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木簡、古代からの便り

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 奈良文化財研究所 、 出版 岩波書店
木簡のことがよく分かる楽しい本です。
全国で見つかった木簡は50万点。その7割は奈良など、古代の都の周辺で見つかっている。630年代くらいが最古。
奈良研には6000個もの容器に入れた木簡を保有している。
木簡が残るのは、溝やゴミ捨て穴、井戸のように当時の地面を人為的に掘りくぼめた深い遺構の中。
地表に出ない場所で、日光と空気から遮断された状態で、地下水に守られながら腐蝕の速度が抑えられて初めて、木簡は1300年も残る。たっぷりの水と泥とで日光と空気が遮断され、バクテリアの活動が抑制された環境のなかで、かろうじて残っているのが実情。
そのため、木簡は科学的な保存処理を施すまでは、水に漬けて保管しなければならない。
奈良研では、毎年8月、「水替え」と呼ばれる水漬け木簡の総点検をしている。
奈良研では、室温20度、湿度60%に保たれた専用の処蔵庫で処理ずみ木簡を保管している。
木簡はもともとゴミなので、一つひとつの持つ情報は決して多くない。日常業務や生活に密着した事柄が多い。
古代に人々は、木と紙の双方の特性を熟知し、この二つを使い分けていた。
木簡は、表面を刀子(とうす。小刀)で削り取ると、厚みの許すかぎり何度でも書き直せる。たとえが、人事テータの管理には、加齢や異動などによる書き換えが前提となるので、紙より木簡のほうが適している。
木簡の用途や種類は多彩。くじ引き札。巻物の軸であり、背表紙のようなもの。手紙や帳簿。荷札・ラベル。文書の練習・落書。
奈良研で保管している30数万点の木簡のうち、80%以上は「削屑」(けずりくず)。
長屋王家木簡と呼ばれる木筒3万5000点が発見されたのは1988年(昭和63年)のこと。
(2020年2月刊。1800円+税)

歩く江戸の旅人たち

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 谷釜 尋徳 、 出版 晃洋書房
江戸の人々は旅を楽しんでいたようです。
誰が旅をしていたのか…。
平均年齢は30歳代ですが、最年長は50歳代後半でした。
5歳まで生きのびるのは、出生者全体の3分の2、40歳時点での生存者は当初の半分、晴れて60歳の還暦を迎えるのは3分の1。70歳に達するのは当初の2割。
ということは、旅に出た50歳代の男性は、連日の長距離歩行に耐えうる健康体を維持していた人々だった。
では、江戸の人は1日にどれくらい歩いていたのか…。男性で1日に35キロ、女性は28キロ超。1日に70キロ歩くのも不可能ではなく、最大50キロが普通だった。
朝の4時から7時ころに出発し、宿泊地には午後4時から6時ころに到着する。1日に少なくとも7時間、長いときには15時間にも及び、平均して10時間ほど。
江戸時代の庶民は寺社への参詣(さんけい)を旅の目的として藩の了解を得ておいて、真の目的は道中の異文化に触れて遊ぶことにあった。
近世庶民は、信仰を後ろ盾にして日本周遊旅行を存分に楽しんでいた。
伊勢参宮が最大だったのは文政13年(1830年)で、3月から6月までに427万人に達した。日本人の庶民の6人に1人が行った計算になる。
江戸の人々の歩き方は、現代日本人とは違っているようです。爪先歩行、前傾姿勢、小股・内股、歩行が奇妙であること。
日本人は歩行のとき足を引きずる。また、音を立てて歩く。こんなことに外国人が驚いています。
いまはコロナの関係で、それこそ自粛させざるをえませんが、日本人の旅行好きは昔からだということもよく分かる本です。
旅行ガイドブックがたくさん売られていました。それだけ需要があったわけです。
この本は江戸の旅人たちの様子をいろんな角度から紹介していて、大変勉強になりました。
ところで、旅の安全性はどうだったんでしょうか。女性の一人旅も少なくなかったと聞きましたが、本当でしょうか。ケガしたり、病気したときには、どうなる(なった)のでしょうか…。次々に疑問が湧いてきます。
せっかくここまで明らかにしていただいのですから、続編も大いに期待します。どうぞよろしくお願いします。
(2020年3月刊。1900円+税)

女帝・小池百合子

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 石井 妙子 、 出版 文芸春秋
中身がカラッポ。何をしようということはなく、ただ目立ちたがり屋なだけ…。もちろん、弱者救済とか環境保護というのも、まったく年頭にない。あるのは、どんな服装をして、どんなセリフを吐いたら世間受けするかということのみ。そんな女性を「救世主」かのようにもてはやし、持ち上げてきた日本の大手メディアの責任は重大だと、この本を読んで、つくづくそう思いました。
支離滅裂だけど、誰も気にしない。自信たっぷりに、美声でとうとうと話すから…。
小池百合子には仲間がいない。長くつきあっている人がいない。自分が目立つことだけを考えて他人(ひと)を利用してきた結果だ。人望がない。
築地市場を守り、豊洲移転を立ち止まって、考える。小池百合子は「ジャンヌ・ダルクになる」と言って、「築地女将(おかみ)さん会」の支持を得て都知事選挙に出て、圧勝した。ところが、小池百合子は「ジャンヌ・ダルクは、火あぶりになるからイヤ」と言った。そして、築地を見捨てて、豊洲の開設をすすめた。
小池百合子は自民党に帰順するにあたって築地を手土産(てみやげ)にしたのではないか、二階幹事長の推進するIR(カジノ)の候補地に築地を差し出したのはないか…。
希望の党の党首として、小池百合子はこう言った。
「安保法制に賛成しなかった人はアプライ(志願)してこないと思う」
「(民進党の)全員を受け入れる気はない。憲法観や安全保障で考えの一致しない方には、ご遠慮いただく」
「全員を受け入れるということは、さらさらありません」
「『排除されない』ということはございませんので、排除いたします」
選挙期間の最終日、小池百合子は夜8時に演説を終えると、その足でパリ行きの飛行機に乗った。開票結果を見守ることもしなかった。
希望の党は235人を擁立したが、当選したのは50人のみ。
小池百合子が公約としてかかげた「7つのゼロ」は、いずれも実現していない。「ペット殺処分ゼロ」も、老齢・障害・病気もちの150匹近い犬猫を殺処分したにもかかわらず、「ゼロ」だとカウントしている。
コロナ対策で東京都は明らかに遅れた。それは、小池百合子がオリンピック開催にずっとしがみついていたから。オリンピックの延期が決まり、安倍首相が小池支援を確約するや、今度は一転した「危機のリーダー」を演じるべく、連日、テレビで記者会見する。
小池百合子に親友があるとは見えてこない。同志といえる人もいない。何より、その心が見えない。だから感情がからみあわない。人間関係が希薄で、しかも長続きしない。他人に心を許さない。常に騙されるまいと思っている。用心深く、自分が生き抜くことを考え、得になる人とだけ付きあう。だから、利用価値のなくなった人、下り坂にある人との線はばっさり切り、ときには相手を悪者に仕立てる。
小池百合子は男社会と対峙するのではなく、寄り添い、男社会のなかで「名誉男性」として扱われることを好んでいた。
小池百合子は、女の皮はかぶっているけれども、中身は男性。平気ではったりができる。虚業に疑問を抱かない。見識や知識がなくても、それを上回る器用さと度胸がある。
小池百合子は政治家としてやりたいことはなく、ただ政治家がやりたいだけ。だから、常に権力者と組む。小池百合子は、ただ注目を浴びていたいだけ。
小池百合子の眼は笑っていない。孤独の深さが伝わってくる。いつも表情を作っている。
小池百合子は細川、小沢、小泉そして安倍と渡り歩いてきた。
小池百合子がエジプトのカイロ大学をちゃんと卒業したのかどうかという点では、卒業証書ではなく、卒業証明書または成績表を公表・公開すればいいのです。エジプトの政・軍部の支配下にある大学当局の卒業証明書では明らかに足りません。
この本を読んで、小池百合子は人間としては実に哀れな人だという印象を受けましたが、マスコミのつくりあげた虚像によって都知事として再選されるかもしれないとのこと。まことに、小池百合子も日本のマスコミも罪深い存在です。
いま一読に値する本です。
(2020年6月刊。1500円+税)

『世界』がここを忘れても

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 清末 愛砂・久保田 桂子  、 出版 寿郎社
アフガニスタンの女性・ファルザーナの物語というサブ・タイトルのついた絵本です。
アフガニスタン女性革命協会(RAWA)を支援している「RAWAと連帯する会」共同代表の著者がアフガニスタン現地での活動を通して知りあったアフガニスタン女性たちから聞いた話をもとに、「ファルザーナ」という女子大学生のストーリーにまとめた本です。
見開きに文章と絵があるのですが、描かれた絵がいかにも文章にマッチしていて、読み手の心をぐぐっとつかまえて離しません。
アフガニスタンというと、先日、惜しくも殺害された中村哲医師を思い起こしますが、国の再建にはまだまだ時間がかかるようです。
アフガニスタンでも大学に通う女子学生はいるのです。通学はバス。バスは、前のドアは女性客が、後ろのドアは男性客がそれぞれ乗り降りに使うといった区別がある。
アフガニスタンの就学率は男性68%、女性39%。大学は男性14%、女性5%になっている。女性の高等教育への進学はなお困難。
識字率は、男性55%、女性30%。15歳以上の半数近くは、読み書きができない。
タリバン政権時代は、女性への教育が禁止された。
アフガニスタンでは、カブール(カーブル)のような大都市を除いて、女性がひとりで外出するのは基本的に認められていない。夫や父・兄弟といった親族男性と一緒に出かけることが求められる。
アフガニスタンでは、今なお爆弾テロが絶えないようです。暴力(武力)には暴力で対抗するというのは、果てしない暴力の連鎖です。中村哲医師のような地道な取り組みこそ日本の果たすべき国際支援なのではないかと考えました。
よく出来た絵本です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2020年2月刊。1800円+税)

母がしんどい

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 田房 永子 、 出版 角川文庫
母と娘の関係も、父と息子の関係にまさるともとらないほど難しいのですね。
この文庫は、コミック・エッセイなので、パラパラと読めますが、そこで描かれている情景は、あまりに重たくて、どうにもたまりません。
まわりから見ると、仲良し親子。だけど、「お母さん、大好き!」って思ったことがない。
なんの問題もない、しあわせ家族。だけど、実は、お父さんとしゃべったことがない。会話は、いつもお母さん越し。
お母さんは、いつも「あなたのため」と言う。だけど、本当に私のためなの? お母さんがやりたいから、やっているとしか思えない…。
マンガで描かれているので、視覚的に問題状況が理解できます。いやあ、これって、子どもには大変な試練だな…と思ってしまいました。
親がしんどいという気持ちに苦しんでいる人が、なぜ苦しいかというと、親からフェアではない目にあわされてきているから。一方的にいろいろされてきたうえ、なぜか「おまえが悪い」という言葉によって、その責任を押しつけられる、つまり、いきなりに「加害者」として扱われてきたことによる。
「自分が悪い」というのが基本にある考え方がしっかり身についているから、家庭の外に起きることまで、すっかり「自分が悪い」で片付けるようになってしまう…。
「おまえが悪い」という親の言葉を「自分が悪い」として生きていると、親と一心同体の状態にあるのと同じ。なので、まずは親から自分を引き離す作業が必要。「おまえが悪い」というけれど、そうしたのは親なのだ。つまり、ちゃんと被害者の立場に立ち切ることが大切。
ちょっと前まで、娘が母親を非難・批判するなんて許されないことだった。まして「毒母」なんていう言葉を投げつけるなんて、とんでもないことだった。でも、昭和が終わり、平成になってまもなくから、それが可能になった…。
「母の愛」と信じてきたものが、実は、「母による支配」だったと自覚することによって、母から離脱し、人間として自立できる。ということのようです。同性である母と娘の関係のむずかしさを少しばかり実感して理解することができました。
では、父親(夫)は、どうしたらよいのか…。この本の解説は、父親に期待することは、ただひとつ、ちゃんと母親(妻)をケアしてもらいたいということ。
うむむ、これまた簡単そうで、実は、そんなに容易だとは思えません…。
時宜にかなったマンガ・エッセイの文庫本だと思いました。
(2020年2月刊。600円+税)
「デンジャー・クロース」というベトナム戦争を扱ったオーストラリア映画を博多駅の映画館でみました。ベトナム戦争は私の大学生のころ、何度となく「反対!」を叫んでデモ行進をしたものです。
この映画は、オーストラリア軍がベトナム戦争に加担していたこと、南ベトナムで北ベトナム正規軍2000人からオーストラリア軍中隊108人が包囲・襲撃されて残った「ロングタンの戦い」を実写化しています。
オーストラリア軍がベトナムに派遣されていたことを詳しくは知りませんでした。陸・海・空の3軍あわせて5万人も派兵していて、450人の戦死者、そして2400人もの戦傷者を出しています。
この「ロングタンの戦い」は、まだオーストラリアでのベトナム反戦運動が盛んになる前の、1966年(昭和41年)8月18日に起きました。オーストラリア軍の戦死者は18人。みんな20歳前後の若者です。これは私とほぼ同じ年齢(1歳か2歳だけ年長)です。
そして、北ベトナム軍の戦死者は確認されただけでも245人。1割以上です。
「デンジャー・クロス」(極限着弾)とは、味方に対して超至近距離で砲撃することを要請すること。味方の小隊がこの砲撃で全滅してしまう危険もあるもの。
ベトナム戦争を描いたものとして、迫真の場面の連続で、すっかり固まってしまいました。

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