固な団結心で結ばれている。自衛隊を特徴づける高度な技術性・一体性という性質は、日本国内における諸組織のなかでも際だっている。
安倍首相は、本来なら「自衛隊は・・・」と言うべきところ、思わず「わが軍は・・・」と国会(参議院予算委員会)で答弁した。安倍首相は、自衛隊が名実ともに軍隊以外の何ものでもないと捉えていると思わせるに十分な発言だった。
自衛隊の正面装備を外観すれば、先進諸国の軍事大国の軍と肩を並べるに十分な質と量を備えていて、国際社会ではすでに「軍隊」として通用している。
2007年1月に、防衛庁が防衛省に昇格した。これは単独予算編成権を獲得したということ。
そして、事実上の文官統制廃止が実現した。
シビリアン・コントロールといっても、シビリアンなるものが稲田朋美のような、政治による統制に積極的に服従する、軍人以上のミリタリズムへの信奉者であったり、非妥協的で露骨な軍事政策を強行しようとする政治家であれば、ほとんど意味がない。
海上自衛隊は、陸上自衛隊と違って、旧日本軍の組織論や教育論がストレートに持ち込まれた。したがって、文民統制という政治による統制には、強い抵抗感を示してきた。
田母神論文は、自衛隊の国防軍化への強い要求があることを意味している。自主防衛・自主独立の志向がある。つまり脱アメリカへの転換を目ざす。
現行憲法を正確に読めば、自衛隊は明らかに憲法違反の存在である。
安倍首相の加憲論は、自衛隊の違憲性を払拭するだけだと言いつつ、実質的な国防軍化を目ざすものですから、まさしくアベ流ごまかし政治です。
自衛隊の本質は、効率的な大量人殺しを任務とする軍隊です。ところが、世間一般がそう思ってはいません。大災害のときにいち早く出動して被災者を救助する救助隊という善意のイメージが本質を見えにくくしています。そして、見えないものは存在しないことになるのです・・・。
(2016年2月刊。820円+税)

あのとき裁判所は?

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 宮本 康昭ほか 、 出版  ひめしゃら法律事務所
あっと驚く事実が満載の、強烈なインパクトたっぷりのブックレットです。
あの宮本康昭さんが、もう80歳を過ぎていたなんて、信じられません。それより、もっと驚くのは、1970年(昭和45年)ころ、青年法律家協会(青法協)に所属していた裁判官が350人もいたこと、最高裁に勤務していた局付判事補15人のうち10人が青法協会員だったこと、東京地裁に配属された新任判事補12人のうち10人が青法協会員だったこと、その圧倒的人数と比率に思わず叫びたくなるほど驚かされます。
さらには、宮本判事補の再任拒否に対して、当時の裁判官1850人のうちの3分の1をこえる650人が抗議文を出したというのにも腰が抜けるほど驚きます。今では、とてもそんな数の裁判官は沈黙したままで、抗議の声をあげないのではないでしょうか、残念ながら・・・。
なにしろ、1970年1月から1971年までの1年間で、350人いた裁判官部会の会員が158人も脱退して200人になったのでした。このころ、著者は、何回も血を吐いたとのことです。ストレスから胃潰瘍になったのです。良かったですね、それを乗りこえて長生きできて・・・。
当時の熊本地裁の所長(駒田駿太郎)が著者に青法協をやめろと言うので、所長も日法協に入っているでしょ、と問い返すと、「オレも日法協をやめるから、オマエも青法協をやめてくれ」と切り返されたといいます。
実は、私も、いま日法協の会員(会費だけの・・・)なのです。弁護士会の役員になったおつきあいで加入しているだけなのですが・・・。
この本で、著者は青法協を脱退した158人のその後を紹介しています。
最高裁判事6人、検事総長1人、内閣法制局長官1人、高裁長官12人、地裁所長64人。これに対して青法協に残った200人のうちでは、高裁長官が2人、地裁所長は3人だけ。このように歴然たる違いがあるのです。そして、著者に対しては露骨な差別扱いがされました。弁護士になるときに最高裁判所が経歴保証書を出さなかったというのには呆れました。
著者は判事補に再任されなかったけれど、簡裁判事として残ったのですが、宿舎から追い出されそうになったり、裁判官送迎バスの対象者からははずされたりという嫌がらせも受けています。裁判所のイジメって、陰湿ですよね・・・。それでも、著者はめげずにがんばったのですね。すごいです。給料にしても、当時で月に7万円から8万円も低かったというので、同期の裁判官たちがカンパしていたというエピソードも紹介されています。
著者とは灯油裁判で一緒の弁護団だったこともあり、親しくさせていただいていますが、人格・識見ともきわめてすぐれた人物です。こんな人を裁判所から追い出すなんて、本当に国家的損失だと実感します。
裁判官が公安によって尾行されていたとか、スパイがいたのではないかという話もあります。私のときにも、司法修習生のなかに明らかにスパイ活動していると確信したことがありました。司法界と公安、スパイというのは切っても切れない関係なんだなと改めて思いました。
貴重な本です。今の裁判所内に気骨ある人が少ないのは、その負の遺産だと思います。私の個人的経験でいうと、騙された奴が悪いなんていう若い裁判官の発想は、その典型の一つだと思います。本人は無自覚なので、始末が悪いです。
(2017年8月刊。500円+税)
9月に入って急に涼しくなりました。右膝が痛かったのも少しおさまりましたので、夏草が庭一面を覆っていましたので、日曜日に雑草とりに精を出しました。頭上でツクツク法師が鳴いて、夏の終わりを告げてくれました。日の沈むのも早くなり、夕方6時半に切り上げ、風呂場に直行しました。
湯あがりに息子が贈ってくれた甲州産の赤ワインを美味しくいただきました。平和なひとときです。

役に立たない読書

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 林  望 、 出版  インターナショナル新書
ほとんど同世代の著者と私は読書に関しては、かなり共通した考えです。
本は買って読むもので、図書館から借りて読むものではない。読んできた本を振り返ることは、自分の人生を振り返ることに他ならない。文学作品を味わう醍醐味の一つは、登場人物の中に自分自身の分身を発見することにある。
自分が読みたい本を読む。これが読書するときの鉄則。そのとき、間口(まぐち)はできるだけ広くしておいたほうがいい。
図書館で借りて読んだ本の知識は、しょせん「借りも物」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んでよかったと感じた本は、座右に備えておくべきだ。
「自腹を切る」ことの対価は、たしかにある。
著者は、自宅の地下に2万冊は入る書庫があるそうです。わが家にも1万冊とは言わない、2万冊近くの本があるように思いますが、最近、少しずつ引き取り手を探して押しつけつつあります。なにしろ、年間500冊以上の本を買って読んでいますので、その行方(所在)は困るばかりなのです。
読書するのには、あらゆる細切れの時間を大切にする必要がある。10分間だけ、別世界を旅する。
まさに、そのとおりです。ですから私は、バス停に立ったら、私のカバンの外側に入れている新書が文庫本を取り出して、立ち読みを始めます。中に入って座れたら(立っていても)ソフトカバーの本を読み出します。ですから、電車の中ではなるべく顔見知りの人と一緒になったり、同席したくはありません。
「我が本」を文字どおり「我が物」にする。これは、借り物ではないのだから、きれいな姿で、次に古本屋に売ろうと思っていないということです。気に入ったらところは折り曲げたり、付箋をつけたり、傍線を引いたり、欄外に注記を書き込んだりする。
書評には、面白くないと思った本は取りあげない。私も同じです。面白くもない本を読み返すほど、私はヒマでありません。何か面白いと思えるところがある本しか、このコーナーで取りあげたことはありません。
日本では昔から識字率も高く、本を読まずにはいられない人が少なくなかった。
滝沢馬琴の本を江戸時代の人々が熱狂していたというのは、現代の私にもよく分かります。ともかく面白いストーリー展開でした。
著者は、漢字仮名まじりの文化が定着している日本では、電子書籍は普及しないと予測しています。紙の本でないと読んだ気がしないというのは、日本語独特の問題があるからだ・・・。日本語は、世界一、同音異義語が多い。多すぎる。
読書には、大きな意味がある。人生は、できるだけ楽しく、豊かに送りたい。豊かに楽しく生きることのヒケツが、すなわち自由な読書だ。それは強制された読書ではない。自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。ただ、それだけのこと・・・。まったく同感です。反語的タイトルの本です。
(2017年4月刊。720円+税)

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