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たのしい川べ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ケネス・グレーアム 、 出版  岩波少年文庫
イギリス人の著者が息子のために書いた童話です。
著者の父親は弁護士でしたが、意思も性格も弱く、一つの職業にとどまっていることができない人だったので、家族の生活はかなり不安定だった。
感受性の強い子どもだった著者は、母たちと一緒に暮らして笑いあえる生活を過ごしていたが、5歳のとき、母は病死してしまった。祖母の家に引きとられて、豊かな自然のなかで、川や小動物たちとたのしく語りあって育っていた。
しばらく別れていた父親が著者の前に戻ってきたとき、なつかしい、美しい人として心にえがいていた父親は、実は、不幸に負け、酒におぼれた人としてあらわれた。
そんななか、4歳から7歳まで、全感覚をあげて外の世界の美しさを吸収したと著者は語っている。この本にそれは十分に反映されているように思います。
中学で抜群の成績をあげても、周囲は誰も評価しない。仕方なく、17歳から銀行で働くようになった。そして、文章を書きはじめた。孤独な生活を過ごした少年は、かえって、そのころの因襲にとらわれず、批判的に大人をながめ、本来の子どものもっている感覚で、しっかり周囲の出来事を見ていた。そして、それを文章にあらわした。
著者は、4歳の一人息子が夜に泣いて泣いて困ったので、何かお話をしてやろうと言った。息子は、モグラとキリンとネズミの出てくる話を注文した。そこで、著者は、ヒキガエルが自動車を盗むところから始まる話を始めた。これが3年間も続いた。
キリンは、いつのまにかいなくなり、アナグマが出てきて、ヒキガエルが出てきた。
ヒキガエルは息子の性格に似ていたので、父子のあいだでは、ヒキガエルが出てくると、大笑いしていた。
知人の女性のすすめで、息子に語った話が、この本につながったのです。
それでも、出版社は、こんな本が売れるのか心配で断るところばかりだった。ようやく出版社がみつかり、1908年に世の中に出ると、10月に初版が出て、12月には第二版。翌年もずっと増刷されていった。
この本は、アメリカに渡り、シオドア・ローズベルト大統領に贈られ、本人が放っているあいだに、夫人と子どもたちが読んでた。
この話の主人公は、モグラとネズミ。それにアナグマとヒキガエルなどが組みあわされ、自然のなかに生きるささやかなものへの愛情を子どもに伝えたいという気持ちにあふれている。
心のほっこりするひとときが得られる楽しい童話でした。
(2018年2月刊。760円+税)

ヒト、犬に会う

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 島 泰三 、 出版  講談社選書メチエ
大分の山中で、猟師が7頭の犬を連れてイノシシ狩りに行くのに著者は同行します。
先導する犬にはGPS発信器をつけ、全頭に発信器を装着しておく。
洋犬は獲物の臭跡を追跡する。しかし、和犬は耳と目も使ってイノシシを点で追う。点で追うことでイノシシを奇襲し、パニックにおとす。著者は道なき山中を平気で踏破できるのです。山中で野生猿を追いかけた経験があるからです。
イヌは1万5000年も前に、他の家畜に5000年より早く家畜化された。なぜか・・・。
イヌ亜目は肉食にこだわらない食性を開発した食肉類。
イヌに近いクマは足裏をかかとまですべて地面につけて歩く蹠行(しょこう)性。これは人間やサルも同じ。これに対してイヌは、趾行(しこう)性で、かかとの部分は地面から遠く離れ、つま先立ちして歩く。これは、長距離を疲れを知らずに走り、歩くことに特化したもの。爪も、ネコのような鋭い突き刺す爪先ではなく、地面を蹴るのにふさわしい頑丈な爪となった。
イヌの長い鼻面も、そこを流れる血液を冷却するのに効率が良く、地上で長距離を走る能力を高めている。
犬は世界をかぐ手段を気体液体と2重にもっている。
犬は塩をほしがることはない。
犬には水の味に適応した味蕾がある。人間にはない。犬は、その敏感な音や臭いの受容能力、さらには瞬間的な動きを解析できる能力によって、人間のごくささいな動きや臭いや音から、伝達されるべき情報を探りあてることができる。こうやって、犬は主人の意図を正確に感じとる。イヌは人間が思う以上に繊細な感覚で人間とコミュニケーションをとろうとしている。人間の側が、それを分かっていない。
犬には妄想はない。
著者の動物そして孫を観察して書きつづられる言葉には、どれも深い含蓄があり、考えさせられます。私の大いに尊敬する素晴らしい動物学者なのですが、東大闘争を扱った『安田講堂』だけは、残念ながら事実に反した失敗作です。あの本だけはぜひ一刻も早く絶版することを願っています。
(2019年7月刊。1750円+税)

真夜中の陽だまり

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 三宅 玲子 、 出版  文芸春秋
福岡・中州にある夜間保育園の実情が紹介されています。
夜間保育園は増えていない。夜間保育園は81園のみ(2017年)。夜間保育は、昼間の保育より人件費の持ち出しが多くなるからだ。そして、夜間保育園の新設予定はない。夜間保育のニーズが数字としては現れないからだ。
これに対して、ベビーホテルは、この40年で約3倍ふえて、1749施設に3万2500人の子どもが預けられている。実際には、無届出のベビーホテルがあるため、この数倍あると推測されている。
ベビーホテルは預けるのが簡単。子どもを連れていったら、その日から1時間いくらで預かってくれる。紙おむつOK、決まりごとなし。夜も、お金さえ払えば、何時まででも預けられる。親にとっては楽。だけど、子どものためには良くない。ベビーホテルには保育士はいない。
この本で紹介されているどろんこ保育園には、ひとクラスに4人も保育士がいる。保育士の給料は20万円をこえていて、有給休暇もとれる。
夜間保育園に子どもを預ける保護者の25%は単親家庭。多い園では43,5%にもなる。
2016年の1年間で、ベビーホテルから認可保育園へ移行した園は全国で49園あった。しかし、ベビーホテルから夜間保育園に移行した施設はきわめて少ない。
ゼロ歳保育も延長保育も、今ではあたり前の保育制度として社会に定着している。しかし、夜間保育所だけでは、今なお社会から受け入れられていない。
シングルで子どもを育てている中州の女性がすくなくとも400人はいる。しかし、日本社会には、子育ての責任は母親にあるとする「母性神話」が依然として根強い。
日本社会のニーズにこたえている夜間保育園の実情を預けている母親にも取材して、温かい目で紹介している貴重な本です。
福岡の宇都宮英人弁護士よりいただいた本です。いい本をありがとうございました。
(2019年9月刊。1500円+税)

日本社会のヘイトスピーチ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 金 竜介・姜 文江 、 出版  明石書店
在日コリアン弁護士たちが怒りをこめて日本社会の現状を告白しています。私もヘイトスピーチに接すると背筋が冷たくなりますし、悲しい思いです。
ヘイトスピーチ解消法が2016年5月24日に成立しているのに、なかなか実効性が上がっていない。
現場では、ヘイトスピーチをがなりたてるデモ行進が行政当局により許可され、現場の警察官はヘイトデモを守るようにして、「トラブル防止のため」と称して、ヘイトへのカウンター抗議行動のほうを規制している。これでは公務の適正な執行にあたらない。
在日コリアン弁護士たちに対して大量の懲戒請求がなされた。
これは、福岡でもあり、在日コリアンを支持していると決めつけられた日本の弁護士と弁護士会の役員に対する懲戒請求がなされました。もちろん、そんな請求が認められるわけではありませんが、弁護士会に無用な事務処理の手間と費用をとらせました。
在日コリアン弁護士たちは、根拠のない懲戒請求をした人に対して謝罪を求め、応じない人に対しては慰謝料を請求する裁判を起こしました。そして、東京地裁も東京高裁も、明確に人種差別であると認定して、被告(懲戒請求した人)に慰謝料を支払うよう命じました。
この懲戒請求した人の実像は、ごくありふれた中高年でした。ネットのヘイトスピーチをうのみにした、思慮の足りない人なのです。
ヘイトスピーチは、単なる悪口ではなく、人種差別の一種である。
在日コリアンの永住権を「特権」であるかのように見て言いたてる人は、日本が過去にした侵略・植民地支配に対する反省が欠けている。その歴史認識をきちんと身につけていると、「特権」とは考えられなくなる。
日本政府は日本国内にある外国人向け学校に対して補助金を交付している。しかし、朝鮮学校に対する補助金を日本政府は打ち切ってしまいました。とんでもない差別です。このような安倍内閣の偏った姿勢こそがヘイトスピーチを助長し、後押ししている。そして、これを司法が情けないことに追認している。本当に残念です。
この点でも、勇気ある裁判官が求められています。
こんな本を今の日本社会に広く普及させなければ、いけないというのは、本当に残念無念です。でもでも、それだからこそ、ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2019年10月刊。2200円+税)

東大闘争から50年、歴史の証言

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 東大闘争・確認書50年編集委員会 、 出版  花伝社
今から50年前に東京大学で何か起きていたのか、それは何を目ざしていたものだったのか、そして、そのとき関わった東大生たちは、その後をどう生きてきたのか、討論集会(1月10日に東大山上会館で開催)での発言と、34人の寄稿による貴重な証言集です。
ここに集まったのは、全共闘と対峙しながら東大を変革しようとした人たちで、東大闘争を安田講堂攻防戦と直結させて考える、俗世間にある間違った見方を否定します。
東大闘争は、そのとき東大に在学していた東大生(院生もふくむ)が空前の規模で参加したものです。一部に暴力行為・衝突がたしかにありましたが、それでもメインはクラス討論やサークルでの討論が生きていました。リコールが成立したり、代議員大会が成功していたのは、きちんと東大生たちが議論していたということでもあります。決して「民青」が東大を暴力的に支配したというものではありません。
そして、安田講堂前の広場を学生を埋め尽くしたのと同じように、秩父宮ラグビー場での画期的な大衆団交によって確認書が結ばれました。この確認書は、大学の自治は教授会の自治だという古い考え方を改めて、学生をふくめた全構成員による新しい大学自治のあり方が示されたものとして、画期的な意義をもっています。
今では国立大学まで私立大学と同じように採算本位でモノを考えるようになり、学生の大学運営への参加が弱まっていますが、確認書の原点にぜひ戻ってほしいものです。
そして、闘争を経た東大生たちが、その後の人生をどう生きていったのかにも注目したいところです。医師として地域医療の現場で担い、支えていった人、社会科教師として民主主義や暴力の問題について生徒たちと一緒に考える教育実践を続けた人・・・。文部官僚になって活躍していた途中で病気で亡くなったけれど、前川喜平氏に「河野学校」の卒業生だと名乗らせるほど影響力を与えた人もいます。
この本を読んで、東大闘争とは東大全共闘が担っていたものという間違った思い込みをぜひ捨て去ってほしいものです。
350頁、2500円と分厚くて、少し高い本ですが、全国的な学園紛争の「頂点」と位置づけられることの多い東大闘争の多面的な様相を知ることのできる本として、強く一読をおすすめします。少なくとも、全国の公共図書館と大学図書館に1冊常備してほしいものです。
(2019年10月刊。2500円+税)

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