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ハチは心をもっている

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ラース・チットカ 、 出版 みすず書房
 ハチは、1匹1匹が「心」を持っている。決して本能に従って反射的に動く機械なんかじゃない。これを徹底的に明らかにした本です。
今や、ハチの背中に電波発信機を取りつけて行動経路を探索できる(する)状況なんです。それが出来るの前の行動観察は本当に大変だったようです。その苦労も語られています。
あんなに小さいハチの身体を、それも脳の内部構造を調べあげ、ニューロンの樹状分岐パターンまで究明した学者がいるなんて、驚きそのものです。
 私たち人間は、ハチから多大な恩を受けている。これは間違いなく本当です。イチゴも梨もハチがいないと受粉できず、実がなりません。
脳内の糸球体密度の高いハチは、学習速度が速いだけでなく、記憶が長く保持された。ところが賢いハチは寿命が短く、採餌活動に関わる日数が少ない。すると、むしろ「のろい」個体のほうが、コロニーの採餌成績への貢献度が高い。学習速度の遅い「のろま」なハチのほうがハチの種族の生存に貢献しているというわけです。なーるほど、自然はよく出来ています。
 ハチの個体間にも、コロニー間にも、感覚系、行動、学習面において非常に大きな差がある。
ハチは温血動物。飛行中の正常体温は40度Cもある。
 ハチは、温かい蜜を出す花のほうを好む。
 マハハナバチは、ミツバチの花選択をまねている。
 ハチの脳を研究した成果として、たとえ微小な脳であっても、その神経配線しだいで高い認知能力を発達させ、周囲の状況を探って規則性を見つけたり、未来を予測したり、情報を効率的に蓄積したり、引き出したりできるようになることが明らかとなった。
 ハチの背中に取りつけるトランスポンダーは、重さが15ミリグラムしかない。これは、運搬可能な花蜜の重さよりも、はるかに軽い。
 ハチは飛んで上空に舞い上がると、巣の外観や近くのランドマークを記憶する。
 ハチに全身麻酔剤を投与して人工的に眠らせ、時差ボケになったミツバチをつくりあげて観察した。すると、自分が予想外の場所にいることを気づいたハチは、見なれたランドマークを探して輪を描くように飛んだあと、やがて巣に向かって一直線に飛んでいった。
 ミツバチの巣に敵が出現したら、警報ホルモンを分泌するが、これは、内因性鎮痛物質を大量に分泌させ、戦闘による外傷に気づかせないようになっている。こうやって番兵バチを敵を恐れ知らずの自爆攻撃者にしてしまうというわけ。
ハチの世界をじっくり観察した研究成果が示されています。
 ハチが絶滅危惧種になったら、人間の生存も難しくなりますよね…。そうならないよう、人間は農薬を使うのもほどほどにしたいものです。
(2025年2月刊。3600円+税)

エッシャー完全解読

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 近藤 滋 、 出版 みすず書房
 なぜ不可能が可能に見えるのか、こんなサブタイトルがついています。なるほど、エッシャーの絵って不思議ですよね。一見すると、何の変哲もない精密画なのですが、よくよく見ると、不思議だらけです。どんどん階段を上にのぼっているかと思うと、いつのまにか下に進んでいます。そして、川の水が滝のように流れ落ちているのですが、その落ちた水が、どんどん上にあがっていて、再び滝になって落ちていきます。まったくありえません。
 人間の眼は、いかに錯覚にとらわれているか、それを何より証明するものです。
 エッシャーのだまし絵は見飽きることがありません。著者は、それがなぜなのか、科学的に究めています。すごいです。
著者がエッシャーのだまし絵に出会ったのは中学生のとき。少年マガジンの表紙(1970年2月8日号)に「物見の塔」があったそうです。この「塔」の絵も不思議なものです。建物のなかにあった梯子(はしご)を人間がのぼっていますが、いつのまにか建物の外に出ているのです。ありえません。
 そして、1階と3(2?)階の向きがまるで違うのに、違和感がありません。
 エッシャーの絵は自然で写真的に見えるのに、全体としては不可能建築になっている。
エッシャーはアメリカの雑誌「タイム」に取りあげられ、一躍、人気作家になった。1954年のこと。
 エッシャー自身は学校では数学が苦手で、いつも落第点をとっていた。今と違ってコンピューターを活用できるわけではないので、エッシャーは手作業でトリック絵を描きあげていった。
 エッシャーの風景画は、その対象をきわめて正確に写しとっている。
 エッシャーは、どう考えても存在しえない構造の建築物を、限りなく自然に描くことで、実在しうるものと錯覚させることを狙ったのだろう。
 エッシャーのトリックは次の三つから成る。
 ①原則として、線遠近法の決まりごとは厳格に順守する。
 ②見る人が錯覚を起こすように建物の構造を変える。
 ③違和感の原因になる構造を、建物以外のアイテムでごまかす。
 エッシャーは、自分では「デッサンが下手だ」と言ったが、それは、存在しないものを空想で描くことは出来ないという意味。
 エッシャーの絵を一人で黙って見つめているだけで、画面中にたくさんトリックがあることに気付かせない。でも、どこか変だなと思って、よくよく見ていると、トリックがあることが分かってくる。
 エッシャーの絵をもう一度よくよく見ることにしましょう。楽しい本でした。
(2025年1月刊。2700円+税)

ひろい海にぼくたちは生きている

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 長倉 洋海 、 出版 ありす館
 この著者(写真家)の写真と文章には、いつも感服しています。子どもたちの目がキラキラ輝いているのに心が惹かれます。
 今回の子どもたちは基本的に一日中、海上で生活しています。東南アジアにスールー海というのがあるそうです。初めて知りました。インドネシアでしょうか、ボルネオでしょうか…。フィリピンではなさそうです。
陸に上がるのは、とった魚を売りに行くときだけ。固い地面を歩くのは不思議な感じがするというほど、海上生活が中心です。舟の上にすべてがある。料理も食事も、みんな舟の上。
 赤ん坊が生まれると、すぐ海に入れる。まず、泳ぎを覚えるため。とれた魚を町で売って、また海に戻っていく。
 島に生えるヤシの木と魚で、自給自足の生活を営む人々。ヤシの木は、実だけでなく、殻も葉も幹も、すべて役に立つ。ヤシ殻からロープをつくる。とった魚は、みんなで分けあう。
島には、電気もガスも、水道もない。冷蔵庫もない。足りなくなったら魚もヤシもまた取ればいい。水は、雨水を水槽に貯めておく。
 子どもたちは、学校に通う。ヤシガニは青色で、手の平よりも大きい。ヤシの実は、ラグビーボールの大きさだ。
 青い空と広い海のなかで、子どもたちが屈託のない笑顔を見せている。この素敵な笑顔がずっとずっと続いていくことを願うばかりです。
 今回も素晴らしい写真を見せてもらって、ありがとうと著者に声をかけたい気持ちで一杯になりました。
(2024年12月刊。1980円)

罪名、1万年愛す

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 吉田 修一 、 出版 角川書店
 ミステリー小説なんですが、戦後の混乱状況に生きた人々の戦後をたどる話として読ませます。
 「1万年愛す」というのは、ルビーのペンダントの名前。今の価値だと35億円にもなろうかという、とんでも高貴な至宝です。なぜ、そんなものが、この本のタイトルなのか…。そんな至宝を島に住む招待主が所持しているというのです。でも、それがホンモノなのかは、最後まで分かりません。
そもそもの事件が起きたのは、なんと45年前の1978年、多摩ニュータウンの団地に暮らしていた主婦が突然、失踪してしまったこと。
 そのとき、ひょんなことから、この超大金持ちが容疑者の一人となった。そして、その容疑者に対する捜査にあたっていた元警察官も、この島に招待された。なんだか不思議な話ですよね…。
 そして、話はさらにさかのぼって、日本敗戦後の上野駅にたむろしていた戦災孤児の話になるのです。そこでともに生きていた仲間から、成功した人間も出たのです。そして、死んだ人の戸籍をもらって生きていったのでした。
 そんな孤児が社会的に成功して今があるわけです。主婦失踪事件も意味のある行為であって、殺人事件ではなかったのでした(ネタバレ、ごめんなさい)。
 まあ、さすがに手慣れた様子で話が展開していきますので、いったい、この先どうなるんだろうと思って一気読みしてしまいました。
(2024年10月刊。1980円)

本の江戸文化講義

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 鈴木 俊幸 、 出版 角川書店
 大学でゼミの先生から講義を受けている気にさせる本です。
 江戸時代が進むなかで、江戸だけではなく、全国的に無学文盲の人がいなくなり、みんなが本を読むようになりました。そして、本は買う本と借りて読む本の2つがありました。借りて読むほうの本はたくさんの人が読むため、本の表紙は厚い紙で出来ている。
 なるほど、なるほど、そうなんですね。
そして、本を読むのは黙読ではなく、声を出して読みます。素読と同じです。ほら、「し、のたまわく…」というやつですよ。
 戦国時代と江戸時代の大きな違いは、強力で安定的な政権が生まれ、長期にわたって戦争のない時代が誕生したこと、260年あまり一つの政権によって一国が保たれていたのは、世界史上ほかにないこと。
 ええっ、そ、そう言い切っていいんでしたっけ…??
 この長期にわたる安定の最大の要素は、民衆の幕府への信頼。平和の時代をもたらし、維持していることを民衆は素直にありがたく思っていた。
 民衆が平楽を享受していたことは私も間違いないと思いますが、さすがにここまで言い切っていいのか、やや、ためらってしまいます。
 江戸時代の人々は、日本が「鎖国」していたとは思っていなかった。「鎖国」というのは近代になって貼られたレッテルにすぎず、実態のない幻想だ。
 なるほど、朝鮮通信使は何十年かに一度、大行列を仕立てて国内を巡行しましたし、オランダのカピタンたちも江戸まで出かけていますよね…。
 生活の隅々にまで及ぶ厳しい農民統制を示す「慶安の触書」なるものは、今では教科書から一掃されている。これは幕府によって全国的に出されたものではないことが分かったから。
 江戸時代、身分は固定されたものではなかった。有力町人は、お金の力で名字帯刀(みょうじたいとう)を許された。検地にしても農民が自由に売買するため、農民のほうから実施するよう願い出ることもあった。
 江戸時代の百姓は、かなり自由に、したたかに生きていた。
西洋諸国とは違って、民衆が文字を手に入れ、文章を理解することを江戸時代の為政者は怖れなかった。むしろ、触書を理解し、道徳を身につけるのに有用だと判断して、民衆が文字知を獲得することを阻害しなかった。
 寺子屋が全国各地にあった。都市部では「女寺屋」といって女子だけを受け入れるところもあった。千葉県東金(とうがね)の寺習塾の記録によると、文政4年(1821年)に男子59人、女子27人、天保2年(1831年)に男子33人、女子24人。天保9年(1838年)に男子40人、女子33人だった。授業料(束脩。そくしゅう)は半年500文。
江戸時代、本に定価はなかった。売値は、客と交渉して決まった。
日本近世は、パロディの時代。男色を「アブノーマル」として排除しようとするのは明治になってからのこと。江戸時代には、マイノリティでもなんでもなかった。武将に稚児はつきものだったんですよね。
井原西鶴を現代の小説家のように考えてはいけない。江戸時代にそんな職業はない。十返舎一九は初めて原稿料だけで生活できた。たいてい「副業」をもって、それによって生活していた。
「南総里見八犬伝」は発売1年間にせいぜい500部ほどの発行部数でしかなかった。
蔦屋重三郎は、時代の動きを敏感にとらえて、それに対応する天才的な能力のあった希有(けう)な本屋。惜しいことに脚気(かっけ)のため、寛政(1797年)に48歳で亡くなった。ビタミンB1の不足。白米の食べすぎかな…。
江戸時代の本屋と書物そして文化人の動向を詳しく知ることが出来ました。
(2025年1月刊。2200円)

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