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憲法学からみた最高裁判所裁判官

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 渡辺 康行・木下 智史・尾形 健 、 出版  日本評論社
法律時報の連載が一冊の本にまとめられていますが、田中耕太郎のところを読んで、正直いって、がっかりという以上に、あまりにひどいと、情なく思いました。田中耕太郎という男は(私は、この男を軽蔑していますから、呼び捨てします)、かの砂川事件の裁判で司法の独立をなげ捨て、実質的な裁判当事者であったアメリカに裁判の合議状況の秘密をもらしたうえ、その指示どおりに判決を書きあげたのです。にもかかわらず、評者(尾形健)は、そのことに知ってか知らずか(知らないはずはないでしょう。万一、知らなかったとしたら、学者としてあまりに恥ずかしいことです)。一言も触れず、「不世出の法律家」などと尊称をつけています。読んでいる私のほうが恥ずかしくなりました。やめてください。
私は田中耕太郎という恥ずべき裁判官が日本にいたことは日本の戦後司法の最大の汚点だと考えています。にもかかわらず、タイトルは「不撓の自然法論者」となっているのです。砂川事件判決の裏の事情が判明するまでなら許されたタイトルでしょうが、今では裁判官罷免事由に該当しますし、退職金の返納を命じ、もし肖像画が裁判所に掲げられているのなら、直ちに取り外すべきものです。
私は、このコーナーでは本の非難をしたことがありません(今後もするつもりはありません)が、最高裁判所の裁判官の一人に、法曹界に身を置くものとして絶対に許せない人物を無条件で評価する本を見てしまった以上、書かざるをえませんでした。
この田中耕太郎以外については、私も怒りを静めて読み、大変勉強になりました。
この本のなかで私の印象に残っている最高裁判事としては滝井繁男判事と泉徳治判事です。「過払い」バブルを生んだ滝井判事は、憲法の理念にそっていない法律はもっとあるのではないかと自戒をこめて指摘したとのことです。まったく同感です。
そして、泉徳治判事は、典型的なキャリア裁判官のエリートコースを自ら歩んでいながら、憲法の求める司法の役割を強調しました。このコーナーでも紹介しました『一歩前へ出る司法』には深い感銘を受けました。
最後にもう一回、繰り返します。学者には、最高裁判所のあり方を、もっと端的に遠慮なく批判してほしいと思います。アメリカの指示するとおりに書き上げた判決をあれこれ解釈するだけって、本当にむなしいことではありませんか・・・?
(2017年8月刊。4600円+税)

リストラ中年奮闘記

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 高木 喜久雄 、 出版  あけび書房
団塊世代の元気な老後の過ごし方を実践し、日々のブログで紹介していたのが一冊にまとまっていて、大変面白く、読んでいると身につまされ、また元気も湧いてくる本です。
50歳で宣伝マンがリストラされて庭師へ「華麗に」転身します。そして、地域から求められる庭師と定着しつつも、寄る年波から惜しまれながら引退し、70歳の今ではボランティア三昧の日々を過ごしているのです。
かつては音響メーカーであるパイオニアのサラリーマンとして、宣伝マン一筋。労働組合の役員としても広報担当。宣伝一筋で生きてきた。ところが、50歳になる直前にリストラで退職した。さて何をするか・・・。
著者は技能訓練生として造園科に学ぶことにしました。樹木の名前を覚えなければいけない。絶対に覚えないといけないのが150種類。できたら覚えておけと言われるものまで加えると300種類になる。20~30センチの樹の枝を見て、ぱっと見分けないといけないのです。私も著者のように見分けられるようになりたいです。
庭師としての技術を身につけたかったら、個人の庭を中心にしている会社じゃないとダメ。そんな会社は、せいぜい3~4人ほどじゃないと維持できないので、会社は、みんな小さい。
公共の仕事は、丁寧にやっていると怒られる。いい加減でも良く、とにかく速くやること。
庭師として実践しはじめると毛虫に出逢う。チャドグガは全身がカユミに襲われるので、要注意。
先輩は仕事を教えてくれないので、見て、盗むしかない。しかし、盗むにも、それなりの知識と経験がなければとても理解できない。
植木の剪定には、それをする人の性格があらわれる。剪定すると、切り口に殺菌剤を塗ったほうがいい。剪定のときには木に声をかける。
「ちょっと痛いけど勘弁な」
「痛かったかもしれないけれど、これでお仕舞いだからな」
「どうだい、これで太陽も風も懐まで入るようになっただろう」
私も花に水をやるときには、なるべく声をかけるようにしています。
「きれいに咲いて、見事な花を見せてよね」
モクレンは花が終わると、すぐに来年の花芽をつけるので、花が見苦しくなってきたら、もう剪定すべし。
庭にいると、スズメバチに刺されてしまうことがある。毒を吸い出す道具を携帯しておく。スズメバチは樹液を吸わないと生きていけない。キイロスズメバチは、樹液の代わりに人間がポイ捨てした空き缶の中に残ったジュースを吸って生きている。
弱った樹木には害虫がますますつきやすくなって、悪循環に陥る。
森林を保全し、よみがえらせるボランティア活動にも乗り出します。そして、子どもたちを森へひっぱり出すのです。いいことですよね。幼いときに少しでも自然に触れておくというのは、とても大切なことです。
著者はまた子どもたちへ絵本の読み聞かせをし、紙芝居もしています。まことに芸達者の人ですね。うらやましい限りです。私より2歳だけ年長の人がリストラにあって会社をやめたあと、いかに生きるのかが問われるとき、元気さを保ちながら続けることの大切が実感できます。引き続き、無理なくご健闘ください。
(2016年9月刊。2200円+税)

はじめてのワイナリー

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 蓮見 よしあき 、 出版  左右社
日本産ワインも質が向上しているようですね、ぜひ飲んでみたいものです。
長野県でワインづくりに励んでいる著者の生き生きワインづくり物語です。読むと、ついついワインが欲しくなります。
ちなみに私は、今ではもっぱら赤ワイン党です。白ワインはもらってもすぐに右から左へと知人に譲り、自分では飲みません。赤ワインの香り、そして何より人生の深さを感じさせる深みのある濃い赤色に心が惹かれるのです。
著者は自分が理想とするワインを納得するまでつくってみたりと一人でワイナリーを始めました。すごいことですよね、これって・・・。
2005年に長野県東御(とうみ)市に移住し、自分のブランドでワインを世に送り出すまでに4年の歳月を必要とした。自分のワイナリーを始めるのに必要なことは、気力、体力、持続力、この三つ。決して難しいことではない。この三つさえあれば何とかなる。
ホ、ホントでしょうか・・・。
ワイナリー起業は忍耐強くないとできない。ぶどうの苗木を植えて収穫できるようになるまで最低3年、フル稼働するまで4年はかかる。そこからワインをつくるのに、最低でも1年。つまり、ぶどう苗を植えてからワインをつくり、瓶詰めして販売できるようになり、お金になるまで最低5年はかかる。したがって、ワイナリー起業してから5年間は無収入でも耐えられるだけの蓄えと覚悟がないといけない。野菜とちがって、果樹栽培は長期的スパンで考える必要がある。お金になるまで5年かかるといっても、実は、事業が安定するまでには10年以上かかってしまう。
ワインづくりで一番の楽しみは、実は音。発酵のときに聞こえる音。発酵のチェックをしているときの音が最高。発酵中のワインがシュワシュワと音を立てる。それは、まさしく萌えの瞬間だ。ワインが静かに発酵する音を鑑賞するのが、仕込みの時期の一番の楽しみだ。
日本産ワインは今、出荷量が増えていて、今後10年間で1.8倍に伸びると予測されている。
ところが、日本で国産ワインの消費量は30%。しかし、日本で出来たぶどうでつくったワインとなると、国産ワインの4分の1、全体の7%あまりでしかない。
ワインづくりは夏の暑いときや、冬の寒いときの肉体労働がとりわけ苛酷だ。
そんなワインづくりがたくさんの写真とともに紹介されていますので、ぜひ、どんな味のするワインなのか飲んでみたくなります。
(2017年7月刊。1800円+税)

蔵書一代

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 紀田 順一郎 、 出版  松籟社
すべての愛書家、蔵書家に捧げるとなっていますので、愛書家を自称する私も読まないわけにはいきません。要するに、読んでため込んだ本をどうするのか、ということです。
井上ひさしの蔵書は14万冊。生前から故郷の山形県川西町の図書館に段階的に寄贈していて、「遅筆堂文庫」として残っています。私も一度ぜひ行ってみたいと思っています。
最近亡くなった渡部昇一は巨大な書庫に15万冊を擁していた。書庫の建設費は数億円もの銀行ローン。立花隆は、地下1階地上3階のビルに3万5千冊の蔵書、資料を備えている。私も写真でその光景を見ました。
私は単行本を年間500冊は読んでいますので、弁護士生活40年以上ですから2万冊はあると思います。すでに自宅の子ども部屋は書庫に変身しました。引き取り先を少しずつ開拓しつつあるのですが、容易なことではありません。
1935年生まれの著者は3万冊もの蔵書を一挙に泣く泣く処分したようです。身を切られる辛さだったと言いますが、私にもよく分かります。
出版界のピークは1996年、それ以降は今日まで回復の気配はなく、売上額はピーク時の半分にまで落ち込んでいる。マルチメディア化が急速に進行し、紙の出版物の市場自体を脅かしている。
本は段ボール箱に入れてしまったらダメ。書籍は、所蔵者自身で配架しなければ絶対に役立たない。
まったく同感です。私は高校生のとき以来、本の並べ替えを楽しんできました。今もジャンル毎に本を並べています。背表紙が見えなくなったら、本は無縁の存在と化します。
1万冊をこえる蔵書を維持するには体力が必要。これはまったくそのとおりです。雑誌は基本的に捨てますが、本は原則として捨てることはありません。そして、目の前にいいと思った本を見たら、持てるだけ買います。弁護士として、とくに変な遊びもしませんので、好きな本を買うくらいの贅沢は自分に許しています。
そして、買ったら、なるべく積ん読(つんどく)にならないように心がけています。とは言っても、まずは読みたいものを優先しますから、あと回しになっている本が常時100冊を下ることはありません。
新聞の書評、本の末尾の参考本、関連本、そして本屋での出会い。本を読みはじめたらやめられませんし、読んだ本は捨てられません。これを読んだあなたはいかがですか。そんな簡単に本は捨てられませんよね。
私は読んだ本には赤エンピツで棒線を引っぱっていますし、サインして、読んだ日を記入していますので、一般には売れない本になっています。私にとっては、それでいいのです。それでも、そろそろ元気でなくなり、足腰が不自由になったときのことも考えなければいけません。著者が強調しているようにどこか公共施設で引き取ってくれたら、本当にありがたいです。
(2017年7月刊。1800円+税)

マーシャの日記

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版  新日本出版社
マーシャは、1927年にリトアニアに生まれたユダヤ人。父は弁護士で、ナチス・ドイツと戦った。母と妹・弟はゲットー閉鎖のときに射殺され、マーシャだけ強制収容所に入れられ、苛酷な環境の下で、奇跡的に生きのびました。
14歳から17歳の少女になるまでの3年間、ずっと書いていた日記をもとに当時の状況が刻明に再現されています。
マーシャはあちこち移動させられていますが、日記を持ち歩いていたようです。その意味でも幸運でした。「生きて帰れたら、自分で話そう。帰れなかったら、日記を読んでもらおう」と日記の冒頭に書いています。
マーシャは、非人間的な状況のなかで記録することを使命としてメモを書き続けた。ゲットーで、また強制収容所で。紙と鉛筆を探し、書いたメモを隠し、書けないときには「記憶術」で頭に焼きつけて、記録し続けた。
解放された直後のマーシャの顔写真がありますが、いかにも聡明な美少女です。
マーシャの父親は弁護士として、さらに国際革命運動犠牲者救援会(モップル)に所属して、地下活動をしている共産主義者たちを裁判で弁護していた。
マーシャは、明日死ななければならないと思うと、恐ろしかった。ついこの間まで勉強したり、廊下を走ったり、授業で答えていたのに、突然、もう死ぬなんて、嫌だ。だって、まだ少ししか生きていないのに・・・。それに、誰ともお別れをしていない、パパとさえ・・・。
ユダヤ人はゲットーに入れられた。ゲットーの門の外側には、「注意!ユダヤ人街区。伝染の危険あり。部外者の立入禁止」と大書した看板がある。
第二ゲットーが閉鎖された。そこには9000人がいた。明け方、マーシャたちのいる第一ゲットーの門の近くで、第二ゲットーからはいずって逃げてきた産婦が見つかった。路上で子どもを産み、たどり着けずに死んだのだ。生まれたばかりの女の子はゲットーに運び込まれた。赤ちゃんには、ゲットーチカという名前がつけられた。
ゲットー内でコンサートが開かれていたのに驚きました。劇も上演されていたのです。
やはり、苦しいときでも文化は生きる希望として必要なのですよね。
コーラスもあった。困難なほど、情熱が燃える。オーケストラには団員が集まっている。
ナチスは、女性が化粧品を使うことを禁止し、装飾品をつけてはいけないと命令した。干からびた口紅が路上にあるのを見て、そばにいた女性を殴りつけた。
ユダヤ人警察として熱心にしていた男性が銃殺された。どんなに特権を与えられていても、どんなに熱心に占領軍・ナチスに尽くしても、結局のところ、ユダヤ人共通の運命は避けられなかった。
収容所のなかで、マーシャは幸運にも針を見つけた。ほんものの、ちゃんとした針。拾うためにかがみこんだのを見られて護送兵に殴られたけれどマーシャは平気だった。少なくとも、服をちゃんと繕えるから・・・。
マーシャは木靴をもらうとき、囚人番号5007が受領したと記録される。ここでは、姓も名前もなく、あるのは番号だけ。
この世には、収容所と作業と空腹と、そしてものすごい寒さ以外には存在しない気がする。点呼中に誰かが動いたように思われると、罰として、極寒の中に夜中まで立たされる。
大勢の男性が収容所から連れ去られた。道路や野原の地雷を除去するために。それは、地雷に触れて飛ばされるまで、地雷が埋まっている野原をただ歩かされるということ。
マーシャは、ソ連赤軍により解放されたときには18歳になっていました。そして、マーシャは、戦後になって自分の日記を出版し語り部になったのです。
マーシャは昨年(2016年)に亡くなりました。89歳だったのですから、少女期に苛酷な体験しても長生きできたわけです。
このような体験記は永く読み継がれていく必要があると思いました。戦争の愚かさを知るために。安倍首相のように力づくで北朝鮮をおさえこもうとしても悪い方向に動くだけです。もっと、広い心で対話を試みるしかないと思います。この秋、一読をおすすめします。
(2017年8月刊。2200円+税)

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