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連帯の時代

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  伊藤 千尋 、 出版  新日本出版社
 コロナ渦のもと、なんだか気分がうつうつしていると、この本を読んだら元気になります。これはホントです。読んだ私が言うのですから間違いありません。まず、表紙の写真がいいです。いろんな人種の手がそっと優しく重ねられています。あったかさを感じます。
今の日本には「無気力」が蔓延している。自己責任と自粛を押しつけられ、分断され孤立させられ、何をしてもムダ、どうせ世の中には変わらないとあきらめがち。でも、著者は言います。いや、違う。あきらめていない人々によって、世界は確実に変わっている、と。
アメリカで起きた連邦議会占拠はひどいものでした。トランプが暴動(クーデター)をあおったことは明らかです。なんとか収拾したあと、今ではトランプ弾劾がはじまり、トランプの支持率は激減しているようです。トランプが前回より得票を大きく伸ばしたのに落選したのは、それ以上にアメリカの良識ある人々が投票所に足を運んでバイデンに投票したからです。
 アメリカで出来たことが日本でできないはずはありません。野党がまとまればいいのです。連合が労働組合とは思えない横やりをいれていますが、そんな邪魔をぜひ克服して、日本も政権交代で民主主義を回復したいものです。
 コロナ渦で起きたイタリアの話が、トップバッターです。政府の方針に反してまで村独自でコロナ対策を断行し、村民の生命と健康を守ったのでした。いつまでたってもスガ政権はPCR検査をまともにせず、医療機関への手当も不十分なままです。Go to トラベルだとかオリンピックとか、企業優先ばかりで庶民切り捨てですから、地方自治体が反逆して、ちっとも不思議ではありません。イタリア人は、組織の決定を待たず、個人が自ら判断する。そうなんですよね、日本人は、そこが弱いと思います。おカミ、政府が何とかしてくれるだろうなんで思っていても、アベもスガも何にもしてくれませんよ…。
 次はドイツの話です。日本のスガ首相は、まともに国民に話しかけることがありません。きっと自分のコトバで話すことができないのです。官僚の作文を読みあげるだけの頭しか持っていないようです。日本の首相は残念ながら、それでつとまるみたいですね…。それもこれも低投票率と小選挙区制の「おかげ」です。
メルケル首相の国会でのスピーチを日本文で読みましたが、すばらしいです。心がこもっています。スガ首相の冷淡きわまりないコトバとはまるで違います。
 著者はチェコにも行っています。なにしろ東大生のころジプシー調査探検隊の隊長として東欧をかけめぐったという語学の達人でもあります。
 チェコ革命前夜、チェコの人々が自由を求めて30万人も集まり、一つの歌をうたったというのです。コロナ渦の下で、人々は集まれませんが、それでもネットで行動することはできるわけです。
歴史を変えるキーワードは人々の連帯。アメリカ・ファーストなど、孤高時代は、もう過去のもの。日本人の私たちは中村哲医師に続こう。力強い呼びかけです。ぜひ、あなたも読んで、元気を取り戻して、高らかに声をあげましょう。
(2020年11月刊。1700円+税)
 日曜日に孫たちと一緒にジャガイモを庭に植えつけました。春ジャガです。初めてです。タマネギが4本ほど生き残っていますので、そのそばに植えてみました。孫たちと遊びながらでしたので、少し「三蜜」状態になりました。間引きが必要かもしれません。いつもの可愛らしいジョウビタキが様子を見にきてくれました。

安倍政権の終焉と新自由主義政治

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 渡辺 治 、 出版 旬報社
 コロナ渦に対するアベ・スガ政権の無策・右往左往ぶりはひどい、ひど過ぎます。今の日本で起きているのは、アベ・スガによる人災だという人が多いわけですが、全く同感です。これだけ被害が拡大しているので、国会はずっと閉会したままで、まともに議論していない。そして、記者会見は再答問を許さず、次の予定があるからと言って打ち切る。国民の生命・健康より大切な予定って何なのか・・・。そして、高齢者の医療費の窓口負担を引き上げる一方で、軍事予算のほうはイージス・先制攻撃のためのミサイルなど、膨大なお金をつかい放題。保健所の機能を強化すべきときに医療機関の削減は予定どおりにすすめる。本当にスガ政権のやっていることは狂っているとしか言いようがありません。この本は、そんな  場当たり主義のアベ・スガ政権は新自由主義政治の必然だということを明らかにしています。緊急出版というのですが。まさに時宜にかなった本です。
 アベ内閣は福祉・医療予算を削減すべく、全国424病院を削減の対象とした。不要不急の病床はいらないとしたのだ。つまり、アベ新自由主義改革で、感染症治療の要を担うべき高度急性期・急性期病床、公立・公的病院を大幅削減の対象としていた。そこを新型コロナが襲った。
感染症病床不足はなぜ起こったのか・・・。それは、感染症パンデミックは起こらないと勝手に想定したから。あまり使われないような病床はなるべく減らしたいということ。感染症病床は、いざというときにすぐ使えるようにするため、常に空けておかねばねばならなかった。それが削減されていった。1998年に、感染症病床をもつ病院は1998年には全国に410病院、病床は9060あったのが、2019年には、1785病床へと、2割ほどに激減してしまっていた。同じく保健所の削減も一気にすすめられた。
 内閣人事局が各省庁の幹部人事を掌握し、決定権限が首相官邸に集中した反面で、アベ政権をめぐる汚職が格段に増えている。
 毎月1億円ものお金(内閣官房機密費)を好き勝手に使える身分でありながらこれでもまだまだ足りずにワイロをもらっているのですね・・・。許せません。コロナ渦の拡大は、デジタル化の遅れがもたらしたと政府はいうけれど、そんなことはありません。たしかに給付手続きのなかでデジタル化しておけばもっとはやかったという面が全然なかったとは思いませんが、PCR検査の遅れは、デジタル化とは関係ありません。医療・福祉現場での無理な人減らしこそがコロナ渦の拡大の重要な要因の一つです。
 アベ政権について、著者は無能どころか、国民にとってきわめて有害な政権だったと総括しています。まったく、そのとおりです。そして、アベ政治を承継したスガ政権は、その有害さをますます拡大させています。だったら、野党が力を合わせて政権交代を実現するしかありません。そのためには、5割前後の投票率ではダメです。アメリカでトランプ前大統領を交代させた力は、8割ほどの高い投票率です。アメリカ人にやれて日本人にやれないはずはありません。いま投票所に足を運ばなかったら、自滅するしかありません。元気の出る小冊子です。160頁、1200円。ぜひ、あなたも手に取ってお読み下さい。
(2020年1月刊。1200円+税)

サルと屋久島

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 半谷 吾郎、松原 始 、 出版 旅するミシン店
屋久島のサルの生態を現地で30年間にわたって観察してきた学生主体の調査隊の苦闘が生々しく紹介された本です。私が大学生だったころの奥那須・三斗小屋での5泊6日の夏合宿を思い出しながら、楽しく最後まで読み通しました。
三斗小屋は温泉旅館(煙草屋)でしたが、ランプ生活で、自炊です。なので黒磯駅で男女学生30人分の食材を購入して分担して搬入しました。食事当番は、食当(本書では「しょくとう」、私たちは「しょくあたり」)と呼んでいました。
この本では乏しい予算のなかでのやりくりの大変さ、山の中、雨の中での食事づくりや避難のときの食材不足のハプニングをいかに切り抜けていったか、笑える話が満載です。
私たちも「闇ナベ」というのをしていましたが、本書でもお腹をこわさなかったのが不思議な食事内容がいくつも紹介されています。まさしく若さの特権です。
屋久島は、小さな島の中に、南日本から北日本までの気候を垂直方向に詰め込んでいる。とにかく雨が多い。屋久島登山では携帯トイレの利用が義務づけられている。
イラストは著者の一人である松原始博士の手になるものですが、これがまたホンワかした絵なので、親しみやすく、理解を助けます。
残念なことに、私は屋久島へ行ったことがありません。
屋久島にはサルが多い。「猿害」防止のため、1980年代後半には、年に400頭毎年捕獲されていた。捕っても捕っても、サルは湧いてくると思われていた。このころ、サルが屋久島に3000頭いると推測されていた。
定点観測では、学生が炎天下、一日中、ただただ座って、サルがあわられるのを待つ。ひたすら退屈と戦う。眠気との戦いだ。その結果、1平方キロメートルあたりサルが100頭もいるという驚異的な密度にあることが判明した。
屋久島のサル群は、出会ったら常にケンカが起きる。縄張り争いだ。サルは基本的に樹木の葉を食べている。キノコも食べる。毒キノコかどうか、慎重に選んでいる。
サルの顔は、一度覚えてしまうと、一頭一頭がまるで違って見える。もちろん、そうなるまでには、何か月もひたすら観察しなければいけない。著者は30頭のサルを識別できたとのこと。すごいですね…。
じっくり顔や指を見て、識別の手がかりとなるポイントを探す。
ニホンザルの寿命は、野生では20年ほど。生後6ヵ月までをアカンボウ、その後はコドモで、オス5歳、メス4歳ころにワカモノになり、10歳でオトナになる。メスは一生、群れにとどまり、オスはワカモノになったら群れを離れ、数年おきに群れを移籍していく。
屋久島のサルを実態調査した結果、2000頭から4000頭いることが判明した(1988年)。
一読する価値が大いにあるヤクシマザル調査の苦労話です。
(2018年12月刊。1600円+税)

戦国のコミュニケーション

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 山田 邦明 、 出版 吉川弘文館
戦国時代の武将たちは、どうやって確かな情報をすばやく伝達していたのかを残された書面から探った本です。
本能寺の変で信長の死を知った秀吉は直ちに「大返し」に取りかかったが、同時に敵方への情報遮断にも成功した。
戦国時代、人の噂の伝わる早さは今考える以上のものがあった。でも、確かな情報を伝える手紙はなかなか届かなかった。そして、手紙には、使者が口頭で詳しく述べると書かれていることも多かった。すると、誰も使者としては派遣するかが重要になる。
ただ、飛脚を使うこともありました。どんな使い分けがされていたのでしょうか…。
自分の出した情報が、いったい相手に通じているのかという不安は、当時はきわめて深刻なものだった。使者が帰るまでに1ヶ月はかかり、飛脚だと、着いたかどうかが確かめられないことも多かった。
戦国時代の文書は、書き手の心情や願望が生き生きと書かれているものが多い。なので、読みとるのは難しいが、内容が理解できたら、なかなか面白い、
戦国時代には、使者や飛脚が敵方に押さえられ、密書が奪いとられることが本当に起きていた。
「申す」というのは、下から上に向かって何かを主張するときが多く、上から下への意思伝達は「仰(おお)す」と表現された。
毛利元就(もとなり)は、三人の息子、隆元(たかもと)、吉川元春、小早川隆景に手紙を書いて送った。ところが、送った手紙(書状)原本は元就に返すことになっていたというのです。これには驚きました。
「読んだら早く返せ」と元就は書状に明記していました。それは、他人には決して見せられないようなことも書かれていたからです。つまり、家臣たちの評価も書いてあったようなのです。
書状には日付がないので、内容から書かれた時期を推測するしかありません。
長男隆元が41歳で急死したあと、吉川元春と小早川隆景は若い当主輝元(隆元の子)を支えて毛利両国の保持と拡大につとめた。元就は75歳で亡くなった。
有能な死者は二つのパターンがあった。その一は、足の速い者。その二は、理解力や交渉能力のある者。この両者が使い分けられていた。いずれにしろ、使者をつとめるのは、本人にとってきわめて危険にみちた仕事だった。
信頼できる情報を得ること、もたらされた情報を信じることは、戦国時代にはきわめて困難だった。それは、よく分かります。ところが、ネットの発達した今日では、フェイクニュースとかなりすまし情報に惑わされないことが求められています。情報の入手とその評価が、とても難しいのがよく伝わってくる本でした。
(2020年1月刊。2300円+税)

お蚕さんから糸と綿と

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 大西 暢夫 、 出版 アリス館
私が中学生のころ、通学路の途中に桑畑がありました。桑の実も、ほんの少しだけとって食べたことがあります。あまり美味しいと思わなかったので、1回か2回だけです。桑畑があるということは、そこらで養蚕(ようさん)していたのでしょう。
生糸を産み出す蚕(かいこ)は、この本では「お蚕さん」と「さん」づけで呼ばれています。
お蚕さんに満足のいくまで桑の葉を食べさせるため、土作り、肥料など桑畑は手入れが欠かせない。
この本に登場する養蚕農家は春と秋の2回、お蚕さんを育て、糸とりまでしている。飼っているお蚕さんは1万頭以上。1匹とは数えないんですね…。敬意を表しているわけです。
春は桑の葉がやわらかく、秋の葉はかたい。なので、お蚕さんのはき出す繊維は、季節によって手触りが違う。春の糸と秋の糸、糸には季節による違いがある。
うひゃあ、ちっとも知りませんでした…。
お蚕さんの食事は人間と同じで、一日三食。小さいときは1万頭いても1日800グラム、ところが大きくなると、80キロの桑の葉を食べ尽くす。そして大小便もたくさんするから、養蚕農家は掃除も大変。
育てはじめて20日目。お蚕さんが身体をそい上げたら、食べるのをやめる合図。
お蚕さんを1頭ずつ小部屋におさめていく方法と、わらをジグザグに打ったなかにお蚕さんを入れる方法とがある。
そして、お蚕さんは細い繊維は吐き出して、だんだん自分の姿は見えないように、真白いウズラの卵の形になっていく。
お蚕さん1万頭から、やっと着物3着分の糸がとれる。
お蚕さんが蛾になって、繭(まゆ)を破って外に飛び出したら困るので、その前にお蚕さんを殺してしまう。繭が破られたら、長い1本の糸がとれない。お蚕さんが繭から飛び出す寸前に乾燥させて、その命を止める。養蚕農家の仕事はここまで。
次は糸とりの仕事だ。繭は細い繊維でからみあって1本につながっている。
長いものは1500メートルになる。それを、20個ほどあわせると、1本の生糸・絹糸になる。
繭を80度の湯の中に入れて、繊維を取り出し、20本で1本の生糸にしていく。糸はあくまで均等な太さの糸にしなければいけない。糸とり機がまわる。
綿花からできている綿は木綿(もめん)。お蚕さんからできている綿は真綿(まわた)という。
真綿は、軽くて暖かい布団やジャンパーにも使われている。生糸から丈夫なパラシュートもつくられた。
お蚕さんのなかで、殺されずに繭の外に出た蛾は、パタパタと羽ばたくことはできても、実は飛べない。糸をとるために改良された生きものなので、飛べなくなってしまっているのだ。
カイコから生糸のできあがるまでが写真と解説文でよく分かりました。
群馬県の富岡製糸場を数年前に見学してきましたが、あそこはフランス人技師の指導によって工場がつくられ、運営されていました。日本からの生糸の輸出は明治期の日本の経済発展を支えたのですよね…。
(2020年7月刊。1500円+税)

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