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東ドイツ史、1945-1990

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ウルリヒ・メーラート 、 出版 白水社
メルケル首相は東ドイツの出身です。コロナ・ウィルスについてのドイツ政府の取り組みをテレビで語っているのをみました。もちろん、私は日本語訳です。
いやあ、日本のアベ首相とは比べものになりませんでした。コロナの脅威を自分がどう受けとめているか、首相として国民に何を訴えたいのか、よく伝わってきました。アベ首相は危機にある国のリーダーとして、まったく失格です。だって、自分の言葉で国民に訴えようという姿勢がありません。そして、メルケル首相は専門家の意見をよく聴いています。アベ首相は専門家に相談することなく、政治的に決断したと言うばかりです。これでは困ります。
その東ドイツが1945年から1990年まで、どんな国だったのか素描が提供されている本です。
東ドイツの書記長ウルブリヒトが政治的に生き残ることができたのは、ひとえにソ連の政治警察の責任者で、スターリン死後のモスクワの政治局内における有力者であったベリヤが解任され、東ドイツで蜂起が起きたから。
1954年に逃亡者は18万4000人だった。ところが翌1955年には25万2000人が東ドイツを脱出した。ただし、1953年には33万1000人ではあった。
1958年2月、ウルブリヒトは、党指導部内のライバルたちの解任に成功した。
1958年から59年にかけて、東ドイツ市民が実感できる経済の安定化が進んだ。
1961年8月、ベルリンの壁がつくられた。このころ、5万人の東ベルリン市民が西側で、1万2000人の東ベルリン市民が東側で働いていた。壁が出来たあと、700人の東ドイツ市民がここで命を落とした。
1965年、ウルブリヒトの「皇太子」と呼ばれていたホーネッカーの周囲には、若者文化にまるで理解のない党員ばかりだった。このころ、テレビや冷蔵庫、洗濯機は、もはや手に届かない家財ではなくなっていた。車(トラバント)も、手に入れて休暇を過ごせるようになっていた。
1971年6月、ホーネッカー時代が始まった。ドイツ社会主義統一党(SED)の大会で、人民の経済的水準と文化的生活水準をさらに向上させることが主たる使命だと宣言された。
ホーネッカーの時代、広範囲に張りめぐらされたシュタージの網が、SEDの指導要求に対する、いかなる異議申立の芽も摘みとった。シュタージの専従職員は9万1000人。それまでの2倍となった。そのうえ、非公式な協力者は、10万人から18万人にまで増えた。教会の職員も、その5%はシュタージの非公式協力者として登録されていた。
1975年には、350万人が東ベルリンと東ドイツに旅行に訪れた。4万人もの東ドイツ市民が「家族面会」の口実で西に行っている。
東ドイツでは、内政でも外交でも、あらゆることが現状維持だった。
東ドイツにある、いろんな組織に属していることは、多くの人々にとって、わずらわしい人生を送らなくてすむための年貢のようなものだった。ピオニール団があり、労働組合があり、独ソ友好協会がそうだった。
1986年、SEDの党員数は230万人、最高の水準だった。しかし、1988年、SEDはソ連の情報誌「スプートニク」を発禁処分とした。
1989年、東ドイツ内の非公式グループが今や公共の場にあらわれるようになった。
1989年、「私たちを出せ」というスローガンが、突如として、「私たちは、ここに留まる」に変わった。このころには、東ドイツは東側陣営のなかで、すっかり孤立していた。
1989年10月、SEDの政治局会議が開かれ、突然ホーネッカー書記長の解任が議題となった。参加者はわが身だけでも助かりたいという期待をもって、ホーネッカーを激しく攻撃した。翌11月、国境が解放された。これはSEDの権力が瓦解したことの表れだった。
1990年8月、東ドイツの人民会議は、圧倒的多数で、連邦共和国に加盟することを決議した。
東ドイツという国は、何が支えていたのか、どうやって、崩壊していったのかが分かる本です。
(2019年10月刊。1600円+税)

「良い生き物」になる方法

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 サイ・モンゴメリー 、 出版  河出書房新社
読んで楽しくなるというか、生き物はみんな人間と同じように意思も感情もあるんだなと、つくづく思ったことでした。
この本に登場する動物の多様さにも目を開かされます。犬、エミュー、豚、タランチュラ、オコジョ、キノボリカンガルー、ミズダコです。タランチュラを手のひらに乗せ、海中の大ダコの頭をなでまわしたり、びっくりぎょうてんです。
豚が賢いのは、前に読んだ女性が三匹の豚を飼って食べた話『買い喰い』(内澤旬子。岩波書店)で知っていました(この本はとても面白く、一読をおすすめします)。瀕死に近い状態の仔豚をひきとって育てたのです。1年で体重110キロのたくましい大きな豚になりました。
豚は人間を一人ひとり見分けるだけでなく、長いあいだ憶えている。
食べ物は手あたり次第に食べるのではなく、ちゃんと注意深くより分けて、一口ずつ上手に食べる。
お腹を撫でてやると、気持ち良くなって寝転ぶ。子どもたちとも、すぐ仲良しになる。
クリストファー(この豚の名前)は、石けんの入った湯を愛し、子どもたちの小さな手で耳のうしろを撫でられるのを愛した。仲間を愛した。誰とでも仲良くなった。
5年たつと体重は320キロになった。まさしく巨体ですね…。
タランチュラをふくめてクモは猫のように清潔好きで、牙をくしの歯のように使って、足の手をていねいにすき、身体をきれいに保つ。
人間は、ヘビと違って、クモに対する恐怖を生まれつき備えてはいない。
水族館の実験によれば、タコは人間を見分けられる。
著者はアテナ(ミズダコの名前)は、その頭を著者に撫でさせた。撫でていると、アテナの体の色が警戒色の赤から、リラックス状態を示す白色に変化した。
うひゃあ、タコも人間を見分けられるんですね…。
タコは玩具で遊ぶのが好きで、その多くは、人間の子どもが使う玩具だ。
タコが人間と親しくなりたいと思うのは、一緒に遊びたいからだ。
タコの腕は、いろんなことを同時にできる。タコのニューロンの5分の3は脳ではなく、腕にある。つまり一本一本の腕に脳があるようなものなのだ。その脳が刺激を求め、刺激を楽しんでいる。
犬の話も大変面白いのですが、ここでは割愛します。
最後にこの本に登場してくる生き物たちの写真がついています。本文には出て来ませんが、「カナダマニトバ州のヘビ営巣地ナルキッソス・スネーク・デンズで1万8000匹のヘビと遊ぶ」というキャプションのついた著者の写真もあります。ヘビを何匹も手にしてうっとりしている感じの写真です。いやあ、これは常人には出来ませんよね…。
「バターン死の行進」を生き抜いてアメリカ軍の将官となった父親とは意見があわず、ユダヤ人と結婚して、母親とも疎遠になった著者ですが、生き物への愛情ははんぱではありません。面白すぎる本なので、一気に読了しました。
(2019年10月刊。1750円+税)

日本プラモデル、世界との激闘史

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  西花池 湖南 、 出版  河出書房新社
 日本のプラモデルは世界中から注目されているようですが、それでも日本の厚いファンで支えられているようです。そして、プラモデルに戦前の日本やドイツの戦車や戦艦などに日本人の人気があるのは、ドイツではまったく考えられないという指摘には、はっと驚かされました。
実は、私も中学生くらいまでは兵器モデルを愛好していましたし、雑誌『丸』を読んで軍事知識を仕入れていたのです。同世代の津留雅昭弁護士(故人)も私と同じようなことを言っていましたが、私より格段の軍事オタクでした。しかし、それも世間に反戦・平和を愛好する人々が増えてくると、軍事モデルは退潮していったようです。
プラモデルが発展したのは戦後のことです。初めはアメリカで盛んで、ここでも日本はアメリカの物真似からスタートしています。
現在、世界の模型の三大市場は、アメリカ、日本、中国だ。日本の模型市場は、ずっと日本の模型メーカーが支配していた。ところが、今では中国やロシア、そして東欧の模型メーカーの製品が押し寄せている。ただし、日本では、模型市場を日本の模型ファンが支えている。しかも、コアなファンが実に多い。
日本には、世界が呆れ、憧れもする部厚いオタク層が存在し、彼らのキャラクターへの愛が模型市場を隆盛させている。
「ロボット鉄人28号」は1960年に売り出され、累計で500万個も売れた。
静岡には、今なお老舗のプラモデルの会社が4社もある。
戦車のタミヤが「パンサー」や「ロンメル戦車」を売り出し、人気を集めた。そして「怪獣」キャラクターものが全盛となった。
1966年(昭和41年)の「サンダーバード」シリーズは、日本のプラモデル史上空前のメガヒットとなった。私が高校3年生のころのことです。テレビで私も「サンダーバード」はみていました。ところが、ブームが去ると、模型メーカーが次々に倒産していったのです。
1975年(昭和50年)には、スーパーカー・ブームが起きた。最盛期には、月に200万個も売れた。
「宇宙戦艦ヤマト」は1983年(昭和58年)までに、テレビアニメ3本、映画4本がつくられ、10年ほど人気は続いた。私も、長男が大好きだったので、これはよく覚えています。
コンピューターによるCAD/CAMの時代になる前は、優秀な金型(かながた)職人がプラモデル生産を支えていた。
このように日本でコアのファンがたくさんいるとしても、それはたいてい40歳以上の層であって、少年ファンを取り込めていない。今では、男子小学生で模型をつくったことがあるのは、わずか5%ほどでしかない。模型をつくる子はかつてのように多数派ではなく、「変わった趣味」扱いされるようになっている。いやあ、そ、そうなんですか。世の中、ずいぶん変わりましたよね…。
日本のプラモデルの変遷を知ることができましたし、なつかしく思い出しました。
(2019年12月刊。1600円+税)

ブッシュマンの民話

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 田中 二郎 、 出版 京都大学学術出版会
アフリカ原住民ブッシュマンに長いあいだ密着取材した成果が本になっています。
ブッシュマンは南アフリカ共和国の隣のボツワナにあるカラハリ砂漠に住む狩猟採集民です。今ではブッシュマンのなかから大学に入り、学者も生まれているようですが、砂漠と草原地帯で上半身裸で生活している人々もまだいるようです。
カラハリ砂漠といっても灌木の混じる平原もあるようです。
ブッシュマンは、5万年ほど前からここに住みついているとのこと。
ブッシュマンは野生動物の狩猟(これは男性の仕事)と植物採集(女性の仕事)という100%自然にのみ依存した生活を送っている。なので、長くて3週間から4週間したら10キロから20キロ先の場所へ移動する。一緒に生活する集団は10人から多くて50人ほど。
大きな獲物はめったにとれないが、とれたらキャンプにもって帰ると、居合わせた全員に分配される。大きな獲物の狩りに成功すると、解体にとりかかり、肉を細切りにして、手近のアカシアの枝にかけて日干しする。軽くして持って帰るためだ。
主食は植物性食物で、これは女性の仕事。男女とも、平均して1日に3時間から4時間は外出労働をしている。
ブッシュマンは動物の肉は大好物だ。でも、毒矢をつかった弓矢による狩猟の効率はそれほど良くない。大きなレイヨウ類が仕留められるのは、平均50人のグループで1ヶ月に1回くらい。
ブッシュマンの摂取カロリーの80%が植物に依存している。水は雨季以外にはほとんどなく、必要な水分はスイカ、メロン、草の根などに完全に依存している。井戸があるという話は出てきません。スイカの糖度は非常に低いが、生のままでも食べられるので、重要な水資源となっている。ダチョウの卵は水筒としても貴重だ。
ブッシュマンは、歌と踊りが大好きだ。ゲムズボック・ダンスは楽しみのためだけでなく、治療のためにも行われる。悪霊を退治して病気を治し、社会にはびこった邪悪なものを取り去って、社会に平安と安寧をもたらす。
少女が初潮を迎えると、小屋の中に寝かされ、その小屋の周囲を女性たちが専用の小さなエプロンだけをつけて、エランド・ダンスを踊ってまわる。おっぱいとお尻をあらわにして強調し、少女の健やかな成長と安産、多産を祈願する。
ブッシュマンにとって、すべてをつくったのはガマと呼ばれる精霊かカミサマ。民話に登場する動物たちは、どれも人間の姿をしていて、場面に応じて獣や鳥の姿に変身し、その習性を顕現する。
ブッシュマンにとって、ライオンは太陽とならぶ悪の代表格だ。人々もライオンには太刀打ちできず、かまれたり、かみ殺されたりする。
日本の昔話にウサギとカメの競争する話があるが、ここでは、ウサギの代わりにリカオンが登場する。ウサギはいたずらばかりする動物として民話によく登場する。ウサギが悪知恵をつかってライオンを殺し、ライオンの皮をかぶってライオンに化けるという話もある。
すごいですね。カラハリ砂漠に住み込んで民話を採集して、それを活字にしていったのです。そんな学者の根気強さには、ほとほと感心します。
(2020年1月刊。2800円+税)

ザ・ボーダー(上)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ドン・ウィンズロウ 、 出版  ハーバーBOOKS
アメリカと南米の麻薬カルテルの暗躍ぶりを、これでもかこれでもかと延々と詳細に書きつづっている小説です。文庫本なのですが、上巻だけでも765頁、ほとほと疲れてしまいます。
アメリカには、メキシコや南米各国から、麻薬がとうとうと流れ込んでいるようです。
アメリカの国務省とCIAはメキシコ政府と麻薬カルテルの協力関係の維持を消極的にせよ支持する。これに対して、司法省と麻薬取締局は断固としてカルテルのヘロイン密輸を阻止したい。
アメリカでは、麻薬取締法の厳しさから、暴力をともなわない違反者にも最低30年の刑そして終身刑を科した。その結果、200万人以上が、その大半はアフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人が刑務所暮らしをしている。
ドラッグマネーがアメリカから毎年メキシコだけでも何百億ドルも流出している。その多くはメキシコ国内の投資に流れる。メキシコ経済の7~12%は、ドラッグマネーで成りたっていると言われている。同時に、アメリカにまた戻ってきて、不動産や投資に注ぎ込まれるお金も少なくない。いったん銀行に預けられ、その後、合法的なビジネスに使われる。これが麻薬戦争の裏に隠された薄汚い真実だ。「ヤク中」が腕に注射を1回うつたびに全員がもうかる仕組みになっている。全員が投資家であり、カルテルなのだ。
刑務所や監獄は、答えではない。刑務所のなかでもヤクを続ける。むしろ有効なのは、薬物裁判所か・・・。逮捕したら、判事が強制的にリハビリ施設に送り込むようにしたらいい。
メキシコ人は、テキサス経由でニューヨークにヘロインを持ち込み、たいていはアッパー・マンハッタンかブロンクスにあるアパートメントや自分の家にいったん保管する。そのあと、工場でダイム袋に小分けして売人に売る。売人はたいてい組織のチンピラで、買ったヤクを市内で売りさばくか、州北部やニューイングランドの小さな町に運ぶ。ヤクを卸すカルテル側の人間が工場にいることはめったになく、彼らはヤクを持ち込むときだけ現れ、すぐにその場を立ち去る。工場で働いているのは、ヘロインを小分けする地元の女や、日銭めあての下っ端マネージャーだ。
このようにしてヤクは次から次に流入する。
メキシコの警察がカルテルに手なずけられているのは、すぐにお金になびくからではない。それだけの支配力をカルテルはもっている。賄賂は、もらうか、もらわないかではない。もらうか、もらわないなら一家皆殺しなのだ。このやり方なら、買収した警察官であっても信用できるし、裏切られることはない。
しかし、ニューヨークのギャングは警官を殺したり、ましてやその家族を脅したりはしない。正気のギャングなら、そんなことをしたら、怒れる3万8千人の警官を敵にまわすことになる。もし生きて逮捕されても、アイルランド人やイタリア人の検事やユダヤ人の判事から州で最悪の刑務所に送られ、死ぬまでずっとそこで過ごすことになる。もっとまずいのは、ビジネスが立ちいかなくなることだ。
そんなわけで、黒人のギャングもラテン系のギャングも警官を殺そうとはしない。それよりビジネスを大事にする。なので、メキシコ人もニューヨーク市警の警官の買収には慎重になる。警官が裏切らないという保証がないからだ。
今では、ドラッグはマンハッタン島の中央と南部の核家族世帯や近隣の労働者世帯のほか、多くの警官、消防士、市役所職員にも広がっている。
マンハッタンやブルックリンでは、ドラッグの商売は主にギャングの仕事で、公営住宅やその周辺での売買は、黒人とラテン系のギャングが仕切っている。そこに新規参入の余地はない。
まあ、あきれてしまうというか、心底から震えるほど恐ろしい現実世界が展開していく本です。
(2019年7月刊。1296円+税)

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