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すべては救済のために

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 デニ・ムクウェゲ 、 出版  あすなろ書房
ノーベル平和賞を受賞したアフリカ(コンゴ民主共和国)の医師が自分の半生を語った本です。
女性へのむごい性暴力の実際、著者自身が何度も九死に一生を得て助かった話など、読みすすめるのが辛くなる本ですが、なんとか最後まで読み通しました。
コンゴの女性虐待はすさまじいものがあります。
レイプは始まりにすぎない。その後に暴力行為が続く。膣に銃剣を突き入れる。棒にビニールを被せ、熱で溶かしてから挿入する。下腹部に腐食性の酸を注ぐ。性器内に銃身を差し入れて撃つ。目的は、殺すのではなく、徹底的に傷つけること。その結果、被害女性の多くは糞尿を垂れ流す状態となる。
汚物にまみれて悪臭を放ち、日常の仕事をこなすのにも苦労する。性の営みをもつなど問題外。子どもは産めない。夫からは穢(けが)れ者とみなされる。無理やり犯された事実など関係ない。社会から締め出されてしまう。
コンゴでは、性暴力自体が最大の武器となっている。なぜか・・・。
村を制圧しようとするとき、最初に標的となるのは女性だ。社会全体での女性の地位は低くても、家の仕事をほとんどこなしている女性は、家庭では重要な地位を占めている。女性に暴力を振るうことは、必然的にその家族を傷めつけているのと同じこと。
働き者で責任感の強いコンゴの女性は、家族がつつがなく暮らしていけるよう毎日、心を砕いている。そんな女性を襲うことは、家族全体を攻撃し、その安全を損なう行為でもある。同時に、夫を深く傷つける方法でもある。多くの男性にとって、凌辱された妻と暮らすことほど屈辱的なことはない。
村々を破壊し、蹂躙するのに戦車や爆撃機は必要ない。女性をレイプするだけでよいのだ・・・。
ムクウェゲ医師の活動を紹介しているドキュメンタリー映画『女を修理する男』(2015年、ベルギー)がDVDになっているそうです。みなくてはいけませんね・・・。
生命の危険にさらされながら奮闘しているムクウェゲ医師の活躍に頭が下がります。
それにしても、長く独裁者として君臨していたモブツ大統領が中国の毛沢東個人崇拝をとり入れていた、というのには驚きました。そして、この独裁者の統治方式を他のアフリカ諸国の独裁者がとり入れて広がったといいます。恐ろしいことです。
コンゴでは豊富な地下資源があり、それを狙って各勢力が争っているようです。ケータイ(スマホ)の重要な部分もコンゴのレアメタルのおかげのようです。大虐殺のあったルワンダは、今では平和で落ち着いているとのこと。コンゴも早く安定した社会になってほしいものです。そのためには武器に頼らない平和的な取り組みをすすめるしかないと思います・・・。
アフリカの実際を知るために欠かせない本だと思いました。
(2019年6月刊。1600円+税)

養蜂大全

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 松本 文男 、 出版  誠文堂新光社
ミツバチの育て方のすべてが豊富な写真とともに懇切丁寧に紹介されています。まさしく、「大全」です。そして、ミツバチを育てるのに何より必要なのはミツバチへの愛情だと強調されていますが、その愛情あふれる記述に、読んでいて心が和みます。
主としてセイヨウミツバチの飼育ですが、ニホンミツバチについても飼育上の注意が書かれていて、蜜源植物まで網羅されています。読むだけでも楽しいミツバチ百科全書です。
春の1頭(1匹とは呼びません)のハチは、10頭も20頭ものハチの世話をする。常に、1頭たりともハチの命を無駄にしてはいけないという気持ちが大切だ。
巣箱は、日当たりのよい南向きか東向きの平地がベスト。北風を受ける場所は避ける。北風が巣を冷やし、巣に戻ってくるハチが向かい風にさからうのは大変だから・・・。
湿地も避ける。カエルやムカデがいて、病気が発生しやすいから。
堆肥は積んである畑から3キロ以上離れる。密に臭いが混じることがある。ハチは静かな環境を好むので、車の往来が多く、振動があるところも避ける。
ハチは冷たい水を飲むと弱ってしまうので、秋からヒーターを入れて、日なた水の水温を保つ。
ハチを飼うなら、血筋を重視すべき。おとなしい気質、分蜂しにくい、病気に強く越冬力がある、分蜂しにくい・・・。
ハチを育てるなら、養蜂振興法にもとづく飼育届を県知事に提出する。
ハチは、そんなに人を刺さない。ハチの機嫌が悪くなるようなことをしなければ、不意に刺されることは少ない。ハチの針はメスの産卵管が変化したもの。だから、オスには針がない。
刺すのはメスの働きバチと女王バチだけ。そして、女王バチが刺すのは、ライバルの女王バチと戦うときだけ。だから、人を刺すのは、働きバチだけ。
ミツバチは、針を失うと、やがて死ぬ。刺すというのは、まさに命と引き換えの行為。
ハチが機嫌を損ねるのは、採蜜の翌日、そして悪天候の日。ハチが耳元で羽音を立てて威嚇行動をしているときは、騒いだり、手ではらったりせず、落ち着いて静かにその場を去る。
ハチの針を抜くときは、指でピンとはじいて、患部から落とす。指でつまんで抜くと、針の「かえし」によって、よけいに肌の奥に毒を入れてしまう。
スズメバチは虫取り網で捕まえるのが、もっとも確実。失敗せず1回で捕まえる。失敗すると、人を攻撃してくることがある。
ミツバチの行動(飛行)半径は2~4キロほど。1日に10回以上も繰り返して、蜜や花粉を集め続ける。小さじ一杯のはちみつを集めるには、働きバチ1頭が5日間稼働し、レンゲなら1万4千もの花を回る必要がある。
女王の寿命は3年から4年。2年目以降は産卵能力が低下するので、養蜂では1~2年で更新するのが一般的。
ミツバチは夏場は30日ほどの寿命。秋生まれだと冬を越し、4~5ヶ月働き続ける。
一般に40日ほどが働きバチの生涯。
実際には大変で、私なんかに出来るとは思えませんが、ミツバチを飼って育てるというのも楽しいだろうなと思わせてくれる写真たっぷりの大全でした。
(2019年4月刊。3000円+税)
朝、車庫のコンクリート床に干からびたモグラを発見しました。なぜか、ときどき死んだモグラを地上に見かけます。
 ヘビに追われて地上に出てきたのでしょうか。わが家の庭にはモグラもヘビもいることは間違いありません。
 いま、庭にネムの木がたくさん赤っぽいピンクの小さな花を咲かせていて、そこだけ華やかです。
 今年は梅雨入りが遅かったせいか、セミの鳴くのも例外よりかなり遅く、心配していました。炎暑の夏が再びやって来そうで、今から心配しています。

地域に生きる人びと、甲斐国と古代国家

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 平川 南 、 出版  吉川弘文館
山梨県立博物館の館長もつとめた著者によって古代史探究の成果が紹介されています。たくさんの写真で、よくイメージがつかめます。
日本は古来からハンコの国と言われますが、この本によると、8世紀、律令制にもとづく本格的な文書行政の整備にともなった、公文書には押印するシステムが確立されました。
公印の規格も決められていて、私印は4.5センチ以下で、公印をこえないこととされていた。この公印は青銅製で、銅、鍚、鉛のほか、ヒ素も含まれていた。
古代印には、わざと空洞が含まれていた。均質な空洞とつくることによって柔軟かつ軽量に仕上げた。これは、現代技術でも出来ない高度な技術だった。
甲斐国の北部に、高句麗からの渡来人を核とした巨摩(こま)郡が設置された。等力(とどろき)郷は、馬の飼育に関わる地名で、これにも渡来人がかかわっている。
買地券(ばいちけん。墓地を買った証文)は、古代中国や朝鮮には、それぞれ神が宿っているという思想にもとづいて、墓地に対し、神の保護を祈る葬祭儀礼として、石、鉛板などに書きつけて墓に納めた。墓の造営に際して、その神より土地を買うという意味で、代価などが記され、墓地を買ったこととともに、墓に対する保護や子孫の繁栄祈願が記されている。
戸籍は、古代国家が民衆支配を行うためのもっとも基本となる公文書。戸籍には一人一人が登録され、人美との氏姓(うじかばね)や身分を確定して、各種の税や兵役を課したり、班田収授を実行するための基本台帳となった。
戸籍は3セットつくられ、国府に1セット、残る2セットは、中央の民部(みんぶ)省と中務(なかつかさ)省に各1セットずつ保存していた。
豊富なカラー写真によって、古代史がぐーんと身近に感じられました。
(2019年5月刊。2500円+税)

陸軍参謀、川上操六

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 大澤 博明 、 出版  吉川弘文館
日清戦争において日本軍の作戦を指導した川上操六について書かれた本です。
日清戦争について、この本を読んでいくつも新しい事実認識をすることができました。
中国(清)は日本に負けたわけですが、中国の当局(権力者たち)は、相変わらず日本を小国と馬鹿にしていた。そして、日本が李鴻章と示しあわせて戦争を始めたのであり、中国が連戦連敗だったのも、李がわざと日本軍に負けるように言いふくめていたからで、下関で李が襲撃されたのは、日本とひそかに通じていることを覆い隠すための芝居であり、日本に中国が支払う償金のうち4千万両は李が手にすることになっている。そんな李は「売国の臣」だ・・・。いやはや、世の中を見る目がない人は、どこにでもいるものですね。
日本軍が清軍に勝ったのは清軍が予想以上に弱かったからで、日本軍の強さを証明したものではないという評価が日本軍の内部にあり、ヨーロッパでも同じように考えられていた。
ロシア陸軍は、このころ日本上陸作戦を検討中で、大阪占領を対日作戦の要(かなめ)としていた。
ロシア軍が日本上陸作戦を考えていて、その目標が大阪だったというのに驚きました。1904年の日露戦争は間近だったのですね・・・。
日清戦争において日本軍は旅順で捕虜となった清軍兵士や一般市民まで虐殺しています。これは日本側でとった写真でも明らかな事実です。のちの南京大虐殺事件のミニ版が日清戦争のときに始まっていたのです。ところが、日本軍の蛮行は、清軍が捕虜となった日本軍兵士をなぶり殺したことへの復讐でもあったのです。こうなると、戦争は人間を鬼に変えるという格言のとおりで、残念な歴史の真実です。
日清戦争の末期、日本軍は限界につきあたりはじめていた。武器も幹部も兵士も不足していた。そして兵站(へいたん)線も困難な状況に直面した。そして、日清戦争の末期には、新しく戦場に送り出せる師団も装備もなかった。そのうえ、朝鮮民衆のテロ行為によって軍用電信はしばしば不通となった。
歴史は知らないことだらけです。それが面白いのですが・・・。
(2019年2月刊。1900円+税)

古代日中関係史

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 河上 麻由子 、 出版  中公新書
熊本県の江田船山(えだふなやま)古墳から出土した太刀(たち)の銘文には、「ワカタケル大王」の名前が刻まれていて、これは5世紀後半の雄略天皇をあらわしている。この銘文に登場するムリテ、イタワ(伊太和)は、大王の側に仕えていた人間であるが、中国の皇帝への上表文を彼らのような倭国人が作成できたはずはなく、それは渡来人が作成していた。儒教的観念をふまえた上表文は、まだ倭国人には無理だった。
仏教は、「公伝」したのではなかった。倭国が百済に求めて導入していた。「公伝」というと、百済が仏教を「伝えてきた」ニュアンスだが、実際は違っている。
仏教に関する理解が東アジアでは知識人・文化人が当然身につけるべき教養となり、しかも中国(梁)との交渉に不可欠な要素となっていたからこそ、倭国は仏教の公的な導入に踏み切った。
かつて「日出処」は、朝日の昇る国、日の出の勢いの国、「日没処」は夕日の沈む国、斜陽の国と理解されていた。しかし、今では、「日出処」、「日没処」は、単に東西を意味する表現にすぎないことが証明されている。
「日本」という語は、7世紀の東アジアでは中国からみた極東を指す一般的な表現にすぎなかった。この「日本」を国号に用いることは、中国を中心とした世界観を受け入れることになる。つまり、「日本」とは、唐(周)を中心とする国際秩序に、極東から参加する国という立場を明示する国号だった。
「日本」は国号の変更を申し出て、それを則天武后が承認した。朝貢国であるからには、国号を勝手に変更することはできない。そのため、中国の皇帝の裁可を仰いだのである。ここに、中華たる唐(周)に朝貢する「日本」という国式が定まる。決して唐への対等とか優越と主張するためではなかった。
日本古代史についても、まだまだ解明されるべきことがたくさんあると実感しました。
(2019年3月刊。880円+税)

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