法律相談センター検索 弁護士検索

コンビニ外国人

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 芹澤 健介 、 出版  新潮新書
日本全国に5万5000店舗あるコンビニには、外国人が4万人以上つとめている。コンビニで働くスタッフ20人に1人は外国人。
コンビニで働いている留学生のほとんどは、多額の借金をかかえて来日している。
日本にいる27万人の外国人留学生のうち、アルバイトをしているのは26万人。
日本は今、600校以上の日本語学校がある。授業料は60万円から80万円。このほか、入学金や教科書代が加算される。日本語学校の授業は、午前中だけ、あるいは午後だけというところが多い。
在日韓国・朝鮮人は48万人で、この20年間で20万人も減っている。中国人は71万人。いま急増しているのがベトナム人23万人、ネパール人7万人。
外国人技能実習生は25万人。在留期間は最長5年。
高度専門職ビザで在留している外国人は、わずか5000人。
労働力を呼んだら、来たのは人間だった・・・。
日本政府は、「移民」は断じて認めないが、外国人が日本に住んで働くのはOK。むしろ積極的に人手不足を補いたい、というもの。
JR新大久保駅の周辺には外国人の比率が4割を占める地区がある。
日本のコンビニを支えているのが外国人留学生であり、ベトナム、ネパール、ミャンマーなどの学生が多いという現実を知ることが出来ました。
(2018年16月刊。760円+税)

マーチ 1

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジョン・ルイス 、 アンドリュー・アイディン 、 出版  岩波書店
先日、マルティン・ルーサー・キングの伝記を読みましたが、同じように黒人牧師として活躍し、アメリカ下院議員でもあるジョン・ルイスの半生をマンガで紹介した本です。
冒頭のシーンは、有名な「血の日曜日事件」です。黒人の集団が橋を渡ろうとしているところへ、白人警察隊が襲いかかってきます。
黒人は、住む地区が白人とは別、学校も店も乗るバスや列車も白人とは別なのです。
黒人が、そのルールに従わなかったときには、白人による凄惨なリンチが待ち受けています。黒人が殺されても、リンチした白人は晴れて堂々と無罪になります。全員が白人の陪審員団は、「ニガー」殺しで白人を有罪にするなんてとんでもない、そんな考えにこり固まっているのです。
そこへ、黒人の学生たちが無抵抗・非暴力主義で立ち上がります。少数の白人も応援しますが、見つかると大変な目にあいます。白人だからといって容赦なんてありません。コーヒーショップのカウンターに座って、じっと耐えるのです。白人の暴徒に襲われます。非暴力だから、やられっ放しです。でも、応援に次々にやって来ます。みんなブタ箱に入れられます。
バスに乗る人がいなくなり、商店で商品を買う人がいなくなります。
アメリカの自由と権利を守るたたかいのすさまじさ、これを実感させてくれるマンガ本です。
(2018年6月刊。1900円+税)

カラス学のすすめ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 杉田 昭栄 、 出版  緑書房
毎朝毎日、見かけないことがない鳥がカラスです。でも、同じように黒いツバメとちがって、どうにも好きになれそうもありません。
嫌われもののカラスは、実際に大量に駆除され、ひところよりはずい分と減っているとのこと。賢いカラスに関する面白い話が満載の本です。
いま、日本では年間30~40万羽のカラスが害鳥として駆除されている。ええっ、どうやってあの賢いカラスを捕まえ、殺しているのでしょうか・・・。
カラスは、古代エジプトでは不吉な鳥とされていたが、旧約聖書では、カラスは重要な使者として、人間の役に立っていた。
童謡にカラスの赤ちゃんが登場してくるのを指摘されると、不思議な気がします。
そして、「夕焼け小焼け」でも、最後は、「カラスと一緒に帰りましょ」ですね・・・。
戦前の日本の軍のなかで新兵はカラスと呼ばれていたというのを初めて(?)知りました。新兵は階級章もなく、征服はまっ黒だったからです。格好のいじめの対象になったことでしょう。
カラスは、スズメ目カラス科の総称。46種類のカラスがいる。日本には、ハシブトガラス、ハシボソガラスなど5種のカラスがいる。
ハシブトガラスはクチバシが大きく太く、頭が丸い。カァーカァーと澄んだ声で鳴き、肉を好む。東京には平成13年に4万羽ほどいたのが、今では1万2千羽にまで減った。
ハシボソガラスはガァーガァーと濁った鳴き声で、郊外の農村部にすんでいる。
カラスは共食いをする。
カラスの寿命は12年ほど。
カラスは賢い。顔写真のなかから、間違いなく選びだす。
カラスは人間の男女という性別も識別している。
カラスの親は自分の子どもを分かっているし、子どもも親を間違えることはない。
カラス同士にしても、お互いの顔を識別している。
この結論は簡単ですが、それを証明するための実験には、かなり工夫と忍耐力を要したことでしょう。
カラスの記憶は1年は保てるし、数の概念だってある。
ほとんどのカラスは、4キロから5キロ以内の狭い範囲で活動している。これは、カラスの背中にGPSの発信器を付けて調査した結果です。
カラスは最高時速73キロメートル、平均時速34キロメートルというのですから、原付バイク並みです。私は速いと思います。
日本でも、昔、カラス田楽(でんがく)といって、カラス食の文化があったそうです。
でも、あの黒さって、いかにもまずそうですよね・・・。ところが、カラスの肉にはタウリンという遊離アミノ酸が50%近くも含まれていて、とても健康にいいのだそうです。
そして、フランス料理にもカラスの料理があるそうです(聞いたことありませんし、もちろん食べたことありません)。なんだか食べたくないですよね。カラスって、本当に食べられるんでしょうか・・・。
(2018年6月刊。1800円+税)

旅する街づくり

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 伊藤 滋 、 出版  万来舎
1931年生まれの著者が、東大の都市工学科の助手時代にアメリカに渡って、アメリカ各地の都市計画の実態を見聞した楽しい旅行記です。今から50年以上も前の写真なのに、くっきり鮮明なカラー写真なのにも驚きます。
著者の父親は有名な伊藤整で、同じように旅行記(『ヨーロッパの旅とアメリカの生活』新潮社)を書いています。
古き良き時代のアメリカ、そしてイギリスをハーバード大学の研究者として訪問していますので、思わずよだれの出るほどうらやましいいい思いをしていることも率直に書きしるされています。今では、こんな旅は無理なのでしょうね。いや、今もあるのかも・・・。
多くの日本人がそうであるように、著者もまた東大を出て英語の本は読めても、アメリカで旅行し、生活するうえでは英語力が決定的に足りませんでした。そこをなんとかしのいでいく様子は、同情するはかありません。
アメリカの都市問題はマイノリティー問題だ。マイノリティーの社会は不安を、どれだけ緩和させられるか、どうしたら彼らが安定した生活を送れるようにできるのか、というのが都市計画の新しい領域になりつつあった。
当時のアメリカの都市計画では、基本的に住民間のフリクション(摩擦)をどのように起こさずにすませるか、起きたとしたら、どのように最小限に食い止めるか、ということが一番大切な仕事だった。
住宅地のなかで、建築協定があり、建物は木造、壁の色は・・・と住民が決める。そうすると、おのずとその地域に住める人種が決まってくる。上流階級の住宅地は、そのようにして出来あがっていく。
アメリカでは、市民同士が初めから意見を衝突させる。そのなかに都市計画家が入りこんで、皆を仲良くする術を考える。それがアメリカの都市計画だ。
モルモン教の総本山のソルトレイクシティで、役所のおじさん(白人)がこう言った(1964年の話です)。
「黒人は白人とは別種の人間。黒人は能力が低い。可哀想だから、白人が助けてあげなければいけない」
モルモン教は、日本では来日聖徒イエス・キリスト教会と呼び、私の住む町にも教会があります。黒人差別だけでなく女性蔑視が徹底していることでも有名です(地域を折伏してまわるリーダーは必ず男性でなければいけません)。
ところが、ケネディ大統領の就任式のとき、モルモン教徒の合唱団が選ばれたのだそうです。それほど優れているということなんですが、私は知りませんでした。
一般に、アメリカ北部では、人種差別をなくすように地域性を運用する。しかし、南部では逆の運用をしているところがある。
ビジネスチャンスの多い都市再開発や郊外開発では、必ず地元の実力者の圧力がかかる。
今の日本のモリ・カケ事件も本質的に同じことなのでしょうね。アベ首相案件として、官僚たちが優遇したことは明らかです。ところが、それを当のアベ首相本人が認めずに開き直っていることから、今日の長い混迷が生まれ続いています。日本の民主主義のために早くアベ首相は退陣してほしいです。440頁ある大著ですが、大変面白く最後まで読み通しました。
(2018年1月刊。4000円+税)

海軍機関学校8人のパイロット

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 碇 義明 、 出版  光人社
戦争の主役が軍艦から飛行機に移ってからは、航空部隊の中堅となる若手士官不足に悩んだ海軍は、エンジニアリング・オフィサーの中からもパイロットを採用することにした。機関学校50期を卒業した76人のなかから最初の8人が選ばれた。彼らは出撃したものの、わずか1ヶ月半のあいだに7人が相次いで戦死した。
そのうちの1人に杉野一郎がいる。大正8年9月に三池郡銀水村(現・大牟田市)で生まれ、昭和19年10月12日に鹿屋基地を発進して戦死した。25歳だった。中尉だったのが死後2階級特進して中佐となっている。
元市長の息子だった親友が一高、東大に進んだため、本人も一高進学を希望したものの、親がお金がないとして拒絶したため、海軍機関学校に進学した。
杉野一郎の写真も紹介されています。フィアンセがいたようで、並んでうつっています。「死と隣り合わせの搭乗員にとって、切ない逢瀬であった」というのがキャプションです。
杉野一郎は9人兄弟、農家の長男として生まれ、一高受験をあきらめて農作業のかたわら猛勉強にいどみ、海軍機関学校に進んだ。機関学校50期76人は昭和16年3月に卒業した。昭和13年4月に入学したときは80人だったのが、病気などで4人が減っていった。
この年(1941年)12月に日本はアメリカの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった。杉野一郎は機関整備学生時代から、友人の妹の上津原ツヤ子という女性と交際し、結婚の約束まで交わしながら、ついに結ばれることはなかった。死ぬ確率の高い飛行将校としてためらいがあったのか、あるいは適当な時期を考えていたのか、いずれにしても結論を出す前に杉野は戦死してしまった。
杉野一郎中尉 ら165人の第39期飛行学生が第一線から離れていた昭和18年は4月18日の山本連合艦隊司令長官の戦死をはじめ、連合軍側の本格的な反攻によって、多数の航空機や艦艇が失われたことから、戦死者が激増した。
杉野は昭和19年6月末、内地に帰ったとき、親友にこう語った。「オレは、あと1ヶ月ぐらいで死ぬかもしれん。死ぬごたる・・・」一度、三池の家に帰ったが、そのとき、「明日、この上空を飛ぶから待っていてくれ」と言った。翌日、三機編隊の双発機が編隊から離れると、顔が見えるほどの低空に降り、旋回しながら翼を振った。それが家族への快別の挨拶だった。
「もう帰らんかも知れん、あとを頼む」と言った一郎の言葉を弟は忘れられない。
星をながめながら、後輩に杉野はこう言った。
「おまえなあ、馬鹿にならなければいかんよ。人間は馬鹿でなければ、本当の仕事はできんのだぞ」
この言葉は、杉野のやり切れない思いをぶつけたものとも受けとれる。
この杉野一郎は、私の事務所につとめる事務職員の祖母の兄にあたります。その縁から本書を読んで紹介させていただきました。
(1991年2月刊。2000円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.