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北朝鮮人民の生活

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 伊藤 亜人 、 出版  弘文堂
北朝鮮の民衆の実情を知ることのできる貴重な文献です。脱北者の99編の手記を紹介しながら、詳しく生活全般を解明しています。画期的な本だと思いました。
北朝鮮から脱北してきた人々(脱北者)が、自身の経験を丹念に書きつづった手記を著者が分類し、解説していますので多面的で分かりやすい本になっています。生々しく北朝鮮の社会の断面を伝えてくれます。
北朝鮮社会では、1970年代から農業をはじめとして生産停滞が認められ、1980年代に入ると社会主義の基本ともいえる食糧配給が滞りはじめた。1990年代に入ると、ソ連の体制崩壊をきっかけとして経済危機一挙に現実化し、その後半には「苦難の行軍」と呼ばれるはどの状況となり、国民の10%に達する大量の餓死者を出した。
北朝鮮経済は統計的資料が公表されていない。これだけでも東西ドイツの統合前の格差と比べものにならないほど深刻な経済格差があることは明らかである。
ただ、北朝鮮社会は、常に危機と隣りあわせにあり、人々は食糧不足や配給停止という危機的な状況のなかで生活してきた。危機とは北朝鮮社会に織り込まれた常態と言ってよく、国民に厳しい生活を強いて体制を維持するうえでも、危機感を高揚することは欠かせなかった。
脱北者は、すでに韓国内に3万人をこえ、日本に入国した人も200人はいる。脱北者のなかには韓国での生活への適応に苦労している人もいて、それが北朝鮮にも伝わっていて、どうせなら日本に行ったほうが楽だという考えも広まっているようだ。
北朝鮮には、三大階層という分類がある。核心階層は統治階層で全人口の30%を占める。次に動揺階層は50%を占め、三つ目の敵対階層は20%とされている。
大学に進学するにしても、幹部子女には無試験の特別入学が許可される。
金日成が平壌は国の顔だと強調したことから、障害者のいる家族は平壌には住めず、地方へ追放された。
北朝鮮では、人間にも機関(組織)にも、物品にまで等級をつける。
大学教授は、1級から6級まで。労働者は1級から8級まで。
朝鮮労働党の党員は1990年代で300万人以上、人口の15%を占める。
北朝鮮では、人民班長を冷遇しては無難に生活することができないほど、人民班長は人々の生活に密接な存在だ。人民班長に覚えが良くなければならない。そうでないと、多くの不利益を受けることになる。人民班長に難点があっても、何とか良い関係を維持しようと努力する。一挙一動、あることないことまで、報告され制裁されることになるので、人間関係は十分に気をつけ、うまく保っていく必要がある。
北朝鮮で生きようとすれば、他の人を押し倒してでも無条件に幹部にならなければならない。幹部をしてこそ、食べ物も先に食べて、勲章も先にもらう。
支配階級は、温水施設と水洗便所のある単独住宅や高級アパートに住む。ところが、もっとも条件のよい平壌でも、朝・昼・夕に各1~2時間ずつ、1日に3~6時間しか水道の水が出ない。地方では、日に1~2時間しか水が出ないので、食用水や手洗のために水ガメに貯めておく。大部分の家に浴室はないので、手拭いを水に浸して簡単に身体を拭く。
「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代後半には、市場が急速に膨脹した。このとき、女性は党の指導に耳を貸さず、生活の活路を市場に見いだした。
日本統治下のタノモシが、今も北朝鮮では通用している。韓国の「契」に相当するもので、日本の統治する前から風習としてあった。
北朝鮮では、学校に入ると、盗むことからまず学ぶ。盗みのなかでも、軍隊にするものは、もっとも組織的かつ強引。被害者は泣き寝入りするほかない。兵士だって、食料が優先的に供給されるとはいうものの、飢えているから、食料盗は頻発している。
450頁あまりのすごい本で、圧倒されてしまいました。
(2017年5月刊。5000円+税)

江戸の入札事情

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 戸沢 行夫 、 出版  塙書房
町触(まちぶれ)とは、町奉行から一定範囲の町民に触れ出された法令。現代の条例のようなもの。本書は「江戸町触集成」をもとにして江戸の入札事情を読み解いている。
江戸の元禄・享保期には経済が発展し、経済システムも巨大化、複雑多様化して、武士か町人かにかかわらず金銭の貸借にからむ訴訟、金公事(かねくじ)は増える傾向にあった。これは町触にも反映している。
「相対済(あいたいすま)し令」は享保4年も出され強行されているが、この法令は窮令した旗本や御家人には救済となったが、幕府と町奉行が「相対」を強調することで貸金を踏み倒される町人が続出して混乱した。
江戸では橋の架橋、修繕にからむ工事には巨額の投資が必要であり、大勢の人足や、日用稼(ひようかせぎ)を動員する必要があった。この入札を発注する幕府は応札者とのあいだで「相対」するが、これは談合と表裏の関係にあった。現代日本の大手ゼネコンによる入札がらみの「談合」が相変らず横行しているがこれは、江戸の元禄・享保期にはじまっているとも言える。
江戸時代の木造橋の寿命は、20年ほど、ただ、火災の多い江戸では、焼失による崩落も多く、橋の寿命はもっと短い。さらに、地震や用水害もあって、6年から8年が限度に、毎年の修繕補修も必要だった。かの有名なお江戸・日本橋も、ひんぱんに取り替えられていたというわけです。
それにしても、江戸時代に1日の通行量を調べていたというのに驚きました。しかも、なんと1日5万人も往来していたというのです。
両国橋には、武士を除いて1日3万人の通行者があった。武士を加えると5万人ほどの往来があったことになる。
なぜ通行量調査をしたかというと、両国橋を改架中の仮橋渡銭金額を査定するためです。町奉行配下の2人の道役に交通量調査をさせました。安保2年(1742年)5月12日と5月16日の2日間です。朝6時から夕方6時までの調査でした。
今も、各所でときどき通行量調査をしている人たちを見かけますが、江戸時代も同じようなことをしていたなんて、なんだか信じられません。ちゃんと武士と町人のそれぞれの実数が紹介されています。ほとんど同数だというのにもびっくりです。
隅田川には元禄期に3つの大橋の大規模な架橋修復が行われたが、これは幕府の財政に重い負担だった。18年間で総工事費は1万3115両もかかっている。ほかにも多くの橋があるので、江戸市中の橋工事にはかなり膨大な工費がかさんだと推測できる。なるほど・・・。
江戸時代の生活の断面を知ることができました。
                     (2009年3月刊。特価700円)

不死身の特攻兵

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  鴻上 尚史 、 出版  講談社現代新書
 1944年11月の第1回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に「必ず死んでこい」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた。とても信じられない実話です。
 しかも、この本の主人公の佐々木友次さんは、戦後の日本で長生きされて、2016年2月に92歳で亡くなられたのです。佐々木さんは北海道出身で、札幌の病院での死亡でした。
佐々木さんは、航空機乗員養成隊の出身ですが、同期の一人に日本航空のパイロットになり、よど号ハイジャック事件のときの石田真二機長がいます。
日本軍の飛行機がアメリカ軍の艦船に体当たりしても、卵をコンクリートにたたきつけるようなもの。卵はこわれるけれど、コンクリートは汚れるだけ。というのも、飛行機は身軽にするために軽金属を使って作られる。これに対して空母の甲板は鋼鉄。アメリカ艦船の装甲甲板を貫くには、800キロの撤甲爆弾を高度3千メートルで投下する必要があった。日本軍の飛行機が急降下したくらいでは、とても貫通するだけの落下速度にはならない。
 日本軍のトップは「一機一艦」を目標として体当たりすると豪語した。しかし、現実には、艦船を爆撃で沈めるのは、とても難しいことだった。
 陸軍参謀本部は、なにがなんでも1回目の体当たり攻撃を成功させる必要があった。そのために、技術優秀なパイロットたちを選んで特攻隊員に仕立あげた。
 参謀本部は、爆弾を飛行機にしばりつけた。もし、操縦者が「卑怯未練」な気持ちになっても、爆弾を落とせず、体当たりするしかないように改装した。 これは操縦者を人間とは思わない冷酷無比であり、作戦にもなっていない作戦である。
司令官は死地に赴く特攻隊員に対して、きみたちだけを体当たりさせて死なせることはない、最後の一機には、この自分が乗って体当たりする決心だと言い切った。ところが実際には、早々に台湾を経由して日本本土へ帰っていった。
 佐々木さんは、上官に向かってこう言った。
「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」
生きて帰ってきた佐々木さんに対して、司令官は次のように激しく罵倒した。
「貴様、それほど命が惜しいのか、腰抜けめ!」
佐々木さんが特攻に行ったとき、まさか生きて還ってくるとは思わなかったので、陸軍は戦死扱いした。それで故郷では葬式がおこなわれ、その位牌に供物をささげられた。そこで、佐々木さんは故郷の親に手紙を書くとき、死んでないとは書けないので、生きているとも書けなかったから、マニラに行って春が来たと書いた。
 特攻兵の置かれた状況、そして日本軍の無謀かつ人命軽視の体質が実感として分かる本でした。
(2017年11月刊。880円+税)

憲法の無意識

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 柄谷 行人 、 出版  岩波新書
とてもユニークな憲法9条論です。ええっ、こんな観点で考えることもできるのか・・・、と驚きました。
9条は、むしろ「無意識」の問題。保守派の60年以上にわたる努力は徒労に終わった。
9条は 憲派によって守られているのではない。その逆で、護憲派こそ憲法9条によって守られている。
9条は明らかに占領軍の強制のよるもの。しかし、憲法9条が強制されたものだということと、日本人がそれを自主的に受け入れたこととは、矛盾しない。
憲法9条は自発的な意思によって出来たのではない。外部からの押しつけによるもの。しかし、だからこそ、それはその後に、深く定着した。もし、人々の「意識」あるいは「自由意思」によるのであれば、成立しなかったし、たとえ成立してもとうに廃棄されていただろう。
マッカーサーの意図は、天皇制を維持することにあった。戦争放棄は、そのことについて国際世論を説得するために必要な手段であった。しかも戦争放棄は、マッカーサーよりも、むしろ日本の幣原首相の「理想」だった。
昭和天皇の関心は、何より皇室の維持にあった。そのためには、忠臣だった東條英機を非難し責任転嫁も辞さなかった。昭和天皇にとって、次に重要だったのは、日本の安全保障。そのため、米軍による防衛をマッカーサーに求めた。
憲法1条と9条とは密接につながっている。9条を守ることが1条を守ることになる。
9条における戦争の放棄は、国階社会に向けられた「贈与」なのだ。贈与によって無力になるわけではない。その逆に、贈与の力というものを得る。日本が憲法9条を文字どおりに実行に移すことは、自衛権の単なる放棄ではなく、「贈与」となる。そして、この純粋贈与には力がある。その力は、どんな軍事力や金の力よりも強い。
新自由主義とは、それまでの自由主義の延長上にあるのではなく、その否を。新自由主義は新帝国主義と呼ぶべきもの。
日本がなすべきであり、かつ、なしうる唯一のことは、憲法9条を文字どおり実行すること。私たちは、憲法9条によってこそ、戦争からまもられる。思想的リアリストは、憲法9条があるために自国をまもることが出来ないというが、そんなことは決してない。
「無意識の力」、「贈与の力」というものに気づかされました。小宮弁護士(飯塚市)から強くすすめられて読みました。なるほど、目新しい視点から9条の意義を改めて考えさせられる本でした。あなたも、ぜひご一読ください。
(2016年7月刊。760円+税)

ビキナーズ・ドラッグ

カテゴリー:社会

著者 喜多 喜久 、 出版  講談社
製薬会社で、新薬をつくり出す過程が面白く展開していきます。珍しい病気の症状とそれに合う新薬の化学式がいかにも詳しく、ありそうに思えます。ですから、こりゃあ取材が大変だったろうなと思って読み終わり、著者の略歴を知ってナットクしました。
著者は、なんと東大の薬学系大学院を終えて、大手製薬会社に研究員として勤めていたようです。なるほど、道理で製薬会社内の動きが真に迫っているわけです。
要するに、製薬会社は絶えず新薬を開発して成績をあげていく必要があるのです。しかし、新薬をつくり出すのは簡単なことではありません。人間とお金を投入しても、必ず成果を上げられるという保証は何もありません。たいていの新薬創生への取り組みは、結局のところ失敗してしまうのです。
営利会社として先行投資にも限度があります。しかし、たまには採算を度外視して冒険に乗り出さないと会社に勢いがなくなり、ついには事業の存在自体が危うくなってしまいます。その前に優秀な社員から、いち早く逃げ出していくのです。
新薬開発という、なじみの薄い分野で、読み手をハラハラドキドキさせながら、ひっぱっていく筆力はたいしたものです。民事裁判の前後と、わずかな待ち時間まで本を開いて読みふけってしまいました。
(2017年12月刊。1500円+税)

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