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ふたりの桃源郷

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐々木 總 、 出版  文芸春秋
電気も水道もない山奥で暮らしている老夫婦を30年にわたってテレビで紹介していった番組について、裏話をふくめて活字にしたものです。似たような話があったような・・・、と私は映画のパンフレットを探し出しました。
2014年の韓国映画「あなた、その川を渡らないで」です。こちらは30年間ではなく1年3ヶ月間でしかありませんが、老夫婦はなんと98歳のおじいさんと89歳のおばあさんです。山奥の一軒家ではありませんが、小川の流れる小さな村に住んでいます。毎日、ふたりはおそろいの服(上着は、白で、チマはライトブルー)を着て、手をつないで歩いていきます。枯れ木や山菜をとりに山へ、市場へ買い物に出かけます。春には花を折って互いに飾り、秋には落葉を投げあってほほえみ、冬には雪合戦をしてはしゃぐ。そんな老夫婦の日々が淡々と紹介されます。韓国では480万人もの観客を動員していますが、その半数を20歳台の若者が占めたといいます。私も福岡・天神の映画館でみましたが、心が震えました。まだみていない方はぜひみてください。
日本のほうは、たびたびテレビのドキュメンタリー番組となり、全国放送もされています。2016年には映画(『ふたりの桃源郷』)化されたそうですが、残念ながら私はみていません。今も各地で上映されているそうなので、ぜひ、みてみたいものです。
寅夫じいちゃんは大正3年生まれ、2007年(平成19年)6月に93歳で亡くなった。フサコばあちゃんは大正9年生まれ、2013年(平成25年)1月に同じく93歳で亡くなった。
この二人が初めてテレビに登場したのは今から28年も前の1991年(平成3年)のこと。
地元の山口放送は1993年に30分番組で紹介した。それから2018年まで、実に27年間にわたって紹介したというのですから、中途半端な話ではありません。
桃源郷の山小屋には、電気も水道も通っていない。でも、四季を通じて山から水が湧き、切り拓いた土地をぐるっと囲むように2本の水流があるため、1年を通して水には困らない。何十メートルもホースをつなぎ、湧き水を山小屋のすぐ脇まで引いている。小屋の表にある水がめには、いつだってきれいな水があふれていた。
夜、明かりを灯したり、洗濯機をつかうときには発電機を回す。暖をとり、煮炊きするのには、もっぱら薪だ。毎日のように山の木々を切り出し、斧を振りおろして薪をつくるのは、70代も半ばを過ぎると、重労働だ。
1979年(昭和54年)秋、夫婦そろって18年ぶりに山に戻った。二人は、人生を山で再スタートしたのだ。
山口放送が取材して放送したのは27年間で100回にもなる。全国放送されたことも12回ある。
山には電話がないので、取材は事前にアポイントの取りようがなかった。テレビ取材は、アポなしの突撃取材だった。
風呂は五右衛門風呂。87歳のじいちゃん、82歳のばあちゃんの老夫婦二人だけの山での生活。「夫婦円満の秘訣は何ですか?」と訊くと、答えは、「そりゃあ、セックスじゃのう・・・」。これでは放送できない。東京から全国放送するとき、同じ質問があった。どうなるか・・・。答えは、「そりゃあ、『夜』じゃのう・・・」。
えがった、えがった・・・。なにしろナマ放送だったのです。
23年間続けた山での暮らしを寅夫じいちゃんとフサコばあちゃんは自分の意思で終わらせて、ふもとの町の老人ホームに入って生活するようになった。
こんな人生のすごし方も魅力的ですよね・・・。でも、山に住むということは、蛇だって、虫だって、すぐ身近な存在なんですよ。怖くもあります。都会生活に慣れていたら、やはり山に住むのは無理だと思います。窓にヤモリがくっつくのは可愛いものですが、ゴキブリが出てきて、ナメクジが台所あたりをはいまわるのが耐えられますか・・・。
(2019年10月刊。1500円+税)

ノモンハン、責任なき戦い

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 田中 雄一 、 出版  講談社現代新書
1939年5月に起きたノモンハン事件は、「事件」というより戦争そのものでした。
日本軍は歩兵を中心として1万5000の軍を投入し、ソ連軍は5万の兵員と、最新型の快速戦車や装甲車を大量投入し、物量と火力で日本の歩兵部隊を圧倒した。4ヶ月間で、日本側は2万人、ソ連側は2万5000人という膨大な死傷者を出した。ソ連でのジェーコフ将軍は人命軽視で督励していたようです。日本軍は主力の第23師団の8割が死傷するという壊滅的な打撃を受けて、主戦場となった国境エリアから締め出された。しかし、日本の国内ではこの敗北は一切隠され、国民は知ることがなかった。
関東軍の若き作戦参謀が事件を起こした。関東軍作戦主任の服部卓四郎中佐(当時38歳)、作戦参謀の辻正信少佐(当時36歳)が事件を引っぱっていった張本人だ。
辻参謀は少佐でしかないのに過激な言動によって関東軍内部で強い影響力をもち、陸軍中央まで引きずり回した。辻がいなければノモンハン事件は起きなかった。辻はノモンハン事件のあと責任をとらされ、ほんのしばらく鳴りを潜めていただけで、まもなく復活した。そして戦後は国会議員になり、タイの密林で消息を絶った。
辻ら若手参謀は、参謀本部に何ら知らせることもなく、モンゴル領内のソ連軍空軍基地の爆撃を決行した。これについては、昭和天皇も怒った。
ソ連軍はスターリンが42歳のジューコフ将軍を現地に派遣して態勢を立て直した。5万人をこえる兵員、時速40キロをこえるBTという快速戦車などを最前線に投入する。日本軍も満州全土から虎の子の戦車70両をノモンハン現地に終結させた。
ところが、日本の歩兵部隊を300両をこえるソ連軍の戦車部隊が襲った。日本軍のまったく予期しない事態だった。ただし、ソ連軍は、戦車50両、装甲車40両を喪うという大損害を蒙った。
日本の戦車は、ソ連軍の仕掛けたピアノ線にキャタピラがからまり身動きがとれなくなり、そこをソ連軍が砲撃して70両の戦車の半数が破壊・消耗した。
ノモンハン事件全体を通じて、日本側のうった砲弾は6万6千発、ソ連側は43万発。圧倒的な物量差が勝敗を決めた。
ソ連軍は日本側の甘い予測をはるかに上回る兵站(へいたん)線を構築していた。9000台をこえる貨物運搬自動車を終結させ、前線部隊を強力に下支えした。
死傷者数ではソ連軍の被害のほうが甚大だが、作戦目的を達したのはソ連だった。
日本軍が回収した日本兵の遺体は4386体にのぼった。そして、戦後、日本軍は現場の中下級指揮官にすべての責任を押し付け、自決(自殺)を強要し、免官、停職し、汚名を被せた。その反面、軍トップは辻参謀たちをふくめて温存、非を問われることはなかった。
今に通じる日本軍の無責任体質について、呆れるというより怒りすら覚えます。
(2019年9月刊。900円+税)

人体、なんでそうなった

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ネイサン・レンツ 、 出版  化学同人
人間の身体についての貴重な指摘、知らなかった驚くべき事実が満載の本です。
人体の解剖学的構造は、適応と不適応とが不格好に入りまじっている。
欠点があるからこそ、人間には人間らしさが表れる。
進化は絶え間なく続く交換ゲームだ。進化の大半には犠牲がともなう。
私は本年(2019年)3月、椎間板ヘルニアで苦しみました。なにしろ、駅のホームでまっすぐ歩けず、しばらく立ち止まって休んでいたほどです。この本は、なぜ椎間板ヘルニアが起きるのかについても解説しています。
人間の椎間板は、直立歩行者ではなく、ゴリラのようなナックル歩行者に最適の状態に調整されている。時間の経過とともに、アンバランスな圧力のせいで、軟骨の一部がはみ出てくる。この椎間板ヘルニアは、ヒト以外の霊長類には、ほとんどみられない。
ヒトの身体は、体内で必要な栄養素をつくり出すことができないので、食事としてとる必要がある。人間は、必要な栄養素をすべて取り入れるためには、やたら変化に富んだ食事をとらなければならない。
ビタミンCがなければ、コラーゲンがつくれない。犬は自分でビタミンCをつくることができる。地球上のほとんどの動物は必要なビタミンCを自分の肝臓でたっぷりつくっているので、食べ物からとる必要がない。
飢饉のときの最大の死亡原因は、カロリー不足ではなく、タンパク質と必須アミノ酸の不足にある。
ヒトがカルシウムを吸収するには、ビタミンDが必要。乳児は摂取したカルシウムの60%を吸収できる。成人はせいぜい20%ほど、引退する年代だと10%未満となる。
絶えずカルシウムとビタミンDを補充していないと、骨粗鬆症になって、骨がもろくなる。
野生では肥満した動物が見あたらないのは、大半の野生動物は、いつだって餓死の一歩手前にいるからだ・・・。
犬や猫がテレビにあまり興味を示さないのは、その網膜のニューロンは、人間よりずっとすばやく働くので、断片的な写真として見えていて、人間のように動画としてみれないからだ。
人間の身体の不思議さは尽きないところがあります。それをとても分かりやすく解説してくれています。
(2019年10月刊。2400円+税)

刑務所しか居場所がない人たち

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 譲司 、 出版  大月書店
日本の刑務所が福祉施設と化しているという点は、私も事件を通して大いに推測できるところです。ところが、逆に今日の日本では福祉施設が刑務所化しているとの指摘があり、ドキッとしてしまいました。
著者は元国会議員で実刑判決を受けて刑務所生活をしたことがあります。そのとき、刑務所内の福祉施設化を自ら体験したのでした。
2016年に新しく刑務所に入った受刑者2万500人のうち、4200人は、知能指数が69以下だった。つまり、受刑者10人のうち、2人は知的障害をもっている可能性がある。
同じく、2016年の「新人」2万500人のうち、殺人犯は218人。少年犯罪は激減していて、10年前の4分の1。全国の少年鑑別所はガラガラの状態。
殺人事件で被害にあった人は、1955年(昭和30年)に年2119人だったのが、1985年に年1017人、そして2016年には289人にまで減った。
犯罪の認知件数は、2002年に日本に285万件だったが、2017年には91万件となり、この15年間で、3分の1以下に減った。
2016年に刑法犯として検挙された人のうち65歳以上の人は4万7000人。これは全体の2割をこえている。20年前の5倍以上。
高齢受刑者は何度も犯罪を繰り返すことが多く、70%が累犯者。高齢者の犯罪は、窃盗が7割(女性だけだと9割)。
刑務所が1年間に使う医療費は7万人の受刑者で32億円(2006年)だったのが、今では5万人いないのに2倍近い60億円となっている。・
日本の障害者福祉予算は年1兆円。これはスウェーデンの9分の1、ドイツの5分の1、フランスやイギリスの4分の1。アメリカと比べても2分の1以下。
福祉の刑務所化とは、お金が目当ての福祉施設では、効率よく入所者を管理すべく、刑務所並みの厳しいルールで利用者の勝手な行動を止めさせているということ。
府中刑務所への1800人の収容者の内訳をみると、日本人受刑者の700人以上が精神か知的障害のある人で、600人が身体に障害をもっていた。
著者の本は、いま日本の刑務所がどんな実情にあるのかを知ることができて、その役割の尊さをふくめて頭が下がります。
(2018年5月刊。1500円+税)

明智光秀の乱

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 小林 正信 、 出版  里文出版
あの有名な本能寺の変は1582年(天正10年)6月2日、明智光秀が織田信長を襲って自殺させた事件です。著者は、この用語は歴史用語として不正確で、明智光秀の乱と呼ぶべきだとしています。
明智光秀は、1万3千の軍勢を動員して織田政権の転覆を企図したのだから、大規模な軍事的反乱なのだから、明智光秀の乱と呼ぶべきだとするのです。
著者は、当時の織田信長の強大な権力は、次の三つの大きな柱によって成り立っているといいます。一つは信長自身の権力。これは尾張・美濃・伊勢などの基盤を中核として京都を中心とする畿内・北信越そして西国は備中にまで及んだ。その二は、徳川家康との同盟によるもの。その三は、明智光秀が統括する足利幕府の統治機構の協力。
つまり、著者は、足利幕府の統治機構はそれなりに存続していて、明智光秀はそれなりの軍事力を体現していたとするのです。
信長は、京都での宿舎として、明智光秀の屋敷を少なくとも二度にわたって使用した。
明智光秀は、はじめ信長の家臣というより足利義昭の側近の「御部屋衆」格の奉公衆だった。明智光秀は、「御部屋衆」格の一人にすぎなかったが、信長は、「政所執事」の職責を担わせ、畿内を統括する責任者に昇格させた。
光秀は明智氏に改姓する前は、進士(しんし)だった。進士氏は、鎌倉以来の足利家の家臣(被官)として、武家故実の「儀礼・式法」を伝承している家として知られていた。
明智光秀は、安土城に次いで有名だった坂本城や亀山城を築城している。この坂本城は、安土城がつくられる前は、織田政権下で最大の城郭だった。
熊本の細川藩は、明智光秀の家臣団の相当数を受け継いでいた。
明智光秀の真の主君は信長ではなく、あくまで亡君の足利義輝だった。
信長は、「上様」と言われることはあったが、「大樹」という将軍を指す言葉で呼ばれたことはない。信長は、武家階級の代表とはみなされていなかった。したがって武家の棟梁としての征夷大将軍にもならなかった。
著者は長年の家臣である佐久間信盛を信長が追放したのは、信長の本意ではなかった。家康が妻と子を敵の武田方と内意したとして処刑した以上、自らの部下についても厳しく対応せざるをえなかった。処刑は免れなかった。佐久間信盛は、信長の苦しい青年時代から一度も裏切ったことがなかったことから、その追放は信長の本意ではなかった。そうしないと家康との同盟がもたないと家康が判断したからだった。なるほど、そういうことだったのですか・・・。改めて考えさせられました。
果たして、明智光秀は本当は進士姓だったのか・・・。
本書は5年前の2014年7月に初版が出て、この5年間の研究の成果も踏まえています。学界の反応も知りたいところです。文献は大変よく調べてあると驚嘆しているのですが・・・。
(2019年11月刊。2700円+税)

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