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犬からみた人類史

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 大石 高典・近藤 祉秋・池田 光穂 、 出版  勉誠出版
犬と人間との関わりについての百科全書です。夏休みの高速道路の行き帰りのSAで一気読みしました。めったに高速道路を長く走ることはありませんが、SAは夏休みの子ども連れでどこも大変にぎわっていました。子連れをみるとうらやましい限りです。
人間にとって犬は他の動物とは違った特異な存在である。形態上は似ていないが、視線を共有するなど、深いコミュニケーションができる関係だ。
人は犬の純粋さを信じるが、犬を裏切ったりもする。
犬は飼い主に殺されることになっても、最後まで人を信じようとする。
この最後のところで、私は泣けました。猟犬が病気になったら、保健所に引き渡して殺してしまう。でも、狩りの場でケガしたら、動物病院に連れていって治療してもらい、死んだら神様として丁寧に祭る。そして、犬肉を食べる地方は少なくない・・・。
イヌとオオカミは、よく似ているけれど違う。遺伝的基盤が異なる。オオカミをイヌのように育てても、完全にイヌのようにはならない。
今の犬にはたくさんの種類があるが、その多くは、ここ200年から300年のあいだに人間がつくり出したもの。
仔犬が生まれて3週間からr12週間のあいだに人間に会わないで育った犬は、人間を極度に恐れたり、攻撃的になったりする。この「社会化期」のうちに、仔犬は、どんな動物が自分の仲間なのかを学ぶ。イヌが人に慣れ、人の「友」になれるのは、この時期に人と接する経験をするから。
縄文時代の人々は、イヌを使ってイノシシ猟をしていた。
イヌは、人の目を見て、ヒトの視線を見る。イヌは、黒目強調型の眼となり、人に対して、「怖くない」存在であること、「幼い」存在であることをアピールした。
忠犬ハチ公が秋田犬だというのはよく知られています。しかし、秋田犬も危うく絶滅しかかっていた時期もあったようです。今では、秋田犬をロシアのプーチン大統領やザトキワ選手に贈ったりして、ますます有名になりました。私は、フランスのロワール河に旅行したとき、シャトーホテルのレストランで食事をしているとき、隣のテーブルのマダムから、「秋田犬はすばらしいわ」と声をかけられたことがあり(もちろんフランス語です)、びっくりしました。テーブルに下に、大きな秋田犬がおとなしく寝そべっていました。いやあ、こんなところでも秋田犬がいて、日本の犬だと知っているフランス人女性がいるのだと感動してしまいました。秋田犬は、とても賢くて、忠実だと最大級の賞賛の言葉を聞かされました。
犬と人間との関わりの百科全書ですので、ここでは書くのをはばかる類の話まで書かれています。犬好きの人には、たまらない本です。
(2019年5月刊。3800円+税)

そしていま、一人になった

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 吉行 和子 、 出版  集英社
私にとって著者である女優の吉行和子とは、山田洋次監督の映画『東京家族』、そして『家族はつらいよ』の祖母というとぼけた役者だというイメージです。
ところが、1957年(昭和23年)、22歳のとき、劇『アンネの日記』の主人公アンネの役を演じたというのです。それも主役が風邪をひいて声が出なくなったので代役として登場し、見事にセリフを一度もつかえずに言えたというのです。立ち稽古には参加していたのですが・・・。すごいですね、著者自身が不思議がっています。それから劇団民芸の若手ホープになったのでした。
舞台が楽しかったことは一度もない。ただ責任感だけだった。私なんかですみません。そんな感じで、申し訳ない気がしていた。
いやはや、とんでもないことですよね。
宇野重吉は著者に言った。
「きみはヘタクソだから、他人の何倍も何百倍も、役について思いなさい。そうすると、その役の心が、客席に伝わっていくものなのだよ」
山田洋次監督は、こう言った。
「科白(セリフ)は、心のなかの思いがひとりでに出てくるようにしてください。表情をつくったり、言い方を変えたり、そういうのではなく、心とつながって自然に言えるようにしなくては、その人間を表現することができません」
「あぐり」で有名な母あぐりは107歳まで生きて、見事に天寿を全うした。そして、兄の作家・吉行淳之介は70歳で病死した。エッセイや対談の名手としてメディアでもてはやされ、女性読者に絶大な人気があった。私は、ほとんど読んだ覚えがありません。
なんだか、しみじみした思いになる家族の思い出話でした。
(2019年7月刊。1700円+税)

オオカミは大神

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 青柳 健二 、 出版  山と渓谷社
日本にオオカミがいたのは明治38年まで。アメリカでは絶滅したオオカミを移入して自然の生態系を復活させたそうです。日本だって、野生のクマがまだいるわけですから、やれないわけではないと思うのですが・・・。
日本各地の神社の前にある狛犬(こまいぬ)が、実はオオカミであったりする神社がたくさんあるということを本書を読んで知りました。日本人は、案外、オオカミに親近感をもっていたようです。ですから、この本のタイトルにあるように、日本人は全国各地でオオカミを大神(おおかみ)として祭っていたのです。これまた、知りませんでした。
そして、全国各地にあるオオカミの像といっても、いろんな形と色彩のものがあるのを見て、楽しくなります。必ずしもオオカミは怖いものではなく、愛らしい生き物だとみられてもいたようです。
著者は愛犬を連れて、現地に出向き、写真を撮って本書で紹介しています。こんなにあるのかと驚くばかりです。
オオカミは、人間にとって、むしろ田畑を荒らす猪や鹿などを追い払ってくれる益獣だった。ただし、東北の馬産地は、そうではない。オオカミ信仰は、この農事の神としての信仰から生まれた。ただし、オオカミは、神そのものではなく、多くは「眷属」(けんぞく)つまり山の神の使いだった。
東京のど真ん中、なんと渋谷駅から徒歩2分の宮益坂にある神社にもオオカミ像が鎮座しているのです。もちろん、渋谷だけでなく、都内各所にオオカミの像が今も残っています。飛騨高山の狛犬もオオカミ像なのかもしれないといいます。
犬、そしてオオカミに親近感をもつ人は意外な発見を教えてくれる楽しい写真集でもあります。
(2019年5月刊。1500円+税)

王家の遺伝子

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 石浦 章一 、 出版  講談社ブルーバックス新書
シェイクスピアが『ヘンリー6世』や『リチャード3世』のなかで身体は不具、そして極悪非道な王として描いたリチャード3世の遺骨が、なんと最近イングランド中部の都市であるレスター市内の駐車場の地下から発見された。
そのDNAによってリチャード3世にまちがいないとされた遺骨には、いくつも刃傷の傷跡があった。頭蓋骨、骨盤そして上顎骨に外傷があり、全身の傷は11ヶ所にものぼっていた。要するにバラ戦争で敗北したときの傷跡が遺骨に残っていたのだ。
いやあ、すごい発見ですね。それにしてもDNA鑑定とは恐るべきものです。
DNAって、人体の部所によって異ならないものかと疑問に思いますが、そんなことはないといいます。
人間の身体のDNAは、どこから採っても同じ。どれもみな同じDNAが検出される。
これも不思議ですよね・・・。
エジプト人は、東方から来た人々の子孫がいた時期もあれば、西のほうから連れてこられた何百万人もの奴隷の子孫の影響も受けているそうです。
では、日本人は・・・。第一段階は、4万年前から4千年前までにヨーロッパと東ユーラシアの中間あたりの民族が北から南から、あるいは朝鮮半島を経由して流入してきた。
第二段階は、4000年から3000年前に朝鮮半島から別の民族が入ってきた。そして、第三段階は3000年前ころ、朝鮮半島から稲作農民が渡ってきた。
現在、アイヌの人々や琉球列島の人々の遺伝子には縄文人の遺伝子が色濃く残っている。
みんな自分のルーツを知りたいですよね。そのときに武器となるのがDNA鑑定だということが改めて良く分かりました。
(2019年7月刊。1000円+税)

戦国日本のキリシタン布教論争

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 高橋 裕史 、 出版  勉誠出版
戦国時代の日本でキリスト教が爆発的に信者を増やしました。現代日本に生きる私にはとても理解しがたい現象です。戦国の世の殺伐とした社会がキリスト教に救いを求めたのでしょうが、キリスト教だって軍隊式のところもあるわけですので、もう一つよく分かりません。ストンと腹に落ちてこないのです。
フランシスコ・ザビエルが来日したのは1549年。ザビエル自体は2年半しか日本にはいなかった。ザビエルの所属するイエズス会は、九州から畿内地方へ拡大していった。
1593年にマニラからフランシスコ会士が日本へやって来て、イエズス会と激しく衝突した。さらに1602年にドミニコ会とアウグスティノ会が日本布教に参入し、キリスト教内の争いはますます激化していき、ついに1613年の禁教令が出るに至った。
1570年代の日本のキリスト教徒は3万人近いと想定されている。そして、1580年ころに10万人、1598年には30万人に達した。
イエズス会の背後にはポルトガルが、フランシスコ会の背後にはスペインがいた。そのことを秀吉も認識していた。
ローマ教皇と、ポルトガル・スペイン両国王のあいだで、地球全体が2分割された。それによると、日本はポルトガルの征服域に組み込まれていた。
ローマ教皇グレゴリウス13世は、1585年、日本布教はイエズス会が独占することを認める小勅書を発布した。それに違反するキリスト教徒は、「破門罪」というもっとも重い懲罰が加えられた。
日本イエズス会は、財政難を救うため、生糸貿易に手を染めた。
フランシスコ会の成立は1209年、イエズス会は、1534年に創設された。カトリック内の抗争なだけに、問題の根は深く複雑な様相を呈している。
1613年のキリスト教禁教令のころ、フランシスコ会は司祭9人、平修道士4~5人、司祭館と駐在所があわせて8棟あった。ドミニコ会は司祭9人、駐在所3棟をかかえていた。
長崎では、内町をドミニコ会とフランシスコ会が、外町はイエズス会の支配する町だった。
禁教令が発布されたあと、日本に潜伏・残留したキリスト教宣教師は圧倒的にポルトガル人イエズス会だった。
日本イエズス会は博愛をうたいながら、実践的には日本人イルマンを差別的に処遇し、学問を教授することを拒絶した。したがって、日本人聖職者の養成計画も途中で頓挫した。
カトリック宣教師内部の布教争いの実情も理解できました。戦国時代は人々が平和に生きる言葉に出会えていたことが分かった本でした。
(2019年4月刊。4600円+税)

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