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10の国旗の下で

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 エドガルス、カッタイス 、 出版 作品社
 戦前、日本が植民地として支配していた満州に生きたラトヴィア人の自伝です。ハルビンに生まれ育ったのでした(正確には、1923年2月、現在のモンゴル自治区で生まれた)。父親は満州の鉄道で働く技師。そして1926年からハルビンに勤めたのです。ソ連は東清鉄道の一部をロシアの遺産として引き継いでいました。
 ハルビンには、日本敗戦後の1950年代半ばまで外国人が数多く居住していた。ロシア正教会が26、ユダヤ教のシナゴーグが2、イスラム教のモスクが1、カトリック教会が2、ルーテル教会が1、それからアルメニア・グレゴリア教会もあった。ハルビンで中国人と結婚する白人はほとんどいなかった。いずれもロシアからの移住者の寄付によって建設された。こんなにあったのですね。
1929年、東清鉄道をめぐってソ連と中国が衝突した。しかし、中国軍はソ連の軍事力にかなわなかった。
 1931年9月、8歳の著者はYMCA(学校)に通うようになった。英語は毎日の必修。
1931年9月、柳条湖事件が起きて、満州事変が始まった。中国人は義勇軍を結成して日本軍と戦った。敵(日本軍)の銃弾を避ける呪文(じゅもん)を記した赤い紙片を自家製の酒に浸して飲み込んだ中国人たちが、日本軍の機関銃や戦車に体当たり攻撃していき、たちまち死体の山を築いた。
 1932年2月。著者はハルビンで初めて日本軍の兵士を見た。3月から、著者は「満州」に住むことになった。1934年3月、満州帝国が成立した。
このころ、ハルビンには、白系ロシア人とソビエト・ロシアの核をなす鉄道員という、相反する大きなコミュニティがあった。
 日本人は、満州に埋葬しなかったので、日本人墓地はない。
日本人は娘に花子と名づけるのをやめた。花子は、中国語で物乞いの女を意味したから。
1935年、ソ連は所有していた東清鉄道の一部を満州国政府にわずか1億4千万円で売却した。鉄道から手を引いたソ連は、以後、満州での影響力を失った。
 このころ、ハルビンは建設ラッシュだった。ハルビンのタクシー運転手のほとんどはロシア人だった。ロシア人も日本人と同じく、子どもを大切にし、教育を重視した。ロシア人のお祝いは、クリスマスと復活大祭。
ユダヤ人は、満州にも、上海や天津などの都市に数千人規模で居住していた。日本人はユダヤ人を迫害しなかった。
 満州に移住したラトヴィア人の大多数は、第一次世界大戦時とロシア革命後の難民になった。満州の大学を卒業したあとの職として公務員が人気だった。著者は、北満学院で働くようになった。
 1945年8月15日。日本の降伏から数時間すると、ハルビンの大通りに中国の国旗がはためきだした。ロシア人も自警団を組織して武装した。やがてソ連軍が進駐してきた。
 大半の中国人は、ソ連軍を心底から歓迎した。時計は、ソ連兵によって夢のまた夢のようなもので、時計に対して常軌を逸した渇望があった。
日本の手先になっていたと告発(密告)された白系ロシア系は一斉に弾圧された。
 1945年末に、ハルビン工業大学が再開された。授業はロシア語だった。著者は、ここで中国語を教えた。
 1946年6月、ハルビンの近くを蔣介石の国民党軍を支配した。
 1948年には毛沢東の人民軍が反撃して、電灯がともった。
1948年末、共産党が満州の支配を固めると、モスクワから研修生がやって来た。
1949年4月、蔣介石は台湾に逃げ出した。国民党の軍人も役人も汚職にまみれていた。
 10月1日、中国が成立した。著者は中国で10年間働いたとき、納税の義務はなかった。
 1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。ソ連から派遣された確かな知識をもつ学者たちが、中国の発展に寄与したことは間違いない。
1953年3月、ソ連でスターリンが死んだ。
そもそもラトヴィアは「バルト三国」の一つ。それがどうして中国にまで流れてきたかというと、ソ連に支配されていたから。そんなラトヴィア人の若者が満州でずっと育って戦中・戦後を生きのび、その目で見たハルビンの様子が紹介されています。満州の一断面を知ることができました。
(2024年11月刊。2900円+税)

土と生命の46億年史

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 藤井 一至 、 出版 講談社ブルーバックス新書
 恥ずかしながら知りませんでした。私の身近にありふれている土。私の自慢の庭は、黒々、フカフカの土で埋め尽くされています。だから、すぐに雑草がはびこってしまいます。
全知全能にも思える科学技術をもってしても、作れないものが二つある。それは、生命と土。いやあ生命のほうは、そう簡単に人間が作りだせないとは思いますが、土ならつくるのは簡単じゃないの…、とついつい思ってしまいます。ところが、土は作れないというのです。
そもそも、土とは何なのか…。土は人間には作れない。なぜ、どうして…。
 土とは、岩石が崩壊して生成した砂や粘土と生物遺体に由来する腐植の混合物である。ここで重要なのは、腐植は生物、つまり動植物や微生物に由来するということ。
 これは、地球上に生命が誕生する40億年前まで、いや陸上に植物が上陸する5億年前まで、地球上に腐植はなかった、なので、土も存在しなかった。うむむ、そ、そうなんですか…。
土は主として酸素とケイ素とアルミニウムから出来ている。生命はアミノ酸の集合体。
 ところが、環境中にアミノ酸はごく微量しか存在しない。
粘土がなかったら生命誕生はなかった可能性がある。粘土と砂は、生物のすみかにもなる。
 4億年前に登場した根は土にエネルギー(炭素源)を吹き込む。
 動物は、土と植物に関わりあいながら進化し、土壌の発達に関わってきた。
リンを岩石から取り出す能力は、植物と微生物にしか備わっていなかった。炭素と窒素とリンの循環に余剰が生まれるまで、多くの動物は上陸できなかった。
 ミミズは、4億年ものあいだ生き延びている。ミミズの上陸は画期的だった。ミミズの通路やフンによって団粒が増え、4億年前の硬くて浅い土を透水性や通気性の良いフカフカした土へと変貌させた。
 恐竜の巨大化は、背の高い針葉樹やイチョウを食べ、分解しにくい葉を腸内でゆっくり発酵・消化するのに好都合だった。
 巨大化した恐竜は温暖な環境に適応したスタイルであったので、寒冷化に対応できず、絶滅した。巨大隕石だけでなく、チョーク、石油そして土という身近な存在が恐竜の絶滅に関わった。
鉱物と植物・微生物との相互作用が土をつくる。
 土も変化を続ける。土にも寿命がある。
 成分の50%が鉄であるラテライトは、いわば土の墓標だ。土の最後の姿であり、もはや土ではないので、食料生産は出来ない。
粘土の電気がなくなると、栄養保持力が低下し、肥沃な土ではなくなる。
 人間の身体のリンの4割は、クジラなどの骨の化石に由来している。骨の主成分は、リン酸カルシウムだ。
 生命のない惑星に土はない。土のないところにジャガイモは育たない。
 月に基地をつくっても、土がないので、植物を育てることは出来ない。地球から持っていくには、土は重すぎる。
地球上には1兆種類もの土壌微生物が存在する。しかし、99%の土壌微生物は実験室では培養できない。いやあ知りませんでした。
ジャガイモを先日、大量に収穫し、これからサツマイモをどこに植えつけようかと思案中なのですが、土がこんなにも貴重なものだったとは、恐れ入り屋の鬼子母神でした。
(2025年3月刊。1320円)

遥かなる山に向かって

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ダニエル・ジェイムズ・ブラウン 、 出版 みすず書房
 日米開戦によってアメリカ在住の日本人と日系人(2世)は強制収容所に入れられてしまいました。ドイツ人はそんなことはなく、ドイツ兵の捕虜もきちんとした処遇を受けました。日系人は「ジャップ」として、いわば「猿」扱いされたのです。
アメリカに生まれ育った2世(ニセイ)たちは、日本人というよりアメリカ人。日本の天皇に対する崇拝の気持ちなど持っているはずもありません。
 アメリカ軍はやがて日系2世の青年たちを兵士として、ヨーロッパ戦線そして太平洋戦争のなかで使う方針を打ち出しました。子どもたち(日系2世)が従軍したからといって、親たち(1世)が収容所から出られることはありません。だから、兵役に応じないという声もありましたが、多くの青年がアメリカ軍兵士になりました。
ヨーロッパ戦線に送られるときには日系2世のみの部隊がつくられ、白人が指揮官となりました。果たして、アメリカ軍の期待に応える兵士なのか、疑問(不安)も当局にはあったようです。しかし、日系2世の部隊はヨーロッパ戦線では大活躍したのです。
 前に「ゴー・フォー・ブローク」という本(渡辺正清・光人社)を読んでいましたので、およそのことは承知していましたが、前の本は250頁、今回は600頁というボリュームからも分かるとおり、圧倒的な詳しさです。なにより、2世を含む日系人が強制収容所に入れられる状況、そしてヨーロッパ戦線で大活躍したにもかかわらず、アメリカでは「大歓迎」どころではなく礼遇されたままだった状況を知り、心が痛みました。
戦争に行ったアメリカ人は1600万人のうち、名誉勲章を授与されたのは473人。うちの21人が日系2世の442連隊の兵士。442連隊は1万8000人いたのでアメリカ軍の0.11%にすぎない442連隊が名誉勲章の4.4%を受章したということ。このほか、殊勲十字章29、銀星章を560もらっている。
 1946年7月、トルーマン大統領はホワイトハウス近くの広場で442連隊を閲兵し、次のように演説した。
 「君たちは敵と戦ったのみならず、偏見とも闘い、そして勝利した。これからも闘い続けてほしい。そうすれば、我々は勝利するだろう」
 トルーマン大統領の言葉は気高く、誠実だったが、アメリカ人の人種差別は根強かった。
 1941年ころ、ハワイの人口42万3千人のうち、日系人は3分の1近く13万人近くいた。そしてハワイ準州警備隊員の4分の3以上日系アメリカ人だった。
 真珠湾攻撃があったあと、アメリカ人の多くは、国内にいるスパイの手引があったはずだと信じた。実際、日本人がハワイの真珠湾の状況を調べていたようですね。でも、それは日系人を組織的に使ったものではなかったと思います。日系人の家への嫌がらせも起きています。
日系人を収容した強制収容所は、1日1人あたり食費はわずか33セントでしかなかった。米かジャガイモだけ、肉は出ることはほぼなかった。
 ゴー・フォー・ブロークは「当たって砕けろ」と訳されています。日系人兵士たちがサイコロを振って遊んでいるときにも使っていたコトバのようです。
日系2世兵士の442連隊は、まずはイタリアのトスカーナ西部の戦線に送られます。ドイツ軍は88ミリ砲を搭載したティーガー戦車で対峙します。また、ドイツのMG42機関銃は「ヒトラーの電動のこぎり」と呼ばれ、切り裂くような長い音を立てながら、1分間に1200発もの弾丸を吐き出すのです。アメリカ軍のトムソン短機関銃より強力でした。そのなかで死闘を展開して注目されたのです。
 次は、フランスのブリュイエールに行き、ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出作戦。この本の著者は、これはダールキスト少将の誤った作戦指揮のためにテキサス大隊200人が包囲されたものと強く非難しています。そして、日系2世部隊(442連隊)は、このダールキスト少将によって、ともかし一刻も早くテキサス大隊を救出しろと厳命されたというのです。ともかく、ドイツ軍が厳重な包囲網を敷いているなか、無謀な空撃を余儀なくされました。その結果、テキサス大隊の救出は出来ましたが、442連隊も大打撃を受けています。180人いたK歩兵中隊で無事に生きていたのは17人だったというのです。士官は全員が戦死か負傷したので、軍曹が指揮をとりました。そして、戦闘後、ダールキスト少将が閲兵したとき、あまりに兵士が少ないので、「全員を整列させろと言ったはずだ」と怒り出したのでした。
 それに対して、「これが連隊全員です。残ったのはこれだけです」と実情をよく知っているミラー中佐が答えた。いやはや、なんということでしょうか…。200人のテキサス大隊を救出するために、442連隊は790人におよぶ死傷者を出したのでした。
 そして、最後に、再びイタリア戦線です。アプアン・アルプスの山頂にドイツ軍が堅固な陣地を構えているのを、442連隊が攻め落としたのです。このときには日系2世の兵士32人が亡くなり、負傷者も数十人出しています。
 この山を著者は2019年春にジープでのぼったそうです。とんでもなく高い山でした。
これもまた忘れてはいけない戦争体験の発掘と思いながら、ゴールデンウィークの1日に読了しました。
(2025年2月刊。4800円+税)

軍拡国家

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 望月 衣塑子 、 出版 角川新書
 トランプ大統領の言動を見ていると、アメリカの「国益」が何より最優先ですから、日本を本気になってアメリカが守ってくれるなんて、誰も思わないでしょう。なんとなく、アメリカはいざというとき日本を守ってくれると信じこんでいる人が少なくありませんが、ようやく目が覚めた(つつある)というのが今日の日本の状況ではないでしょうか…。
 今では、日本は殺傷能力のある武器(完成品を含む)を輸出することが出来ます。まさしく「武器輸出」三原則に違反するものです。ところが、日本政府は少しでも国民をどうにかごまかそうとして、「武器輸出」と言わないで、まず「防衛装備」といい、しかも「輸出」ではなく「移転」だとするのです。下手な詐欺師です。騙されてはいけませんし、慣れさせられてもいけません。
自衛隊幹部の汚職が相次いで暴露されています。「死の商人」のトップである川崎重工業は、6年間で17億円もの架空取引をしていたというのです。まったくデタラメな軍需産業です。
 この本には、宮沢吉一元首相が、こんなことを言ったことが紹介されています。
 「たとえ何かしらの外貨の黒字をかせげるとしても、わが国は兵器の輸出をして金をかせぐほど落ちぶれてはいない」(1976年5月の国会答弁)
 安保三文書は抑止力になったと言えるのか、中国との緊張関係を高めただけなのではないか…。日本が持とうとしている長距離ミサイルは飛距離が千キロ以上なので、「専守防衛」のルールから大きく逸脱してしまう。本当にそのとおりです。
 日本の軍需予算は、5年間で43兆円、実に1.6倍も増えている。そして、その財源確保のため、3.11福島第一原発の震災復興のための予算の一部を軍事費増につなげようとしている。こんなの許されますか…。
 これまで、日本の防衛産業は、企業にとって大崩れもなければ大きく儲(もう)かることもない。ある意味で力を入れにくい分野だった。それが今、大きく変わったわけです。
 慎重ムードが一転(一変)し、今や岸田・石破特需に沸いているのが防衛産業。そりゃあ、そうでしょう。何のためかというのは置いておいて、ともかく見たこともない巨額の大金が軍需産業にころがり込んでくることになったのですから…。まさしく、日本も「死の商人」を肥え太らせる道を驀進中なのです。
 共産党の山添拓議員の国会質問が本書でたびたび紹介されています。弁護士として鍛えられた質問力もあって、鋭い切れ味の質問が展開されていますので、私も何度か視聴しましたが、胸がすっとするものがありました。
 防衛(軍事)予算は国債でまかなわないという不文律まで完全に崩されています。本当にとんでもないことです。まったく、戦前の失敗を繰り返そうとしています。
日本が今、大軍拡につき進んでいるのに、その危険性をマスコミがなぜ大々的に取りあげて問題にしないのか、同じ記者として著者は厳しく弾劾しています。その原因の一つに、マスコミ大幹部が政権中枢とべったりになっていることを指摘しています。本当に呆れるほどのひどさです。
 でも、私たちはあきらめるわけにはいきません。流れに掉さして声を上げましょう。
(2025年2月刊。900円+税)

被爆80年にあたっての提言

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社
 私たちは今、大分分岐点に立っている。原爆を開発したオッペンハイマーは、「我は死神なり。世界の破壊者なり」と言っていた。
 いま、日本の政府は、核兵器に依存して「希望の世界」に進もうという。いったい、政府のいう「希望の世界」って、何なのでしょうか。どんな世界を指しているのでしょうか。フツー「希望の世界」っていったら、戦争のない、その心配も不安もない満ち足りた世界をイメージしますよね。でも、核兵器に依存して迎えるというのですから、お隣には核兵器が厳然として存在するわけです。すると、そこは「敵」に狙われるかもしれません。危険地帯に隣りあわせに生活していることになります。そんなのが「希望の世界」と言えるものでしょうか…。
 著者は、政府のいう「希望の世界」は、「壊滅的な人道上の結末の世界」だと考えています。まったくそのとおりです。「希望」どころではありません。
 今年(2025年)2月、日本の外務大臣(岩屋毅)は3月からニューヨークで開かれた核兵器禁止条約締結国会議への参加をふくめて、しないと表明した。
 これまた信じられませんよね。核兵器なんて、あんな危険なものを、この地球上から一掃しよう。こんな呼びかけがあったら真っ先に駆けつけなければいけないはずの戦争被爆国ニッポンは、この会議に代表団もオブザーバーも送らなかったのです。情けない話です。
 石破首相は、「すべての人が安心と安全を感じ」ることができるようになる(美しい日本)になるために、全力を尽くすと表明しました。しかし、実際は真逆の動きを、石破首相は首相になる前とうって変わって、加速化させています。「美しい日本」にするためには、日米同盟を更なる高みに引き上げる必要があるというのです。
 石破首相はワシントンに飛んでいって、トランプ大統領と固い握手をして日本に帰ってきました。いったい何を約束させられたのでしょうか…。中国敵視をあらわにし共同声明では中国を名指しで批判しています。
 最近の中国の行動は以前に比べて、いかにも乱暴です。でもでも、中国を名指しで非難したというのは、日本とアメリカは、中国を挑発したも同然です。
日米両国は、着々と日米同盟の軍事力を強化している。
 2015年の「平和安全法制」とは、日本が攻撃されていなくても、場合によっては自衛隊を派遣できるという制度。
 核兵器にしがみつきながら、「楽しい国」や「希望の世界」を語るというのは、デマをまき散らすのと同じことだ。まったく、そのとおりです。
現在、地球上に1万2千発もの核弾頭が存在し、そのうち4千発は即座に発射可能な状態で配備されている。
 ロシアは核超大国であり、ウクライナ戦争で核攻撃の可能性に言及すると威嚇している。そして、イスラエルがガザ地区に執拗な攻撃を続けるなかで、核兵器の使用を口にするイスラエル政府の閣僚がいる。
 核を使ってはいけないという「核のタブー」が壊されようとしていることに、田中熙巳さんは限りない悔しさと憤りを覚えています。
 日本被団協がノーベル平和賞を受賞したときの記念スピーチにおいて、代表委員の田中熙巳氏は、原爆の犠牲者に対する日本政府による保証が不十分なことを二度くり返しました。これは予定原稿にはなかったことなので、大いに注目されました。田中氏は、「国家補償の問題が他の国にも共通の課題になっているから」と説明しました。本当に、そのとおりです。
 今や、人類滅亡の終末時計は残り89秒とされています。安穏(あんのん)と浮かれてメタンガスをかかえ、カジノの露払いのための関西万博を見物に行く余裕はないのです。
3.11で「フクイチ」(福島第一原発)が大爆発したとき、東日本一帯は放射線で汚染される危機一発でした。原発は「パーフェクトな危険」なのです。
ウクライナにあるザボリージャ原発はロシア軍によって制圧された。原発への攻撃は禁止されていない。いやはや、これって本当に恐ろしいことですよね。原発にミサイルが打ち込まれたら、3.11と違って、補修班が原子炉に近づけるはずもありません。
 今、私たちは、原発と核兵器という、二つの核エネルギーを利用する道具によって、生存を脅かされている。核兵器は、人類が自滅する手段である。
 日本の投票率の低さは、思わず恥ずかしさで顔を覆いたくなるほどひどい。有権者は政治への関心を弱めている。そして、政治なんか、どうしたって変わらないと絶望している。あきらめてしまったら、それこそ支配層の思うがままなのですけどね…。
 私はあきらめません。なんといったって、国も地方も変革できるし、変革しなければいけません。嘆いているヒマなんて、ないのです。
1980年代のピーク時には、7万発の核弾頭があったのが、今では1万2千発にまで減っている。やれば出来るのです。あきらめて死を待つわけにはいきません。
 なにより、この80年間近く、核兵器が実戦で使用されたことはない。これを単に運が良かったと考えることなく、意識的な核廃絶の取り組みにしなければいけません。
 「日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」(文部省「憲法のはなし」)
 あきらめることなく、核廃絶に向かって声をあげましょう。
 核兵器と原発をめぐる問題点を考えるときに、頭を整理し、資料として活用できる本です。著者の一層のご活躍を祈念します。いつも本を贈っていただき、ありがとうございます。
(2025年5月刊。1870円)

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