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住むこと、生きること、追い出すこと

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 市川 英恵 、 出版 クリエイツかもがわ
フランスでは冬の寒い時期には明渡の執行は法律で禁止されているそうです。ホームレスの人々が冬の路上で相次いで凍死したことから、それを防止するために法律が制定されたのでした。
日本でも、もっと住居の確保に力を入れるべきだと思います。少し前に、バスのベンチで寝ていたホームレスの女性が「目障り」だとして男性から殺害されたという事件が起きました。これもヘイトスピーチと同じように、現代日本から寛容の精神が薄れていることを象徴する事件だと思います。
この本は、借上復興住宅から居住している人々が追い出されようとしている現実について、そんなことを自治体がしていいのかと鋭く問題提起しています。
借上復興住宅とは、阪神・淡路大震災によって多くの住宅が全半壊し、復興住宅(公営住宅)の需要が高まったことを受け、被災自治体が直接建設し所有する住宅に加えて、URなど民間オーナーの所有する住宅を一棟または戸別に借り上げ、被災者に復興住宅として提供したもの。
神戸市は3805戸(107団地)を供給した。そして、この借上期間(20年間)の満了によって、居住者に対して、自治体が明け渡しを迫っている。今なお入居している人のほとんどは、年金暮らしか生活保護受給者。つまり、被災して自力再建が困難となった人たち。
ところが、20年たったから自治体の全部が居住者に明渡を求めているかというと、そうではない。宝塚市や伊丹市は、URと協議して全戸で入居を継続できるようにした。神戸市と兵庫県は80歳以上とか3つの条件を設定して条件に当てはまらない人だけに退去・明渡を求めている。ところが、西宮市は、無条件に全員退去を求める。このように自治体によって、対応が大きく異なった。恐らく首長の姿勢が反映しているのだろう。やはり首長がどっちを向いているかって大切なんですよね。大阪の維新の知事と市長のように、コロナ対策そっちのけで制度いじりばかりしているようでは本当に困ります。
住居や居住環境は福祉の基礎であり、安全性や構造だけでなく、住み続けることやコミュニティの維持も重要。
そうなんですよね。若いうちの引っ越しは苦もないことですが、年齢(とし)をとってからの転居は慎重に考えるべきです。住み慣れた我が家こそ心の安まるところ…、というのは真実だと、72歳になった私も実感として思います。
最近、フレイルというカタカナ語をよく見かけます。日本語に訳すと、「虚弱」という意味。これには、病気がちだとか、肉体的なものだけでなく、精神的なつよさも含まれるようです。身体的フレイルが3つのリスクを高める。うつも身体的フレイルのリスクを高める。
わずか90頁足らずの小冊子ですが、社会が敬うべき存在である団塊世代とその前の年金生活者の切実さを反映した貴重な冊子です。
(2019年1月刊。1200円+税)

どこまでやるか、町内会

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 紙屋 高雪 、 出版 ポプラ新書
町内会長をつとめた体験にもとづく提言がなされていますので、とても説得力があります。著者は町内会はあったほうがいいというのが基本スタンスです。そして、ぜひ町内会活動を一度は経験してみてくださいと呼びかけています。生活の質が向上し、ひょっとしたら本業に役立つ新しいヒントが得られるかもしれないというのです。
町内会は、もともと任意加入であり、ボランティア。この原点にもどって、やりたい人がやりたいこと、できることをやるという、その程度の事業量に思い切って減らす。
まあ、口で言うほど実際にはなかなか大変だとは思いますが…。
分譲マンションには管理組合がある。これは区分所有法で義務づけられている組合で、強制加入団体。なので、マンションにある自治会が親睦団体であり、任意加入であるのとは、まったく違う。
管理組合は、資産としてのマンションの管理を目的としている。資産価値の管理のために管理組合は存在するものなので、自治会や町内会とは目的が違う。
ごみの収集は市町村の義務であって、町内会に入るかどうかはまったく任意。
行政から町内会への依頼は、年間1000件ほどもある。こりゃあ大変です。町内会は、行政からの依頼でない仕事もたくさんあります。
東京・中野区や横浜市では防犯灯のLED化にともない町内会の負担をなくし、自治体の負担だけにしている。
私の住む団地でも町内会に入らない人が増えて、入らない人の家の前にある街灯をはずしてしまうという話が出たことがありました。
「市政だより」などの行政の広報紙の配布も、今では町内会ではなく、行政がシルバー人材センターなどの業者を使って配布するところが多いようです。
行政区長は、公務員。なので、大宰府では行政区長に対して、年に70~230万円を支払っていたとのこと。しかし、福岡市は2004年に廃止している。
町内会の会計の私物化や横領というのも、実際によく聞きます。弁護士として相談に乗ったことが何回もあります。
私の住む団地も、ご多聞にもれず高齢化がすすみ、まず子ども会がなくなり、夏のラジオ体操や団地の夏祭り(盆踊り)がなくなりました。そして町内会が市の連合体から脱退しました。さらに老人会まで世話役の引退によって消滅してしまいました。
葬儀のときには昔は茶碗まで町内会でそろえて全員で対応していましたが、それもなくなり、今やゴミ出し当番が残っているだけになりました。それも、冬の朝、寒いのにいつまでやれるのかしら…、という心配な状況になっています。
町内会に悩む人向けの実務的な手引書になっている本です。
(2017年3月刊。800円+税)
 日曜日の午後、久しぶりに庭に出ました。いま、たくさんのチューリップが咲いています。まだ全開ではありません。朝、起きて雨戸を開けると、朝露にぬれて、トンガリ帽子のような花弁のチューリップに出会います。陽が昇って暖かくなると花弁は開いていきます。不思議なことに蜂はチューリップの花弁には入っていきません。蜜が少ないのでしょうか…。
 庭に出て雑草を抜いて、掘った穴に埋めていると、いつものジョウビタキがやってきました。ホントに1メートルほどしか離れていないところに止まって、「何してんの?」という感じなのです。とても可愛らしい、黄色と白のツートンカラーの小鳥です。もうすぐ北国に帰っていくと思います。
 2月に植えつけたジャガイモの芽が少しずつ伸びています。5月にはきっと美味しい新ジャガを賞味できることでしょう。楽しみです。
 というわけで、春はいいのですが、実は花粉症の季節でもあり、目が痛がゆく、鼻水すすってばかりです。何事も、いいことばかりではありません。

白い骨片

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 クリストフ・コニェ 、 出版 白水社
ナチスの強制(絶滅)収容所内の様子を撮った写真をこれほどたくさん見たのは初めてです。収容所内部でも抵抗運動している人たち(グループ)がいて、外の世界へ収容所の実情を知らせるため、カメラで写真をとっていたのです、まさに生命がけの取り組みでした。
カメラをどうやって収容所内に持ち込んだのか、とったフィルムをどうやって外へ持ち出していたのか、カメラは収容所内のどんなところに隠していたのか…、次々に疑問が湧いてきます。この本のなかで、そのすべてが解明されているわけではありません。
たとえば、カメラは外部から協力者によって持ち込まれたという説と、収容所に連れてこられたユダヤ人の所持品のなかから見つかったものが、こっそり抵抗グループに渡されたという説があり、どちらか決着はついていないようです。カメラは、ピント合わせの必要のない簡単な素人向けカメラだったという説もあります。
そして、カメラを向けて死体焼却の現場を取るというのは、まさしく生命かけでした。
女性たちが丸裸になってガス室へ追いたてられている写真もあります。シャワー室だと騙されていたのです。
収容所に写真部があり、そこには13人の囚人が配置されていたというのにも驚きました。でも、収容所には到着早々にガス室に送られた囚人だけではなく、政治犯やジプシーなど、いろんな人がいましたし、収容所では写真つきで囚人を管理していたのですから、写真部があるのも考えてみれば当然のことです。
写真部は、フランス人のジョルジュのほか、12人の囚人は全員ドイツ人で、共産主義者、エホバの証人、組合活動家、反ファシズム主義者だった、とのこと。
5つの強制収容所で、1943年春から1944年秋までに、隠し取りに成功していた。ダッハウ収容所で50枚以上(チェコの囚人であるルドルフ・ツィサルと、ベルギーの囚人ジャン・ブリショ)、ブーヘンヴァルト収容所で7枚(チェコの囚人3人)と、11枚(フランス人ジョルジュ・アンジェリ)、ラーヴェンスブリュックで収容所で5枚(ポーランド人のヨアンナ・シトゥオフスカ)、ビルケナウ収容所で4枚(ギリシアのアルベルト・エレラ)。
このほかソビブル絶滅収容所の写真が361枚もある。このなかには、SS将校の子孫が49枚の写真を提供したものが含まれている。
収容所内には、映画館があり、売春宿もあったとのこと。これも初耳でした。
ホールでは、見世物やコンサートもあって、ロシア人は音楽を演奏し、囚人がかの有名なコサック・ダンスを披露したのでした。
そして、収容所内に秘密のラジオがあった。受信機と送信機を設置・導入した人もいたのです。チェコの抵抗家ヤン・ハルプカといいます。逮捕され拷問を受けても仲間を明かさず、処刑された。
収容所内で20人ほどの男性がカメラに向かってポーズをとっている写真まであるのには驚かされます。カメラがあるのを問題にしている様子はありません。これは、いったいどういうことでしょうか…。
肖像写真は、この人の家族やレジスタンス組織網に提供して、ダッハウ収容所に存在していることを知らせるためのものだった。つまり、外部と連絡がとれていたというわけです。
レジスタンスに参加して捕まった若いポーランド人女性たちがウサギ(病気感染実験のモルモット)にされていました。彼女らの太腿(ふともも)の筋肉に切り込みを入れて病原菌を埋め込む実験の材料とされたのです。写真は、そんな彼女らの太ももを写したものまであります。よくぞ収容所内でこんな写真がとれたものです。そして、ウサギとされた女性の多くはあとで殺害されてしまいましたが、生きのびた人もいました。そのなかには、こんなひどい実験に対して刑務所当局へ抗議しに行った人たちもいるというのですから、まさしくびっくりです。黙って殺された人たちだけではなかったのですね…。
もっともっと、たくさんの写真を紹介してほしいと思いました。そして、その写真を撮った人、写っている人、どうやって写真がナチスの手と目を逃れて外の世界へ伝えられたのか、知りたいです。ともかく、まさしくおどろきの本です。収容所内にも「日常生活」があったことを写真によってイメージがつかめました。タイトルの「白い骨片」とは、もちろん収容所で殺されたユダヤ人など無数の遺体の骨片のことです。焼いたあと、ゾンダーコマンド(特別班の囚人)が骨を粉々にしたのですが、それでも骨片としては残ります。いま、沖縄で辺野古の埋立に骨片の入った山砂を使うなという運動が起きていますが、同じようなものです。大量殺害の事実を風化させては、忘れ去ってはいけません。少し高価な本ですので、ぜひ図書館に注文して読んでみてください。
(2020年12月刊。7000円+税)

「私たちは戦争を許さない」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 安保法制違憲訴訟全国ネットワーク 、 出版 左同
2014年7月1日、安倍内閣は集団的自衛権を容認する閣議決定を強行しました。それまで歴代の自民党内閣が違憲としていたのを、突然、「合憲」としたのです。そのため、内閣法制局長官をフランス大使だった人物にすげ替えるということまでしたのでした。
そして、次に安保法制法を強引に国会で成立させたのです。国会前の大集会には私も参加したことがありますが、大変な熱気でした。国民の声を無視して、強引に法律が成立してしまいました。
ところが、6年もたつと、集団的自衛権そして安保法制の危険性が薄らぎ、言葉としても世間から忘れ去られようとしています。
この本で、寺井一弘弁護士はナチス・ヒットラーの例を出して警鐘を乱打しています。
ヒットラーは、「人民は忘却することに大変すぐれている」と豪語したそうです。たしかに、アベ、そしてスガ首相のあまりにひどい政治が続くなかで、あきらめ感が強く、マスコミの健忘症あわせて、大事なことが次々に忘れ去られようとしています。でもでも、私たちは絶対に忘れない、あきらめてはいけないのです。
いま全国22の裁判所に、25の安保法制の違憲性を問う訴訟がかかっている。そして、これまで、東京地裁をふくむ7つの裁判所で原告敗訴の判決が出された。その共通した特徴は、実際に攻撃を受けて被害が生じるまでは危険性がないのだから我慢しろというもの。
実際に攻撃を受けたり、戦争が始まってからでは遅すぎるので、原告は声をあげているのに、裁判官たちはその訴えに真正面から向きあわず、あえて避けている。
司法が政権に忖度(そんたく)して、果たすべきチェック機能をまったく果たしていない。
「平和的生存権は具体的権利ではない」
「戦争の危険性はないのだから、人格権の侵害はない」
軍事予算がどんどん拡大していて、自衛隊は離島奪還演習をしている、イージス・アショアの代わりにアメリカ製の超高額の装置(イージス・システム護衛艦)を導入している。そんなときには、「敵」が今にも日本人に襲いかかってくるように喧伝(けんでん)しているのに、法廷では、ノホホンと「戦争なんて起こりっこない」と澄まし顔で国の代理人は平然と言い放つばかり…。
この二枚舌を私は許せません。
いま、スガ内閣は敵基地先制攻撃まで「自衛」のために認めようとしています。
「やられる」前に、こっちから「敵」を叩いておこうというのですから、まさしく日本が戦争を始めるというものです。こんな恐ろしい事態に、日本人がならされ、驚かなくなっていることに、私は恐怖を覚えます、
内閣法制局長官だった宮崎礼壹弁護士は、新安保法制は一見として明白な憲法違反だという論稿をのせていて、法廷でも証言しています。なのに、裁判所がこの証言をまったく無視してしまうなんて、それこそ絶対に許せません。
わずか90頁ほどの冊子ですが、日本の平和と安全のために考えられるべきテーマが掘り下げられています。ぜひ、手にとってご一読ください。
(2021年2月刊。任意カンパ)

日本に現れたオーロラの謎

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者  片岡 龍峰 、 出版  化学同人
 かつて、京都でもオーロラを見れたというのですから驚きます。鎌倉時代の和歌の達人・藤原定家の日記『明月記』にオーロラが登場するのです。1204年(建仁4年)2月21日のことです。
 オーロラは、宇宙空間が人間の目にも見えるようになる現象のこと。磁気緯度で65度くらいがオーロラを見やすい。南極の昭和基地でも観察される。
 オーロラは、地上からの高さで100キロ(緑色)から400キロメートル(赤色)上空のあたりで発光している。国際宇宙ステージョンがオーロラに突入することもある。太陽風が大気にぶつかって出来るのがオーロラだというのは間違い。太陽風は、地磁気にさえぎられて大気にはぶつからない。
 オーロラを光らせるために必要な要素は、太陽風、地磁気、大気の三つ。太陽風は、太陽から吹き出している風のことだが、地上で吹く風とは違って気温100万度といった高温のため、気体ではなく、プラズマ状態。
 赤や緑のオーロラが光っているのは地球だけ。酸素原子が刺激を受けて出している。木星や土星は水素の塊なので、ピンク色のオーロラが出る。宇宙空間は真空とはいうものの、完全な真空ではなく、地球の空気の名残りの酸素原子がわずかに散らばっている。
 地球の周りには、常に太陽風や爆風(コロナ質量放出)によるプラズマの風が吹きすさんでいて、宇宙空間が何もない真空の真っ黒なものというイメージでは今はない。
7世紀は、地磁気の北極が日本のほうに傾いていて、日本各地は現在よりも磁気緯度が高くなっていたので、オーロラが観測しやすい状況にあった。
 江戸時代に入って、1770年(明和7年)9月17日にも日本中でオーロラを見たという目撃談が書かれている。本居宣長(当は41歳)、もオーロラの目撃者の一人だった。このとき、人々の多くは恐れおののいた。火の雨がふるので屋根に水をかける人もいた。ただし、何ごとにも動じない僧侶だっていた。
 そして、1958年(昭和33年)、昭和基地にカラフト犬のタロ・ジロが置き去りにされて翌年、生存しているのを発見されたタロとジロの話のころにも星形のオーロラが北極道で見られたそうです。暗黒の宇宙空間のなかに漂う地球という存在が愛(いと)おしくなってきました。
 それにしても、日本人の日記好きは文化の発展につながり、その将来を切り拓いているのですよね…。
(2020年10月刊。1500円+税)

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