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天文館強姦えん罪事件報告書

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 伊藤 俊介 ・ 西田 隆二 ・ 野平 康博ほか 、 非売品
天文館事件が福岡高裁高崎支部で無罪判決が出て、検察官の控訴がなく確定したあと、控訴審弁護団がその教訓を座談会を通じて明らかにしたものです。私はゴールデンウィーク中は自宅に籠っていましたので、一気に読了しました。
控訴審(裁判長・岡田信、増尾崇・安部利幸裁判官)の無罪判決は30頁もあって詳細をきわめていて、読むとなるほどと説得力があります。それにひきかえ、一審で有罪とした判決文は9頁しかなく、拙劣としか言いようがありません(裁判長・安永武央、植田類・竹中輝順裁判官)。この3人の裁判官の名前はしっかり記憶しておくことにします。
一審判決は「典型的な路上強姦の事案」だとしながら、しかも路上に2回も倒されたという被害女性の着衣にも人体にも何ら損傷がなかったことを検察官も認めているのに、「客観的事実と矛盾」しないとしているのです。でも、まあ、これは許される事実認定の幅なのかもしれません。さらに重大なのは、路上での強姦行為が「45秒間」で成立したかのような事実認定をしたり、行動手順の時間経過を裁判所が勝手に入れかえたうえで「客観的に不可能」とまでは言えないとしているのです。そして、きわめつけは、被害女性から検出された精液が被告人のものとは認められていないのに、被告人を強姦罪で有罪としたのです。信じられません。開いた口がふさがりませんでした。
この点、控訴審はあらためてDNA鑑定をした結果、被告人とは別の男性の精子が検出され、被告人のものは検出されていないとしています。そして、これは、警察の鑑定結果が被告人のものではなかったことから、虚偽の報告をしてごまかしたのではないかと指摘しています。モリ・カケ事案においてアベ政権がやったことと同じですね。権力(警察と検察庁)がウソとごまかしをしてはいけません。
控訴審判決は精子のDNA鑑定で被告人のものが検出されなかったので、それだけで無罪にできるところを、前述したように、さらに他の論点まで触れて、被告人の無実を完璧に明らかにしています。ついでに、和久本圭介検察官(この人の名前も覚えておきます)が、こっそり鑑定したことを厳しく弾劾しています。
弁護団の座談会は47頁もあり、やや未整理で冗長なところもありますが、それだけに臨場感をもって苦労話を追体験できます。
そもそも鹿児島一の繁華街である天文館で、たとえ夜中の2時であり、裏の路地であっても、路上強姦が果たして可能なものなのか・・・。弁護士たちはその時間に現場に立ってみます。そして、街頭や店舗の監視カメラの映像を求めて聞き込みに歩くのです。なるほど、弁護人の無罪立証のためにはそこまでしなくてはいけないのですね・・・。今村核弁護士をテーマとしたNHKの「ブレイブ」を思い出しました。
それにしても、逮捕されてから保釈が認められるまで、被告人が2年4ヶ月も拘留されていたというのは裁判所は本当はひどいです。DNA鑑定で被告人とは別の男性の精子が出たことが分かってからかのことです。いま、モリトモ事件でカゴイケ夫妻が半年以上も拘置所に入れられています。逃亡も証拠隠滅もまったく心配ないのに、裁判所が保釈を認めないのです。人質司法というより、政治におもねる裁判所を許せません。広島で民商の女性事務局員が否認したら1年以上も拘留されていたことがありました。裁判所は、自分の頭で考えるべきですし、過ちを素直に認めるべきだと思います。本件で一審の安永武央裁判官たちは無罪確定のあと少しは反省しているのでしょうか・・・。
裁判所に青法協会員がいなくなり、裁判官懇話会が消滅してしまって久しくなります。真面目な裁判官は、どうやって励ましあっているのでしょうか・・・。大いに心配です。
いい冊子でした。DNA鑑定の実際を知ることができるなど、実務的にも大変勉強になる報告書です。弁護士のみなさん、ぜひ手にとって読んでみてください。
(2018年4月刊。無料)

北朝鮮は「悪」じゃない

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 鈴木 衛士 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書
文大統領と金委員長の会議が実現し、板門店宣言が発表されたことを私は心から歓迎します。何がうれしいかって、戦争の危険がひとまずなくなったことです。朝鮮半島で戦争が始まれば、ソウルが火の海になるだけではなく、日本列島だって壊滅し、どこにも住むところがなくなるでしょう。50ケ所以上の原発をかかえた日本列島は人質をとられているも同然なのです。にもかかわらず、これまでアベ政権は「圧力強化」一点張りできました。対話のための対話なんて無力だと言うだけでしたから、無責任きわまりありません。今回の米朝そして南北対話の前進のなかで、アベ政権(日本政府)は、まったくカヤの外、相手にされていませんでした。情けない限りです。こんな首相をもって恥ずかしいです。
この本は、アベ政権による「Jアラート」について、厳しく批判しています。まったく、同感です。この本の著者はついこのあいだまで航空自衛隊の情報幹部をつとめていましたので、その体験をふまえていますから、説得力があります。
「Jアラート」は、国民に誤った情報を流したことになる。実際に被害を受ける恐れがないに等しいにもかかわらず、交通機関を停止したり、市民に避難を求めたりして社会生活に支障を及ぼすような過剰な対応をとることは、国家の自損につながる。
政府による不正確な警報によって国民は北朝鮮に対する恐怖心や敵愾(てきがい)心をあおられ、このような民意に突き上げられた政府は冷静な外交・軍事判断ができなくなる可能性がある。
北朝鮮が敵愾心をあらわしているのはアメリカであって、日本ではない。なのに、Jアラートのような過剰反応、これに同調して敵愾心や恐怖心をあおるマスコミの報道姿勢は、正しくないだけでなく、国と国民に対して大きな悪影響を及ぼす。マッチポンプでの失敗につながり、対話によって平和的に解決するとい外交の機会を逃してしまう心配がある。
この本にも、北朝鮮がもし日本を狙ってミサイルを打ち込んだら、5回に1回はあたる可能性があるとしています。初めの1回は威嚇として山中に落ちるかもしれませんが、万が一、原発に命中したら日本列島は死の列島と化してしまいます。イージス・アショアなんて無用の長物、アメリカの軍需産業に日本人の貴重な税金をムダづかいするだけです。そんなことを専門家は承知のうえで、「北朝鮮脅威」論を無責任にあおってきました。罪深い人たちです。でも、彼らは利得のために無責任にあおっているのです。私たち国民は、もう目を覚ましましょう。
これは、何も北朝鮮の金正恩を助けようというのではありません。朝鮮半島で戦争がないこと、そして核兵器をなくしていくこと、これって大賛成じゃありませんか。板門店宣言をどうやって現実のものにするのか、どうしたらよいのか、そこに知恵を工夫しぼるべきです。
金正恩にだまされるな、そう叫んでいるだけでは何も解決しません。まさに、タイムリーな新書だと思いました。
(2017年12月刊。800円+税)

広告が憲法を殺す日

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 本間 龍 ・ 南部 義典 、 出版  集英社新書
あの過労自殺に追い込んだ電通がテレビ業界を牛耳ったままというのは、なんとも歯がゆい限りです。7000人の社員をかかえる電通は日本のナンバーワン企業で、2位の博報堂をまったく寄せつけないようです。そして、この電通がアベ自民党を支えているのです。お金があれば、世の中をうまく操作していけることの見本が電通です。しかし、そのお金の出所は私たちの血と汗の結晶たる税金なのです。それを電通が思うままにあやつっているなんて、くやしい限りじゃありませんか・・・。
憲法改正が国家で発議されると国民投票にかけられます。民意を反映できるから国民投票ってスバラシイ!と感嘆したいところですが、この国民投票をもっと有効活用したのが、例のヒットラー・ナチスなのです。これでは、少々まじめに考えざるをえませんよね。投票所に行かないなんて、自分で、自分の首を絞めているようなものです。問題は、この国民投票に至るまでの過程です。アベ自民党は争点を徹底して隠し、国民のなかでまともな安保政策論議をさせませんでした。
国民投票制度については、巨大マスコミによるテレビ等の報道まで制限されたとしても、投票日の15日前までのCMは自由。投票日から14日間に禁止されているのは「国民投票運動のため」に行うCMだけで、「私は賛成します」といった自分の意思を主張するだけの、勧誘の要素をふくまないものは対象にならないのです。つまり、自由にできる。お金があれば、好きなだけCM放送できる。
では、一切禁止したらいいか、そうはいきません。言論・表現の自由が規制されますし、警察がのさばって社会が委縮してしまいます。
賛成と反対を平等・公平に放映させたらいいじゃないか。これも口で言うのは簡単ですが、誰がどうやって公平に運用できるでしょうか。全面賛成、一部賛成・反対、全部反対、いろいろバリエーションがあるのです。では、まったく規制しないでいいのか・・・、悩ましいところです。しかし、テレビ放送を電通が牛耳っている現実を知らないで、規制のあり方を語ることは許されません。
(2018年4月22日刊。720円+税)

ゴリラと学ぶ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  山極 寿一 ・ 蒲田 浩毅 、 出版  ミネルヴァ書房
知的刺激にみちあふれた面白い本です。ワクワクドキドキしながら、一気に読み終えました。
屋久島のサルの世界に入り浸り、ゴリラの森へ入っていく霊長類学研究者は今や京都大学の総長です。自薦でなったのではなく、むしろ後輩たちは総長にならないよう落選運動まで起きたのに当選してしまったというのですから、京大人の懐の深さはたいしたものです。京大の入学式(卒業式)での総長挨拶も読みましたが、社会との関わりで生き方を考えてほしいという格調の高さにはまさしく、脱帽しました。
昆虫採集は、殺して標本にするから嫌いだ。高校まで塾に行ったことはない。小学校では野球ばっかりしていた。公立中学校に行き、日記少年だった。成績は中の上、4と5が半々くらい。高校は都立の国立(くにたち)高校。大した受験勉強もせずに入った。京大入試では、数学・物理は大好きだったけれど、生物は得意でなく、入試科目でもなかった。京大に行ったのは、東京を離れたいという動機から。私自身は東京に行きたかったのでした。
大学ではフランス語を勉強し、ロシア語はなんとか単位をとったくらい。
野生のサルを観察した。感情をこめて同化しないとサルの顔は覚えられない。サルの顔が夢に出てくるようになったら大丈夫。
京大の良き伝統は、「あ、それオモシロイなあ、ほな、やってみなはれ」というもの。
屋久島ではサルが自然状態で暮らしている。それでサルの社会生活をじっくり観察した。
著者の新婚旅行はアフリカのナイロビへの旅です。これまたすごいですね。新婦の勇気に圧倒されます。
著者はケータイをもっていない。スマホも使わない。人に使われるのが嫌いだから。この点は、不肖、私と同じです。大学者と同じだと知って、うれしくなりました。
睡眠は8時間。寝ないとダメ。これも私と共通しています。ただし、著者は強烈な酒豪ですから、そこがまったく違います。
京大理学部は、学生に教授を先生と呼ばせない。あくまで「さん」。これはすばらしい。私も新しい弁護士仲間は「さん」と呼びますが、少し離れた関係だと無難に「先生」と呼びます。もう一つの本当の理由は、名前が出てこないことがしばしばあるからです。
著者は1980年6月にアフリカで有名なダイアン・フォッシーと会った。そのとき、ゴリラの挨拶音を出すよう求められた。
ゴリラの社会は、互いに見つめあうことを相手に求める。これは、サルやチンパンジーではありえないこと。
ゴリラは「凶暴な野獣」という誤ったレッテルが貼られている。しかし、本当は争わないのがゴリラ。むしろ平和好き。胸を叩くドラミングは、宣戦布告ではなく、お互いに離れて対等に共存しましょうと呼びかけているもの。
ゴリラは子育てをバトンタッチする。乳離れするまでは母親が、乳離れしたらオスが子どもを育てる。それが父親になること。
ゴリラの赤ちゃんは泣かない。なぜなら、ずっと母親に抱かれているから。ところが、人間の赤ちゃんは母親からときどき離されるので、泣いて自己主張をしなければいけない。
味わい深い本です。一読の価値が大いにあります。
(2018年2月刊。2200円+税)
連休中、例によって近くの小山にのぼった。雨上がりなので、斜面がすべりやすくて危ないかと心配したが、それほどでもなかった。かえって、みずみずしい青葉若葉のなかを歩けて気分良かった。途中で出会った農作業中の女性から蛇に気を付けてがんばってねと声をかけられたが、幸い蛇に遭遇することはなかった。久しぶりの山道だが、なんとかへたばることなく1時間ほどで338メートルの山頂にたどり着いた。珍しく子どもたちがいる。近ごろは野山をハイキングしているのは単独行のおじさんか、元気なおばさんばかり。ところが今回は若い女性2人組も歩いていた。
山頂そばの見晴らしのいいところにあるベンチに腰かけてお弁当開き。360度パノラマのように、有明海、雲仙岳そして青い空に白い小さな雲が千切れながらゆっくり漂っている。
ウグイスの鳴き声を聞き、緑したたるそよ風に頬をなでられながら梅干したっぷりのおにぎりをほおばる。至福のひととき。紅茶でノドをうるおしたあと、ベンチに横になり、下界のレジャー施設の渋滞を想像しながら昼寝をしばし楽しむ。赤紫のアザミがあちこちに咲いている。
ゴールデンウィークが過ぎると、2月にはじまった花粉症ともついにおさらば出来る。庭にはジャーマンアイリスに続いて黄しょうぶ。そしてアスパラガスが毎日のように採れて食卓にのぼり、ジャガイモの花が咲いているので、梅雨に入る前には収穫できる。待ち遠しい。やがて、ホタルが近くの小川で飛びかう。
庭の梅の実をちぎり、大きなザルに3枚もとれた。梅酒の材料を今年も確保できた。
風薫る五月は生命の息吹きをしっかり感じさせ、楽しませてくれる。ありがたい、感謝の日々を過ごしている。

絶景本棚

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 本の雑誌社編集部 、 出版  本の雑誌社
愛読家にとって蔵書の収納場所をいかに確保するか、常に頭を悩ます大問題です。必ずしも世に広く知られた有名人だけではありませんが、本のコレクターとして書斎に何万冊も並べている光景が1冊の写真集になっています。
私も60歳台の前半までは、「本は一冊だって捨てられない」と高言していました。雑誌は捨てても単行本は捨てることができなかったのです。
しかし、60歳台も後半になって一大心境の変化が生まれ、まず、今後もう読むことはないと思う本を書斎から抜き出し、私の関係する団体の事務所に本棚ごと贈呈し、移動させました。それでもまだまだ本はあります。次に、主として警察小説と中心とする推理小説を知人の市会議員の個人事務所にそっくり寄贈しました。推理小説を2度読み返すことは、まずありませんので、読み手のいそうなところに引き取ってもらって、本のリユースを願ったのです。そして今、資料価値がなくなっていて、保存しておくことのないと思った本を大胆に捨てています。
私はこの20年ほど、毎年500冊の単行本を読了しています。買ったけれど読んでいない本が何冊かあります。ちなみに、私は本は買います。読んで光るところは赤エンピツで棒線を引きます。弁護士生活も40年以上となっていますので、私の所有する本は単純に数えても2万冊を下回ることは考えられません。自宅も事務所も本であふれています。
本は段ボールに入れてしまったら終わりです。死蔵ということは使わないことと同義。やはり、背表紙を見えるようにして、すぐにも手に取れるようにしておく必要があります。
この本に出てくる書斎は、本の高さと形に応じて、みんな苦労していることがよく分かります。私の事務所にはスライド式書棚がありますが、これは本の保管としては適さないと考えています。
本は背表紙を読んで、「えっ、こんなところにいたの・・・。」というつぶやきとともに、すぐに手を伸ばして胸にかかえこむべきものです。今度、そのうち買って読もう、なんて考えていても、そんなことはついつい、すぐに忘れ去ってしまいます。今、ここでの出会いを大切にして、フィーリングで購入することを表明して、いい本(いい書斎)にめぐりあえたことを高く評価します。ありがとうございました。
(2018年3月刊。2300円+税)

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