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ゾルゲ事件、80年目の真実

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 名越 健郎 、 出版 文春新書
 ロシアの独裁者のようなプーチン大統領は、高校生のころ、「ゾルゲのようなスパイになりたかった」と語ったそうです。
 「20世紀最大のスパイ」とも呼ばれるゾルゲは、石油業を営む裕福なドイツ人の父とロシア人の母の子として、アゼルバイジャンのバクー郊外で生まれた。3歳のとき、一家はドイツに移住した。第一次世界大業ではドイツ陸軍に志願し、戦場で3度も負傷した。
その入院中にマルクス主義に目覚め、ドイツ共産党に入党。ドイツで活動中にコミンテルン本部で働くようにすすめられ、モスクワに移り、ソ連共産に入党した。そして、赤軍参謀本部の情報本部にスカウトされて上海に赴任(1930年)。
 そこで、尾崎秀実(朝日新聞記者)やアグネス・スメドレーらと知りあい情報網を築き、中国共産党との連絡役もつとめた。
 1933年9月、東京に来てドイツの新聞社の特派員を隠れ蓑(みの)として、8年のあいだ活動した。
 1941年10月に摘発され、1944年11月7日、処刑された。検挙されたゾルゲ機関関係者は35人という多数だった。
戦後長くゾルゲの存在は忘れられていたが、今では、ロシアでは英雄として称賛されている。ゾルゲ通りがロシアの50もの都市にあり、モスクワの地下鉄にはゾルゲ駅もある。
 ゾルゲの墓は多摩霊園にあり、ロシア政府の要人が来日したら参拝している。
 当時のソ連にとって、日本軍が北進(ソ連を攻める)するのか南進(東南アジアへの進出)するのかはぜひ知りたいところだった。ゾルゲは、日本の南進政策を知り、ソ連に通報した。それによって、ソ連は極東にいた数十個師団そして数千の戦車を西部戦線に移動させ、対ナチス戦を勝利に導いた。これが「ゾルゲ神話」。
ゾルゲは駐日のドイツ大使オイゲン・オット大使に気に入られ、ドイツ大使館内に部屋まで与えられていたようです。ゾルゲはナチスにも入党しているが、もちろん偽装入党であり、転向したのではない。
 ゾルゲが日本で情報を入手してせっせとモスクワに送っていたとき、ソ連ではスターリンの粛清が猛威を振るっていた。ゾルゲを派遣した上司たちも次々に処刑されていった。そして、ついにゾルゲ自身もドイツのスパイではないかとまで疑われた。そんなゾルゲが送ってきた情報(日本は南進を決定した)をスターリンが信用しなかったという説は信憑性がある。
 スターリンは、ゾルゲが送ってきたドイツのソ連への侵攻が迫っているという情報も無視した。そのため、ソ連の人々は大変な災難を蒙ったわけです。
 それでも、ソ連は結局、日本の北進はないと正しく判断はしたから、ゾルゲの通報はムダにはなりませんでした。ゾルゲ事件を振り返ることができました。
(2024年11月刊。1100円+税)

新型コロナ最前線-自治体職員の証言

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 自治労連編 、 出版 大月書店
 コロナ禍がなくなったわけではありませんが、今ではそれほど騒がれなくなりました。しかし、コロナ禍「騒動」はきちんと振り返り、総括しておく必要があると思います。コロナと同じような感染病はこれからも起こりうると思うからです。
 それにしても、自治体職員は本当に大変だったと思います。自治体職員は多過ぎる、減らせ減らせの大合唱がありました。今でも決してなくなったわけではありません。トランプ政権下でイーロン・マスクが公務員減らしを高言し、どんどん民営化させようとしています。要するに「税金削減」を口実として、自分の商売(利権)を有利にしようというのです。
ところが、日本の郵政民営化と同じで、公務員を削減したら税金が少なくなって自分の生活が少しでも楽になるかのような幻想、錯覚に陥って、人々が拍手するといおう構図です。でも、結局、公務員を削減して苦しむのは私たち庶民なのです。超大金持ちは何ひとつ困りません。
2020年4月から会計年度任用職員制度なるものがスタートしている。非正規公務員のこと。任期は1年で、再任用は原則2回で、最長3年。要するに使い捨て公務員を増やすということです。これでは、職場に必要なベテラン職員が十分に確保できない心配があります。
 この会計年度任用職員はボーナスはもらえるけれど、月額報酬が減らされるので、ボーナスもらっても同額だという仕掛け。ひどい話です。
 地方公務員でも長時間・過密労働の職場が多く、精神疾患による公務災害申請が増えている。20~40歳代が8割近くを占めている。そして、精神疾患による自死が増えている。過労死ラインといわれる月80時間をこえて働かされている職場が依然として少なくない。
 それは、職員数が削減された結果のこと。正規職員は328万2千人(1994年)だったのが、今や273万7千人(2018年)となっている。そして、5人に1人が臨時・非常勤職員だ。
 コロナ禍で、真っ先に過酷な労働を余儀なくされたのが保健所。終電後の帰宅は当たり前。午前3時か4時に帰宅し、シャワーをあび、1~2時間仮眠をとったら出勤。なかには始発電車で帰宅し、仮眠を取る間もなく出勤する保健師もいた。帰ることができず事務所で寝た保健師もいた。終電がなくなったあと、保健所の前にはタクシーが列をつくっていた。保健師は「死ぬか辞めるか」という究極の選択を迫られ、命を守ることを選び、職場を去っていく人がいた。
 陽性者の入院搬送に付き添った保健師は防護服を着るため、トイレにも行けず、朝から水分を制限。暑さのため熱中症や脱水症状にならないかという不安。夜、電話相談の内容が耳元でリフレインして寝つけない…。
 京都市消防局の救急車の出動は例年1日200件台なのが、コロナ禍のときは倍の400件にもなり、大変な状況になった。ところが、京都市は財政危機のため市長が一方的に職員を150人削減し、三交代制を二交代制に切り替えた。職員は過重労働のため、身体がもつか心配せざるをえなくなった。  
保育園では、「保育士1人に子ども30人」という配置基準が戦後70年間そのまま変わっていない。保育所はあっても保育士は足りない。しかも、「特別な配慮を必要とする児童」の割合が増えている。コミュニケーションがうまくとれない子どもには個別に対応するしかないのに、対応しきれない。
 維新の会が府・市政を牛耳っている大阪市では保健所が次々に廃止・統合されてしまった結果、1保健所で、271万5千人を担当することになってしまった。そのため、最悪の結果が出ている。これが、例の「身を切る改革」の実際。しかし、中間層以上の市民は、今なおそのことを自覚することなく、維新の会に拍手している。本当に残念でならない。
自治体職員の悲鳴がほとばしってくる本でした。
(2023年8月刊。1650円)

服罪

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 木原 育子 、 出版 論創社
 人を殺して無期懲役の判決を受け、刑務所生活35年余を経て仮釈放で社会に出てきたとき、何が起き、どう思うのか…。
 私も少し前のことですが、刑務所で20年ほど過ごして出所してきた人から話を聞いたことがあります。バスに乗れなかったそうです。まだバスに車掌さんがいて、切符を売ってくれた時代に事件を起こしたのです。ところが、出所したらワンマンカーしか走っていない。どうやって料金を払うのか分からず、いい大人が、今さら料金の支払い方も訊けず、困ったというのです。今なら、何でもスマホの時代ですから、もっと「今、浦島」の世界になってしまうでしょう。
 さて、無期懲役の判決を受けたらどうなるのか…。
 刑務所に入所するとき、新人訓練を受ける。このとき、多くの時間が「無断」ということへの取り決めにさかれた。無断で行動すること、無断でおしゃべりすること、自席を立つことを含めて、何をするにも許可が必要。自分の意思で行動することは、ほぼ皆無。社会と隔絶された刑務所のなかという別世界では、これまでと真逆といえるほどの厳格なルールがあり、そこに疑問を抱かず順応していくことが求められる。服役するということは、まずこの環境に慣れなければならない。
 たとえば、風呂。冬は週に2回、夏でも週に3回。夏の3日間のうち、2日間は15分間で、1日は10分のみ。ひげそりを含めて10~15分でやって湯舟につかり、身体もしっかり洗うのは、大変なこと。電気カミソリを買うためには、工場で働いた労賃を貯える必要がある。
 工場の作業で優秀な成績を上げて、支給された大福餅の甘さは、この世の幸せが体現されたもののように感じるほど美味しかった。
 刑務所内でもいじめがある。決してあからさまにはやらない。いじめなのか、いじめではないのか、スレスレのレベルで行われるといった巧妙なものが多い。無期懲役の受刑者はいじめのターゲットになる。懲罰の対象になれば仮釈放の機会が遠のいてしまう。なので、無期懲役の受刑者は、ひたすら耐え忍ぶ。
 刑務所の中は、誰かが評価されることが無性に気に入らない。一人だけ、この地獄から抜け出すことは絶対に許さない。巧妙に足を引っぱりあう世界だ。
 刑務所は人間社会の縮図。縛られた生活であるため、人間の醜い部分が、行き場所もなく露骨に出てくる。一般社会だと逃げられるか、刑務所では逃げ場がない。
刑務作業のなかでは、炊事班は最高峰の役務。炊事班には30人ほどいて、朝と昼、夜とローテーションを組む。もちろん包丁や火も扱う。
 仮釈放の前には釈然教育を受ける。35年間の刑務所生活のあとなので、雑居房を出て一軒家のような部屋に入る。
35年間の刑務作業で得た労賃は150万円。年にすると4万5千円。
出所して保護司と一緒にファミリーレストランに入って、ステーキを食べる。ドリンクバーも利用する。何杯でも飲んでいいというシステムが驚きだった。刑務所では、食べる時間も決められていたから、ゆっくり食べていいというのが不思議な感覚…。そうなんですね、あたり前があたり前ではないわけです。
 過去を消したいということにこだわっていくのではなく、過去を生かしていく。そうすることが、被害者への謝罪にもつながるはず…。過去のことは消えないけれど、それでも自分は生きている。生きる自由を手にできている。被害者には、それができない。それが出来る自分との明確な違いがある。
 出所して、仕事が出来ず、ふさぎこんでいた1年余の空白の日々が、自分自身をこえていく時間となり、更生するとはどういうことかを考える時間を与えてくれた。自分の意思をもって実践すると生まれ変わった。
 言葉ってタネだ。植物のタネを地面に埋めるように、せっせと人の心に埋める。それが、それぞれに荷を出して、花を咲かせていく。それでいい。前を向いて生きていく人だ。そう思ったときとか、過去を受け入れ、過去を乗りこえた瞬間だった。これって、なんとなく分かります。
 無期懲役の受刑者が仮釈放されるのは1%にもみたない。無期刑の受刑者は全国で1700人いないが、その平均在所期間は34年ほどだったが、2022年には45年になった。80歳以上が131人、50年以上も刑務所にいる人が10人いる。この10年のうちに受刑者の中の死亡者が260人いる。
 社会復帰するというのが、いかに大変なことかが実感できる本でした。
(2024年10月刊。1980円)

すごいコアラ!

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 平川動物公園 、 出版 新潮社
 鹿児島市にある動物園には現在18頭のコアラがいて、みんな名前がついています。同じような顔と形をしていて、いったいどうやって見分けるのかなと不思議な気になりますが、一頭一頭、食べる好みも違うそうです。
 そういえば、東北の金華山の野生の鹿もずっと観察している人は見ただけで区別できるし、母と子まで見分けられるそうです。コアラだって、じっとじっと見比べていたら、きっと違いが分かるようになるのでしょうね。
 ちなみに、名前は、たとえばツムギ、ユメ、インディコ、スターです。タイヨウ、アラタ、ノゾム。アーチャーもいます。あまり規則性がないように思えますが、本当は何か命名ルールがあるのでしょうか…。
 コアラはオーストラリアの東側に棲み、固有種。毛が灰色の北方系と茶色の南方系がいて、日本にいるコアラのほとんどは北方系コアラ。
コアラは、とても繊細な生き物で、ストレスをためやすいので、飼育員や獣医師のほかは触れないようにしている。
コアラはユーカリを主食としていて、平川動物公園では13種類のユーカリを栽培している。
コアラがどのユーカリを好んで食べるのかは、日によって変わり、飼育員も予測が難しい。コアラは、その大きな鼻で、ユーカリの葉のおいしい。まずい、新しい・古いをかぎわけている。時間をかけて慎重にかぎわける。
ユーカリには毒素がある。コアラが食べても平気なのは、腸内細菌を活用しているため。コアラの盲腸は、体長70センチに対して、2メートルもある。
毒素があり、硬くて繊維も多いユーカリの葉を消化分解するには、たくさんの時間とエネルギーを必要とするので、1日20時間も眠ったり、休んだりしている。
野生のコアラは縄張り意識が強い。そのため、2歳ころから、テリトリーコールという野太い声で鳴く。
コアラを飼育員が抱っこするときは、右腕か左腕か、コアラによって必ず分かれる。どちらの腕でもいいというコアラはまずいない。
なんだか不思議ですね。どうしてなんでしょう。人間の右利き、左利きみたいなものなんですかね…。
ユーカリは大変傷みやすい。コアラには、1日に5~6品種のユーカリを与える。
ユーカリはカビが生えやすい。
コアラは、ユーカリを多いと1日に1キロほど食べる。18頭全部だと、年に34トンを食べる。そのため、ユーカリを動物園の内外40ヶ所のユーカリ圃場で、合計2万本ほど栽培している。
コアラはオスが3歳、メスが2歳で性成熟する。メスの1回の発情期間は10日。オスがメスに対してアプローチするのが大前提。
コアラの赤ちゃんは、体長1~2センチ、体重0.5~1グラムほど。コアラの赤ちゃんが母コアラの袋から出た「出袋日」がある。
赤ちゃんのエサは母コアラのうんち(パップ)。このうんちには、ユーカリの葉っぱを消化するのに欠かせない腸内細菌が含まれている。コアラのうんちは、ほのかにユーカリの香りがして、臭くはない。
コアラの子育て期間は、1年間。1年たつと、子離れ、親離れ。
平川動物園では、この40年間に105頭のコアラを飼育してきました。たいしたものですね。
オーストラリアでは大火災で一度に5万頭のコアラが死んでしまったり、野生のコアラの生息地は減る一方。
たくさんのカラー写真とともに詳しい解説のついた楽しいコアラ観察本です。
(2024年10月刊。1540円)

落語の地図帳

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 飯田 泰子 、 出版 芙蓉書房出版
 江戸切絵図で旅する噺(はなし)の世界。江戸市中が舞台となっている古典落語を地域ごとに紹介している、実に楽しい本です。
 切絵図とは、江戸時代後期大流行した住宅地図のようなもの、町々の様子を知るには格好の材料になっている。
 切絵図は、頻繁に改訂し、絶えず最新情報を提供した。携帯に便利な切絵図は江戸に不案内な者にとっては江戸土産品(みやげ)だった。江戸切絵図は、尾張屋が32種、近江屋が43種を刊行している。
 江戸の町割は平安京を手本とした。1区画は京間(きょうま)で、60間(けん)四方。
 所払(ところばらい)は、居住する町から出て行けというもの。今の感覚では刑事罰とは思えない。
 今の有楽町や新橋駅あたりは、江戸幕府の始まりのころは、まだ東京湾の中にある。
 夏、両国橋で大花火が揚がった。橋の上流が玉屋、下流は鍵屋が陣どって技を競いあった。富裕層は涼み船、そうでない者は橋涼みをした。
馬喰町にある公事宿(くじやど)には、一般客は泊まれない「百姓宿」と、旅の客も利用できた「旅人宿」があった。
「本郷も兼康(かねやす)までは江戸の内」。「兼康」は、今の本郷3丁目にあったようです。
 日本橋通1丁目には白木屋があった。越後屋、大丸屋と並ぶ、呉服の大店。
 切絵図には桜並木もしっかり描かれている。花の時季には、よしず張りの茶店が出て見物客でにぎわった。庶民の人気の筆頭は隅田川堤。
 絵がたくさん紹介されていますので、視覚的に楽しめる本になっています。
(2024年7月刊。2300円+税)

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