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「資本論」

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 マルクス 、 出版  講談社
講談社が、まんが学術文庫なるものを創刊したのですね、知りませんでした。
マルクス『資本論』には、少なくとも3度は挑戦しています。学生時代に1度、弁護士になってから1度。それぞれ分からないながらも、なんとか読み通したつもりです。そして、もう1回、時期は忘れましたが、挑戦したように思います。
『資本論』は、部分的には分かるところもありましたが、全体としての経済理論は、ついによく理解できないままでした。大学1年のときには、有名なサムエルソンの『経済学』も読みましたが、こちらも、さっぱり訳が分かりませんでした。要するに、この人は何が言いたいんだろうか・・・、そんな疑問が私をとらえて離しませんでした。経済学って難しいというか、まるでピンと来ませんでした。それより、法理論のほうが、よほど私の性分にもあい、理解できました。
そこでマンガで『資本論』を語ると、どんな展開になるのか・・・。ストーリーがあります。『資本論』の記述の説明マンガではありません。
19世紀イギリスの現実社会のなかでもがく若者たちが、パン屋から起業してスーパーを展開し、土地を所有して地代を稼ぐ地主階級を没落させていくというストーリーです。なかでは労働者階級の悲惨な状況も描かれていて、なかなか読ませ、考えさせる展開になっています。
ははーん、こうやって労働者を搾取する支配階級がつくられていくんだな・・・。マンガですから、当然、視覚的な分かりやすい展開です。
しっかり『資本論』を勉強した気分になるのは、さすがです。
(2018年4月刊。680円+税)

ソウルフード探訪

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  中川明紀 、 出版  平凡社
 東京では、諸外国のソウルフード(魂食)が食べられるんですね。
現在、日本には255万人もの在留外国人がいる。これからもっともっと増えることでしょう。安倍首相のように「美しい国・日本」とか「日本古来の伝統を守れ」なんて言っていると、それはヘイト・スピーチにつながり、嫌韓・嫌中そして排外主義に結びつきます。テニスの大坂なおみさんの活躍は目を見張るものがありましたが、それまで少なくない日本人がハーフだとか言って、日本人だとは認めてこなかったようにも思いますが、いかがでしょうか・・・。でも、日本に住む人は昔から決して単一民族ではなかったのですから、認識を改めるべきなのです。
最新の新聞(2018年9月25日の日経)によると、東京に住む外国人は54万人近くで、この5年間に4割も増えた。一番多い新宿区には4万2千人もの外国人がいる。大久保1丁目の住民の半分は外国人。東京都下で外国人の住民がいないのは、八丈島の隣の青ヶ島村だけ。江戸川区の西葛西あたりにはインド人が4千人近く居住しているし、新宿区の高田馬場あたりにはミャンマー人が2千人をこえる。北区の東十条にはバングラデシュ人が1千人をこえ、横田基地のある福生市にはベトナム人が9百人近く住んでいる。葛飾区にはエチオピア人が70人以上いる。
となると、東京都内にそれぞれのお国自慢の料理があって、何も不思議ではありません。著者は、その一つ一つを食べ歩きます。楽しいソウルフード探訪記です。
それにしても、南米原産の唐辛子が、はるか遠いブータンの人々の料理に欠かせないものだなんて、驚かされます。唐辛子は韓国料理とばかり思っていました。ピラフはフランス語だそうです。そして、そのルーツはトルコ料理のピラウにあるとか。
今、日本には2300人ものヴズベキスタン人がいるそうです。ロシア料理の定番のボルシチは、実はウクライナ料理。ウクライナ語でボルシチは草を意味し、転じて薬草の煮汁を表しているとのこと。
著者が東京で食べた異国のソウルフードは60ヶ国にのぼるそうです。胃腸が相当丈夫でないとやっていけませんね、きっと・・・。
(2018年5月刊。1600円+税)

戦国大名と分国法

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 清水 克行 、 出版  岩波新書
戦国時代の大名が領民支配のために法律(分国法)をつくっていたというのは知っていましたが、この本を読んで、その内容と法律の限界を知ることができました。
限界のほうを先に紹介します。
毛利元就(もとなり)にとって、法度(はっと)を定めてこそ、一人前の戦国大名だという認識があった。しかし、これは、当時の多数派ではなかった。裁判よりも戦争、これが大多数の戦国大名が最終的に選んだ結論だった。
詳細な分国法を定め、領国内に緻密な法制度を整えた大名に限って、早々に滅んでいった。当主の臨機応変なリーダーシップや超越したカリスマ性が求められた時代には、その分国法は、ときとして、政治・軍事判断の足かせともなった。
粗野で、野蛮なもののほうが新時代を切り拓いていった。とはいっても、分国法が成立したということは、それ以前の社会がつくり出した法慣習を成文法の世界に初めて取り込んだという点で、それ以前とは法の歴史を画する一大事件であることを忘れてはいけない。
次に、分国法の内容をみてみましょう。
私が驚いたのは、武田晴信の「甲州法度」のなかに、債務者の自己破産による混乱を整理することを目的として、債権者が債務者の財産を差し押さえるときの手続きまで定められているということです。ちっとも知りませんでした。債務者の自己破産が深刻な問題になっていたようだと書いてあるのには、びっくり仰天です。
「六角氏式目」には、当時、当たり前のように行われていた自力救済を規制すべく、訴訟手続き法を詳細に定めていた。それには、「訴訟銭」として1貫200文を訴状に添えて奉行所に提出することになっていた。勝訴したら、1貫文は戻ってくるが、敗訴したときには1貫文は戻ってこない。200文は、奉行人の手当となる。
日本人は、昔から裁判が大好きだったんですよね。ですから、自力救済ではなく、裁判を利用するように分国法を制定したわけです。
大変面白く、機中で一気読みしました。
(2018年7月刊。820円+税)

フォッサマグナ

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 藤岡 換太郎 、 出版  講談社ブルーバックス新書
フォッサマグナって、地理の教科書に載っていましたので、今はどんなものなのか、すべて判明していると思って手にとって読んでみました。すると、驚くべきことに、今も謎に包まれていて、よく分かっていないというのです。
この本を読んで、門外漢の私がしっかり認識できたことは、地球は生きていて、絶えず流動していること、そして日本列島も移動しているということです。
ですから、日本列島のあちこちで大地震が起きるのも自然の摂理なんですよね。そんな日本に原子力発電所(原発)をつくるなんて、土台まちがっています。
九州にしても、いずれ大分の別府と島原あたりを結んだ線で2分されると言われています。まあ、明日おきる話ではありませんので、今を生きる私たちが心配するようなことではありませんが・・・。
それにしても、南海トラフの大地震予想というのは、近いうちに間違いなく起きることなのでしょう。そのとき、原発や新幹線は本当に大丈夫なのでしょうか。また、全国各地、いたるところにタワーマンションをぼこぼこ建てて、見晴らしの良さにうけにいってる住民の皆さんの生活は大丈夫なのでしょうか。私は本当に心配です。
フォッサマグナとは、本州の中央部の火山が南北に並んで、本州を横断している細長い地帯のことを言う。この東西では、地層や岩石などの地質がまったく異なっている。フォッサマグナ地域の東西では、1億年から3億年前の古い岩石が分布しているのに対して、フォッサマグナ地裁の内部は2000万年前以降の珍しい岩石でできている。
フォッサマグナは地下6千メートル以上の溝であることが判明しているが、実は、どれくらい深いのかは、まだ分かっていない。したがって、日本アルプスの3千メートル級の山の頂上との落差は1万メートルもある。
フォッサマグナがなぜ出来たのかは、いろいろな説があるものの、定説はなく、謎に包まれている。その論争の一つは、そもそも日本の本州は、最初から一つの島弧だったのが、二つの島弧が合体したものなのかという未決着の議論につながっている。
今から40年ほど前、ウェゲナーの大陸移動説というものが提唱されたとき、冷笑する学者が多かったように覚えています。あんな重たい大陸が動くはずがないという考えで、これは地球が動くなんて間違いだというのと似た考えです。
ところが、その後、プレートテクトニクス理論なるものが出てきて、地球内部のある高温高熱のマグマが地表へ噴き出してくるので、大陸も海も動いているという学説でした。これが今ではすっかり定着しています。
それにしても、明治の初めにドイツからやってきたナウマン博士がわずか10年ほどの滞日期間中にフォッサマグナを発見し、あわせて日本列島の地質図を完成させたというのは、大変な偉業だと改めて思いました。生きている地球に無事に住んでいるって、つくづくありがたいことなんですね・・・。
(2018年9月刊。1000円+税)

刀の明治維新

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版  吉川弘文館
刀というと武士の特権として、武士だけが腰に差していたというイメージがあります。
しかし、江戸時代は、百姓も町人も刀を腰に差していたのです。ええっ、そんなバカな・・・。
でも、旅する男たちを描いた絵には、たしかに腰に刀を差しています。百姓も町人も、旅には脇差という短い刀を帯びた。なあんだ、百姓・町人が差していたのは短い刀(脇差)だけだったんじゃないか・・・。そう思うのは早トチリなんです。
たとえば、伊勢神宮への参拝を案内する御師(おんし)は、身分は百姓なのに、腰には大小の二本の刀を差していた。また、旅籠(はたご)を営む百姓が腰に大小二本の刀をさしている絵もあります。
刀を差している(帯刀)者が武士とは限らないのです。江戸時代には、「帯刀」した姿で歩く、武士以外の人間がかなり存在していたのでした。
当時の絵が紹介されていますから、これは疑うわけにはいきません。
江戸時代、刀と脇差の組み合わせを「大小」と呼び、この二本を腰に帯びることを「帯刀」と呼んだ。そして、この「帯刀」の歴史は、実は、それほど古くなかった。それは、戦国時代の末期以降の風俗であった。
中世の合戦は、馬に乗り、弓矢を主体としていた。太刀と腰刀を2本セットとみて特別視し、それを武士の代名詞とする文化は、中世には存在しなかった。
刀と脇差を一緒の帯に差し込む風俗は、戦国時代に、雑兵や下級の武士たちから発生したものと考えられる。
江戸幕府は、刀を差すことはもちろん、刀剣の所持も禁じず、刀・脇差の没収もしなかった。江戸という都市部において、刀は、武士と町人とを外見で決めて区別するための身分標識ともなっていた。
江戸時代の後期になると、幕府は長脇差をよばれるものだけは、強い態度で禁止した。
百姓・町人は、脇差を帯びていた。当初は常に差していたが、やがて吉凶と旅行などの際に限るようになった。したがって、江戸時代の民衆が「丸腰」だったというのは、近現代につくられた「まったくの虚像」である。
神職は帯刀していた。江戸時代は神事の際は帯刀することになっていた。
19世紀になると、御用町人への帯刀許可の増加によって、大小を帯びた町人が、再び江戸を闊歩(かっぽ)する状況が生じた。
刀と武士、そして町人と百姓との関わりが深く分析されています。大変楽しく読み通しました。知らないことって、本当に多いですよね。
(2018年8月刊。1800円+税)

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