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ゲッベルスと私

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ブルンヒルデ・ポムゼン 、 出版  紀伊國屋書店
ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスの秘書をしていた女性が106歳まで長生きしていて、103歳のときに69年前のことを語ったのです。残念なことに私は映画を見逃してしまいました。だって、朝8時半から始まる映画なんてそう簡単に見れませんよね・・・。
103歳ですから、まさしく梅干しのようにしわの多い顔です。30代のころの選ばれし女性秘書の姿を想像して結びつけるのは、とても困難です。
何も知らなかった、私には罪はないというトーンで語られます。でも、彼女にはユダヤ人女性の親友がいて、いつのまにか行方が分からなくなっています。そして、どうやらユダヤ人男性の恋人もいたようです。
白バラ事件のことが少しだけ語られますが、もともと政治に関心のない彼女は深く知ろうとはしなかったようです。つまり、知ろうと思えばユダヤ人大虐殺が進行していることを詳しく知りえる位置にいたけれど、自分の身の安全を第一に考えると、余計なことは知らないように努めるのが一番。そういう処世術で生きのびたようです。
それは、ベルリンがソ連軍によって占拠(占領)されるときも、最後まで宣伝省の地下室にいたことからも裏付けられるのでしょう。彼女は地方に逃げる機会はあったのに、ベルリンへ戻ってきたのです。
彼女がナチ党の党員になったのは、国営放送局で仕事するためだった。ナチ党という運動には無関心でゲッベルスの演説もさめた思いで聴いていた。
彼女は速記の技術を見につけていた。ユダヤ人で高級衣料品店を営む人の下で彼女は2年のあいだ働いた。そのあと、ユダヤ人で保険の仕事をしているところでも彼女は働いた。
1933年以前には、ユダヤ人のことが頭にあった人は、ごくわずかだった。人々の最大の関心事は、仕事とお金を得ること。1933年より前は、誰もとりたててユダヤ人について考えていなかった。あれは、ナチスがあとで発明したようなものだった。
ナチズムを通じて私たちは初めて、あの人たち(ユダヤ人)は私たちと違うのだと認識した。何もかも、ナチスによってのちに計画されたユダヤ人殲滅(せんめつ)計画の一部だった。
私たちは、ユダヤ人に敵意など持っていなかった。父さんは、むしろ顧客にユダヤ人がいることを喜んでいた。彼らはいちばんお金持ちでいつも気前が良かったから、私はユダヤ人の子どもたちと遊んでいた。
ヒトラーが政権を握ると、たくさんのものごとが突然良いほうに変わった。人々は単純に、こう言うしかなかった。やあ、これはなかなか素晴らしいじゃないか、と。
ともあれ、最初の数年は、そしてオリンピックのころまでは、ドイツは素晴らしい国だった。ユダヤ人の迫害は行われておらず、万事がまだ順調だった。
白バラ事件について・・・。あの事件の首謀者は、あまりに若かった。まだ、学生だった。即座に処刑するなんて残酷すぎた。誰も、そんなことを望んではいなかった。でも、あんなことしでかすなんて、それは彼らが愚かだった。黙ってさえいたら、今ごろきっとまだ生きていたのに・・・。それが普通の人々の見方だった。
「ノー」を言うことはできなかった。「ノー」と言うのは、命がけのことだった。人々は、自分のことばかりにかまけていて、貧しい人々のことにいつもは思いが至らなかった。
近所では、ユダヤ人が消えるという事態は、まだ起きていなかった。でも、いったん始まったら、あっというまだった。
ゲッベルスにとって、秘書は部屋の中にある家具や机と同じだった。秘書を女だとすら見ていなかった。スターリングラードでの陸軍の敗北が、ターニングポイントだった。万事が困難になった。
これが恐ろしい戦争だということは、みんな分かっていた。そして、この戦争は不可欠なのだと私たちは教えられていた。国民のために、そして世界中から敵視されているドイツの存続のために、不可欠な戦争なのだと教えられてきた。
宣伝省の仕事の大半は、前線や帝国内で起きているありのままの事実を粉飾することに関連していた。事実は、国民の目にポジティブに映るように、指示にもとづいて修正されていた。
戦争の末期、迫りつつあるソ連軍の背後にヴェンク軍が回り、不意打ちを食らわせるはずだと、まだ信じていた。ナチスが権力を握ったあとでは、国中がまるでガラスのドームに閉じ込められたようだった。私たち自身がみな、巨大な強制収容所のなかにいた。ヒトラーが権力を手にしたあとでは、すべてがもう遅かった。
ポムゼンの話を聞いていると、共感や連帯意識の低下、そして政治への無関心こそが、ナチスの台頭と躍進を許した要因の一つであることがよく分かる。
ええっ、これって現代日本とまったく同じことですよね。クワバラ、クワバラ・・・。早いとこ、嘘つき政権に引導を渡しましょう。
(2018年7月刊。1900円+税)

道徳性の起源

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 フランス・ドゥ・ヴァール 、 出版  紀伊國屋書店
ボノボが教えてくれること。これがサブタイトルです。フランスの高名な動物学者がボノボやチンパンジーの長年の研究から人間の本質に迫っています。
ボノボは、私たちヒトの血筋の特徴が男性優位とよそ者恐怖症だけではなく、調和を愛する心と他者への気遣いでもあることを示してくれる。
ボノボ同士のあいだで、チンパンジーが見せるような死者の出るような攻撃的行為が観察されたことはない。
チンパンジーのオスは身体的な力では、メスを圧倒するが、メスも政治に無知ではないし、関与しないわけでもない。
チンパンジーの社会では、オスとメスとの間には恒久的な絆がないので、原則として、どのオスが自分の父親であってもおかしくない。
チンパンジーが血のつながりのない仲間を助けるのはよくあること。
野生のチンパンジーのオスが脚を傷めたとき、ひっそりと何週間も群れから離れて過ごして傷を癒しているのが観察された。ただし、そのチンパンジーは、ときにコミュニティのただ中に姿を現し、元気いっぱいに突進するディスプレイ(誇示行動)を見せ、それからまた離れていった。霊長類は激烈な競争社会に生きている。そのため、オスは強靭な外見を保つために、体の具合が悪くても、なるべく長くそれを隠さざるをえない。
ヒトの女の赤ん坊は、男の赤ん坊よりも長く他者の顔を眺め、男の子は機械仕掛けのおもちゃをもっと長く見る。その後も、女の子は男の子よりも向社会的で、情動的表現を読むのがうまく、声の聞き分けが得意で、他者を傷つけたあとに良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれ、他者の視点に立つのが上手だ。
タイの自然保護地区で2頭のメスのゾウを見た。盲目のゾウは案内役のゾウが頼みの綱で、案内役のゾウが移動すると途端に、低く重々しい声を2頭が発した。盲目のゾウに案内役のゾウが居場所を伝えているのだ。この騒々しいショーは、2頭が再び一緒になるまで続く。それから熱烈な挨拶が交わされる。2頭は耳を何度もばたつかせ、触れあい、匂いを嗅ぎあう。2頭は緊密な友情を楽しんでいた。
カメルーンの自然に暮らす30歳の雌のチンパンジーが心不全で亡くなった。スタッフが手押し車に乗せて、その亡骸(なきがら)を見せると、普段は騒々しいチンパンジーたちが周りに集まってきて、その亡骸を見つめ、互いの体にすがりつき、まるで葬儀に参列する人々のように静まりかえっていた。
ヒトが万物の霊長とは、いったいどこを指しているのでしょうか。人類を絶滅させるしかない核兵器にあくまでしがみつき、戦争を準備しようと叫ぶようなアベ首相に万物の霊長といえる資格は果たしてあるでしょうか・・・。
(2015年12月刊。2200円+税)

植物は「未来」を知っている

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ステファノ・マンクーゾ 、 出版  NHK出版
タイトルに惹かれて、いつもの喫茶店で昼食を摂りながら読みはじめたのですが、あまりの面白さに、つい食事そっちのけで読みふけってしまいました。昼休みだけでは読了できなかったので、しばし依頼者を待たせて、なんとか完読できました。
何が面白かったかというと・・・。たとえば、植物だって、しっかり記憶できることを実験で証明したということです。ええっ、どうやって、どんな実験で、そんなことを証明できるのでしょうか・・・。
オジギソウは、触れられるなど、外的刺激を受けると、その名のとおり、とても恥ずかしそうに葉を閉じる。19世紀のはじめ、フランスの植物学者、ルネ・デフォンテーヌは、たくさんのオジギソウを載せた馬車をパリ市内を走り回らせ、いつ葉を閉じるのか教え子に記録させた。すると、初めのうちは閉じていたオジギソウが、やがて葉を開いた。慣れてしまったのだ。オジギソウが記憶力をもっていなかったら、どうやって馬車の振動に慣れることができるのか・・・。オジギソウに刺激を与える実験装置をつくって実験したところ、オジギソウは、なんと最大40日も、刺激を受けたことを記憶していた。
ええっ、脳のないオジギソウが、どこで、どうやって刺激の記憶を維持できたのでしょうか・・・。
植物は、プリオン化したタンパク質を利用している可能性がある。
南米・チリのモリに育つ、つる性植物のボキラは、それぞれの宿主の葉を擬態している。
アカシアは、まずアルカロイドが豊富な甘い蜜でアリを誘惑する。アリが蜜への依存症に陥ると、次はアリの行動をコントロールし、アリの攻撃性や植物の上を移動する能力を高める。そのすべてが、蜜にふくまれる神経活性物質の量や質を調整するだけでよい。
2015年の1年間だけで、2034もの新種の植物が発見された。
人間が活用している植物は3万1千種以上にのぼる。このうち1万8千種は医療目的。6千種は食物として、1万1千種は建築用の繊維や資材として、1千3百種以上は社会的な目標をもって、1600種はエネルギー資源として、4000種は動物のエサとして使われた。
8千種は環境目的で、2万5千種は毒物として利用されている。
植物は4億年前までに、動物とは正反対の決定をくだした。動物は、必要な栄養物を見つけるために、移動することを選択した。植物は動かないことを選び、生存に必要なエネルギーを太陽から手に入れることにした。そして、植物には発達した感覚系がある。感覚系によって、環境を効率よく調査し、被害をもたらしかねない出来事に対して迅速に反応することができる。
動かないはずの植物が、実は、地球上をあちこち転々と生成・成長していること、そして、周囲の姿に似せたり、一定の刺激には順応しつつしなやかに生きのびている姿は、まるで個々の植物にも知的生命体が潜んでいるかのようです。まさしく、植物萬歳です。
(2018年3月刊。2000円+税)

木喰上人

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 柳 宗悦 、 出版  講談社文芸文庫
木喰(もくじき)上人(しょうにん)とは、真言宗(真言宗)の僧であって、江戸時代にたくさん輩出した、木喰戒(もくじきかい)を守る僧を呼ぶ。
著者が大正14年から15年にかけて全国を調査し、5百個の仏躰を目撃してまとめたのが本書です。
木喰上人は、北海道から四国、九州まで足を運んでいます。安永2年から寛政12年まで、28年間に及ぶ旅です。
木喰戒は、火食を避け、また肉食を摂(と)らない。しばしば、木の葉や木の実で足りた。五穀やソバ粉を生のままとった。ソバ粉は特に好むものだった。チベットを旅した日本人僧もソバ粉を主食としていたことを思い出しました。それでよく生きられたものだと思いますが、なんと80歳の長寿と健康を誇ったというのです。少量の食物で、全国を旅して、病気にかかることなく80歳まで長寿をまっとうしたなんて、なんと素晴らしいことでしょう。
このほか、温泉に浸るのは好んでいますし、お酒もたしなんだようです。
ときに弟子が同行していますが、基本はひとり旅です。
木喰上人の彫った仏像はいかにも独創的で、見る人に圧倒的なインパクトを与えます。固定した形式からは自由。伝統への執着がなく、また伝統への反抗もない。木喰上人の仏像は、無心から生まれた。
木喰上人の仏像には模倣の跡がない。したがって、何らマンネリズムがない。ある作風への固守もなく、また慣例的な様式もない。旧習への追従もなく、同時に新案への作為もない。因襲への愛も、憎しみもない。
木喰上人が仏を刻んだのは、いつも夜だった。誰も、それを見ることは許されなかった。開眼(かいげん)の日までは、不浄の眼に触れるべきものではないからである。
昼間は木喰上人にとってことのほか多忙であった。なぜなら、病める者に治療を施していたから。
わが心、にごせばにごる すめばすむ すむもにごるも 心なりけり
木喰上人の仏像は、円突上人の仏像と似ています。どちらも素朴さをありありと残しつつ、いかにも尊い仏様の表情です。
村々をめぐりながら、仏像を刻みながら、村人たちにどんな話をしたのか、どうやって91歳という長寿を木喰戒を尊守しながらもまっとうすることができたのか、とても興味深く、惹きつけられた文庫本です。
(2018年4月刊。1800円+税)

ギャングを抜けて

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 工藤 律子 、 出版  合同出版
中央アメリカのホンジュラスのスラムで生まれ育ち、ギャングに入った一人の若者が、なんとか故国から脱出してメキシコで再生しようとする苦難の歩みが、分かりやすい文章といくつかの写真で紹介されています。
ホンジュラスで2番目に大きな都市がサン・ペドロ。亜熱帯気候なので、1年中、ランニングシャツ1枚で過ごせる。ところが、町の大部分は貧しい人々の質素な家が並ぶスラムで、活気がないし、しかも危険な空気に満ちている。
サン・ペドロは、世界で一番、殺人事件の発生率が高い。いたるところに、「マラス」と呼ばれる若者ギャング団がいて、町のスラムを支配している。
マラスは、メキシコやコロンビアの麻薬密売組織(麻薬カルテル)と手を組み、マリファナやコカインを売ったり、ライバルのマラスと縄張り争いをして殺し合っている。
ホンジュラスには、マラスのメンバーが3万人以上いる。スラムにいるマラスのメンバーに指示を出しているのは、刑務所に入っている大ボスたち。指示は、外で活動している「ホーミー」と呼ばれるリーダーに伝えられ、その下の「バイサ」へ伝えられていく。
ホーミーからケータイで指示を受けながら、支配地域で実際にギャング団の仕事をしているのは、バイサやその下っ端の連中。それから、特別な命令で動く暗殺部隊。
ギャングたちが10代の少年たちの前で、こう言った。
「このあたりは、これから俺たちの縄張りだ。おまえたちも仲間にならないか」
そして若者はギャングの仲間になることを選んだ。その環境では、それがもっとも現実的な答えだった。ほとんど唯一の選択肢だった。もし、「仲間にならない」と言ったら、ここから逃げるか、殺されるか、しかない。
このスラム街に入ってくる車は窓を開けていないと攻撃される。窓を開けていないと誰が乗っているか、外から分からないから。この決まりごとを知らないと、命を喪う。
学校でいじめられっ子の若者はギャングに入った。いじられないし、むしろ恐れられ、リスペクトされるから・・・。
ギャングの犯罪を取り締まるはずの警察や軍の内部にもマラスのメンバーが潜入していた。
マラスのメンバーに昇格するためには、敵あるいは自分の家族や知人を一人殺さなければならないことになっていた。
「霧社事件」を起こした台湾の現地民(タイヤール人など)は、一人前の男として認められるためには、首ひとつを村にもち帰る必要がありました。このことを思い出しました。
それにしても苛酷過ぎるルールです。この若者は、自分は殺したくない、そう決意してギャングのいる故郷のスラムから脱出したのです。そして、今では難民認定も受けてメキシコ・シティでがんばっています。
小学生時代に一緒に遊んでいた幼なじみの大半は、もうこの世にはいない。生き残った人間の一部は塀の中にいる。麻薬密売や強盗・殺人などで警察に捕まった。残りは国内の別の地域にひっこして息を潜めて暮らしている。
いちどギャングになってしまえば、まわりの人々の抱く恐怖心が、ギャング少年たちをいい気分にさせる。単に恐ろしがられているだけなのに、リスペストされていると勘違いしてしまう。
この若者は、物事が思いどおりに運んでいるときは、実に賢く立派に振る舞う。ところが、いったん歯車が狂いはじめると、周囲の支えがなければ、自暴自棄に陥ってしまう。これは、幼いころ、誰かにしっかりと守られ、愛されたという経験がないため、本当の意味の自信が育まれていないからだろう。
暴力と殺人が日常茶飯事の中央アメリカのスラムに育った若者が人としてまともに育つことの難しさも証明しているように思いました。現代日本の若者の生育状況と対比させながら読むと、さらに新しい知見がきっと得られます。
(2018年6月刊。1560円+税)

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