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物語カタルーニャの歴史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 田澤 耕 、 出版 中公新書
カタルーニャというのは、スペインの地中海岸の北東部、フランスと国境を接する地方のこと。広範な自治権を有する自治州であり、その州都はバルセロナ。カタルーニャの人口は700万人。デンマークを上回る。
交通の要衝として、古代から栄えてきた。現代では、その地の利と、勤勉な国民性をいかし、スペイン随一の先進工業・商業地域として、スペイン経済の牽引車の役割を果たしている。
カタルーニャは中世(711年)イスラム教徒に支配された。フランク王国が取り戻したのは759年のこと。中世においては、イスラム教圏こそが先進文明圏であり、キリスト教圏は、戦いに明け暮れる未開の蛮族と貧弱な農法に頼る貧しい農民たちの地にすぎなかった。すなわち、ギリシャ・ローマの文明は、イスラム教圏で保持され、磨かれていたのだった。
修道院は、当時の学術・文化の中心であり、すぐれた修道院をもつことは、すぐれた政治顧問国を持つことにも等しかった。
アルモガバルスという傭兵部隊が存在した。アラビア語起源で、「突然、侵入してきて荒らしまわる者たち」という意味のことばだ。14世紀、地中海の国際情勢が安定してくると、アルモガバルスはやっかい者となり、危機を迎えた。
1939年1月、バルセロナが陥落し、フランコはカタルーニャ自治憲章を廃止し、カタルーニャ語を使用禁止とした。フランコ政権による厳しい報復を恐れてピレネー山脈をこえてフランスに亡命した人は50万人にのぼる。
フランコ独裁政権は「強い統一スペイン」を標榜して、徹底的な反カタルーニャ主義政策をとった。カタルーニャ語を公の場で使うことも禁止した。
1975年、独裁者フランコが82歳で病死した。
1978年に、スペインの原稿憲法が制定され、カタルーニャ州に自治を認め、自治憲章の制定を認めた。
2014年9月、バルセロナで180万人が参加する大規模なデモがあり、スペインからの独立を求めた。バルセロナの人口は160万人であることから、180万人というすごさが分かる。
カタルーニャ自治州は、人口ではスペインの16%だが、GDPでは20%を占める。工業、農業、漁業、そして観光業まで、スペイン産業界をリードする豊かな地域なのだ。
2014年11月の住民投票では、230万人が投票し、8割以上の人がカタルーニャの独立を支持した。しかし、投票率は有権者の3割でしかない。
2017年10月の住民投票では、投票率44%で、独立賛成が90%をこえた。
なかなか住民意思の実現が難しいのは、どこも同じなんですね…。
スペインの北部、カタルーニャの興味深い歴史と現在を知ることができました。
(2019年12月刊。920円+税)

我が家に来た脱走兵

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小山 帥人 、 出版 東方出版
50年前、私が大学生のころ、アメリカはベトナムに大量(最高時50万人)の兵隊を送り、ジャングルでベトナム解放民族戦線(ベトコン)と戦っていました。
アメリカのベトナム侵略戦争です。アメリカには共産主義が東南アジアに広まったら困るという「ドミノ理論」があるだけで、客観的には何の大義もありませんでした。要するに、アメリカの軍需産業がもうかる一方で、前途有為のアメリカ人青年が5万5千人も無駄に戦死させられたのです。そして、ベトナムでは何百万人もの罪なき人々が無残に殺されました。そんなベトナム戦争に疑問をもつアメリカ人青年がいて当然です。
ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、そんなアメリカ人青年がアメリカ軍から脱走してきたときの受け皿になっていました。この詳細は『となりに脱走兵がいた時代』(思想の科学社)で詳しく紹介されています。
この本は脱走兵の一人、19歳のキャルを3日間だけ京都の実家に迎えたNHK記者が、47年ぶりに再会したことを紹介しています。
キャルは北海道からソ連へレポ船で渡り、スウェーデンにたどり着きました。やがて結婚して子どもまでもうけたのですが、ついにアメリカに戻ったのでした。そして、麻薬中毒患者になったり、CIAに脱走当時のことを全部話したりしたのですが、今はホームレス支援の生活をしているのです。
脱走兵のなかにはCIAが送り込んだスパイもいました。これは、『となりに脱走兵がいた時代』にも紹介されています。
この本を読んで、見も知らないアメリカ人青年の脱走兵を受け入れた日本の家庭がたくさんあったことに改めて深く感動しました。ナチス・ドイツの支配するベルリンでもユダヤ人をかくまったドイツ市民が何百人もいたというのと同じことなのでしょうね…。やっぱり、いつの時代にも勇気ある人はいるものなんですよね。
著者がNHK記者だったこともあり、当時の映像が残っていて、それが毎日放送(テレビ)で2015年に放映されたとのことです。みてみたいです。
(2020年2月刊。1500円+税)

南仏プロヴァンスの25年

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ピーター・メイル 、 出版 河出書房新社
コロナ・ウィルスによる深刻な被害で世界中が大変なことになっている今、旅行どころではありませんが、旅行に出かけるとしたら、南仏プロヴァンスは絶対におすすめです。
だって、年間300日は麗らかに晴れて、夏だと夜10時ころまで明るいのですから、観光にはもってこいです。そのうえ、食べるものが美味しく、ワインも高価でなくても最高の味わいなんです。
夕食をとろうと、夜6時にレストランに入ろうとしても早すぎます。早くても夜7時から。夜といっても、午後の7時や8時はまだ真昼間なんです。店内ではなくて、道路に面したテラスにテーブルがセットされていて、道を行きかう人々を眺め、眺められながら、2時間かけて、ゆっくり美味しい料理とワインを楽しむことができます。そんな夢のような生活を過ごした著者が描き出した『南仏プロヴァンスの12か月』は世界的な大ヒットとなり、空前のプロヴァンス・ブームを生んだのでした。
私が初めてそんなプロヴァンスの一つ、エクサン・プロヴァンスに4週間ほど滞在したのはまだ30歳代のことでした。外国人向けのフランス語夏期集中講座に参加したのです。学生寮に泊まってフランスでの独身生活を謳歌しました。
プロヴァンスの人々は、地球上のどこよりも特典に恵まれた環境に生きていると信じきっていて、他所へ移る意思はない。
プロヴァンスの人々は、時間にせかされる今様のせせこましい風潮を嫌い、当然のことながら政府を信用することなく、「パリの出来そこない」と言って見下している。
フランス人が会話を彩る仕種(しぐさ)は、ほれぼれするほどだ。指、掌、腕、眉毛の自在な動きと声の抑揚によって論点を強調し、発言の内容を敷衍(ふえん)する話術が絶妙だ。
プロヴァンスではロゼが圧倒的な人気だ。見た目がいいし、料理は相手を選ばない。
プロヴァンスでは昼の食事がことさら重んじられている。商店はどこも、正午から午後2時まで休みをとる。週末の昼食は常にもまして大切とされ、とりわけ日曜は平日なら2時間の昼休みが3時間をこすのもざら。
ワイン・フェスティバルのとき市場(マルシェ)の屋台を冷かして食べ歩く。火を通さないソーセージ、ピザを一かけら、山羊のチーズを一口、さらにリンゴのタルトの甘い香りが鼻をくすぐる。そして、パスティス(食前酒)。フランス人は、1日にグラス2千万杯、年間に1億3千万リットルのパスティスを飲む。パスティスの滑らかな喉越しは、憂いを払ってくれる。
ああ、またまた南仏プロヴァンスの陽光を浴びながら、歩道のテラスでパスティスそしてキール・ロワイヤルを飲みながら、美味しいフランス郷土料理を味わいたくなりました。困った本です。でも手放せません…。
(2019年11月刊。1700円+税)

平成重大事件の深層

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 熊﨑 勝彦 (鎌田 靖) 、 出版 中公新書ラクレ
東京地検特捜部長として高名な著者をNHK記者だったジャーナリストがインタビューした本です。8日間、のべ25時間に及ぶロングインタビューが読みやすくまとめられています。
「これは墓場までもっていく」といった場面がいくつかあり、いささか物足りなさも感じました。要するに自民党政治家の汚職事件です。
ゼネコンなどが大型公共工事で談合していることは天下周知の事実なわけですが、途中に「仲介人」が入っていたら刑事事件として立件できない、著者はこのように弁解しています。一見もっとものようにみえますが、本当に「仲介者」を攻め落とせないのか、そこに例の忖度(そんたく)が入っていないのか、もどかしい思いがしました。
登場するのは、リクルート事件、共和汚職、金丸巨額脱税事件、大手ゼネコン汚職事件、証券・銀行の総会屋への利益供与事件、大蔵省汚職事件です。
スジの良い情報をとれば、捜査は半分成功。
厳正な捜査を貫くことが捜査の基本だが、そのなかで国民目線でものを見ていくことも重要。国民の視点をつねに留意する。捜査というのは、途中で後戻りする勇気も合わせもたないとダメ。
事件捜査は、離陸がうまくいっても、肝心なことはうまく着陸できるか…。
金丸信副総裁への5億円ヤミ献金事件では、金丸信を実情聴取もせず、上申書のみで、罰金20万円で終わらせた。これに国民は怒った。怒った市民が検察庁の看板をペンキで汚すと、同じ罰金20万円だった。
著者は、この金丸副総裁の件を罰金20万円でよかったと今も考えていると弁明しています。とんでもない感覚です。金丸信は、現金10億円を隠していたのです。いったい何という政治家でしょうか…。これが自民党の本質ですよね。
ゼネコン汚職事件について、談合が過去形であるかのように語られているのも納得できません。
高度成長期に建設業界が長いあいだ公共事業で潤っていたことが明らかになった。その旨味(うまみ)を、談合をとおして特定業者に分配する構造が浸透していた。
さらに、談合は受注側だけじゃなくて、発注者側も加担している。つまり官製談合もはびこっていた。このような隠れた社会システムのなかで、建設族とか運輸族とかの族議員や地方自治体の長らが幅を利かせていた。
これって、今もそのまま生きているように私には思えるのですが…。
レストランの奥の部屋にゼネコン4社の談合担当者が集まり、全部で現金1億円をトランクに入れ、それをまるごと仲介者に手渡した。そして仲介者が仙台市長に渡した。
今も、同じことがされているのじゃないのでしょうか…。
物足りなさもたくさんありましたが、特捜検事の苦労話としては面白く読みました。
(2020年1月刊。980円+税)

ツバメのひみつ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 長谷川 克 、 出版 緑書房
ツバメの平均体重は20グラム、スズメは、それより少し重くて24グラム。なんだか見かけと違った印象です。ツバメは足がとても短い(1センチ)。
ツバメは高度に特化した飛翔性能を有する。地球上には、70種をこえるツバメがいるが、日本には5種しか生息していない。
ツバメのオスは、メスより尾羽が長い。オスは尾羽にある白い斑が大きく、喉の赤さが際立っている。そして、背中の青い金属光沢も強い。そして、さえずっているツバメは、だいたいがオス。メスへの求愛のために鳴いている。
メスは子育てに尽力し、夜間に抱卵しているのはメス。オスのツバメも抱卵するが、短時間のみ。ただし、ヨーロッパのツバメではオスは抱卵しない。
ツバメは成鳥になってからの平均寿命は1年半ほど。平均生存率は50%。
同じ巣を同じカップルのツバメが使っているように見えても、実は、毎年、メンバーが入れ替わっていることが多い。
ツバメは朝起きて、夜に眠る。1日の大半を食事に費やしている。ツバメは平均時速40~60キロ。
ツバメのメスは、自分の夫が魅力に欠けるときには、浮気して子をつくる。それでも、ツバメの子の97%は、巣の世話をしているオスの子。ヒトの婚外子が3%なのと、あまり変わらない。
ツバメの親は、色がもっとも赤く鮮やかな口をしているヒナに、好んでエサを与える。また、もっとも激しくエサをねだるヒナが優先的にエサをもらえる。
ヒナは、卵から孵化したあと、20日ほどで巣立ちする。それでも、親は、巣立ち後も、しばらくは子の世話を続ける。そのほうが子の生存率は高まる。新潟県上越市で200羽のヒナに足環をつけたところ、帰ってきたのは、わずかに8羽だった。
ツバメの発祥の地は、ヒトと同じアフリカ。
ヨーロッパのツバメは、牛舎のなかで集団的に繁殖する。牛舎だと天敵にやられて全滅する危険は小さい。
東南アジアでは、ツバメを釣って食べる地方がある。
ツバメは地球規模で減少している。日本でも体感として10年前の10分の1になっている。
ツバメは冬のあいだ、南方の地域でどんな生活をしているのかも知りたい…です。
(2020年3月刊。1800円+税)

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