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陸軍作戦部長 田中新一

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 川田 稔 、 出版 文春新書
 石原莞爾を失脚させ、武藤章と激突、佐藤賢了を殴り、東条英機を罵倒した男。このようにオビで紹介されている人物です。
 田中新一作戦部長と部下の服部卓四郎作戦課長、辻政信作戦課戦力班長の3人が日米開戦の強力な主唱者だった。そして、有力な対抗者だった武藤章軍務局長は日米開戦に慎重な姿勢をとっていた。ところが、日本敗戦後、慎重論の武藤章はA級戦犯として死刑になったのに対し、開戦論の田中新一のほうは戦犯指定も受けず、1976年(昭和51年)に83歳で亡くなった。東京裁判では証人として出廷して証言しただけ。ええっ、なんて不公平なことでしょう…。
 韓国映画(たとえば「ソウルの春」)をみてると、軍部内に「ハナ会」という秘密結社があって陸軍を牛耳っていたという情況が出てきます。戦前の陸軍にも、皇道派と統制派というわけでなく、「一夕(いっせき)会」という非公然組織があって、陸軍の人事で暗躍していたようです。メンバーには、永田鉄山(陸軍省内で斬殺されました)、石原莞爾、東条英機そして田中新一がいました。
 武藤章と田中新一は陸士(陸軍士官学校)同期で、作戦課長と軍事課長をそれぞれつとめた。
 田中新一は軍事課長として、石原莞爾の不拡大方針に反対した。日本の中国大陸における権益を保持するには、不拡大方針は棄てるべきだと主張した。田中新一は、全面戦争は望まないが、協力かつ短切なる武力の行使が必要だと主張した。
 1937(昭和12)年8月、武藤作戦課長と田中軍事課長は今や田中全面戦争は避けられないと一致した。そして、上海で日中両軍は交戦状態に入った(第二次上海事変)。
 ところが、日本軍は優勢な中国軍によって苦戦した。中国軍は、ドイツ軍事顧問団の指導と援助のもとで張り巡らされたトーチカ陣地によって果敢かつ強力に抗戦してきた。日本軍は3ヶ月あまりのうちに4万人の死傷者(戦死者1万人)を出した。
 このころ、田中新一は、次のように述べた。まさしく侵略戦争だと宣言、自白したのです。日中戦争は、中国の征服に乗り出すものであり、元や清の中国支配に比肩するものだ。
なんという思い上がりでしょうか、信じられません。
 石原莞爾は日中戦争が長期戦になることを恐れていた。ところが、早期解決の可能性はまったくなくなった。1938年、陸軍中央から石原系の軍人は一掃された。
1940年10月、田中新一は、作戦部長に就任した。47歳だった。これは東条英機陸相の意向によるものだった。
 田中作戦部長は、タイ・仏印の勢力圏下を考えていた。
1941年6月22日、ドイツはソ連領内に侵攻した。田中作戦部長は独ソ戦がドイツの電撃的勝利に終わり、北方で好機が到来するとみた。しかし、その後、陸軍内でもっとも強硬な親独派の田中でさえ、ドイツとの連携を脱する「対米英親善」を再検討した。
 1941年8月、田中作戦部長は、即時対米開戦決意のもとに作戦準備を進めるべきとした。その理由としては、日本軍のジリ貧、アメリカ軍の大増強によって、比率がどんどん悪化していくということ。やるなら今のうちしかないというのは、初めから勝てるはずがないということですよね。無責任な大ボラ吹きもいいところです。でも、当時は、勇ましい決意表明だということで、批判を圧殺していったのでしょう。
海軍は、開戦して2年間は自信があるが、アメリカを軍事的に屈服させる手段はないとしていた。これは開戦前のことなんです。いかにも無責任きわまりありません。よってたかって、どいつもこいつも、軍のトップ連中はみんなそろって無責任なんですが、口先だけはいつだって勇ましいのです。
 今でも同じことですね。「日本を守る」といったって、国民のことは眼中になく、ミサイルなどの軍事産業育成だけなんです。自分がもうかったらいい。国民保護なんて、ハナから眼中にありません。嫌になってしまいます。
(2025年1月刊。1210円)

潤日(ルンリィー)

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 舛友 雄大 、 出版 東洋経済新報社
 「潤」(ルン)は最近、中国で流行っている言葉。より良い暮らしを求めて中国を脱出する人々のこと。2018年に初めてあらわれ、2022年から本格的に流行っている。もとは、激化する競争や就職戦線などで不安に駆られた若者が局面打開を目指して海外を志向する動きだった。
 15億人いる中国人のうち、年収12万人民元超の人が1億人いて、その中でも1000万人が情報封鎖を突破して外部ネットワークにアクセスする条件を備えている。さらに、そこから特権階級200万人を除いた800万人が潜在的な「潤」。ともかく、中国の話はスケールが大きくて、圧倒されてしまいます。
中国の資産家階級の中国脱出は加速している。最近の5年間だけで6万人近くの中国人富裕層が海外に流出したとみられる。
潤日は、1980年代から日本にやってきた新華僑とは少し異なる。新華僑はサバイバルだった。潤日は、自由で豊かな生活を享受しにきた人々。新華僑は政治に無関心だけど、潤日は、今の中国政府に対して多少ないとも不満をもっている。
 日本(東京)の千代田区、江東区あたりのタワマン(タワーマンション)は3億円で買えるけれど、北京ではそれではマンションは買えない。タワマンによっては、中国人の比率が2割から3割になっている。タワマンは投資目的でも買われている。そのときは、10~20戸のマンションを3~5億円で買う。
 大阪のタワマンのほうが1億5千万円で買えたり、東京より安いので人気がある。
 潤日の人々の目的の一つは、子どもに対する良質な教育環境。日本のインタースクールに中国人の子どもがどんどん増えている。中国の学費は高くて(500万円ほど)、日本はそれよりも安い(230万円ほど)。半額以下。北京大学のような中国の難関大学よりも日本の東大に入るほうがずっと簡単。
中国から日本に現金をもち込むのは規制があるので、地下銀行が活躍している。年間数百億円規模と見られている。
 経営・管理ビザを持って来日する中国人が増加している。3千人だったのが今や1万人をこす。永住者として日本に滞在する中国人は24万人(2017年)から32万人(2023年)に増えた。ビザの更新が不要で、就労上の制限がなく、住宅ローンの仮入が容易になる。
 ニセコの物件も番港人名義で買っているけれど、その裏に大陸の中国人がいるケースが多い。世の中がどんどん動いていっているようです。ついていくのも大変ですね…。
(2025年4月刊。1800円+税)

青い落ち葉

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 キム・ユギョン 、 出版 北海道新聞社
 脱北作家と呼ばれる著者が、さまざまな視点から脱走とは何なのかを描いた短編小説集です。仕事で上京した折に東京の喫茶店で一心に読みふけりました。読んでいるあいだは、周囲のザワザワした音は一切耳に入ってきませんでした。
 脱北者とは、北朝鮮を脱出して韓国に入ってきた人のこと。韓国は、全面的に受け入れ、韓国人として遇するので難民認定は受けない。
韓国に至るルートは主なもので、7つある。中国経由が多い。
 脱北後、朝鮮族のブローカーに騙されて中国人農夫と結婚し、数年後にようやく国外へ逃げ出して韓国に至る人も少なくない。中国にいるあいだは、中国の公安警察の取りしまりに怯(おび)える日々を過ごすことになる。
ほとんどの脱北者は、朝中国境を流れる鴨緑江が豆満江を渡る。渡江するので、この渡江は脱北を意味している。
 脱北者はこれまでの累積総数は3万4千人をこえる。コロナ禍と取りしまりの強化によって、急減しており、2021年はわずか63人、2023年も196人だった。
 1970年代の前半までは、北朝鮮のほうが豊かだと思われていた。しかし、1990年代の「苦難の行軍」のときは、大飢饉によって、大勢の住民が餓死した。
北朝鮮という国を支えている制度に、出身成分による差別がある。核心階層、動揺階層、敵対階層(打倒階級)の三つだ。この出身成分は居住地にも関わっている。
平壌は革命の聖地であって、だれでも住めるわけではない。各集落には30戸単位で人民班が組織されていて、厳しく相互監視している。
 労働者も医師も、その収入にはほとんど差がない。生き残るためには、自給自足を基本としつつ、賄賂(わいろ)の入る仕事をするか、商売に励むしかない。
 脱北者が韓国に暮らすようになると、政府から定着支援として一時金100万円をもらえる。住民支援金もある。そして、身辺保護制度によって脱北者30人ほどを担当する人間がいる。
 脱北して韓国に来て、どうしても日本になじめないとして、下宿にひきこもってしまう人もいる。そうでなくても脱北者の一定数が、ふと、北に帰りたいと思う瞬間がある。それほど、異郷の地での定着は難しい。
 多くの脱北民は韓国社会への定着が困難な状況にある。社会の底辺暮らしを余儀なくされ、うつ病に苦しむ人も少なくない。
北朝鮮では鉄の釜で米を炊く。火と水の加減をうまくしないと、美味しいご飯が炊きあがらない。米のご飯を食べるのは、節句や家族の誕生日くらい。ふだんは、粒ほどの大きさに砕かれたトウモロコシと、ジャガイモの混じった雑穀米を炊いて食べる。トウモロコシをまず茹(ゆ)でて、その上に米粒ほど細かく割ったジャガイモを釜の縁にそって並べ、その中に一握り分の米を入れ、一握り分の米を入れて炊く。
 脱北者の心情、そして彼らを取り巻く社会環境がリアルに活写されています。一読の価値がありました。
(2025年1月刊。2200円+税)

アリの放浪記

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 オドレー・デュストール、アントワーヌ・ヴィストラール 、 出版 山と渓谷社
 現在確認されているアリは1万3800種もいる。この本には、そのうちの75種が紹介されている。アリを観察することは、アリの知恵を学ぼうとすること。
アフリカのマダベレアリは、仲間のアリが足を怪我すると、看護師さながらに容態を確認したあと、唾液(だえき)で傷口を念入りに消毒する。そして、患者の脚に喰いついたシロアリの9割を取り除く。治療を受けたアリたちの9%が生存し、数日間の療養期間のあと、再び狩りに参加できるようになった。
 北アメリカの砂漠地帯に生息するフタフシアリは、クモの罠にかかってしまうと警報フェロモンを放出して助けを求める。すると、フェロモンを感知した仲間たちがすぐに駆けつけて、命がけの救助を開始する。助けに来たアリの6%は、自らがクモの餌食となってしまう。
 ほとんどの種のアリは、れっきとした墓地を造成する。しかし、この墓地に埋葬するのは死んだ仲間だけ。仲間の死骸は丁寧に扱われ、辱めを受けることなく、安息の地へ運ばれる。これに対して、闘争で命を落とした敵の死骸は、血液をたらふくすすったあと、腹を裂かれてバラバラにされた残骸をゴミ捨て場に投げ捨てる。仲間の死骸を墓地まで運ぶのは、衛生上の理由から、なるべく巣から離れた場所に運んで、病気の蔓延を防ぐためでもある。
 毒アリとして日本でも警戒されているヒアリは、アナフィラキシーショックと呼ばれる激しいアレルギー反応を引き起こすことがある。アメリカでは、年に1000万人がヒアリに刺され、平均して10人が亡くなっている。
 ヒアリは電流に引き寄せられるので、配電盤やパソコンの内部に巣をつくり、甚大な被害を生じさせている。また、ヒアリは、信号機の内部にも棲みつくことがある。
 ヒラズオオアリは、捕食者に襲われたり、縄張り争いで敵と対峙すると、相手にしがみつき、あごの筋肉を一気に収縮させる。その圧力によってアリの腹部の膜が破裂し、分泌腺の中身が放出される。粘性と腐食性のある液体は、炎症を引き起こすだけでなく、空気に触れると固まる特性をもつ。この液体を浴びて身動きがとれなくなった相手は、だんだん体の自由を失っていき、数秒後には死んでしまう。まさに自爆攻撃です。
 多くのアリは、仲間同士で触れあったり、なめあったり、抱きあったりしながら多くの時間を過ごしている。
感染症のもとになる菌を巣にもち込むのは、主として外をまわる採餌アリ。
アリは、太陽光を手がかりとして方角を把握している。そして、それは雲で太陽が隠れても通用する。空の一部分が見えてさえいれば、偏光を検知して方角を把握することができる。偏光とは、振動方向が一定になった光のこと。
アリは、平面上のうねりだけでなく、上下の起伏も計算に入れ、巣までの正しい距離を算出できる。
 オモヒロルアリは、意図して植物(スクアメラリア)を育てている。アリは、死ぬまで、ずっとこの植物に肥料を与え続ける。草食動物が近寄ってきたら、全力で植物を守る。
 このアリはただ運まかせに種を植えているのではなく、影になる場所を避け、日当たりのいい場所を選んで種を植えていた。
こうやってアリの生態を知ると、アリに知性がないなんて、とてもそんなことは言えないと思ってしまいます。
 足元で行列をつくっているアリたちをつくづく見直してしまう本でした。
(2025年1月刊。3190円)

国税一家

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 吉岡 正範 、 出版 中央公論事業出版
 47年間、税務署で働き、また労働組合(全国労働組合)で活動してきた体験を踏まえて税務署の実態を歴史の返還とともに明らかにしています。サブタイトルにはノンキャリア集団の希望と葛藤です。
ひと握りのキャリア組はまったく違ったコースを歩みます。たとえば、キャリア組は、20代で税務署長になります。普通科採用だと1級からスタートするのに、キャリアは3級から始まり、税務署長は8級以上にならないと就けません。なので、普通科だと署長になるのは同期のうち1割ほど。ところが、キャリアは経験5年3ヶ月ほどで税務署長になれる。なぜなのか…。まだ、4級か5級のはずなのに…。全国税が追及すると、署長に欠員があれば補充できるから、という驚くべき回答を当局はした。どう考えてもおかしいですよね、これって…。そんなに都合よく「欠員」が出るものでしょうか。
 私の住む町にも40年ほど前のことですが、キャリア組の20代の署長が赴任したことがあります。私の記憶では1人ではなかったと思います。そのころは、まだ、天下の「三井」が君臨していたことに関係しています。署長は上流社会との交際そして人脈づくりを学ぶのです。東京でも、有力な上流階級の住む地域の署長にキャリア組は就任していました。
まだ、ろくに仕事も出来ない「若造」が署長になるというのは、「他の仕事は大変すぎてうまくいかないので、署長ならメリットは多いけれど実害は少ないからだ」という当局側の本音が紹介されています。なるほど、と思いました。
 警察署長もそうですが、税務署長は辞めるとき、常識をはるかに超える餞別をもらうようです。狙撃されて瀕死の重傷を負った國松考二警察庁長官は、何億円もする超高級マンションに住んでいましたよね。これも、正規の給料だけではとても買えないものだと私は勘繰っています。
この本には東京で今も元気に活躍している金井清吉弁護士が登場します。私と同期で、一緒に青法協の活動もしていた仲間です。税務大学校普通科卒業のようです。金井弁護士は若いときに最高裁の刑事事件を国選弁護人として担当し、破棄差戻し・無罪判決を獲得しました。これは高く評価されています。
 1970年代ころの税務署は、昼休みにはキャッチボールしたりコーラスしたり、生け花サークルがあったり、また、みんなで楽しむレクレーション活動があったりした。飲み会もひんぱんだった。それは1980年代まであったが、そのあとはなくなった。そして世代交代して若い人がどっと入署し、また、署内の処理システムが変わった。
 署内のノルマ達成のための尻叩きは前からあり、そのため納税者の知らないうちの修正申告書の偽造も頻発した。また、税務署OB税理士による巨額の脱税事件も発生した。
 現場で苦労していても、上部への報告は「万事順調」という内容のものが横行し、上部は真相を見誤ることがあった。
現場の署員にメンタルを病み、長期の病気休職も増えている。
 晴れ晴れとした気持ちで退職の日を迎える者ばかりではない。
 実は、私は40歳になる前、アパート住まいから一戸建ての広い庭つきのマイホームを建てて生活をはじめたとたんに税務調査を受けたことがあります。弁護士生活50年になりますが、調査を受けたのはこの1回のみです。このときの顛末を刻明に記録して小説風の本に仕立てあげました(『税務署なんか怖くない』花伝社)。私の本のなかで最高8千部を完売しました。
このとき私は、つくづく税務署とはえげつないことを平気でする役所だと実感しました。まず超大企業の脱税は見逃します。ボロもうけしていたサラ金大手会社には税務署OBが顧問で入って、税務署と裏取引します。
税務署の総務課の仕事の一つが、退職者を中小企業に顧問税理士として斡旋することなのです。それも1人や2人ではないこともあります。これを2階建て、3階建てというのです。
 ついつい昔の税務署の理不尽な仕打ちへの怒りがムラムラとよみがえってきました。
(2024年11月刊。1540円)

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