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先生、脳のなかで自然が叫んでいます!

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 小林 朋道 、 出版  築地書館
先生シリーズの番外編です。
今度の主たる観察対象は、ヒト。著者は長らくヒトの精神と自然とのつながりを研究してきたのです。
いつものように軽妙なタッチで、ヒトとはいかなる存在なのかが、比較対象となる動物との対比で考察されます。
生後6ヶ月のヒトの赤ちゃんにヘビを見せると、瞳孔が瞬時に大きく拡大する。それは、世界各地の未開の自然民を調査すると、死亡理由の上位に毒ヘビに咬まれることがあげられることと結びついている。
脳には、生物の認識に専用に働く領域がある。
幼稚園から小学校低学年までの世代が、野生生物を中心とした自然の事物・事象についてもっとも多くの知識を吸収する時期である。自然物との十分な接触を妨げられた子どもは、その多くが、強い好奇心をもっているのに、虫を気持ち悪いと感じなくなる体験を妨げられている。だから、「気持ち悪い」という気持ちは、その後もずっとそのまま脳内にとどまり、多くの大人が虫を気持ち悪いと感じるのだ。
私と私の子どもたちは、幸いにしてたくさん自然の生物に触れ、生物の息吹きとともに育ちました。きっと彼らの心神は健康に育っていることと確信しています。
自然豊かな大学のキャンパス内外で、動物の世話に明け暮れている学生は、とても幸せな環境にあります。でも、在学中は、この美点になかなか気がつかないようにも思います。
(2018年9月刊。1600円+税)

もう一つの『バルス』

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 木原 浩勝 、 出版  講談社文庫
宮崎駿(はやお)の映画『天空の城ラピュタ』がどうやってつくられていったか、その舞台裏が熱く語られています。
『風の谷のナウシカ』は91万5千人がみて、興行収入14億8千万円、配給収入7億4千万円。『ラピュタ』は、77万4千人。決して成功とは言えないが、かといって失敗とも言えない微妙な成績だった。
それでも、1986年(昭和61年)の映画ベストテンの1位に選ばれた。そして、30年たった今でも、繰り返しテレビで放送されていて、ネット上では、『バルス祭』が毎回盛り上がる。
当時26歳だった著者は、青春まっただなか、そして、この『ラピュタ』の完成にすべてを懸けていた。著者はスタジオジブリに入社して、製作進行担当として、完成までの10ヶ月間を宮崎駿監督の下で、製作チームのスタッフとともに、文字どおり寝食をともにした。
「この作品は失敗できないんですよ」。宮崎監督は著者に声をかけた。
失敗したらスタジオの明日はない。
そして、完成したのは、公開のわずか10日前。
完成披露試写のとき、『天空の城ラピュタ』を観たあと、著者は声も無く泣いた。そして、宮崎監督が著者の背中をポンと叩いて言った。
「二人で『トトロ』を始めます」
そうなんですか、その次は、『となりのトトロ』だったんですか・・・。
映画のプロローグとは、物語が始まってオープニングタイトルが出るまでの小さなドラマのこと。2時間の映画のなかに、最初のわずか3分50秒たらずのドラマ。この短い時間のなかで、すべての観客の心をしっかりとつかまなければならない。それができなければ、あとに続く2時間もの物語にその心をつきあわせることは、難しい。
宮崎駿監督はこのプロローグをどう展開して、どうオープニングにつなげるか、最初の作業から苦しんだ。試行錯誤が繰り返された。いかにムダな時間やカットを使わないで事件性を高くし、スリルあふれる冒険活劇が始まることを観客に印象づけるか、襲撃方法から服装に至るまで宮崎監督は苦心惨憺した。
宮崎監督の毎日は、判で押したように決まっていた。
朝は10時に自分の椅子に座ると、深夜1時か2時近くまで、そのままずっと絵コンテを描いている。席を立つのはトイレに行くときと、お茶を汲むときだけ。
休憩は、お昼ご飯の弁当を新聞の朝刊を読みながら食べるとき、その後、30分ほど仮眠をとる。夕方、晩ご飯を食べに外に出る。それだけ。いつも自分の机で背中を丸めて鉛筆を走らせている。まるでお地蔵さんみたいに・・・。
座る椅子は折り畳み式のパイプ椅子。
宮崎監督は絵コンテの天才だ。アニメを制作するにあたって、絵コンテがないと、すべてが始まらない。絵コンテは、いわば作品全体の設計図にあたり、それぞれのカットの芝居・演出や台詞(セリフ)・タイムなどを示す。
若い血汐の湧きたつ思いが沸沸と伝わってくる本でした。
(2018年9月刊。700円+税)

佐賀藩アームストロング砲

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 武雄 淳 、 出版  佐賀新聞社
佐賀に行き、維新博なるものを見学してきました。幕末のころ、佐賀は弘道館をつくり、人材を育成・輩出したこと、反射炉をつくってアームストロング砲をイギリスから輸入したばかりでなく自分でも製造し、活用していたというのです。
明治10年の西南戦争で田原坂が最激戦地となったのは、重いアームストロング砲を馬と人力で引き上げるには、この道しかなかったからだということのようです。上野の彰義隊も佐賀藩のアームストロング砲の前に壊滅したとされています。
いったい、なぜアームストロング砲は、それほど威力があったのか、ぜひ知りたいと思って本書を購入し、認識を深めました。
アームストロング砲は、イギリスのアームストロングにより1855年に発明されたもの。それまでの青銅鋳物(いもの)製ではなく、鉄製砲身をもち、砲尾より装弾ができる。しかも、砲身は錬鉄の4層構造。後装式施条砲は、この当時の最新鋭の兵器で、射程距離、射撃精度、そして連射性で際立った性能を有している。アメリカの南北戦争、日本の戊辰(ぼしん)戦争でフルに活用された。
アームストロング砲は、1分間に2発ないし3発と連射性があり、最長3600メートルの射程距離があった。錬鉄による層威砲身なので、砲身の強度が確保された。錬鉄の細長い棒をつくり、それを加熱して芯金に巻きつけ、コイル状にしたものから鍛造加工で筒状にした。そして径の異なる筒を焼バメして層を重ねて、砲身の強度を確保した。
佐賀藩は、アームストロング砲を完全に自前ではつくれなかったようです。というのも、佐賀藩のつくった反射炉に錬鉄をつくる性能はあっても、錬鉄をつくるパドル炉の機能がなかったからです。したがって、アームストロング砲に似せたものまでつくって明治になってしまったのではないかと著者は書いています。
それにしても、佐賀藩だけが当時、鉄製大砲をつくっていたのですね。知りませんでした。
佐賀藩は鉄製大砲を200門をつくっただろうというのです。
かの白虎隊が奮戦した会津戦争でもアームストロング砲が活用されたとのことです。
初代の司法郷として近代的な裁判制度をつくろうとした江藤新平については、もっと知りたいと考えています。今後の課題です。
(2018年2月刊。1800円+税)

新にっぽん奥地紀行

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 芦原 伸 、 出版  山と渓谷社
イザベラ・バードを鉄道でゆく。明治の初めに東北と北海道をめぐる女一人旅を敢行したイギリス人女性の足跡を鉄道で追いかけた本です。
イザベラ・バードが日本を旅したのは40代のころ、当時は独身でした。東北地方を引き馬に乗って旅をし、北海道に渡っています。イギリスに戻って出版した『日本奥地紀行』(1880年)は、発売と同時に重版というヒット作になりました。うらやましい限りです。
40歳をこえてから紀行作家として活躍したイザベラ・バードは、72歳で亡くなりました。
顔は平たく、鼻は低く、がに股で、ちんちくりんの一寸法師。これが、当時の外国人から見た日本人の印象だった。
日本には浮浪者がひとりもいない。小柄で、醜くて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこんだ貧相な人々には、全員それぞれ気にかけるべき何らかの自分の仕事というものを持っていた。
では、イザベラ・バードの容姿はどうか・・・。ずんぐりとした、やや太めの金髪のイギリス婦人。つまり、外見はフツーのおばさん。しかし、態度は物おじせず、きびきびしていて、とても47歳の熟年女性とは思えなかった。
英国代理領事はバードにこう言った。
「英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう。ただし、ノミの大群と乗る馬の貧弱なことを除けば・・・」
バードが東北地方を旅行したのは明治11年のこと。前年(明治10年)に西南戦争が起きている。そして、バードが横浜に着いた10日前に大久保利通が暗殺された。血を血で洗う激動の時代にバードは日本に来たのだった。
日光に今もある金谷ホテルの宿帳には、バードが宿泊したことが記載されている。
会津で、バードは、眠れない、食べれない、好奇の的にさらされる。プライバシーが保てない。警察官から疑われる。1日11時間を費やしても、30キロも進まない。
バードは、「ただの一度として不作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともない」と書いています。当時の人々の道徳心の高さをうかがわせます。今の日本では、果たして同じだと言えるでしょうか・・・。
バードの旅を同行した通訳でもある伊藤鶴吉は、惜しくも54歳の若さで亡くなっています。日本人へのバードの高い評価はこの通訳・鶴吉の人柄と能力によるところも大きいと思います。
バードが各地でスケッチした絵は見事なものです。明治初めのころの日本の実情をよく知ることができる紀行文として、資料的価値もあります。
面白い旅の本でした。
(2018年7月刊。1600円+税)

炎上弁護士

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 唐澤 貴洋 、 出版  日本実業出版社
今どきネットのことがよく分からない弁護士だと大きな声では言えません。スマホは持たないし、ネットは見るだけで入力はできない。ネットでの判例検索もできないので、若手に頼んでやってもらう。そんな弁護士(私のことです)にとって、ネットで炎上するって、どんなことなのか、実はピンと来ません。
しかし、うしろ姿を写真に撮られてネットで公開されたり、事務所や自宅の玄関先に見知らぬ男がやってきたら、さすがにビビッてしまいますよね。
そして、本人になりすましていろいろ、あらぬことを書きこまれるというのも困ります。なりすましで、どこかを爆破すると予告して、警察が出動したら、もう笑い話ではすまされません。
いったい、誰が、何のために、そんなバカげたことをするのか・・・。
著者によると、犯人は、たいてい10代から20代の若い男たち。部屋に閉じこもって一人パソコンを一日中ながめているような若者が多いということです。ああ、それなら、今の日本には無数にいるだろうと思います。著者は、そんな男たちと敢然とたたかっている弁護士です。
いやはや大変です。徒労感がありますよね・・・。
インターネット上で著者への誹謗中傷は、2012年に始まり、今も続いている。そして、殺害予告や爆破予告へエスカレートしている。さらに、事務所のある建物に侵入した動画をネットで公開している。
インターネット上で飛びかう情報の多くは、根拠がなく、真偽が厳密に精査されないまま、容易にリツィート・コピーされて拡散していく。マスコミの記者もフェイクニュースをうのみにして著者に問い合わせしてくることが多い。
著者は、この5年間に事務所を4回も移転せざるをえなかった。
犯人たちは、学生、ニート、ひきこもりで、全員が男性。社会的に何か生きづらさを抱えた人たち。目を合わせず、コミュニケーションが無理。犯行動機を明確には説明できず、罪の意識もない。
彼らは生身の人間としての著者に興味があるのではなく、皆が知っている著者の名前という共通の「記号」をつかって、ネットの限られた世界でコミュニケーションをすること自体が大切なことなのだ。
やったやったという自己顕示、そして、それはストレス発散法のひとつだった。
コミュニケーション能力が低いうえに、その周囲に理解してくれている人が少ない孤独な人ばかり。罪悪感はなく、刑事事件になるという認識ももっていない。
ネットのなかでしか生きられない人たちがいる。
みなが言ってるから正しいと盲信する若者が増えている。
ネット社会はドライなようで、実は感情に左右される世界だ。とくにその原動力となるのは妬み(ねたみ)。
いやあ、これは怖いですね・・・。ネットの怖さを少しばかり実感させられました。
(2018年12月刊。1400円+税)

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