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風は西から

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 村山 由佳 、 出版  幻冬舎
巻末の参考文献の一つに『検証ワタミ過労自殺』(岩波書店)があげられていますので、ワタミが経営する居酒屋の店長が過労自殺をしたことをモデルとした小説だと推察しました。
それにしても、過労自殺する人の心理描写はすごいです。驚嘆してしまいました。
なるほど、責任感の強い真面目な若者が、こうやって自分を追い込んでいくんだろうな、辛かっただろうな・・・と、その心理状況は涙なくしては読めませんでした。
でも、この本に救いがあるのは、彼の両親と彼女が全国的に有名な居酒屋チェーンに立ち向かい、苦労して過労自殺に至る経過を少しずつ明らかにしていき、労災認定を勝ちとり、ついには社長に謝罪させ、相応の賠償金も得た経緯も同時に明らかにされていることです。そして、その勝利には我らが弁護士も大いに貢献しているのでした。世の中には、苦労しても報われないことも多いのが現実ですが、苦労は、やはり報われてほしいものです。
辞めていった店員を店長が率先して悪く言う。完全な人格否定だ。なぜ、そうするか。必要だからやる。辞めていった奴を、今いる人間にうらやましいとか賢いと思わせたら終わり。みんな、後に続いて辞めていき、使える奴なんて誰もいなくなってしまう。だから、残ってる奴に、辞めることは無責任で、はた迷惑で、最低最悪の選択だってことをとことん刷り込んでおく。そして、たまに、おごってやって誰かの悪口を言わせると、いい具合のガス抜きにもなるし・・・。なーるほど、そういうことなんですね。
テンプク。店長が全体のコントロールを誤って赤字を出してしまうこと。
ドッグ。毎週土曜日の本社での定例役員会議に店長が呼び出されること。役員の前で、なぜテンプクしたのか報告する。中身は、吊るし上げ。言葉のリンチ。どれだけ説明しても、まともに聞き届けてもらえない。何を言っても、店長としての自覚や努力が足りないことにされてしまう。揚げ足をとられたり、あからさまに挑発されたり・・・。
土曜日の朝のドッグ入り。土・日は忙しい。下準備が必要。少しでも寝ていたい。それが分かって呼びつける。こんなに不名誉で、面倒で、体力的にもとことんきつい日に二度とあいたくなければ、自分の無様なテンプクぶりを反省しろってこと。つまりは、見せしめ。
「正確なデータもなしに、なんでもいいから成績を上げろなどという無茶は言っていない。常識的なラインに、あと少しの挑戦や努力があれば達成できる範囲のプラスアルファを加味して、無理なく設定された売上目標・・・。要するに、会社が店長に望むのは、ある程度の強固な意志さえあれば、今後実現可能な目標を、毎日、着実にクリアすることだけ。じつに簡単なことだ」
このように理詰めで言われるのです。店長は売上が良くないときには、人件費を減らすため、パートを早く帰らせ、自分のタイムカードを早く帰ったようにして、実際には店に泊まりこんでしまうのです。
安倍政権の「働きかた改革」というのは、結局のところ、このような過労自殺を助長するだけだという批判はあたっているとしか言いようがありません。
「カローシ」が世界で通用するなんて、不名誉なこと、恥だと日本人は自覚しなくてはいけません。
(2018年3月刊。1600円+税)

雪ぐ人

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 佐々木 健一 、 出版  NHK出版
「雪ぐ」とは、冤罪をそそぐ(晴らす)という意味です。なかなか読めませんよね。
NHK特集番組「ブレイブ-勇敢なる者」(えん罪弁護士)が本になりました。東京の今村核弁護士が主人公です。なにしろ既に無罪判決を14件も獲得しているというのですから、すごいです。そして、それに至る努力がまさしく超人的で、ちょっと真似できそうもありません。
この本を読むと、それにしても裁判官はひどいとつくづく思います。頭から被告人は有罪と決めつけていて、弁護人が合理的疑いを提起したくらいでは、その「確信」はびくともしないのです。
そして、若いころには青法協会員だったり謙虚だった裁判官が、いつのまにか権力にすり寄ってしまっているという実例が示され、悲しくなってしまいます。
この本では、NHKテレビで放映されなかった父親との葛藤、東大でのセツルメント活動などにも触れられていて、等身大の今村弁護士がその悩みとともに紹介されています。そうか、そうなのか、決してスーパーマンのような、悩みのない弁護士ではないんだと知ることができて、少しばかり安心もします。
えん罪弁護士は、たとえ人権派弁護士であっても軽々しくは手が出せない領域だ。
本気で有罪率99.9%と対峙し続けると、その先には破滅しかない。
では、なぜ今村弁護士はえん罪弁護士を続けるのか。
それは、生きている理由、そのものだから・・・。
ちなみに私は、弁護士生活45年で無罪判決をとったのは2件だけです。1件は公選法違反事件でした。演説会の案内ビラを商店街で声をかけながら配布したのが戸別訪問禁止にあたるというのです。一審の福岡地裁柳川支部(平湯真人裁判官)は、そんなことを処罰する公選法のほうが憲法違反なのだから罪とならないとしました。画期的な違憲無罪判決です。当然の常識的判断だと今でも私は考えていますが、残念なことに福岡高裁で逆転有罪となり、最高裁も上告棄却でした。もう一件は恐喝罪でした。「被害者」の証言があまりにも変転して(少なくとも3回の公判で「被害者」を延々と尋問した記憶です)、裁判所は「被害者」の証言は信用できないとして無罪判決を出しました。検事は控訴せずに(とても控訴できなかったと思います)確定しました。
いやはや、無罪判決を裁判官にまかせるというのは本当に大変なことなのです。それを14件もとったというのは、信じられない偉業です。
犯行していない無実の人が「犯行を自白する」。なぜ、そんな一見すると馬鹿げた、信じられないことが起きるのか・・・。
社会との交通を遮断された密室で孤独なまま長い時間、尋問を受ける。そのなかで、自白しないで貫き通すのは非常に難しい。とにかく、その場の圧力から逃げたい。なんでもいいから、ここから自由になりたいという心理が強くなる。取調にあたった警察官のほうは、やっていない人を無理矢理に自白させているという自覚はない。「やっている」と思っている。根拠はないけれど、犯人だと思い込んでいる。警察は、全部、容疑者に言わせようとする。そうやって、正解を全部、暗記させたいわけ。
「放火」事件では、消防研究所で火災実験までします。当然、費用がかかります。200万円ほどかかったようです。普通なら二の足を踏むところを、日本国民救援会の力も借りて、カンパを募るのです。すごい力です。
そして、今村弁護士は鑑定人獲得に力を発揮します。迫力というか、人徳というか、並みの力ではありません。
ところで、えん罪事件で無罪を勝ちとった元「被告人」が幸せになれたのか・・・。
テレビ番組で紹介された「放火」事件も「痴漢」事件も、元「被告人」には取材できなかったとのことです。「放火」事件では、夫の無実を晴らすためにがんばった妻だったけれど、結局、離婚したといいます。
この番組ではありませんが、関西で起きたコンビニ強盗事件で無罪を勝ち取った若者(ミュージシャン)は顔を出して警察の捜査でひどさを訴えていましたが、そのほうが例外的なのですよね・・・。
この本は、自由法曹団の元団長だった故・上田誠吉弁護士に少しだけ触れています。私が弁護士になったころの団長で、まさしく「ミスター自由法曹団」でした。上田弁護士は今村弁護士に対して、「被告人にとっては、疑わしきは被告人の利益に、という言葉はない」と言った。弁護側が積極的に無罪を立証していく。これしかないというのが自由法曹団の弁護士だ。
ホント、私もそう思います。これは、もちろん法の建て前とは違います。でも、これが司法の現実なんです。したがって、弁護人は被告人と一緒になって死物狂いで積極的に無罪を立証していくしかありません。
私には今村弁護士とは大学時代にセツルメント活動に打ち込んだという一点で共通項があります。
テレビで特集番組をみた人も、みてない人も、この本をぜひ手にとって刑事司法の現実の厳しさをじっくり体感してほしいと思います。
(2018年6月刊。1500円+税)

1937年の日本人

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版  朝日新聞出版
15年戦争とも言われていますが、一般には、1937年7月7日に中国の北京郊外で起きた蘆溝橋事件をきっかけとして日本は日中戦争に突入していったのでした。
北支事変、のちの支那事変の始まりです。事変とは戦争のことなのですが、宣戦布告されていないので、事変とごまかしたのです。
それは、ある日、突然に「平和の時代」から「戦争の時代」に激変したというものではなかった。むしろ、ゆるやかなグラデーションのような形で、人々の生活は少しずつ、戦争という特別なものに染まっていった。
この本は、少しずつ戦争への道に突きすすんでいった戦前の日本の状況を浮きぼりにしています。
2・26の起きた1936年は、国民が既成政党へ強い不信を抱き、また、軍部が政治的発言力を増大させていた。軍部は、軍事予算を拡張したいという思惑のもとで、「非常時」とか「準戦時」、「国難」というコトバで国民の危機感を煽るべく多用していた。
満州事変の1931年度の決算と、1937年度の予算を比較すると、予算総額は倍加し、陸海軍省費は3倍となった。
1937年5月、日本帝国政府としては支那に対し、侵略的な意図などないと発表した。そして、1940年に東京オリンピックの開催に向けて準備がすすんでいた。
北支事変において、紛争の原因は、あくまで中国側にあり、日本軍の対応は受け身であると日本側は発表した。
1937年の時点で、中国にいる日本人居留民は7万4千人。上海に2万6千人、青島の1万3千人。天津の1万1千人。北京は4千人でしかなかった。
中国の民衆からすると、日本軍はなにかと理由をつけては自国の領土に勝手に入りこんでくる外国軍だった。日本軍が「自衛」という名目で繰り返し行っている武力行使は、中国市民の目には「侵略」だった。
日本の財界人は、「北支事変」を、まさに天佑である」と信じ込んだ。
先の見通しが立たないまま拡大の一途をたどる日中戦争の長期化は、「挙国一致」という立派な大義名分の影で、じわじわと国民の生活を圧迫していった。
盧溝橋事件から、わずか3ヶ月で1万人ほどの日本軍が戦死した。おそるべき数字だ。中国側の死傷者数は42万人に達した。
1937年12月に検挙された人民戦線事件は、日本ですでに少数派になっていた政府批判者に決定的な打撃を与えた。戦争に反対したり、疑問を表明するものは、自動的に「国家への反逆者」とみなされ、社会的制裁の対象となった。
こうやって戦前の動きを振り返ってみると、まさしくアベ政権は日本の戦前の過ちを繰り返しつつあることがよく分かります。
(2018年4月刊。1800円+税)

新たな弁護士自治の研究

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 弁護士自治研究会 、 出版  商事法務
日本の弁護士は弁護士会に強制加入させられます。弁護士会の会員でなければ弁護士としての仕事は出来ないシステムなのです。
弁護士自治にとって、強制加入は不可欠とまではいえないかもしれないが、必要な要素である。また、他の資格保持者や一般人が同一の法律業務をすることができるのであれば、規制と負担を引き受けてまで自治に参加しないことが常であると思われる。したがって、「業務独占」も自治を支える制度である。
この本では、「日弁連30年」(1981年)に「残念ながら、弁護士自治は弁護士の手で自らたたかいとったものとは言えない」としているのは、「その歴史認識において大きな誤りがある」としています。この点は、私も同感です。「日弁連30年」は、三ヶ月章教授の「弁護士」論文に引きずられてしまったのです。三ヶ月章は、弁護士出身の議員たちがGHQに日参してお願いして(とりいって)成立したにすぎないと非難したのでした。しかし、そのような事実はありませんでした。
弁護士会は、内閣提出法案とするのはあきらめ、議員立法の方式で行くことに方向転換した。裁判所と司法官僚は弁護士自治に消極的だったが、弁護士会は衆議院法制局とともに、各方面を獲得してまわり、ついに、1949年5月、弁護士法改正が成立した。参議院で修正案が可決されたものの、再度、衆議院で原案を可決して法改正は実現した。このように、新しい弁護士法は、大変な難度の末に生まれた。GHQのお恵みで成立したのではなかった。
裁判官は弁護士出身に限るという法曹一元については、戦前から弁護士に対して優越感、差別的意識を抱き続けてきた判事・検事たちは、ホンネとして法曹一元論に賛成ではなかった。
この点は、恐らく今も変わりはなく、同じだと思います。
「客観的に拝見して、最近までの日弁連や各弁護士会の活動については、いささかいかがなものかと、思わせられることが多く、所属会員の総意というものが反映されていないのではないか、一部の偏った考え方が主として反映されるような体質が最近あるのではないかということを率直に言って感じざるをえない」
この言葉は、今の日弁連や弁護士会に対する批判ではありません。なんと今から40年も前の国会での伊藤栄樹刑事局長(のちの検事総長)の答弁です。いやはや、昔も今も、日弁連批判というのは、まったく同じことを言うんですね。
アメリカは強制加入の弁護士会なんてないものとばかり思っていましたが、なんと、強制加入型の弁護士会のほうが任意型弁護士会よりも多いとのことです(2017年7月現在)。アメリカでも3分の2の州は強制加入型弁護士会となっている。
フランスの弁護士は、弁護士会を大切に思っていて、帰属意識は高い。弁護士会なくして弁護士という職業はありえない。弁護士会は、自らの職業アイデンティティである。フランスでは「弁護士の独立」がまず中心的に論じられ、それを担保するものとして「弁護士会の自律」がある。
フランス革命のときに活躍したダントン、ロベスピエール、カミーユ・デムーランは、いずれも弁護士。フランス革命の時代には、弁護士会は解散され、弁護士は弁護権限の独占を失った。ナポレオンは1810年に弁護士を統制するため弁護士会を復興した。ルイ16世にもマリーアントワネットにも弁護士がついた。ただし、ルイ16世の3人の弁護士のうちの1人は、国王に肩を入れすぎたとして反革命の罪で断頭台の露として消えた。
フランスでは弁護士会は強制加入であり、6万5000人の弁護士のうち4割がパリ弁護士会の会員。弁護士の独立が強調されるため、企業内弁護士は認められていない。
弁護士会はファミリーで、会長はお父さんというイメージ。
弁護士が扱う事件の送金は、すべて弁護士会の管理するカルパを通す。これによって個々の弁護士の不正を防止しているし、パリ弁護士会だけでも年間3000万ユーロもの運用益をもたらしている。
ところで、日本で事件のお金を銀行から送金するときに、判決や和解調書の提供を求められることがあると書かれています(176頁)が、わたしはそんな体験はありません。果たして東京だけのことなのでしょうか・・。ぜひ、各地の実情を教えてください。
弁護士自治がこれからも十分に機能し、守られることを改めて強く望みます。
わずか200頁あまりの本ですので、いくら内容が良くても5500円というのは高すぎます。それだけが残念でした。
(2018年5月刊。5500円+税)

脳は回復する

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 鈴木 大介 、 出版  新潮新書
脳梗塞で倒れた人が、徐々に以前のような状態に戻っていく過程で起きた驚くべき出来事が描かれています。
脳にとっては、言語もその他の音も匂いも光も、すべては「情報」なのだ。
人が人ごみのなかで他人に当たらずに歩くというのは、それだけでも脳内で非常に高度な情報処理が求められる行動だ。互いに少し歩く方向をずらして当らないようにしているし、歩む速度を緩めずに、即座に相手の身体全体の動きや目線を読んで、瞬時に、自らのルートを選択している。
ところが、著者は情報の奔流の中から、必要なもののみをピックアップすることができず、すべての情報を受け入れて、結局、すべての情報を処理できない。結果として、何もできなくなって、苦痛だけが膨れ上がっていく。
高性能耳栓で不快な音をカットし、サングラスで不要な光という情報もシャット。キャップ(帽子)はうつむくだけで、強すぎる光や見る必要のないものを視野から排除してくれる。
出かける前には、財布、ケータイ、キャップ、耳栓、サングラス、そしてメモ帳。指差し確認よし。これでようやく出かけることができます。
脳梗塞を起こすと、性格や僕という人物が変わってしまったのではなく、病前の僕と同じようなパーソナリティでいるための「僕自身のコントロール」が失われてしまった。自分で自分が変だと分かっていながら、「変でない自分」であることができないのだ。
相槌とは、きちんとした言葉を発さずとも、自分の意思を伝えることのできる、超便利なツールである。会話と言う言葉のキャッチボールをするうえで、相手のボールを受けとりましたよ、という意思表示や、「こちらが、そろそろボールを投げ返しますよ」であるとか、「投げ返すボールの方向や強さは、こんな感じですよ」なんてことまで伝えられる、万能なツールである。
伴走者は、本人のつらさを全面的に肯定してやってほしい。まちがっても、次のようなコトバを投げかけないでほしい。
「みんな、そんなものだよ」
「つらいのはキミだけじゃないよ」
「それは病気なの?」
「その程度の障害で良かったね」
「いつまでも病気に甘えないで、がんばろうよ」
「なんでも障害のせいにするな」
これらは、どれもこれも、残酷な、全否定と拒絶と攻撃のコトバだ。
脳梗塞、脳卒中になっても、脳は機能回復するのですね。この本が、いわば、その証明です。その人が苦しいって言ってたら、苦しいんです。この前提でつくられた社会は、最終的には、誰にとっても生きやすく、誰にとってもローリスクな社会になる。
なーるほど、そういうことなんですね。すべて、明日は我が身に起きることなのです。
(2018年2月刊。820円+税)

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