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漂流するトモダチ、アメリカの被ばく裁判

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者  田井中 雅人、エィミ・ツジモト 、 出版  朝日新聞出版
3・11大震災のとき、アメリカ軍がトモダチ作戦を展開していたことは知っていました。アメリカ軍が大震災を利用して、それを口実に軍事演習を展開していたと考えていました。
ところが、たとえば原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員5000人が大量の放射能を浴びて、その結果、多くの兵士たちが白血病などにかかって苦しんでいるというのです。そして、彼らは裁判に訴えます。その原告は400人以上にのぼります。
トモダチ作戦で、アメリカ軍と自衛隊は、過去に例のない規模で「共同作戦」を実施し、「日米同盟の絆」を盛んにアピールした。
原告らは東京電力を被告として、アメリカのカリフォルニア州サンディエゴの連邦地裁に提訴した。損害賠償として1000万ドル、懲罰的賠償として3000万ドル、医療費をまかなうための1億ドルの基金の設立。これを原告らは求めている。
空母レーガンは、攻撃海域で、何度も放射性プルーム(帯状の雲)に包まれた。熱い空風が吹き抜け、口の中にアルミホイルをなめたような感触だった。甲板にいた乗組員は、やがて皮膚が焼けるように熱くなって、ヒリヒリした。そして、頭痛に襲われた。
空母は艦載機が発着するため、常に外気にさらされている。これに対して、駆逐艦はカプセルのようなもので、圧力調整された艦内には外気が入ってこない。巨大な換気フィルターは、放射性物質をしゃ断するので、放射能による汚染の心配はない。
その空母レーガンには5000人もの乗組員がいて、「浮かぶ都市」のようなものだ。警察もあれば、刑務所もある。空母レーガンの艦長は指揮官として、「水が汚染している恐れがある。飲むな」と全乗組員に指示した。3日目のこと。
レーガンの航海日誌によれば、3月16日夜から翌17日朝にかけて、5時間ほどプルームに入っていた。症状としては、全身に「はっしん」し、しこりを感じる、頻脈などなど・・・。
東電側は、法廷で次のように明言した。
被告東電は、たとば放射性物質の放出は認めるが、その放射量はきわめて微量。
トモダチ作戦に従事した7万人もの兵士から、300人から400人の被害者が出たという情報が著者にもたらされた。
トモダチ作戦によるアメリカ軍兵士たちの被害回復を目ざす裁判にも注目しようと思いました。。
(2017年10月刊。1600円+税)

焼身自殺の闇と真相

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 奥田 雅治 、 出版  桜井書店
2007年6月、名古屋市営バスの若い運転手が牛乳パックに入れたガソリンを頭からかぶって火をつけ、自殺を図った。この焼身自殺の原因は職場にあったにちがいない。
しかし、その手がかりは、本人が書いて残した上申書と進退願しかなかった。職場の同僚の協力は得られない。遺族の依頼を受けた水野幹男弁護士は裁判所に証拠保全を申請した。そのなかに「同乗指導記録要」があった。
「葬式の司会のようなしゃべりかたはやめるように」
「葬式の司会のようなしゃべりかた」というのがどんなものなのか、私は想像できません。ただ、その話し方が非難されるようなものには思えないのですが・・・。
そして、バス車内で老女の転倒事故が起きたのに気がつかなかった運転手だと「特定」されたのでした。
彼は、2月から6月までの4ヶ月間のあいだ、次から次に、身に覚えのない災難にあっていることが次第に判明していった。そこで、公務災害として遺族は労災申請します。
バスで転倒したという女性もなんとか探し出して本人と会い、乗っていたバスが全然ちがうものだということも判明しました。
ところが、公務外という結論が出てしまったのです。しかし、遺族はめげずに再審査を請求します。そして、再審査を担当する審査会の委員長の弁護士が突然、辞任するのです。独立性と公平性が保障されていないので責任をもてないからというのが辞任理由でした。それでも、審査会は反省することもなく、棄却されてしまったのでした。やむなく、名古屋地裁に提訴することになり、裁判が始まりました。
法廷には、元同僚も勇気をふるって出廷して証言してくれました。同じ日に3人もの職制がバスに乗って同乗指導したことを認めつつ、それは偶然のことだと居直る証言もあり、一審は有利に展開していたはずなのですが・・・。
一審判決は公務災害と認めませんでした。当事者が主張していないことまで持ち出し、「たいした失敗ではないのだから、自殺するほどの心理的葛藤はなかった」としたのです。あまりにひどい一方的な判決でした。
ただちに控訴し、名古屋高裁では証拠調べをしないままに判決を迎えます。そして、逆転勝訴の判決が出たのでした。
「葬式の司会者のようなアナウンス」とは、小さい声で抑揚のない話し方ということなのですね。このような表現は、相手をおとしめる言葉であると高裁判決は断じました。
さらに、バスの内の転倒事故についても、そのバスで事故が起きたと断定することは困難だというきわめて常識的な判断が示されたのでした。
そこで、「被災者が、接客サービスの向上に努める名古屋市交通局の姿勢を強く意識して、精神疾患を発症するに至ったとみられることからすれば、被災者の精神疾患の発症は、公務に内在ないし随伴する危険が現実化したものと認めることが相当」だとしました。
それにしても、認定まで実に9年もの年月を要したというのも大変でしたね。それでも一審判決のようなひどい判決が定着しなかったことが何よりの救いでした。
ながいあいだの遺族と関係者のご苦労に心より敬意を表します。
(2018年2月刊。1800円+税)

潜伏キリシタン村落の事件簿

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  吉村 豊雄 、 出版  清文堂
まったくのオドロキです。福岡の筑後平野に今村天主堂があり、最近も『守教』(帚木蓬生)という小説になりました。大刀洗町の今村地区は江戸時代を通じて、ずっと切支丹として村ごと維持してきたのでした。
同じことが天草でも起きていたのです。しかも、その信者の規模は少なくとも5千人だったのです。幕府への公式報告書には6千人とされていました。そして、なんと、一人も刑死者を出していないというのです。信じられません。
島原の一揆のあとでも天草に、それだけのキリスト教信者がいることを知って、幕府当局は事なかれの穏便な処理方針をとったのです。なぜか・・・。
私も天草には行ったことがあります。エイのヒレ(エイガンチョと呼びます)を食べた覚えがあります。そして、今ではイルカ・ウオッチングで有名ですし、恐竜の化石が出たところでもあります。ですから、また機会をつくって天草に行ってみたいと考えています。
江戸時代の後期、文化・文政のころ、19世紀にさしかかるころです。肥後国天草郡の最大の島、下島西海岸の村々で5千人をこえる潜伏キリシタンの存在が明るみに出た。いま、天草氏にある大江天主堂の近くの天草ロザリオ館には、数多くのキリシタン遺物が展示されている。それは天草の村人たちが「隠れ部屋」をつくって、キリシタン信仰を守り続けてきた、何よりの証拠である。
最後のバテレン(宣教師)、斎藤パウロが寛永10年(1633年)に天草の上島の上津浦で捕まった。
なぜ、天草にキリシタン信仰が根づいていたのか。それは、貧困と貧富の格差がひどかったからだ・・・。
天草の人口増加はすさまじい。万治2年(1959年)に1万6千人だったのに、寛政6年(1799年)に11万2千人、文化14年(1817年)には13万2千人となった。
全国的にみると、江戸後期の人口は微増でしかなかったのに、天草の人口増加は驚異的である。これもカトリックの影響でしょうか・・・。
潜伏キリシタンは、仏教を信仰する「正路の者」と日常生活をともにし、仏教関係の行事をこなしつつ、その裏でキリシタンだけの信仰生活を送っていた。
潜伏キリシタンは、7日間を区切りに生活し、7日目を「ドメンゴ」(ドミンゴ、日曜日)と呼んで、仕事を休み、神に祈りをささげた。
天草を統治する島原藩の基本方針は、「5千余」の潜伏キリシタンを処罰せず、もとの状態、仏教信仰の「正路」の状態に戻すというもの。そのため、性急な取り調べをせず、余裕をもって、柔軟に対処していくことにした。
なぜ、そうしたか・・・。急に村民を吟味(ぎんみ)すると、徒党、逃散などの騒動が起きたり、村つぶれになったりするので、気長に取り扱えという。要するに、「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」と同じで、百姓を確保しておきたかったのでしょう。
幕府も潜伏キリシタンの処遇には困った。結局、5千人もの潜伏キリシタン5千人全員が、その罪を問われることはなかった。それどころか、対処にあたった関係者は幕府から褒賞(ほうしょう)された。時代は変わった・・・。
5千人とも6千人ともいう天草の潜伏キリシタン(実は、もっといたようです)は、藩当局から黙認されていたというわけです。そのおかげで、このような文献を読むことができました。
(2017年11月刊。1800円+税)

昆虫学者はやめられない

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小松 貴 、 出版  新潮社
裏山の奇人、徘徊の記、というサブ・タイトルがついています。まさしく奇人ですね、ここまで来ると・・・、正直、そう思いました。
カラスはとても賢く、その時の状況によって柔軟に行動を変えることができる。カラスは、目的を果たすための選択肢をいくつも持っているから、他の鳥と比べて、生きるためとか、自分の子孫を残すためとか、生物として最低限やり遂げなければいけないこと以外のことをする余裕がある。だから、ムダなことをできるようになったわけである。カラスが公園の滑り台にのぼって滑る映像があるが、たしかに、このときカラスは遊んでいる。
カラスは現代の都市に生きる二足歩行恐竜そのものと言える。
あるカラスは、仲良くなった著者に歌をうたって聞かせてくれた。左右に体を揺らしつつ、お辞儀をするように頭を下げ、「ヲン、カララララ・・・」というしゃがれ声を繰り返し発して見せた。カラスは人間を識別して襲いかかるそうですね、怖いです。
ニホンマムシは、本来はおとなしくて争いを好まないが、やるときはやる。攻撃は素早く、咬みついた瞬間、相手の反撃を避けるべく、すぐに離す。
無毒のヘビであっても、何んでも咬みつくヘビの口内には破傷風菌などの危険な雑菌類が常在している。そこで、ヘビを扱う著者は定期的に破傷風ワクチンを接種している。
アズマキシダグモのオスは、自分が食うでもない獲物をわざわざ捕えて、丁寧にラッピングまでして、それを抱えてひたすらメスを探し求めて歩く。
交接の時間が長ければ長いほど、オスは自分の精子をより多くのメスの体内に送り込むことができる。エサに食いついているあいだ、メスは比較的オスの振る舞いに無頓着になるため、より大きくて食べ終わるのに時間のかかるエサを用意してメスに渡せば、それだけ長い時間、オスは交接を許される。
ガの魅力は、なにより多様性のすさまじさにある。日本だけでもチョウの10倍以上、4000種以上はいるし、毎年、新種が見つかっていて、いったい何種のガが日本にいるのか判然としない状況だ。
アリというのは、もとを正せば、進化の過程でハチから分かれた分類群であって、いわば地下空隙での生活に特殊化して飛翔能力を失ったハチのような存在だ。だから、アリがハチのように毒針をもっていても何ら不思議ではない。アリは世界に1万種ほどいるが、基本的にすべてのアリが毒針をもっている。
信州に九州そして関東を転々としてきた若き昆虫学者の貴重な研究成果が面白く語られている本なので、楽しく読み通しました。
(2018年4月刊。1400円+税)

私が愛した映画たち

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 吉永 小百合 、 出版  集英社新書
私は『キューポラのある街』以来のサユリストです。とりわけ、サユリさんが最近は反核・平和のために声をあげているので、ますます敬愛しています。
それに、趣味も私と同じなのです。それは水泳です。でも、サユリさんは私よりも一枚も二枚も上手です。なにしろ、クロールだけでなく、平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4種目をやり、しかも週に2,3日、1回2時間ほどかけるというのですから、完全に脱帽です。私は週1回、30分で1キロを自己流クロールで泳ぐだけです。
それにしても、泳ぐときゴーグルをつけているはずですが、その跡が私は両眼のまわりに丸く、はっきりとついていますが、サユリさんの美顔には、それが見当たりません。なぜでしょうか、私には大きな謎です・・・。
女優ですから、健康と体力維持にはかなり気をつかっていると書かれています。それでも体重は45キロしかないとのこと。信じられません。役づくりのために食事制限をしていたら、栄養失調になってしまったこともあるといいます。女優も大変なんですね・・・。
最新の『北の桜守』(私はみていません)の撮影中には、マシンのトレーニングに挑戦し、バーベルも上げて、体を鍛えて乗り切ったといいます。
プロ根性ですね。すごいです。腹筋100回、腕立て伏せ毎日30回、シャドーボクシング・・・。いやはや、すさまじい努力です。
『母べえ』も『母と暮らせば』も、いい映画でしたね。母親役はぴったりですが、現実には母親じゃないのですね。子どもについては自信がなかったと書かれています。親との葛藤が結婚問題など、いろいろあったようです。
山田洋次監督は、せりふの言葉はもちろん、せりふの言い方にも、とてもこだわる。そして、テクニックではなく、気持ちを大切にする。
早稲田大学に入ったときには、馬術部で馬に乗っていたとのこと。うらやましいです。
朝6時に家を出て、馬術部に行き、午前8時に撮影所に入り、夕方5時まで仕事をして、それから大学に行って授業を終わると夜の10時という生活を半年がんばりました。なんとも、すごい根性です。
『男はつらいよ、柴又慕情』に出演したころ、声が出ない状況だったというのも初めて知りました。声帯の異常ではなく、ストレスから脳が声を出せと指令しなくなっていたというのです。
女優としての苦労話をしっかり楽しめて、ますます私はサユリストになってしまいました。
(2018年2月刊。760円+税)

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