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ギブミー・チョコレート

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 飯島 敏宏 、 出版  角川書店
「少国民」と呼ばれていた東京は下町の子どもたちの毎日が書きつづられています。まさしく悪ガキたちなのですが、決して憎めません。
そして、学校教育の恐ろしさを読者は追体験していくことになります。
1941年(昭和16年)4月、尋常小学校が国民学校という名称に変わった。そして、文部省制定の国民学校指導要領は、「皇国の道にのっとりて・・・国民の基礎的錬成をなすを以て目的とす」になった。それまでは「皇国の道」ののっとってというのではなく、あくまで「児童の身体の発達に留意して」国民教育の基礎と生活に必要な知識技術を授くることを目的としていたのが一変したのです。
全国の公立国民学校で使われる教科書は文部省が制定したものに一本化された。
日本中の子どもたち全部を皇国に尽くす国民として育てられることになった。
小学校3年生の著者たちの新しい担任は中国で戦闘行為も体験してきた元兵士の教員で、拳骨、総員びんた、木刀の峰打ち、など徹底して軍隊式で鍛え上げられていった。そして、子どもたちはたちまち順応して兵士に憧れ、海軍兵学校(海兵)に志願するのです。
日本軍が敗退していくなかで、初めて東京はB29による空襲を受けます。
1944年3月10日夜。初めて、アメリカ軍の超大型爆撃機B29という怪物を見た。超低空で、ゆっくりと翼があらわれると、もう街を覆い尽くすほどの大怪鳥だった。
この巨大な金属製の大鷲みたいな爆撃機は、人間の気配をまったく感じさせない。遠い空には、提灯行列のように、小さな、無数の光が、害もなく流れていくのが見える。のどがからからに干上がるのもかまさず、口をあけたまま凝視していた。
3月10日、アメリカ軍のB29が300機で東京を空襲した。わずか2時間半の爆撃で大日本帝国の帝都・東京の23万戸、12万人を焼却処理した。
ところが、8月15日に戦争が終わったとたん、日本中が、それこそ一億一心、食べ物探しに出歩いた。そして、町でアメリカ兵に出会い、板チョコをもらって喜ぶのでした。15歳のことです。
著者の大の親友だったチュウがクラスのなかでただ一人、空襲で亡くなったのでした。それは文部省思想局による少国民教育の成果として、早期消火活動に取り組んでいたので焼死したのです。にもかかわらず、生き残った教師は、それを「逃げ遅れた」などと言ってのけた。冗談じゃない・・・。
戦時下の「少国民」教育の恐ろしさを今になってしみじみ振り返った本です。でも、振り返ることのできなかった大勢の若者たちがいたことを忘れてはいけない。改めて、そう強く思ったことでした。
正月休みの昼食をはさんで読みふけりました。トランプ大統領がイランの軍事司令官の暗殺を命じたニュースに身体がゾクゾクする思いでした。戦争はこうやって始まるのですよね。
「ウルトラマン」の監督による、かぎりなく事実に近いフィクションとして読み通した本です。
(2019年8月刊。1800円+税)

「マルクス&エンゲルス」(1巻)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 野口 美代子、丸川 楠美 、 出版  高文研
いまアメリカでは、大学生をふくむ若者たちが社会主義に惹かれているそうです。そう言えば、民主党の有力な大統領候補であるサンダース議員は民主的社会主義者と自称していますし、若きオカシオ・コルテス議員も同じ潮流でしたよね・・・。
これはマンガ本です。私は映画「マルクス・エンゲルス」もみていますが、まったく映画の雰囲気と同じだと思いました。
第1巻は、マルクス・エンゲルスの幼年時代のエピソードに始まります。
マルクスもエンゲルスも、それなりに豊かな家に生まれ育ち、そして成績も優秀でした。
エンゲルスはベルリンでヘーゲル哲学を学んだ。そこで、神が人間をつくったのではない。人間が神をつくったのだという文章に出くわした。
エンゲルスは工場経営者の息子でもあり、その工場で働く労働者の状況も調べて本にまとめた。
いやあ、映画といい、このマンガといい、よくぞ当時のヨーロッパの雰囲気を伝えてくれます。
私は大学生になってから、必死でマルクス、エンゲルスの本を読みました。そのなかの一つがエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』であり、マルクスの『経哲草稿』を読んだのです。
この本のあとがきにも、映画『マルクス・エンゲルス』をみて感動して発奮したと書かれています。マルクス・エンゲルスの古典に導かれる手引書としてたくさんの若者に読まれてほしいと思いました。
(2020年1月刊。650円+税)

一度死んだ僕の、車いす世界一周

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 三代 達也 、 出版  光文社
高校を1年で中退し、ガソリンスタンドのバイトからの帰り道、いつものようにオードバイに乗っていると、目の前に車が突然あらわれ、吹っ飛ばされて頚髄損傷。その後、今に至るまで車椅子生活。そして、リハビリ施設のなかで人生の師匠と呼ぶべき男性に出会ったのでした。
東京で借家に一人すまいを始めたものの、引きこもり生活をしていた。ところが、車椅子バスケットボールに誘われ、外に出るようになり、そこで知りあった人から在宅の仕事を紹介された。やっているうちに、通勤の仕事をはじめた。そこで海外旅行をすすめられた。
「ハワイだったらバリアフリー社会だし・・・」
思い切ってHISの窓口に足を運んだ。すると、なんと、23歳で車椅子海外一人旅をすることになった。
オレは18歳で一度死んでいるんだ。大丈夫、オレならなんとかなる・・・。
ハワイでは夜遅く、外に出てはいけないという忠告に逆らってバーへ突進。すると、そこでは、車椅子でみんなと踊ることになって・・・。最高に楽しめたのです。
それで味をしめて、もっと外の世界を見てみたくなった。
ロサンゼルスに1ヶ月半、オーストラリアに半年間滞在してみた。ワーキングホリデーを利用して・・・。そして、28歳になって自問自答して出した答えが世界一周。
いやはや、ひきこもり青年が、なんと車椅子の一人旅で世界一周を考え、実行したのです。たまがりますよね・・・。
HISにはユニバーサルツーリズムデスクなる窓口があるのです。著者は、今そこのスペシャルサポーターをやっています。いやはや、たいした勇気と行動力です。
世界一周旅行の予算は300万円ほどにしたかったものの、車椅子用の部屋は割高になっていて、500万円をこえました。
イギリスからフランス。ルーブル美術館の前で身障害者へのカンパ名目でお金(5万円)をとられてしまった。ホテルのフロントにいた男性に愚痴をこぼした。すると、なんと翌朝からホテルの朝食をタダにしてくれた。こんな出会いもあるのですね。そんな出会いが、このあと何回もあり、つくづく世の中には悪人も多いけれど、善人も少なくないことを実感させてくれるのです。
それにしても、世界一周の旅をするといったら、今はインターネットでのSNSつながりを生かす時代なのだということがよく分かりました。昔だったら、世界のどこかで出会うのは偶然だったようなことが、今ではスマホで簡単に瞬時にいながらにして、誰がどこにいて、どこに行けば会えるか約束できるのですよね。
そんな文明の利器とは無縁に生きている私には、世界一周旅行なんてできそうもありません(実は望んでもいません)。読むと世界が広がり、人間っていいね、生きてるっていいねと思えてくる楽しさいっぱいの本でした。
(2019年11月刊。1500円+税)

1億3千万人のための「論語」教室

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 高橋 源一郎 、 出版  河出新書
「論語」って、なんとなく知っていますよね。「巧言令色、すくなし仁」、「三十而立、四十不惑」・・・。でも、今まできちんと読んだことは一度もありません。そもそも、きちんと読もうと思ったこともないのです。
私の敬愛する源ちゃん先生(年齢は私のほうが3歳だけ年長です)が20年もかけて「論語」を訳したというのです。それじゃあ、読んでみなくっちゃいけませんよね。
「論語」は一筋縄ではいかない本。というのも、孔子先生は、全部を言わないので、読み手のほうで、あれこれ考え推測して理解する必要があるから・・・。また、それがいいのですよね。まさしく読者参加なのです。
この本で源ちゃん先生は、超訳でも創作でもなく、ほんの少しだけ現代風にアレンジし、ほんの少しだけ通訳みたいに解説しているけれど、実は厳密に翻訳したのだと強調しています。私は、最後まで読んで、そのとおりだと納得してしまいました。
孔子による2500年も前の「論語」500編(正確には499編)が現代的に翻訳されている、恐るべき新書なのです。
「論語」の最期(499編)に登場するのは「ことば」。ことばを理解しなければ、ほんとうに人間を理解することはできない。ことばを理解すること、それこそが人間の究極の目標なのだ。
聖徳太子の十七条の憲法に「和をもって貴しとなす」とありますが、その元は、「論語」にありました。「論語」には「和を貴しとなす」とある。
なんでもやってみること、考えるのは、そのあとでいい。まちがっていてもいいから、とにかく行動に出てみる、それしかない。もちろん、私に異論はありません。
政治とは、国民を飢えさせないこと、国民を守るために軍備をきちんと「整える」ことをいう。そして、国民に信用してもらうこと。軍備より食糧よりも、「民衆の信頼」がもっとも大切なこと。
民衆からの信頼がなにより大切で、それがなくなったら、それは、もう「政治」ではない。
今の安倍政権がひどいウソを公然とまき散らしています。これって「政治」ではありませんよね。
情熱のない人間は、少しも進歩しない。受け身ではどうしようもない。なにか一つ教わったら、あとは自分で勝手にその一つの近くを掘ってみる。それくらいの積極性がないと、教える側の教員にとって教え甲斐がない。
「論語」って、こんなことまで言っていたのか・・・。驚きました。
博識・多才の学者による、きわめて明快な解説のついた「論語」です。一読の価値が十分でありすぎるほどです。「論語」の新しさを知るためにも、ぜひ、ご一読ください。
(2019年10月刊。1200円+税)

マリリン・モンローの世界

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 亀井 俊介 、 出版  昭和堂
「セックス・シンボルから女神へ」というのがタイトルです。
マリリン・モンローは、ヘミングウェーとともにアメリカで「いちばん美しい二人」だと言われているそうです。というのは知りませんでした。
マリリン・モンローは、その肉体美によって注目され、「セックス・シンボル」と呼ばれた。しかし、マリリン・モンローは心の美しさも際だっていた。この本は、そのことがよく分かる本です。
マリリン・モンローは1962年8月、36歳で死んだ。しかし、今なお忘れられることがない。
マリリン・モンローが生まれたのは1926年、精神をわずらって崩壊状態にあった女性を母親とし、ロサンゼルスで生まれた父親にも見捨てられた。そのため、いろんな家を転々として育ち、孤児院に入れられたこともある。
マリリン・モンローは「すばらしい女優」になることを目指し、懸命に努力した。借金してまで演技の個人レッスンを受け、舞台劇を勉強するため演技学校に通い、学歴がないので文学書を読んだ。
マリリン・モンローは、実生活において、人間同士の本物の愛を求め続けた。それは愛情遍歴をくり返したが、あくまで無垢な心を守って妥協しないで生きた。
マリリン・モンローは、「セックス・シンボル」にだけ留まってはいなかった。
マリリン・モンローのセックスは、ごく自然で、人間的なものだった。それは、当時、一つの解放感をともなっていた。
「セックスは自然の一部です。私は自然と協調(go along with)していきます」と言ってのけた。その勇気が世間の喝采をあびた。
マリリン・モンローは、夫のアーサー・ミラーが「赤狩り」にあって苦しめられていたとき、女優としての名声を捨てる覚悟で夫を守った。ヒッピーのピースとラブの運動にも共鳴していた。
マリリン・モンローとオードリー・ヘプバーンという有名な女優二人がほぼ同じころに活躍していたことを知りました。この二人は、ともに、今に至るまで圧倒的な人気をたもっていますが、やっぱり違いますよね。でも、そこは、うまくすみ分けている気がします。
マリリンとオードリーは、ともにスター性とアイドル性をもっている。マリリンは「妖艶」、オードリーは「妖精」、二人とも「妖気」を漂わせている。二人は、スターとコメディエンヌを両立させている。男性にマリリンのファンが多く、女性にオードリーのファンが多い。
目を開けても閉じてもあでやかで、目を閉じた顔がこれほど雄弁な女優は他にいない。まぶたに純情、目尻に色気がにじみ、唇からは愛の言葉ばかりがこぼれる。このたおやかでデリケートな魅力こそ、マリリン・モンローの努力の結晶だ。
マリリン・モンローは12歳から2年間、アナ・ロウアーという50代の貧しい独身の女性に引き取られ、大変かわいがられた。このことがマリリン・モンローが決して人間嫌いにならなかった理由だった。
私は、このくだりを読んで、この本を読んで本当に良かったと思いました。
アナおばさんは、友だちにいじめられて泣いている少女(マリリン・モンロー)を抱きしめて、こう言った。
「本当に大切なことは、あなたがどんな人間なのかということ。だから、心配しないで。ただ、正直に自分であり続けさえすればいいの」
いやあ、いい言葉ですよね。不幸な生いたちの少女はこの言葉と温かいアナおばさんの抱擁で立ち直れたし、自信がもてたのですよね、きっと・・・。
マリリン・モンローは、「とにかく人を許す」性質を最後までもち続けた。
「私が本当に言いたいことは、世界が本当に必要としているのは、本当の意味での親近感だということです」
すばらしい本でした。ますますマリリン・モンローが好きになりました。
(2010年1月刊。2300円+税)

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