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自由法曹団物語

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
日本の裁判官は、もっと実名で批判されるべきだと私は考えています。この本では、たとえば名古屋地裁の内田計一裁判長の呆れた訴訟指揮が厳しく批判されています。裁判官が交代したときに弁論更新をすることになっています。原告側弁護団が、更新弁論の時間をきちんと確保してほしいと要望したところ、名古屋地裁の内田計一裁判長は、…
「今日は、何もできないということになりますか?」
「更新弁論をするなら、今すぐ、5分与えるのでやりなさい」
弁護団が口々に抗議して立ち上がると、内田裁判長は黙って時計を見つめ、「更新、するんですかしないんですか」と言い切った。弁護団が、このような訴訟指揮に抗議すると、「既に法的見解はもっています」と平然と、答えたのでした。予断をいただいていることを告白したのです。
このような、とんでもない裁判官が幅をきかせているのが現実ですが、たまに気骨のある裁判官もいます。名古屋高裁の青山邦夫裁判長、その一審段階の田近年則裁判長です。
自衛隊のバグダッドへの輸送活動は、その実態に照らして憲法9条に違反すると明断しました。すごいことです。大変な勇気がいったと思われます。
福岡でも憲法の意義を劇にして市民にアピールしている「ひまわり一座」がありますが、広島にも「憲法ミュージカル運動」が長く続いて、すっかり定着しています。初めの脚本を書いたのは廣島敦隆弁護士。そして、その後、なんと25年ものあいだミュージカルの脚本を書き続けたのです。それには人権感覚の鋭さと、ユーモアに満ちたものでなくてはいけません。よくぞ書きあげたものです。しかも、13時の開場なのに、12時ころから人が並びはじめ、観客は階段通路も座る人で一杯になってしまうほどでした。
出演するのは、主として広島市内の小学生からお年寄りまで…。毎年、5月の本番までの2ヶ月半のあいだ、連日、「特訓」を受けていたのです。大成功でした。この20年間で、集会に参加した人は1万5000人、そして、この集会(ミュージカル)の出演者とスタッフはのべ2500人。とんでもない力が広島の憲法ミュージカルを支えてきました。
自由法曹団は、この100年間、一貫して市民とともに憲法の平和的条項そして人権規定を実質化させるために取組んできましたが、その取り組みの一つがここで紹介したものです。
(2021年5月刊。税込2530円)
 

中国戦線、ある日本人兵士の日記

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 小林 太郎 、 出版 新日本出版社
南京攻略戦・徐州作戦に参加した日本人兵士が毎日のように日記をつけていて、日本に持ち帰ったものが活字になっています。写真もついているという、大変貴重な日記です。
内容は、日本軍の兵士たちが中国人を見境なく殺戮(さつりく)していくのですが、悪びれたところがまったくありません。日本では良き夫であるような人が中国戦線では平然と罪なき人々を殺し、食糧をふくめて財物を略奪しても罪悪感が皆無なのです。同時に、日記では身近な兵士仲間が次々に戦病死していくことも記述されています。末端の日本人兵士たちは、罪なき中国人にとっては残虐な加害者でしたが、同時に日本政府・軍部の被害者でもあったことがよく分かる日記です。
それにしても、よくぞ日記を日本に持ち帰った(できた)ものです。そして、写真です。いったい、どこで現像していたのでしょうか…。
この日記には、有名な学者である笠原十九司、吉田裕のお二人が解説していますので、その作戦の背景がとてもよく理解できます。
著者は日本大学工学部を卒業したインテリです。なので、南京攻略戦のときには発電所の修理に従事していたので、南京大虐殺を直接には目撃していないようです。
歩兵二等兵(27歳)から上等兵になり、病気で本国送還されて、1939(昭和14) 年に満期除隊(このとき29歳)しています。私の父も病気で中国大陸から台湾に送られ、日本に戻ることができました。戦地では病気すると生命が助かるんですね…。
第16師団第9連隊第32大隊第9中隊に所属し、上海戦、南京攻略戦、徐州作戦、そして武漢三鎮の軍事占領という、日中戦争前半の大作戦のすべてに従軍した。
よくぞ生きて日本に戻れたものです。強運の持ち主だったわけです。
欧米の軍隊は、大作戦が終了すると、しばらく休暇ないし本国帰還などがあるが、日本軍には一度もなかった。そのうえ、現役除隊の期日がきても、一方的に延期され、継続しての軍隊生活を余儀なくされた。そうなんですよね、人権尊重という観念は日本軍にはまったくなかったのです。
南京大虐殺を否定する言説をなんとなく信じこむ日本人が少なくないのは、「やさしかった父たちが、中国戦線で残虐な虐殺なんかするはずがない」、「誠実で温厚な日本人が、虐殺事件を起こすなんて考えられない。中国側が日本人を批判するためにでっちあげたウソだ」という言説による。しかし、日本国内では人間的に善良な日本人であり、地域や職場で誠実であり、家庭において優しい父や息子であった日本人男子が、ひとたび日中戦争の厳しい戦場に送られると、中国人を平気で虐殺し、残虐行為をし、中国人からは「日本鬼子」と怖がられる日本兵になっていた。
日本軍が上海戦で苦戦したのは、ナチス・ドイツが中国軍に武器(たとえばチェコ製機関銃)を供与し、トーチカ構築を指導し、またドイツ人軍事顧問を送り込んでいたことによる。
ヒトラーは、「日本にバレなければかまわない」という態度だった。すでに日独防共協定を結んでいたのに…です。
蒋介石の国民政府は70個師団、中国全軍の3分の1、70万人の兵力を上海戦に投入した。戦死者は25万人。日本のほうも19万人もの大兵力をつぎこみ、戦傷者4万人以上(戦死者も9千人以上)を出した。
日本軍は、「皇軍兵士は捕虜になるな」という考えだったので、中国軍に対しても、捕虜として保護することはしなかった。つまり、直ちに殺害した。それには、そもそも自分たちの食糧さえ確保できていなかったことも大きい。
これまでの通説は、日中全面戦争は、無謀な陸軍が国際的で平和的な海軍を強引に引きずりこんだというものだった。しかし、歴史事実は逆。海軍航空隊は首都南京に対して宣戦布告もしていないのに戦略爆撃を敢行した。それは、50回以上、のべ5330機あまり、投下した爆弾は900トンあまりというものだった。
南京攻略戦の責任者であり、大虐殺の責任者でもある松井石根大将は、成績優秀であったのに同期の大将のなかでは一番出世が遅れ、いちはやく予備役に編入されていた。そこで、59歳の松井は、軍功をあげる最後のチャンスとして南京攻略戦をとらえていたのではないか…。そして、それいけドンドンの武藤章大佐がそれを支えていた。
どこの世界でも、口先だけは勇ましい人に、慎重派はかないませんよね…。
著者の所属する第16師団は、9月に京都を出発していて、防寒の装備はもっていなかった。そして、食糧の供給も十分でなかった。なので、日本部隊は、いわば強盗集団の軍隊だった。これが輝ける「皇軍」の実際の姿だったんですね…。
そして、著者は捕虜として中国兵を日本軍を虐殺(即決殺害)した写真を撮って、日記に添付しています。
南京にいた唐生智という司令官は、近代戦の知識も経験もなく、南京防衛戦を指揮する実力もないのに、野心から名乗り出て、防衛軍事司令官に任命された。しかし、自分たちだけはいち早く脱出し、部下の膨大な中国軍を置き去りにした。いやはや、日中双方とも、ひどい司令官だったのですね。なので南京大虐殺はいわば必然的に起きてしまったということです。この事実は、消しゴムで簡単に消せるものではありません。
いやはや…、日本人にとっては、とても重たい事実です。でも目をそむけるわけにはいきません。ぜひ、図書館で注文してでもご一読ください。
(2021年3月刊。税込3960円)
 日曜日の午前中、フランス語検定試験(1級)を受けました。1995年以来この25年間、欠かさず受けています。とても難しくて、まるで歯がたちません。長文読解と書き取りでなんとか4割近い55点(大甘の自己採点です。150点満点)をとりました。はなから合格(6割超)はあきらめています。3割を突破して、4割、あわよくば5割に達したいと願っています。
 この2週間ほど、朝も夜も、25年分の過去問をふくめて、一生懸命、フランス語を勉強しました。年に2回、大学の教室で試験を受けると、大学生に戻った気分になります。ボケ防止を兼ねて、続けるつもりです。

ハナバチがつくった美味しい食卓

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ソーア・ハンソン 、 出版 白揚社
ハナバチって、ハチとかミツバチとは違うのかなと疑問に思いました。訳者あとがきによると、そもそも日本語の「ハチ」にあたるコトバが英語にはないのだそうです。英語のbeeは、花の蜜や花粉を食べる「ハナバチ」だけを指すコトバ。beeは蜂(ハチ)ではない。また、肉食性のハチはwasp(カリバチ)と呼ぶ。日本語のハチは、英語にしたらbees and waspsになる。
ええっ、そ、そうなんですか…。こんなに人間に身近な存在なのに、よく分かっていないなんて、不思議です。
ハナバチの行動は、今でもほとんど分かっていない。
紀元前3000年ころまでに、古代エジプト人は養蜂術を確立していた。ミツバチを長い陶製の筒で飼育して、作物の栽培や野生の植物の開花期に合わせてナイル川を上り下りしていた。今でも、ほとんどすべての作物や野生の植物はハナバチに全面的に頼っている。
ハナバチは白亜紀中期にいたアナバチ科の祖先から進化した菜食主義者である。
ハナバチの身体構造には、まったく無駄がなく、見事なまでに合理的だ。
ハナバチの触角は飛行中の姿勢に影響を支えたり、地球の磁場に反応したり、花が放つかすかな静電気を感知したりする。左右の触角はほとんどわずかしか離れていないが、その程度の間隔でも、左右官の微小な密度の差、つまり匂いの方角を示す小さな感覚勾配を察知するのに十分だ。ハナバチは、1キロ先にある花から漂ってくる香りを追跡できる能力をもっている。
ハナバチは紫外線も見えるので、花弁には、ヒトには見えないけれど、ハナバチを惹きつける言葉(絵)がはっきり書かれていることを見分ける。
ほとんどのハナバチは、めったに刺さない。オスバチは針をもっていないので刺せない。刺すのはメスだけ。
北アメリカの養蜂家は、その所有している巣の30%以上を毎年失うという状況が今に続いている。その明確な原因は今日に至るも確定していない。ただ、2006年に急増し、今は減少はしている。
ネオニコチノイド系殺虫剤がハナバチに良くないことは明らか。
ネオニクスは、野生のマルハナバチや単独性のハナバチにも悪影響を及ぼしているのは確かな証拠がいる。
この本の最後に登場してくる次のフレーズは衝撃的です。
「人間なんかいなくても世界は回る。でも、ハナバチがいないと世界は回らない」
自称「万物の霊長」も片なしですね…。私の知らなかった話が次々に登場してきます。
(2021年3月刊。税込2970円)

宝塚歌劇団の経営学

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 森下 信雄 、 出版 東洋経済新報社
タカラヅカの100年も続いている経営戦略が見事に分析されています。なるほど、なーるほどと驚嘆しながら一気に読みすすめました。
タカラヅカは「ベルサイユのばら」(池田理代子のマンガ)で圧倒的な成功をおさめた。1974年に初演され、2006年までに通算1500回も上演され、観客動員数は2014年まで500万人をこえた。タカラヅカ史上最大のヒット作品。
宝塚歌劇の主力商品は、女性が男性を演じる「男役」。娘役の比重はきわめて低い。
タカラヅカは女子だけの空間を女子が応援するという特殊な構造。
タカラヅカ公演のフィナーレとして有名な「大階段」をつかったパレードでは、下級生から順番に登場し、番手どおりに進むと、最後にトップスターが、タカラヅカの象徴である大きな羽根を背負って登場、と展開する。いかなる公演でも、これは変わらないお約束だ。
タカラヅカは、外部からの客演はなく、生徒に限定。作品は、生徒の所属する「組」単位で、構成されるため、他の組への客演も基本的にない。そして、「大抜擢(ばってき)」はない。
宝塚歌劇の舞台に立つための唯一の必要十分条件は、宝塚音楽学校を卒業したこと。「東の東大、西の宝塚」と称されるほどの難関校。大半が「予備校」出身であっても、2年間、この学校での集団生活でみっちり世界観が埋め込まれる。
タカラヅカのスターたちは、現役のときはSNSが禁止される。「虚構」であるはずの「男役」が、「俗世にまみれている」かのような情報をSNSで発信したら、ファンの「夢」を破壊し、顧客満足度を著しく落とすことにつながりかねない。
「男役」としてファンに認定されるためには、「男役10年」と言われるように、長期にわたる熟成プロセスが必要となる。タカラヅカは、「虚構」である男役の成長度合いを公演に乗せてファンに提示している。つまり、宝塚ファンにとって、完成品とは、品質のことではなく、プロセス消費の終点、退団の機に現出すればよく、それまでは未完成でもかまわない。女性ファンは母性本能をかきたてられつつ、見守るということで、自らが自主的にリピーター化している。
ファンは、「初日見て、中日(なかび)見て、楽(千秋楽)見て」だ。
いやあ、この解説は見事ですね。なるほどなるほどと、ついつい膝を打ってしまいました。
劇団四季は、ロングラン公演を実施している。しかし、タカラヅカはロングランをしない。5つの組の公演ローテーションを分け隔てなく固定化している。
タカラヅカには販促(はんそく。販売促進)という概念が存在しない。販促しなくても、ファンクラブ等によってチケットが完売する仕組みができあがっている。
タカラヅカ公演は一度もみたことがありません。でも、テレビでちらっと見たことはありますので、イメージはつかめます。そのタカラヅカが100年も続いているヒミツが分析・公開されている本です。それにしてもコロナ禍で、リモートとか無観客とかになったら、果たして生きのびることができるのでしょうか、心配です。「不要不急」のように見えて、実は大変有要・有益なのがショーの世界だと門外漢の私も思います。
(2021年3月刊。税込1760円)

アフリカ人学長、京都修行中

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ウスビ・サコ 、 出版 文芸春秋
いやあ、これは面白い本でした。京都って、ぜひまた行ってみたいところですが、京都人って、「いけず」なんですよね…。そんな京都についての知らない話が満載でした。
たとえば、白い靴下の話。京都ではよその家を訪ねるときは、なるべく白い靴下をはいていったほうが望ましい。京都には「白足袋(しろたび)もんには逆らうな」ということわざがある。白足袋をいつもはいているのは、僧侶、茶人、老舗の証人、花街関係者など、古くから京都の街を取り仕切っていた人たち…。うひゃあ、とんと知りませんでした。
京都人は噂話が大好き。「いけず」というのは意地悪いという意味。ところが、好きな人にも使うことがある。「ほんま、この人、いけずやわ」なんて、恋人同士で甘えるときのコトバ。うむむ、なんて、奥が深い…。
京都の伝統的な町家(まちや)は、「オモテノマ」、「ダイドコ」、「オクノマ」という3室が一列に並んでいる。親しくなると、少しずつ奥のほうの部屋に通される仕組みになっている。
鴨川名物の「等間隔の法則」というのも初めて知りました。京都市内を流れる鴨川のほとりにはアベックが常に整然と同じ距離を保って座っているのだそうです。証拠の写真もあります。ええっ、こんなのウソでしょ…と叫びたくなります。
著者は、今では京都の精華大学の学長です。マンガ家ではありません。建築が専門です。ひょんなことから京都にやってきて、京都に住みつき、今や大学の学長になったのです。
1966年にアフリカはマリ共和国の首都バマコに生まれ、中国に国費留学し、ちょっとしたことから日本にやってきました。フランス語、英語、中国語そして関西弁を話します。テレビにも出演中のようです。
京都には「婿養子」というコトバもあるようです。京都に生まれ育った人たちは、お互いに暗黙のルールでしばりあっている。ところが、よそから入ってきた「婿養子」は、しきたりを無視して勝手なことをするけれど、やがて、それが発展する道になることもある、というわけです。
アフリカ人の著者(今では日本国籍をとっています)が、北野天満宮の曲水の宴に1000年前の平安装束を身にまとって参加しているのは、京都人が伝統を重んじる一方で、目新しさや遊び心を発揮することのあらわれでもあるというのです。
京都人は、京都の伝統と文化に誇りをもっている。だから京都を自慢したいし、見せびらかしたい。でも、自慢する相手、見せびらかす相手は厳選する。ここでも「一見(いちげん)さん、お断り」だ。一度や二度、その店に行ったくらいで「常連さん」になれると思ったら、大間違い。店の人の出迎の挨拶も、常連さんには「おこしやす」と言い、よそさんには「おいでやす」と言って、違いがある。「おこしやす」のほうが、ずっと丁寧な言い回しだ。
京都人は、暗示めいた話はたくさんするけれど、肝心なことは決してコトバにしない。それは自分自身で理解しなくてはいけない。「京コトバ」は、周囲とのトラブルを徹底的に避けるために発達したもの。狭い土地で長く互いに心地よく暮らすための、角を立てないための知恵が盛り込まれている。
よそから入ってきた人でないと言語化できない話だと理解しました。この本を読むと、著者は、まるで、民族(人種)学者としか思えませんが、建築学博士なんですね…。面白くて、一気に読了しました。
(2021年2月刊。税込1540円)

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