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私が原発を止めた理由

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 樋口 英明 、 出版 旬報社
原発の運転が許されない理由が明快に説明されている本です。
その理由(根拠)は、とてもシンプルで、すっきりしています。原発事故のもたらす被害はきわめて甚大。なので、原発には高度の安全性が求められる。つまり地震大国日本にある原発には高度の耐震性が求められる。ところが、日本の原発の耐震性はきわめて低い。だから、原発の運転は許されない。このように三段論法そのもので、説明されています。そして図解もされています。
著者は福井地裁の裁判長として原発の運転を差止を命じた判決を書いたわけですが、退官後に判決文を論評するのは異例のことだと本人も認めています。それでも、原発の危険性があまりにも明らかなので、これだけはぜひ知ってほしいという切実な思いから、広く市民に訴えてきましたが、今回はそれを本にまとめたというわけです。私も福岡県弁護士会館での著者の講演を聞きましたが、この本と同じく口頭の話も明快でした。
福島原発事故によって、15万人をこえる人々が避難を余儀なくされ、震災関連死は2千人をこえている。しかし、実は、4千万人の人々が東日本に住めなくなり、日本壊滅寸前の状態になった。2号機は不幸中の幸いで欠陥機だったので大爆発しなかったし、4号機も仕切りがなぜかずれて水が入ってきたのでメルトダウンに至らなかった。偶然が重なって壊滅的事態にならなかっただけだった。
日本は、いつでもどこでも1000ガル以上の地震に襲われる可能性がある。M6クラスのありふれた地震によって、原発は危うくなる。
ところが、関西電力は、700ガルをこえる地震は大阪飯原発のところにはまず来ないので安心していいと言う。本当か…。この関西電力の主張は、地震予知ができると言っていることにほかならない。しかし、地震予知ができないことは科学的常識。つまり、理性と良識のレベルで関西電力の主張が成り立たないことは明らか。
原発訴訟を「複雑困難訴訟」とか「専門技術訴訟」と言う人がいるが、著者は法廷で、「この訴訟が専門技術訴訟と思ったことは一度もない」と宣言したとのこと。
多くの法律家は科学ではなく、科学者を信奉している。しかし、著者は、あくまで科学を信奉していると断言します。そのうえで良心的な弁護士でも、権威主義への誘惑は断ちがたいようだと批判しています。私も胸に手をあてて反省してみる必要があります。
学術論争や先例主義にとらわれると、当たり前の質問をする力がなくなり、正しい判断ができなくなる。
リアリティをもって考える必要があり、それは被災者の身になって考えるということ。
地震については、思わぬ震源から、思わぬ強い揺れがあるかもしれない。このような未知の自然現象については、確率論は使えない。
この指摘には、思わずハッとさせられました。なるほど、そうなんですよね…。
10年たらずのあいだに、全国20ヶ所ある原発のうち4ヶ所について、基準地震動をこえる地震が襲っている。ということは、基準地震動にまったく実績も信頼性もないことを意味している。
国と東電は、廃炉までに40年かかるとしているが、実はまったく根拠がない。こうやって、楽観的な見通しを述べることで、国民が原発事故の深刻さに目を向けないようにしている。
160頁ほどの本ですから、手軽に読めます。ぜひ、あなたも手にとって、ご一読ください。
地震列島ニッポンに原子力発電所なんてつくってはいけなかったのです。一刻も早く全部の原発を廃炉にしてしまいましょう。ドイツにできないことが、日本にできないはずはありません。
(2021年3月刊。1300円+税)

シャオハイの満州

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 江成 常夫 、 出版 論創社
シャオハイとは、中国語で子どものこと。
日本敗戦時、中国東北部(満州)にいた日本人家族は軍隊(日本軍・関東軍)から見捨てられ、ソ連軍や現地中国の人々から激しい攻撃を受け、多くの人々が殺され、また集団自決して死んでいきました。そして、大勢のいたいけな日本人の子どもたちが中国大陸残されたのです。その子どもたちは日本人であることから、いじめられながら育ち、また、かなりたってから自分の親が日本人だったことを知らされ、機会を得て探しはじめます。しかし、何の手がかりもなかったり、日本の家族(親族)が死に絶えていたりして、みなが日本に帰国できたわけではありません。
そんな中国に残留していた日本人の顔写真がたくさん紹介しています。なるほど、日本人だよね、この顔は…と、納得できる顔写真のオンパレードです。
東京荏原(えばら)郷開拓団というのがあったのですね。今の品川区小山町の武蔵小山商店街商業組合を母体とした千人規模の開拓団です。1943年(昭和18年)10月に先遣隊が現地に入り、翌1944年3月から6月にかけて入植したのでした。千人が5回に分かれて入植しました。敗戦前年には日本の敗色も濃くなっていたわけですが、それにもかかわらず、東京から満州に千人もの日本人が渡っていたというのは驚きます。
電灯はなく、ろうそくを立て皿に油を注いだ灯心のランプ生活。井戸は村に1ヶ所のみ。
そのうえ、敗戦の年の1945年7月までに、開拓団の男性が次々に兵隊にとられていったのでした。現地応召者は、180人にもなったのです。8月9日のソ連軍侵攻時点で、開拓団880人のうち、頼られる男性は80人のみ。若い男たちは、ほとんど兵隊にとられていた。そして、集団自決で300人もの人々が麻畑で死んでいった。
敗戦の8月15日まで、日本の敗北を予想していた開拓民は一人もいなかった。これまた恐ろしいことですね。肝心な情報がまったく伝わっていなかったわけです。
「王道楽土建設」という大義を合言葉にしていた時代だった。他人の国へ土足で踏み込むという罪の意識をもっていた日本人は皆無だった。現実には、それまで農作していた農民を追い出して日本人家族を住ませていた。
軍人はもとより、官吏も民間人も、日本人の誰もが、神国日本への過信と、現地中国人に対する優越意識におぼれていた。それだけに、日本敗北による在留日本人の屈辱は大きかった。8月15日が過ぎても、日本の敗戦を信じなかった日本人が満州には大勢いた。
中国人は日本人の子どもは優秀だからというので、子どもをさらっていったり、困っている日本人家族から子どもをもらおうとする中国人が大勢いて、子どもを死なせるよりはましだと食料をもらう代わりに子どもを手放す親も少なくなかった。
これは、本当に誰にとっても悲劇ですよね。
人間の死体が野ざらしで山積みにされていた。着ていたものはみんなはがされて、丸裸にされた状態だった。死体はカチカチに凍っていて、材木置場みたいになっていた。
満州の冬は、氷点下30度、40度にもなる。寒風のなかでの水汲みはきつい。用便するときは、山のようになって凍りついた人糞を金槌のようなもので突き崩す必要があり、これは若い女性にはこたえた。
開拓団員は、誰もが皇国の関東軍に絶対の信頼を寄せていた。「軍が必ず助けてくれる」と言いあっていた。ところが、いざとなったとき、関東軍の主力部隊はいなくて、まっ先に逃げ出してしまっていた。威張りちらしていた軍人たちは、いったいどこへ姿をくらませたのか…。怒りと不安のなかで逃亡生活がはじまった。
いやはや、国の政策に踊らされた開拓団の悲惨な末路に接し、寒気がしてなりませんでした。目をそむけたくなる論述のオンパレードなのですが、唯一の救いは、置き去りにされて40数年たっている、紹介された顔写真の誇らしげな表情です。
集英社から1984年に出版されていた本のリニューアル版です。
(2021年1月刊。2400円+税)

デジタル化する新興国

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 伊東 亜聖 、 出版 中公新書
相変わらずガラケーですし、1日に1回も使えばいいほうの私ですが、さすがにメール(FB)は読んでいます。といっても、送信するのは秘書の仕事です。とてもあんなに速くは送信できません。ブラインドタッチなんて、考えただけでもうんざりです。私なんかにできるはずがありません。IT化には、うしろからボチボチついていくしかありません。
かつて多くの新興国が、固定電話を経ずに携帯電話に移行したように、いま銀行口座をとびこえてモバイル決済の利用が広がっている。
デジタル経済は巨大な価値を生み出した。2019年の夏時点(コロナ禍より前)で、世界企業価値乱金付上位10社のうち7社がIT企業。GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)にマイクロソフトを加えたアメリカ企業5社と、中国のアリババとテンセントの2社。コロナ禍のなかで、巨大IT企業への資金の集中の傾向はさらに強まっている。
ネットワーク端末は、2003年に5億台だったのが2010年に世界人口より多い125億台となり、2020年には500億台に達すると予測された。世界のインターネットユーザーは、7年間に16.6億人も増えている。このうち9割近い14.7億人はOECD諸国ではない。
中国は2010年に、日本の経済規模をこえて世界第2位の経済大国となった。このことは、世界経済に大きな構造変動をもたらした。
アフリカでは、銀行口座はもたないけれど、ケータイをもつ人々が通信会社の口座内にお金を預ける形で、モバイル・マネーが広がっている。
インドのデジタル化の中心を担うのは、生体人証のIDの発行と決済プラットフォームの構築。2019年12月時点で12億5千万人が登録ずみで、成人の95%がアダールIDを保有している。貧困層への補助金の直接給付の必要性、つまり中抜きされず、確実に補助金を本人に届けるためのものになっている。
アメリカの雇用のうち5割近く(47%)の人が、今後10年から20年のうちに自動化されるリスクがあるというレポートが発表され、注目された。これに対して、自動化されるリスクの高い職種は全体の9%にとどまるという報告もある。
また、技術革新によって、職が自動化される一方、新たにつくり出される職種や部門もある。たとえば、コンテンツをつくり出すクリエイターとしての能力。また、「ラスト・ワンマイル人材」も必要。
プラットフォーム企業は中立公正な立場に立つ存在ではなく、あくまでも市場競争を戦うプレイヤーである。
デジタル化の進展は、選挙活動にも影響している。トランプ陣営は、FBが保有する膨大な個人データを活用して、激戦州におけるトランプへの投票を「説得可能」な有権者1350万人を特定した。そのうえで、個々人の性格や信条に応じた宣伝をして、トランプへの投票を説得しようとした。
このように、過去には考えられなかった精度の個人情報を用いた介入が今では実行可能になっている。いやはや、本当に恐ろしい時代・世の中になってしまいました。だから私は、マイナンバーなんて嫌なのです。私がどんな存在であるのか、私以上に誰かが知っているなんて、想像しただけでも寒気がします。とは言いつつ、ネット社会には適応しないと生きていけないというのも現実です。困ってしまいます。
(2020年10月刊。820円+税)

白い土地

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社
あの3.11福島第一原発の事故から10年がたちました。もちろん、原発復旧工事は今も続いています。100年も200年もかかる仕事なのに、大変残念なことに多くの日本人が忘れてしまったかのようです。先日も大きな地震がありましたが、原発の怖さを多くのマスコミはスルーしていました。心配です。
その健忘症は裁判所のなかにもひろがっていて、ときに原発の危険性を自覚した裁判官がいるものの、大多数の裁判官は政府に育従するばかりで、決して自分の頭で考えようとはしません。目先の仕事に埋没してしまっているのです。
「白地」(しろじ)とは、帰還困難区域の中でも、特定復興再生拠点区域以外のエリアを指す。白地図に落とし込んだとき、そこには避難指示解除の予定日や感染の開始日が何も記されていない。つまり、「白地」とは、将来的にも住民の居住の見通しがまったく立っていない310平方キロメートルのエリアのこと。
福島県相馬市は全国有数の「馬の町」。ここは夏のはじめに開かれる祭礼「相馬野馬追(のまおい)」の町として名高い。市内で飼育されている馬は216頭。農耕用ではなく、「野馬追」のための馬であり、一般家庭で飼育されている。
福島県立相馬農業高校には馬術部がある。馬術は人ではなく、馬が戦う競技。馬術は減点競技。馬が障害のバーを一つ落とすと減点4。2度も障害を跳ぶのを止めると「失権」してしまう。
全国大会に相馬農業高校も出場した。首都圏の有名私立高校の馬術部員の多くは、英語科で、「夢は外交官」という高校生たち…。ここでは相馬農業高校は上位入賞はかなわなかった。
著者は朝日新聞の現役記者なのに、2017年秋から、なんと浪江町で新聞配達を始めた。浪江町で、たった一人で新聞配達している青年(34歳)とともに…。
浪江町は帰還した住民を490人と公表していたが、おそらく「虚偽」。そして、新聞を購読しているのは百数十人。実際には昼間だけ町内の畑や役所で働き、夜や週末には近隣市の「自宅」に帰ってしまう人々が少なくないのだ。
著者は新聞配達を半年間も続けた。それから、朝日新聞の全国面で15回にわたって「新聞舗の春」として連載した。すごいですね。とてもマネできません。浪江町長だった馬場有氏の取材の話もすごいです。
馬場町長は、ガンの闘病中で、自分の死が間近だと悟っていて、著者の取材に応じた。
東京電力(東電)は、原発事故によって避難を強いられた近隣の10市町村に一律2000万円の見舞金を贈った。しかし、浪江町は受け取りを拒否した。馬場町長は、人口2万1000人の浪江町では町民1人あたり1000円弱にしかならない。「一律」は「公平」ではない。
馬場町長は、自民党公認の県議として当選を重ねた「自民党」の政治家。
その馬場町長は、東電に対して紛争解決センターに慰謝料の見直しを求めて自治体が住民の代理人となって申立した。町民2万1千人の7割にあたる1万5千人が申立人になった。そして、紛争解決センターは、1人につき月10万円に5万円をプラスする和解案を提示したが、東電が拒否した。そこで、ADRは打ち切られ、町民109人が東電相手に裁判にふみきった。
馬場町長は、69歳で、現職町長のまま亡くなった。
3.11が決して終わった話ではないこと、「アンダーコントロール」なんて大嘘だということを実感させてくれる秀逸なルポタージュです。
(2020年10月刊。1800円+税)

ドナウ川の類人猿

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 マデレーン・ベーメ 、 出版 青土社
人類の起源はアフリカ。このアフリカ単一起源説を絶対的真理だと思ってきた私ですが、この本は、いやはや、そんなことはないとヨーロッパ各地で発見された化石をもとに指摘しています。
サルの化石では、歯はとくに役に立つ。類人猿とサルばかりか、類人猿と人類の違いも区別できる。犬歯の根をみると、絶滅種あるいは現生の類人猿のものは長くて大きい。オスのヒエラルキー(順位)争いで、犬歯は相手を威圧する武器となる。
類人猿とヒトで臼歯の形が違うのは、咀嚼の内容が違うことによる。食生活の違いにより、類人猿はヒト属とは異なる歯の形を発達させた。
いくつかのサルや大部分の類人猿は、短時間なら二足で立つ姿勢をとれるが、恒常的に直立姿勢を保てるのは人間しかいない。
人間は、長距離を移動するのは二足で歩く以外の方法はない。人間にとって四つん這いで進むのは大変だ。直立歩行は、歩行足と並行して、おそらく600万年以上前に進化していたのではないだろうか…。
ヨーロッパで発見された、猿人と推測される化石の年代が、ヨーロッパでサバンナ風景が生じた年代と合致するということは、人類の起源がアフリカにあるという説と明らかに矛盾する。
最古の原人の化石は260~190万年前のもので、アフリカにはほんの少数の骨があるにすぎない。アフリカ単一起源説は、数十年間にわたって疑問視されてこなかった。しかし、地中海地域やアジアなど、アフリカ東部以外の地域で発見された道具によって、アフリカ単一起源説は大きく揺らいでいる。
最古の原人と石器文化について、氷河期初期にあたる260万年前にさかのぼる証拠が発見されている。人類の起源はアフリカだけにあるのではなく、アジアとヨーロッパも人類進化の主要な地域なのだ。
アフリカ北部のサハラ砂漠に、かつては湖もあった。湖岸には、新石器時代の農民や牧畜民の営む畑や牧草地があった。降雨量は、現在のドイツとほぼ同じだった。
ヒトが単純な二足歩行するのと、走る、駆けると、どう違うのか…。速く移動するのには、走るほうが、振り子のような歩行よりエネルギー効率がいい…。
ヒトの胸部は長距離走に最適な生体構造をもつ。ヒトは直立歩行なので、胸部は歩行に関与せず、そのため呼吸頻度と歩調の密接なつながりはない。なので、ペースをスムーズに変えることができる。
火の使用は、200万年前、人類の進化にとって中心的な役割を果たした。200万年という長い年月に、アジア、ヨーロッパ、アフリカの非常に異なる環境に定住できたのも、火の使用あってのことではないか…。
心理言語学者たちによると、言語の前段階は、100万年以上前にすでに生じていたかもしれないという。人類進化史において初めて航海したと考えられているプーレス人はすでに基礎的な言語能力をもっていた可能性がある。
アフリカ以外の地域に住む人々はネアンデルタール人のゲノムの3%、デニソワ人のゲノムの9%を保持している。これが現在の通説だ。だったら、これらの初期ヒト属は果たして絶滅したといえるものだろうか…。彼らは、今の我々と混じり、我々の中に今も生きているのではないだろうか…。
アフリカ単一起源説に信頼していた身からすると、大変ショックな本でした。
(2020年11月刊。2200円+税)

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