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服罪

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 木原 育子 、 出版 論創社
 人を殺して無期懲役の判決を受け、刑務所生活35年余を経て仮釈放で社会に出てきたとき、何が起き、どう思うのか…。
 私も少し前のことですが、刑務所で20年ほど過ごして出所してきた人から話を聞いたことがあります。バスに乗れなかったそうです。まだバスに車掌さんがいて、切符を売ってくれた時代に事件を起こしたのです。ところが、出所したらワンマンカーしか走っていない。どうやって料金を払うのか分からず、いい大人が、今さら料金の支払い方も訊けず、困ったというのです。今なら、何でもスマホの時代ですから、もっと「今、浦島」の世界になってしまうでしょう。
 さて、無期懲役の判決を受けたらどうなるのか…。
 刑務所に入所するとき、新人訓練を受ける。このとき、多くの時間が「無断」ということへの取り決めにさかれた。無断で行動すること、無断でおしゃべりすること、自席を立つことを含めて、何をするにも許可が必要。自分の意思で行動することは、ほぼ皆無。社会と隔絶された刑務所のなかという別世界では、これまでと真逆といえるほどの厳格なルールがあり、そこに疑問を抱かず順応していくことが求められる。服役するということは、まずこの環境に慣れなければならない。
 たとえば、風呂。冬は週に2回、夏でも週に3回。夏の3日間のうち、2日間は15分間で、1日は10分のみ。ひげそりを含めて10~15分でやって湯舟につかり、身体もしっかり洗うのは、大変なこと。電気カミソリを買うためには、工場で働いた労賃を貯える必要がある。
 工場の作業で優秀な成績を上げて、支給された大福餅の甘さは、この世の幸せが体現されたもののように感じるほど美味しかった。
 刑務所内でもいじめがある。決してあからさまにはやらない。いじめなのか、いじめではないのか、スレスレのレベルで行われるといった巧妙なものが多い。無期懲役の受刑者はいじめのターゲットになる。懲罰の対象になれば仮釈放の機会が遠のいてしまう。なので、無期懲役の受刑者は、ひたすら耐え忍ぶ。
 刑務所の中は、誰かが評価されることが無性に気に入らない。一人だけ、この地獄から抜け出すことは絶対に許さない。巧妙に足を引っぱりあう世界だ。
 刑務所は人間社会の縮図。縛られた生活であるため、人間の醜い部分が、行き場所もなく露骨に出てくる。一般社会だと逃げられるか、刑務所では逃げ場がない。
刑務作業のなかでは、炊事班は最高峰の役務。炊事班には30人ほどいて、朝と昼、夜とローテーションを組む。もちろん包丁や火も扱う。
 仮釈放の前には釈然教育を受ける。35年間の刑務所生活のあとなので、雑居房を出て一軒家のような部屋に入る。
35年間の刑務作業で得た労賃は150万円。年にすると4万5千円。
出所して保護司と一緒にファミリーレストランに入って、ステーキを食べる。ドリンクバーも利用する。何杯でも飲んでいいというシステムが驚きだった。刑務所では、食べる時間も決められていたから、ゆっくり食べていいというのが不思議な感覚…。そうなんですね、あたり前があたり前ではないわけです。
 過去を消したいということにこだわっていくのではなく、過去を生かしていく。そうすることが、被害者への謝罪にもつながるはず…。過去のことは消えないけれど、それでも自分は生きている。生きる自由を手にできている。被害者には、それができない。それが出来る自分との明確な違いがある。
 出所して、仕事が出来ず、ふさぎこんでいた1年余の空白の日々が、自分自身をこえていく時間となり、更生するとはどういうことかを考える時間を与えてくれた。自分の意思をもって実践すると生まれ変わった。
 言葉ってタネだ。植物のタネを地面に埋めるように、せっせと人の心に埋める。それが、それぞれに荷を出して、花を咲かせていく。それでいい。前を向いて生きていく人だ。そう思ったときとか、過去を受け入れ、過去を乗りこえた瞬間だった。これって、なんとなく分かります。
 無期懲役の受刑者が仮釈放されるのは1%にもみたない。無期刑の受刑者は全国で1700人いないが、その平均在所期間は34年ほどだったが、2022年には45年になった。80歳以上が131人、50年以上も刑務所にいる人が10人いる。この10年のうちに受刑者の中の死亡者が260人いる。
 社会復帰するというのが、いかに大変なことかが実感できる本でした。
(2024年10月刊。1980円)

すごいコアラ!

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 平川動物公園 、 出版 新潮社
 鹿児島市にある動物園には現在18頭のコアラがいて、みんな名前がついています。同じような顔と形をしていて、いったいどうやって見分けるのかなと不思議な気になりますが、一頭一頭、食べる好みも違うそうです。
 そういえば、東北の金華山の野生の鹿もずっと観察している人は見ただけで区別できるし、母と子まで見分けられるそうです。コアラだって、じっとじっと見比べていたら、きっと違いが分かるようになるのでしょうね。
 ちなみに、名前は、たとえばツムギ、ユメ、インディコ、スターです。タイヨウ、アラタ、ノゾム。アーチャーもいます。あまり規則性がないように思えますが、本当は何か命名ルールがあるのでしょうか…。
 コアラはオーストラリアの東側に棲み、固有種。毛が灰色の北方系と茶色の南方系がいて、日本にいるコアラのほとんどは北方系コアラ。
コアラは、とても繊細な生き物で、ストレスをためやすいので、飼育員や獣医師のほかは触れないようにしている。
コアラはユーカリを主食としていて、平川動物公園では13種類のユーカリを栽培している。
コアラがどのユーカリを好んで食べるのかは、日によって変わり、飼育員も予測が難しい。コアラは、その大きな鼻で、ユーカリの葉のおいしい。まずい、新しい・古いをかぎわけている。時間をかけて慎重にかぎわける。
ユーカリには毒素がある。コアラが食べても平気なのは、腸内細菌を活用しているため。コアラの盲腸は、体長70センチに対して、2メートルもある。
毒素があり、硬くて繊維も多いユーカリの葉を消化分解するには、たくさんの時間とエネルギーを必要とするので、1日20時間も眠ったり、休んだりしている。
野生のコアラは縄張り意識が強い。そのため、2歳ころから、テリトリーコールという野太い声で鳴く。
コアラを飼育員が抱っこするときは、右腕か左腕か、コアラによって必ず分かれる。どちらの腕でもいいというコアラはまずいない。
なんだか不思議ですね。どうしてなんでしょう。人間の右利き、左利きみたいなものなんですかね…。
ユーカリは大変傷みやすい。コアラには、1日に5~6品種のユーカリを与える。
ユーカリはカビが生えやすい。
コアラは、ユーカリを多いと1日に1キロほど食べる。18頭全部だと、年に34トンを食べる。そのため、ユーカリを動物園の内外40ヶ所のユーカリ圃場で、合計2万本ほど栽培している。
コアラはオスが3歳、メスが2歳で性成熟する。メスの1回の発情期間は10日。オスがメスに対してアプローチするのが大前提。
コアラの赤ちゃんは、体長1~2センチ、体重0.5~1グラムほど。コアラの赤ちゃんが母コアラの袋から出た「出袋日」がある。
赤ちゃんのエサは母コアラのうんち(パップ)。このうんちには、ユーカリの葉っぱを消化するのに欠かせない腸内細菌が含まれている。コアラのうんちは、ほのかにユーカリの香りがして、臭くはない。
コアラの子育て期間は、1年間。1年たつと、子離れ、親離れ。
平川動物園では、この40年間に105頭のコアラを飼育してきました。たいしたものですね。
オーストラリアでは大火災で一度に5万頭のコアラが死んでしまったり、野生のコアラの生息地は減る一方。
たくさんのカラー写真とともに詳しい解説のついた楽しいコアラ観察本です。
(2024年10月刊。1540円)

落語の地図帳

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 飯田 泰子 、 出版 芙蓉書房出版
 江戸切絵図で旅する噺(はなし)の世界。江戸市中が舞台となっている古典落語を地域ごとに紹介している、実に楽しい本です。
 切絵図とは、江戸時代後期大流行した住宅地図のようなもの、町々の様子を知るには格好の材料になっている。
 切絵図は、頻繁に改訂し、絶えず最新情報を提供した。携帯に便利な切絵図は江戸に不案内な者にとっては江戸土産品(みやげ)だった。江戸切絵図は、尾張屋が32種、近江屋が43種を刊行している。
 江戸の町割は平安京を手本とした。1区画は京間(きょうま)で、60間(けん)四方。
 所払(ところばらい)は、居住する町から出て行けというもの。今の感覚では刑事罰とは思えない。
 今の有楽町や新橋駅あたりは、江戸幕府の始まりのころは、まだ東京湾の中にある。
 夏、両国橋で大花火が揚がった。橋の上流が玉屋、下流は鍵屋が陣どって技を競いあった。富裕層は涼み船、そうでない者は橋涼みをした。
馬喰町にある公事宿(くじやど)には、一般客は泊まれない「百姓宿」と、旅の客も利用できた「旅人宿」があった。
「本郷も兼康(かねやす)までは江戸の内」。「兼康」は、今の本郷3丁目にあったようです。
 日本橋通1丁目には白木屋があった。越後屋、大丸屋と並ぶ、呉服の大店。
 切絵図には桜並木もしっかり描かれている。花の時季には、よしず張りの茶店が出て見物客でにぎわった。庶民の人気の筆頭は隅田川堤。
 絵がたくさん紹介されていますので、視覚的に楽しめる本になっています。
(2024年7月刊。2300円+税)

写楽

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 渡辺 晃 、 出版 角川文庫
 ときは、寛政の改革で有名な松平定信が活躍したときより少しあとのこと。
 寛政6年5月に現われ、わずか10ヶ月したら姿を消した絵師、写楽。
 長らく写楽の正体は不明とされてきましたが、現在は四国は阿波国徳島藩の能役者・斎藤十郎兵衛だというのが有力説。
売り出し当時は、今ほど爆発的な人気はなかったようです。ところが、海外へ浮世絵が流出していくと、海外で写楽を高く評価する本が出て(明治43(1910)年)、その評価が日本に逆輸入され、写楽への評価が一変した。
 ふむふむ、よくある日本人の行動パターンですね、これって…。
 東洲斎写楽を押し出した版元(出版社)は、蔦屋(つたや)重三郎。背景に雲母をぜいたくに使った黒雲母(くろきら)摺(ずり)の役者大首絵で、大当たりをとった。
 寛政の改革のあと、江戸三座である中村座、市村座、森田座は、いずれも資金難に陥って休座した。その代わりを都座、桐座、河原崎座が興行した。
 写楽の大首絵には、ふてぶてしいまでの迫力を感じさせるもの。必死さ、緊張や恐怖の感情が看てとれる。顔を大きく描き、なおかつ身体の一部に動きをつけ、さらに縦長の構図に収めるのが写楽の大首絵。
 写楽は、二重まぶたや、まぶたの上のラインの描写を役者たちに施している。
 亡くなった役者を追悼して出される追善絵。これに対して、役者の死後すぐに出される絵を死絵という。
 蔦重は寛政の改革に際して、過料により身代半減という処罰を受けた。しかし、蔦重はめげることなく、逆に錦絵の分野でさまざまな趣向の作品を刊行していった。
 今も知られる一枚絵の名作は、むしろ写楽の処罰後のものが多い。蔦屋重三郎が亡くなったあとは、番頭の勇助が店を継承し、四代、幕末まで続いている。すごいですね。
 写楽の絵は、いつ見ても圧倒されて、思わず声が上がってしまいます。カラー図が楽しい写楽に関する文庫です。
(2024年9月刊。1340円+税)

ガザ紛争

カテゴリー:中近東

(霧山昴)
著者 鈴木 啓之 、 出版 東京大学出版会
 2023年10月7日、ハマースがイスラエルを越境攻撃したことから始まったイスラエルのガザ侵攻。いつまでたっても止まりません。本当に残念です。イスラエルの戦争は一刻も早く止めてほしいです。
10月7日のハマースの攻撃を予測できなかったことで、さすがのイスラエルの治安・国防体制も万全なものではないことを世界に証明してしまいました。
 イスラエルでは、9月半ばから3週間ほどは宗教上の理由から大型連休シーズンに入っていて、まさかパレスチナ人にこれほどの軍事攻撃をする意思と能力はないだろうと、ハマースを見くびっていたようです。
この10月7日には、3000人と推定されるパレスチナ人の武装戦闘員がイスラエル南部に流入し、キブツや駐屯地を襲った。これによるイスラエル人の死者1200人のうち、兵士や警察官は312人で、残3820人は民間人だった。また、240人もの人々が人質としてガザ地区に連行された。
 今もなお人員となった人々は全員が解放されてはいないようです。その安否が心配です。ハマースは一刻も早く解放すべきだと思います。
 ガザ地区へイスラエル軍の地上部隊が侵攻し、また空爆したことで、すでに4万人以上の人々が犠牲となっており、その半数は女性であり、子どもたちのようです。本当にひどい惨状です。
 ガザ地区の人口は220万人で住民の9割が避難を余儀なくされています。でも、ガザ地区って、イスラエルが完全に閉鎖しているのですよね。地区外へ脱出するのもままならないのです。
 ガザ地区にも富裕層はいるが、圧倒的多数の住民は難民を中心とする困窮家庭である。
 ガザ地区ではハマースが選挙で勝利し、対立するファタハ勢力を追放して単独内閣を形成している。今でもハマースによる支配は続いているのでしょうか…?
 住民の8割は人道的支援に頼って生活しているし、失業率は47%(2022年)、若者世代では64%(同)に達する。また、自殺率も急上昇している。
 イスラエルの政治は右傾化し、右翼のネタニヤフ首相が強権的な政治をすすめている。
 イスラエル最高裁は比較的中立的でリベラルな判断を示してきた。そこで、ネタニヤフ首相は「司法が左翼に独占されている」として、「司法改革」を進めていた。この動きは「10.7」のあと、どうなったのでしょうか…?
 「10.7」には、ハマースのほかイスラーム・ジハードなど、5つのパレスチナ武装勢力が参加したとのこと。事前の合同演習もしていて、イスラエルも、そこまでは把握していたのでした。
 イスラエル軍が早期警戒システムとして使用している観測気球7基のうち3基に不具合が発生していて、修理が必要だったのが先送りされていた。また軍事用ドローンや防御フェンスもあるのに、「10.7」を事前に予知できなかった。
 イスラエルの人々は、ガザ地区への広域の地上作戦を65%が支持している(反対は21%)。そして、イスラエル国防軍に対して「信頼している」というのが72%に達している。
 イスラエルにもパレスチナ系市民がいて、人口の2割を占めている。エルサレム市の人口の4割を35万人のパレスチナ人が占めている。パレスチナ人は居住権はあるが市民権はない。国政への参加は認められていない。
 イスラエルの軍事行動をもっとも強力に支えてきたのはアメリカ政府。アメリカはイスラエルの最大の軍事支援国であり、180億ドルも支出している。これはイスラエルの軍事費230億ドルの8割近い。
 国連のグテーレス事務総長は、国連憲章99条にもとづき、人道的な停戦の実現を安保する理事会に要請した。
 日本の岸田首相はハマースについて、当初こそ「テロ組織」と決めつけてなかったが、すぐに「テロ組織」と明言した。これは欧米の対ハマース強硬姿勢に追随するもの。
 日本政府は事態を打開するための積極的な外交努力を怠ったままである。私は、この最後のところがもっとも問題だと痛感しています。平和のため、日本政府は声を上げ、行動すべきです。
(2024年6月刊。1900円+税)

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