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新たな弁護士自治の研究

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 弁護士自治研究会 、 出版  商事法務
日本の弁護士は弁護士会に強制加入させられます。弁護士会の会員でなければ弁護士としての仕事は出来ないシステムなのです。
弁護士自治にとって、強制加入は不可欠とまではいえないかもしれないが、必要な要素である。また、他の資格保持者や一般人が同一の法律業務をすることができるのであれば、規制と負担を引き受けてまで自治に参加しないことが常であると思われる。したがって、「業務独占」も自治を支える制度である。
この本では、「日弁連30年」(1981年)に「残念ながら、弁護士自治は弁護士の手で自らたたかいとったものとは言えない」としているのは、「その歴史認識において大きな誤りがある」としています。この点は、私も同感です。「日弁連30年」は、三ヶ月章教授の「弁護士」論文に引きずられてしまったのです。三ヶ月章は、弁護士出身の議員たちがGHQに日参してお願いして(とりいって)成立したにすぎないと非難したのでした。しかし、そのような事実はありませんでした。
弁護士会は、内閣提出法案とするのはあきらめ、議員立法の方式で行くことに方向転換した。裁判所と司法官僚は弁護士自治に消極的だったが、弁護士会は衆議院法制局とともに、各方面を獲得してまわり、ついに、1949年5月、弁護士法改正が成立した。参議院で修正案が可決されたものの、再度、衆議院で原案を可決して法改正は実現した。このように、新しい弁護士法は、大変な難度の末に生まれた。GHQのお恵みで成立したのではなかった。
裁判官は弁護士出身に限るという法曹一元については、戦前から弁護士に対して優越感、差別的意識を抱き続けてきた判事・検事たちは、ホンネとして法曹一元論に賛成ではなかった。
この点は、恐らく今も変わりはなく、同じだと思います。
「客観的に拝見して、最近までの日弁連や各弁護士会の活動については、いささかいかがなものかと、思わせられることが多く、所属会員の総意というものが反映されていないのではないか、一部の偏った考え方が主として反映されるような体質が最近あるのではないかということを率直に言って感じざるをえない」
この言葉は、今の日弁連や弁護士会に対する批判ではありません。なんと今から40年も前の国会での伊藤栄樹刑事局長(のちの検事総長)の答弁です。いやはや、昔も今も、日弁連批判というのは、まったく同じことを言うんですね。
アメリカは強制加入の弁護士会なんてないものとばかり思っていましたが、なんと、強制加入型の弁護士会のほうが任意型弁護士会よりも多いとのことです(2017年7月現在)。アメリカでも3分の2の州は強制加入型弁護士会となっている。
フランスの弁護士は、弁護士会を大切に思っていて、帰属意識は高い。弁護士会なくして弁護士という職業はありえない。弁護士会は、自らの職業アイデンティティである。フランスでは「弁護士の独立」がまず中心的に論じられ、それを担保するものとして「弁護士会の自律」がある。
フランス革命のときに活躍したダントン、ロベスピエール、カミーユ・デムーランは、いずれも弁護士。フランス革命の時代には、弁護士会は解散され、弁護士は弁護権限の独占を失った。ナポレオンは1810年に弁護士を統制するため弁護士会を復興した。ルイ16世にもマリーアントワネットにも弁護士がついた。ただし、ルイ16世の3人の弁護士のうちの1人は、国王に肩を入れすぎたとして反革命の罪で断頭台の露として消えた。
フランスでは弁護士会は強制加入であり、6万5000人の弁護士のうち4割がパリ弁護士会の会員。弁護士の独立が強調されるため、企業内弁護士は認められていない。
弁護士会はファミリーで、会長はお父さんというイメージ。
弁護士が扱う事件の送金は、すべて弁護士会の管理するカルパを通す。これによって個々の弁護士の不正を防止しているし、パリ弁護士会だけでも年間3000万ユーロもの運用益をもたらしている。
ところで、日本で事件のお金を銀行から送金するときに、判決や和解調書の提供を求められることがあると書かれています(176頁)が、わたしはそんな体験はありません。果たして東京だけのことなのでしょうか・・。ぜひ、各地の実情を教えてください。
弁護士自治がこれからも十分に機能し、守られることを改めて強く望みます。
わずか200頁あまりの本ですので、いくら内容が良くても5500円というのは高すぎます。それだけが残念でした。
(2018年5月刊。5500円+税)

脳は回復する

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 鈴木 大介 、 出版  新潮新書
脳梗塞で倒れた人が、徐々に以前のような状態に戻っていく過程で起きた驚くべき出来事が描かれています。
脳にとっては、言語もその他の音も匂いも光も、すべては「情報」なのだ。
人が人ごみのなかで他人に当たらずに歩くというのは、それだけでも脳内で非常に高度な情報処理が求められる行動だ。互いに少し歩く方向をずらして当らないようにしているし、歩む速度を緩めずに、即座に相手の身体全体の動きや目線を読んで、瞬時に、自らのルートを選択している。
ところが、著者は情報の奔流の中から、必要なもののみをピックアップすることができず、すべての情報を受け入れて、結局、すべての情報を処理できない。結果として、何もできなくなって、苦痛だけが膨れ上がっていく。
高性能耳栓で不快な音をカットし、サングラスで不要な光という情報もシャット。キャップ(帽子)はうつむくだけで、強すぎる光や見る必要のないものを視野から排除してくれる。
出かける前には、財布、ケータイ、キャップ、耳栓、サングラス、そしてメモ帳。指差し確認よし。これでようやく出かけることができます。
脳梗塞を起こすと、性格や僕という人物が変わってしまったのではなく、病前の僕と同じようなパーソナリティでいるための「僕自身のコントロール」が失われてしまった。自分で自分が変だと分かっていながら、「変でない自分」であることができないのだ。
相槌とは、きちんとした言葉を発さずとも、自分の意思を伝えることのできる、超便利なツールである。会話と言う言葉のキャッチボールをするうえで、相手のボールを受けとりましたよ、という意思表示や、「こちらが、そろそろボールを投げ返しますよ」であるとか、「投げ返すボールの方向や強さは、こんな感じですよ」なんてことまで伝えられる、万能なツールである。
伴走者は、本人のつらさを全面的に肯定してやってほしい。まちがっても、次のようなコトバを投げかけないでほしい。
「みんな、そんなものだよ」
「つらいのはキミだけじゃないよ」
「それは病気なの?」
「その程度の障害で良かったね」
「いつまでも病気に甘えないで、がんばろうよ」
「なんでも障害のせいにするな」
これらは、どれもこれも、残酷な、全否定と拒絶と攻撃のコトバだ。
脳梗塞、脳卒中になっても、脳は機能回復するのですね。この本が、いわば、その証明です。その人が苦しいって言ってたら、苦しいんです。この前提でつくられた社会は、最終的には、誰にとっても生きやすく、誰にとってもローリスクな社会になる。
なーるほど、そういうことなんですね。すべて、明日は我が身に起きることなのです。
(2018年2月刊。820円+税)

日本史のツボ

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版  文春新書
天皇家は、地域の王から出発して、中国大陸から押し寄せてくる外来文化を積極的にとり入れながら、その文化に独自の改変を加えることで、大陸文化とは異なる「日本文化」をつくり上げることに寄与した。
ヤマト朝廷が支配していたのは、畿内を中心として、東は新潟県、西は九州北部まで。関東や東北、そして九州南部は「化外(けがい)の地」として、支配対象ではなかった。そして、ヤマト朝廷にとって死活的に重要なのは、中国大陸と朝鮮半島の情勢だった。
ヤマト朝廷って、意外に国際情勢に敏感だったのですね・・・。
戦国時代のあとは、天皇は権力を失っていて、天皇の位は権力闘争の対象にはならなくなっている。
鎌倉時代に起きた承久の乱のあと、次の天皇を誰にするかは、朝廷の一存では決められず、鎌倉幕府の承認が必要だった。
室町時代、足利政権は、思うがままに天皇をつくり出すことが出来た。
江戸時代、将軍の代替わりには必ず改元が行われているのに対し、天皇の代替わりでは改元されていない。
天皇は御所から出ることを禁じられ、外出するにも幕府の許可が必要だった。
江戸時代の一般の人々にとって、天皇は視野に入ってなかった。江戸後期になって、庶民が力をつけてくると、天皇を「再発見」した。
天皇家では、新道より仏教が重視されてきた。江戸時代まで、天皇家の葬儀は、神式ではなく、仏式で行なわれていた。神式にしたのは、明治以降のこと。
北条政子がいて、日野富子がいて、日本史のなかで女性が力を発揮した時代があったことは事実。ただし、彼女ら個人に限定された権力だった。女性は、政治というシステムの外側に置かれていた。
戦国時代の墓は夫婦墓が多い。つまり、夫婦で二つ墓が並んでいた。夫婦別性を反映している。江戸時代の元禄期になって以降、家族墓がふえてきた。夫婦同姓になっていった。
江戸時代になって女性の地位が低下したが、これは、世の中が平和な時代になったから。
日本史の現実を考えるときのヒント満載の本でした。いろいろ勉強になります。学者って本当にたいしたものです。
(2018年3月刊。840円+税)

江戸の骨は語る

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 篠田 謙一 、 出版  岩波書店
2014年7月、東京の「切支丹屋敷跡」から3件の人骨が発見された。
新井白石が尋問し、藤沢周平が『市塵』に描いた江戸時代の潜入宣教師シドッチの人骨ではないのか・・・。
この謎を解いていくスリリングな過程が生き生きと描かれていて、人体をめぐる科学の進歩・発達を実感させてくれます。結論を先取りすると、今のDNA鑑定は、人骨となった人物がイタリアの中部地域に居住していたというところまで特定できるのです。ですから、そこまで判明したら、当然のことながら、その人骨はイタリア人のシドッチだと特定されます。
徳川幕府によるキリスト教信者の弾圧が強まり、潜入・潜伏していた宣教師たちが、あるいは残酷に処刑され、また棄教(ころび)していった。それを知ったローマ教皇庁は、日本への宣教師の派遣をついに断念した。
シドッチは、切支丹屋敷に幽閉されたものの、年に銅25両3分と銀3匁(もんめ)ずつを支給され、拷問もなく過ごした。しかし、4年後の1713年に、シドッチの世話をしていた長助とはるという夫婦がシドッチにより洗礼を受けたと告白したため、3人とも屋敷内の地下牢に監禁されることになった。シドッチは、10ヶ月後の1714年に47歳で衰弱死した。
シドッチが切支丹屋敷内に埋葬されたというのは、キリスト教関係者の間では広く知られていた。そして、実際に、その切支丹屋敷内から3件の人骨が保存状態も良く発見されたのです。では、本当にシドッチたちか、どれがシドッチか・・・。その探索が始まります。
東京の地下は、土質が粘土質で、嫌気的な環境が保たれやすいので、人骨は残りやすい。九州では、地面の下から人骨が消失していくのに対して、関東では、地面にしみ込んだ雨水が人骨を溶かすので、上面にあたる部分から骨が消失していく。
古代人骨のDNA分析では、歯の内側の空所である歯髄腔の内側面を削り、内部の象牙質を用いることが多い。
古代の人骨のなかで、最もDNAをふくむのは、頭骨の内耳の周辺の骨。人骨中に残るDNAの保存に関しては、水は大敵。酸性に傾いた日本の土壌では、しみこむ水も酸性を示し、骨中に残るDNAを破壊する。
DNA分析の技術の進展がこの人骨をイタリア人であると断定できるまで進んだタイミングで発掘されたことになる。
江戸時代の男性の平均身長は156センチ。ところが問題の人骨は身長が170センチをこえている。
シドッチの遺骨が発見されたのは、没後300年という節目(ふしめ)の年であり、2014年は日本とイタリア修交150周年でもあった。
すごいですね、人骨がイタリア人であることを確実に断定できるまでDNA分析ができるとは・・・。
(2018年4月刊。1500円+税)

マーティン・ルーサー・キング

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 黒崎 真 、 出版  岩波新書
私にとっては、マルティン・ルーサー・キングですので、そう呼びます。彼がメンフィスで凶弾にたおれたのは1968年4月のこと。私は大学2年生です。東大闘争が2ヶ月後の6月に始まりました。全世界がなんとなく騒然としていたころのことです。
といっても、日本の学生デモはまだ平穏な状況にありました。アメリカのような黒人の群衆がたちあがり、白人がいらだって武力で弾圧するというのは、対岸の火事でしかありませんでした。ヨーロッパ、フランスやドイツが騒がしくなるのも5月以降のことです。
等身大のキングが描かれていると思いました。英雄として美化されすぎることもなく、その苦悩の日々が紹介されています。
キングは、アメリカにおける黒人解放運動が、インドのガンジーのような非暴力主義路線で成果をあげることができるのかという難問に直面していたのです。白人側は野蛮な、むき出しの暴力で襲いかかってくるのです。それを非暴力で迎えたら、しばり首で木に吊り下げるだけではないのか・・・。とても重い問いかけです。生半可なことではやってられません。
南部において、黒人教会は黒人の社会生活の全領域に密着した最も重要な社会組織だった。都市では、黒人自身が黒人教会を所有しており、黒人牧師は白人に解雇される心配がなかった。黒人牧師は概して白人社会に経済的に依存しない分、言論と行動に関して相対的に自由な立場にあった。
キングは、3世代にわたる牧師の家系に生まれた。祖父アダムが教会を父が引き継いだ由緒ある黒人教会だった。家庭環境は、キングの人格形成に大きな影響をもった。それは何よりも、キングが心身ともに健康に成長し、肯定的な世界観をもつことを助けた。
黒人会衆がもっとも聴きたい説教とは何だったか・・・。それは、神は確実に自分たちの自由の問題に関与していること、そして最後には自分たちは確実に自由になれると説く説教だ。「神の臨在」の体験こそ、過酷な環境を生き抜き、たたかう霊的活力を黒人たちに与えてきたものだった。
キングの説教は、抽象論に陥ることなく、人々の日々の経験や生活に即して語るように努めたものだった。
キングは、神のご臨在を体験した。「マルティン・ルーサーよ、大義のために立て。正義のために立て。真理のために立て。見よ、私はおまえと共にいる。世の終わりまで共にいる」
キングは、たたかい抜けと呼びかけているイエスの御声をたしかに聞いた。イエスは決して一人にはしないと約束してくださった。1956年1月27日の夜、自宅のキッチンでの出来事だ。
1877年から1950年にかけて、南部では4000人(大半は黒人)がリンチされている。
キングは27歳のとき、公民権問題における全国的シンボルになった。
キングはガンジーの非暴力に共鳴した。①非暴力は、勇気ある人の生き方である。②非暴力は友情と理解を勝ちとろうとする。③非暴力は、人ではなく、不正を打ち倒そうとする。④非暴力は自ら招かざる苦しみが教育し、変容させると考える。⑤非暴力は憎悪の代わりに愛を選ぶ。⑥非暴力は、宇宙が正義の側に味方すると信じる。
1963年8月28日、ワシントンでの大集会でキングは演説の最後に5分間のアドリブを加えた。有名な歴史的演説です。先日、キングの孫娘が、銃をなくせという大集会で感動的な演説をしました。
私には夢があります。イエース。それは、いつの日か、この国は立ち上がり、すべての人間は平等につくられているという、この国の信条を生き抜くようになるだろうという夢です。イエース。私には夢があります。ウェル。それは、いつの日か自分の4人の小さな子どもたちが、皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国に住むようになるだろうという夢です。
このキングの演説を聞いた聴衆は万雷の拍手でこたえた。少しのあいだ、あたかも神の国が地上に出現したかのようだった。
何度きいても、また読み返しても素晴らしい演説です。残念なことに、その夢の実現はアメリカでも、そしてこの日本でも、ほど遠いのが現実です。ヘイト・スピーチなんて、やめてほしいです。
 キングは、ベトナム戦争に公然と反対したのですが、それはアメリカ国民の反発を買ってしまったのでした。アメリカ国民の多くは、このころ、まだベトナムで正義の戦争をしているという幻想に浸っていたのです。
きびしい人種差別と貧困のため、黒人の若者は軍隊のほうがましだとベトナム戦争に志願し、その多くが戦死していった。しかも大義のない、間違った戦争のために・・・。
キング暗殺の実行犯は白人男性。共謀者がいたのではないかと疑われているが、真相は今なお不明。
キングは財産をほとんど残さなかった。5000ドル(50万円)の預金しかなかった。長く借家ずまいで、4人のこどものために買った家は1万ドル(100万円)だった。
キングは黒人の公民権運動だけでなく、経済的正義や貧困問題についても取り組んでいた。このことを忘れてはいけない。
キングは「普通の人」だった。子どもが大好きだったし、女性関係という矛盾もかかえていた。
それでも、キングを今の私たちは忘れてはいけない。強く思ったことでした。
240頁の新書です。ご一読を強くおすすめします。読むと、勇気というか元気が出てきます。
(2018年3月刊。820円+税)

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