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母の老い方、観察記録

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 松原 惇子 、 出版  海竜社
面白い本というか、身につまされるというか、大変勉強になる本でした。
病院(目下、椎間板ヘルニアの治療のためにリハビリ科に通っています)の待ち時間で読みはじめ、そのまま昼食休憩に突入して読了しました。
著者は、私と同じ団塊世代の71歳の「おひとり様」。ところが、実家に戻って92歳の母と同居するようになったのでした。いえ、決して老母の介護のためではありません。住んでいたマンションが水漏れ問題発生のため売却して退去したのです。ところが高齢独身女性は借家を見つけるのも容易ではありません(私も知りませんでした・・・)。やむなく、50年ぶりに戻った実家で、相互不干渉を宣言し、借家人として2階で生活するようになったのでした。
夫(著者の父親)を亡くして独身の母親は、90歳です。まさしく妖怪のように元気も元気。すごいものです。
妖怪を知る人は、口をそろえて母をほめる。
「お母様は、すばらしいわ。90歳であんなにきれいに丁寧に暮らしている方を見たことがないわ。お母様は、わたしたちの憧れよ。お母様こそ、現代の高齢者の生き方モデルよ」
妖怪は運動しない。毎日散歩するということもない。ただし、生活にはリズムがある。毎日、同じルーティンで生活している。驚くほどきちんとしている。
妖怪は椅子の背にもたれることがない。まめに家の中をちょこちょこ動くものだから、わざわざウォーキングに行かなくてもいい。
午前6時にセットした目覚ましで起床し、パジャマ姿ではなく、起きた時間から、誰が来ても困らない服を着ている。
朝食にハムやソーセージは欠かさない。肉好きなのだ。ヨーグルトと納豆も欠かさず、小魚も食卓に出ている。そして、朝食のあとは、必ず緑茶とお菓子で、朝のテレビ小説を見る。そのあとは、手にモップをもって床を磨きはじめる。室内は、いつもピカピカ。掃除が終わると、新聞に目を通しながら、二度目の緑茶タイム。このときも、お菓子は欠かさない。
一日中、テレビの前にいるようなことはない。
夕食は自分でつくって食べる。牛肉を欠かさない。ステーキ肉や霜降りのロース肉が冷凍庫のなかにびっしり入っている。食べ物にはうるさい。
お風呂は自分で掃除をし、自分で沸かす。いつもピカピカ。用心して、最近は昼間にお風呂に入っている。
夜は9時から10時までに寝る。通い猫に「また来てね」を声をかけて送り出してから寝る。
妖怪のファッションセンスは抜群。友人も、おしゃれな妖怪を自慢するために誘ってくれる。ピンピン長生きの秘訣は、おしゃれであること、老いてますます楽しく暮らすためには、おしゃれをして外出することに限る。
行動しようという気持ちが心身ともに元気にしている。
老いるというのは、ひとつずつ上手に諦めること。今できることは、惜しみなくやるべきだ。今やれることを精一杯やって人生を謳歌する。嫌なことがあったら、近所を散歩するなり、お風呂に入るなりして忘れたい。終わったことは終わったこと。振り返らないのが一番、精神衛生上いい。
65歳をすぎれば、あとは死ぬだけなのだから、楽しく暮らさないと損だ。
病気の予防や薬の知識に強くなることにより、病気のことを忘れて生きるほうが賢い。
ひとつひとつ、もっともな指摘で、同感しきりです。元気の出るいい本でした。妖怪と一緒の著者がうつっている表紙の写真を見て、ほっとします。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2018年10月刊。1300円+税)

斗星、北天にあり

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鳴神 響一 、 出版  徳間書店
秋田美人で有名な秋田市。
戦国時代、ルイズ・フロイスの書簡にも「秋田という大市あり」と書かれているそうです。蝦夷に近く、秋田人もときどき蝦夷に赴くと書かれています。
この小説のなかでは、蝦夷(アイヌ民族)だけでなく、ロシア大陸の民族・東韃(とうたつ)人との混血児まで登場してきます。恐らく古代から、そのような交流はあったことでしょう。
ブナ林で有名な白神山地を背後に控えた港町を安東(あんどう)氏は治めていた。
安東氏は、鎌倉時代後期から室町時代中期にわたって、日本海北部の海運を完全に掌握していた一族である。
天然の良港である津軽半島の十三湊(とさみなと)を根拠地に、蝦夷地のアイヌはもとより中国、朝鮮とも交易を続けていた。かつて安東氏の当主は、東海将軍、あるいは日之本(ひのもと)将軍との称号を用いていたこともある。
十三湊は、三戸(さんのへ)に根拠を置く甲斐源氏の南部家によって百年ほど前に奪われていた。安東氏から十三湊を奪った南部家は敵と呼ぶほかない。
載舟覆舟(さいしゅうふくしゅう)。海の水は安らかなるときは船を浮かべ載せる。海の水が荒れれば、直ちに船を覆す。民を海の水と考えるのだ。
枉尺直尋(おうせきちょくじん)。一尺分を折り曲げることで、一尋(ひろ。8尺)をまっすぐにできたらよい。危急に望んでは、小の虫を殺して大の虫を助けることが肝要。
安東愛季(ちかすえ)は15歳で家督を継いで檜山安東家の若き当主となった。長尾景虎と武田信玄が川中島で干戈(かんか)を交えようとしたころである。
豊臣政権下では、安東家は、出羽国内の5万石の安堵が認められたが、実高は15万石だった。そして、関ヶ原の戦いのあと、常陸国宍戸5万石に頼封されたことにともなう措置だった。
秋田における安東家の活躍を紹介する小説として、最後まで面白く読み通しました。
(2019年3月刊。1800円+税)

KID キッド

カテゴリー:警察

(霧山昴)
著者 相場 英雄 、 出版  幻冬舎
この本を警察小説と言ってよいか、やや疑問はあります。というのは、警察庁の高級幹部を相手としてたたかうのは元自衛隊員だからです。それでも警察内部の公安と刑事の派閥抗争、そして首相官邸のなかに喰い込んでいる警察官僚と三つどもえの内部抗争のすさまじさがよく描かれているので、警察小説のジャンルに入れてみました。
自衛隊には、日本にゲリラやテロリストが潜入したときに即時対応できるよう訓練された特殊部隊「特殊作戦群」がある。この部隊については、防衛大臣、官邸の幹部、そして自衛隊のなかでも統合幕官僚長や陸自の幹部が詳細を知るだけ。
高速道路や幹線道路には、警察庁のNシステムが稼働している。あらゆる車両のナンバーと運転手、助手席に乗る人間を鮮明な写真データで保有する仕組みだ。
ドラッグネットは、アメリカの国防総省傘下の諜報機関、国家安全保障局(NSA)が構築したプリズムというシステムをもとにつくられた。
アメリカは9.11のあと、愛国者法を制定し、国民ひとり一人のもつ膨大な量の個人情報の収集を始めた。大規模収集という手法で、通信会社の協力を得て、国民の通話やメール履歴をすべて監視している。
アメリカ政府は、ネットのプロバイダーだけでなく、通販大手やSNS大手のサーバーも監視の網を広げ、個人の発するありとあらゆる情報を吸い上げている。
日本はこの仕組みを導入し、その際、独自にシステムを整備・改造して構築したのが底引き網という名のドラッグネットだ。
狙いをつけたメディアに対しては、固定電話、主要な取材スタッフの携帯電話、社用メール、個人のSNSもほとんど公安が盗聴し、モニターしている。公的権力の監視網は徹底的だ。
個人を特定する顔認証システムも半年間で5回もバージョンアップしている。
もちろん、当然のことながら小説ですからフィクションです。それでもアベシンゾー首相のような視野狭い人物が首相になっていて、狡猾・陰険なスガ官房長官のような人がいて、フィクションと言いながらも現代日本の政治状況をほうふつとさせる場面展開があり、手に汗握るアクションの連続です。政治の舞台裏はかくにありなむと思わせ、私たち国民も手をこまねいていたり、冷笑するだけではすまないと思うばかりです。
アベ・スガ批判の本では決してありませんが、狂人のような集団に政権を握らせると怖いという実感をひしひしと感じさせてくれる本でもあります。そんなストーリーなのに、産経新聞に連載していたというのに少し驚きました。
(2019年3月刊。1600円+税)

あの頃、ボクらは少年院にいた

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 セカンドチャンス!編 、 出版  新科学出版社
少年少女時代にヤンチャをして、少年院に入っていた人たちが、今は必死にがんばっているという話です。読んでいて胸が熱くなりました。非行に走った原因はさまざまですが、親との関係も大きな原因となっています。
少年院の出身者が再犯して少年院や大人の刑事施設に再入院する率は3割と言われています。しかし、それは7割の人は、なんとか捕まるようなこともせずに暮らしているということです。そこを私たちは信じたいものです。
少年院では、更生する気はまったくなかったけれど、資格取得のための勉強だけはがんばった。一年間、何も身につけないよりは、いつか役に立つだろうと思い、暇さえあれば勉強した。おかげで資格も8個もっている。
いま考えると、十代のころは社会すべてが敵で、親さえも信用していなかった。捕まって初めて親のありがたさに気がついた。あれだけ迷惑かけたのに、一度も見捨てずに母は本気でぶつかってくれた。立ち直ることができたのは、多くの周りの支えがあったから・・・。
父は暴力団員、母は風俗嬢。両親が仕事からイライラして帰ってくると、殴られ蹴られの日々。生きていく意味がないと思う毎日だった。親の虐待やネグレクトが知れて、児童相談所に保護されて面会に来たときの母親の言葉。
「おまえみたいな子ども、産まんけりゃ良かったわ。疫病神なんて、火事を出したときに焼け死んでしまえばこんなことにならんですんだのによう。なんで、こんな出来損ないに人生を壊されなあかんのか・・・」
いやはや辛いですね。産みの母親からこう言われたら・・・。
少年院出身者たちを励ますセカンドチャンスは、2009年1月に設立された。すでに10年の実績がある。2011年には福岡で初めての交流会をやった。今では、「セカンドチャンス!女子」という女子の会も始まっている。
この本のなかに、かつて自分を少年院に送った裁判官にお礼を言いたくて会いに行った話が紹介されています。
本当にあの出会いはうれしかった。その裁判官は、審判の席で、すごく心配してくれていて、感じが良かった。真剣に、「もうあなた、いい加減にせんと、人生大変なことになってますよ」と言われた。ああ、いい人だなあと感じて、この裁判官の名前を憶えておこうと思った。
最近、会いに行くと、その山田裁判官は弁護士になっていた。視力がほとんどなくなっていたけれど、裁判官を40年やっていて、会いに来てくれた人は初めてなので、すごくうれしいと言ってとても喜んでくれた。
いい話ですね。司法にもこうやって心を通わせる可能性があるのです・・・。
このセカンドチャンスには、杉浦ひとみ弁護士がずっと関わっています。すごいことです。
セカンドチャンスの基本ポリシーは正直、平等、尊敬です。
少年院出身者が人生をやり直したい、犯罪をやめてまっとうに生(行)きたいと本気で願ったとき、それを温かく支える社会環境を早くつくりあげたいものです。
私は、いま少年院に2回も入った27歳の青年の常習窃盗事件を担当しています。彼が、この本にあるように心を入れかえて愚直に歩み続けてくれることを改めて願いました。
(2019年3月刊。1500円+税)

朝鮮人強制連行の記録

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 朴 慶植 、 出版  未来社
今から50年以上前に刊行された古典的名著(1965年5月刊)の2005年2月版(53刷)を改めて読み直しました。
巻頭のグラビア写真として、虐殺された朝鮮人の屍体があり、炭鉱で働かされていた朝鮮人労働者の集合写真、そして、亡くなった朝鮮人の軍人・軍属・労働者の遺骨が紹介されています。日本政府と日本企業は朝鮮人をタダ同然でこき使い、死に至らしめ、今日までその責任をとっていません。
炭鉱だけではありません。大牟田にある三池染料(今の三井化学)は、昭和16年か18年に、朝鮮から数百名の青年を連れてきた。通勤服も仕事着も一つで、着替えをもっている人はいなかった。
朝鮮人を徴用に行った労務の係長に聞いた話。
「憲兵とともに釜山に上陸し、トラックを持って町を歩いている者、田園で仕事をしている者など、手あたり次第、役立ちそうな人は片っぱしからそのままトラックに乗せて船まで送り、日本に連れてきた。まったく今(戦後になっての意味)考えると、無茶苦茶ですよ。徴用というか、人さらいですよ」
三池染料の徴用課労務係長というと、私の亡父がまさしく該当します。そして、亡父は生前この連行の模様を子どもである私に少しだけ語ってくれました。そのときには、列車で500人を乗せて引率してきたが、日本の化学工場では、そんな徴用労働者は役に立たなかった。化学工場で働くには、炭鉱と違って一定の教育水準のある者でなければまったく役に立たない。そのことを亡父は強調したのでした。
朝鮮半島から、1939年から1945年までの間に34万人が集団的に日本へ連行された。1945年6月時点で、12万4000人がいて、日本の全炭鉱労働者の31%を占めていた。
石炭鉱山に連行された朝鮮人の半分は九州に、4分の1は北海道に配置された。
1939年に始まった朝鮮人連行は、「募集」という形をとってはいるものの、官吏や警察、面(日本の村ですね)有力者が加わって、半ば強制的なものだった。できる限りの方法で狩り出したと当時の担当者は明言している。
1939年、国民徴用令が発表され、大々的な動員がはじまった。朝鮮については、徴用令そのままの適用を避け、「募集」形式での動員計画が立てられて実施された。
1939年7月28日付の内務・厚生両次官名義の通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」として、同年度は8万5000人の朝鮮人の集団連行があった。これは、従前の募集許可による個別的渡航と並行して新たに計画されたものであった。8万5000人のうち、福岡県には6780人が割り当てられた。
加害者はすぐ忘れてしまうものですが、被害を身体に刻まれた被害者は死ぬまで忘れることはできません。
韓国の最高裁判決が異常なのではなく、今や集団ヒステリー状態にあるとしか言いようがない日本のマスコミ、それを真に受けている日本人の側に多大の問題があると思います。きちんと歴史を振り返るのは、決して自虐史観などというものではありません。
(2005年2月刊。2500円+税)
朝、雨戸を開けると純白のサボテンの花が二輪並んで咲いていました。青葉若葉の候となり、庭はお花畑です。キショウブの黄色、ヒオウギの橙色、ショウブのライトブルー、クレマチスの紅白。そしてジャーマンアイリスはブルーの花が終わって、今は黄色と純白の花があでやかさを競っています。
アスパラガスもそろそろ終わりですが、朝3本摘んで、夕方、春の香りを楽しみました。ジャガイモが順調に伸びていますし、梅の実ちぎりも間近です。ラズベリーも小さな実をつけています。
5月の連休中は事務所と自宅の大片付けに精を出しすぎて、椎間板ヘルニアがまた少し痛みだしましたので、あわてて病院のリハビリ科に駆けこみました。
ばったり知人に会い、年齢を考えて無理なことはしないようにと忠告されました。もっともです。反省しています。

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