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横井久美子、歌手グランドフィナーレ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 横井 久美子 、 出版 一葉社
本年(2021年)1月14日、歌手の横井久美子は腎盂癌(じんうがん)によって76歳で帰らぬ人となった。この本は、横井久美子が生前に書いたエッセーなどを集めたもので、タイトルは本人が決めた。
横井久美子は、名古屋の左官屋の娘として生まれ育ったが、小さいころから声がよくて、近所でも評判の子どもだった。さすがですね。高校でも音楽過程声楽科に入り、大学は東京芸大の入試に失敗し、国立(くにたち)音大の声楽科に入学した。周囲は、みな金持ちの、良家の子女ばかり。左官職人の父親がアップライトのピアノを寮に運んできてくれたのを恥ずかしく思うばかりの女の子だった。
これって、私にもよく分かります。大学生のこと、小売酒屋の父と母を、私も心底から馬鹿にしていました。思い出すたびに顔から火が噴き出すほど恥ずかしさを覚えます。セツルメント活動をするなかで、社会と人生について少しずつ理解するようになり、自分のあまりの愚かさを少しずつ自覚するようになっていきました。
歌をうたうって、人間にとって何を意味するのか?
そもそも歌って、何なのか?
こんな根源的な疑問を胸に抱きながら音楽大学を卒業した。
横井久美子の夫は友寄英隆は経済学者です。「世俗チョウエツ学者夫」と書かれています。私も話を聞いたことがありますが、なるほど、真面目一徹の経済学者だという印象を受けました。この本によると、離婚の危機を迎えたこともあったようです。娘は、アメリカのワシントンDCで知的財産権の弁護士として働いているとのこと(その夫はアメリカ人)。長男は、「一般人」としての優しさを備えているとのこと。要するに、横井久美子の子育ては手抜きしたけれど、立派に成功したのです。うらやましいですね…。
横井久美子が「燃え尽きた」状態になったこと、それでアイルランドに旅立ったことは知っていましたが、この本を読んで、その事情を知ることができました。
1989年、横井久美子は歌手生活20周年のコンサートを日本青年館で開き成功させた。ところが、本人は出だしの声が十分に出なかった、満席にできなかったと思いこんでしまい、このまま枯れ木のように朽ち果てていくのではないかと大きく落ち込んだ。初めて味わった挫折感だった。唯我独尊になりやすい傾向にあったのです。「私が期待した私らしい私」になれないというのが不安感の主たる原因…。むむむ、なんだかよく分かりませんが、歌手一筋で生きてきたことから、いちど立ち停まって考えてみたらどうか、という天啓がおりてきたのでしょうね。
アイルランドでは、自転車を借りて219キロを横断したというのです。たいしたものですね。
1996年、南アフリカを「じん肺弁護団」のメンバーと一緒に訪問しています。福岡からは岩城邦治・稲村晴夫・角銅立身弁護士が一緒でした。角銅弁護士は横井久美子と大の仲良しで、自宅に泊めて歓待したこともあると聞いていました。角銅弁護士はベトナムにも一緒に行ったことが本書にも紹介されています。
横井久美子のガン闘病日記が紹介されています。そのなかで、本人は、いつも、「私はなんて運のいい女だ!と思って生きている」と書いています。本当にそのとおりですよね。そして、私も同じように思って生きています。
この本を読んで一つだけ不思議に思ったのは、「絶対音感のない私」という表現があるところです。あれだけたくさんの作詞・作曲をした歌手でも、絶対音感がないと思い込んでいるというのがひどい音痴の私には信じられませんでした。
横井久美子の歌は、なにより声がいいのです。私の全身にすっと音が入ってきます。そのうえ歌詞も曲も心地が良くて、うっとりさせられます。たくさんの、すべてとは言いませんが、CDをもっていました。過去形で書いたのは、今では「終活」の一環として、CDの大半を処分したからです。横井久美子の声を聞いている気分になって読了し、ほんわかいい気分に浸っています。いい本をありがとうございました。死んだら拍手してくださいということなので、精一杯の盛大な拍手を送りたいと思います。
(2021年6月刊。税込2420円)

変貌する日本の安全保障

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 弓立社
これだけ爆発的にコロナ禍が深刻化しているのに、政府は依然として国民に自粛を求めるだけ、外出するな、帰省するな、デパ地下へ行くな…だけ。オリンピックを強行して、お祭り気分を盛り上げておいて、それはないでしょ。「自宅療養」というのは、入院治療の拒絶ということを、政府もマスコミも国民に正直に伝えるべきです。
そして、コロナ禍対策のためのお金はつかわず、相変わらず中国・北朝鮮の脅威をあおり立てて軍事予算だけは増大させています。お隣の韓国政府は国防費をけずってコロナ禍対策にまわしました。当然です。国家を守る前に国民の生命・健康を守るのが政府の責務なのですから。ところが、日本ではコロナ禍の深刻化するなかでも辺野古新基地建設は中断することもなく進められています。ひどい話です。
著者は軍事問題に精通した日本有数のジャーナリストです。今は、法政大学などで学生にも教えていて、本書はその授業を再現したという体裁ですので、基本から軍事の常識を学ぶことができます。
アメリカが日本を守ってくれていると、ほとんどの日本人は誤解・錯覚していますが、駐米大使、外務事務次官をつとめ、ミスター外務省とよばれた村田良平(2010年死去)は、次のように語っているとのこと。
日米安保条約にもとづくアメリカ軍の基地の主目的は、もとより日本の防衛にあるのではない。アメリカは、日本の国土を利用させてもらっているから、その片手間に日本の防衛も手伝うというもの。そして、日本が世界最高額の駐日アメリカ軍の経費を負担しなければならない義務など、本来ない。もはや、アメリカが守ってやるというアメリカの発想を日本は受けるべきではない。日本の自尊心を保つためには、アメリカとの「良識をこえた特殊関係」ではない日本のほうが良いと考えるべきで、その溝があまりにも大きければ、日米安保条約を廃棄するリスクをとるほかない。
なんと、なんと、日本はアメリカの奴隷ではないのだから、もっとはっきりアメリカに対してモノを言うべきだと、元「ミスター外務省」は明言していたのです。知りませんでした。なんとなくアメリカは日本を守ってくれているなんていう幻想から、日本人は一刻も早く脱却すべきなのです。
同じように、コロナ禍対策を日本政府はきちんとやってくれるだろうという甘い幻想に浸っている場合ではありません。投票所に足を運んできっぱり「ノー」という意思表示をしないと、スガのような無能なダメ政治家と政府によって多くの国民が死に至ってしまいかねません。
北朝鮮の軍事能力も紹介されています。自然災害もあって、食糧不足が深刻化し、兵士は援農や建設工事にかりだされているようです。総兵力119万人といっても、装備の多くは旧式。空軍のパイロットの年間飛行時間はわずか20時間。これでは戦えるはずがありません。
しかし、怖いのは、特殊部隊が8万8千人もいるということ。日本は日本海側にたくさんの原子力発電所がありますから、そこを狙われたら日本はイチコロです。テポドン、Jアラートで日本政府は日本国民を脅しつけましたが、現実的な危険が原発にあることをマスコミ操作で「スルー」してしまいましたし、相変わらずしています。
アベ前首相が歴史も憲法も学んでいないことはよく知られた事実ですが、ポツダム宣言についても平気でデマをとばしていたのですね。
「ポツダム宣言というのは、アメリカが原爆を落としたあと、『どうだ』とばかり叩きつけたもの」
しかし、ポツダム宣言が発せられたのは7月26日で、原爆投下(8月6日と9日)よりも早い。アベは、歴史を知らない「歴史修正主義者」だ。これが悲しい現実です。
軍事問題というと、なんだか敬遠して専門家にまかせようという風潮があります。でも、毎日の生活は戦争のない、平和を前提としているのですから、目をふさぐわけにはいきません。350頁ほどもある大部な本ですが、やさしい語り口で展開していきます。あなたも、ぜひ読んでみてください。
(2021年4月刊。税込2750円)

「逆転無罪」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 無罪を勝ち取る会 、 出版 関西共同印刷所
これは「特養あずみの里、刑事裁判の6年7カ月」というサブタイトルのついた144頁の冊子です。「夏やすみの宿題」と思って読みはじめたところ、実に見事な編集とデザインで、とても読みやすく、この裁判の意義と問題点をたちまち理解することができました。
発行主体は、特養あずみの里業務上過失致死事件裁判で無罪を勝ち取る会です。
無罪判決の3つの要因
まず、木嶋日出夫弁護団長が画期的な無罪判決の意義と要因を3点あげています。第一は、当事者本人のがんばり。途中で心が折れて罰金20万円なら支払って終わらせたいと本人がしなかったこと。この裁判は自分だけの問題ではない、日本の介護の未来がかかっているという高い認識をもって、最後まで本人が頑張り通したのです。すごいことです。
 第二に、15人の弁護団が介護・福祉の専門家、医療関係者、法律学者との共同作業によって高い水準の書面を作成したこと。死因は窒息死でないとする医学所見を一審判決は排斥し、高裁はその点に判断するまでもなく業務上の注意義務違反が認められないとしたのですが、高裁の裁判官たちも、弁護団の指摘をきちんと受けとめ、一審判決のひどさに呆れていたとしか思えません。
 第三に、広範な支援者による裁判支援の取組。無罪要請署名は一審判決までに2種類45万筆、控訴審で28万筆、計73万筆を集め、それぞれ裁判所に受理させています。全国の福祉施設・医療関係者の注目を集めた事案だったことの反映です。全国の医療、看護、介護、福祉の関係者の支援を結集した事件でした。
解説のわかり良さ
 この冊子の本文では、裁判の流れが写真つきで図解され、また、弁護団による解説があります。藤井篤弁護士(東京)はあずみの里へ130回以上も通ったとのこと。弁護団会議もあずみの里で開かれています。釈明、図解、再発、証言そして迷走、弁論、不当、奮起、解析、説得、結論という項目だてで問題点がきわめて明快に説明されています。主として金枝真佐尋弁護士の執筆のようですが、説得力があり、素人にも分かりやすい文章が流れるように要領よくポイントをしぼって展開されています。
 本件では、死因を窒息と聞かされた遺族が怒って警察を動かしたようですが、まもなく民事的には施設と遺族とのあいだでは示談が成立しました。入所して2ヶ月で死亡という短期間だったことからか、遺族との信頼関係を築けなかったことが反省点としてあげられています。もし顧問弁護士として施設に関わっていたら用心したい点です。
裁判のすすめ方
 一審の裁判所は検察官に対して6項目の釈明命令を出しましたが、検察官が従いませんでした。それにもかかわらず、検察官は予備的訴因を途中で追加したのです。そして、一審裁判所(野沢晃一裁判長)は主位的訴因を排斥しながら、おやつの形態変更確認義務違反という予備的訴因で、有罪(罰金20万円)としたのでした。
 弁護団は、現場再現DVDを作成し、法廷で冒頭陳述のとき上映しましたが、このとき検察官は11回も異議申立しています。裁判所はいずれも却下しました。
 あずみの里で働く人たちが法廷で証言しています。深夜まで弁護士と打ち合わせたこと、一問一答形式で一字一句まで覚えて法廷にのぞんだこと、弁護士が検察官役になって想定質問にこたえるシュミレーションしたことなどの苦労話も紹介されています。それにしても、被告人を支援する集会に参加を呼びかけた証人の証言には「信用性に疑問がある」などと書いた一審判決には目を疑います。
病院と特養の違い
 病院と特養との違いを看護学者(川嶋みどり・日本赤十字看護大学名誉教授)が説明していますが、控訴審判決がそのまま採用しているのはすばらしいことです。つまり、間食を含めて食事は人の健康や身体活動を維持するためだけでなく、精神的な満足感や安らぎを得るために有用かつ重要…有用かつ必要である」、「食品の提供は…医療行為とは基本的に異なる」。まことに正論です。食事はみんなでおいしく食べたいし、甘いおやつだって、人生の最後まで食べたいというのは誰だってもっている自然な心情ですよね。
問答無用の高裁が逆転無罪
 東京高裁(大熊一之裁判長)は証拠請求を却下し、忌避申立も簡易却下したうえ、弁論再開申立も受けつけず、わずか1回の三者打合せと1回の口頭弁論で結審したため、弁護団は最悪の事態を覚悟して上告も決意したのでした。ところが、東京高裁は2回目で逆転無罪判決を宣告しました。裁判所は起訴されて5年以上が経過しているから、これ以上時間をかけずに速やかに原判決を破棄すべきだとしたのです。
 これについては、遺族の心情を考えたら、やはり死因をはっきりさせるべきだったと学者が批判しています。難しいところです。それにしても、ドーナツでは窒息しないというのは知りませんでした。結局、死因は脳梗塞のようです。
巧みな編集に魅せられる
 ともかく、オールカラーで、見出しのつけ方と編集の巧みさに完全脱帽して一気に読了し、その感動の余韻に浸ることができました。刑事弁護のすすめ方の見本、そして読まれる総括文書の典型としてご一読を強くすすめします。
(2021年7月刊。税込1320円)

伊能忠敬の日本地図

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 渡辺 一郎 、 出版 河出文庫
私の住む町にも伊能忠敬が来て測量したようです。町の中心部に、それを記念する碑が建っています。江戸時代に日本全国を歩いて測量してまわって詳細な日本地図をつくったことで有名な伊能忠敬の日本地図にまつわる話が山盛りの文庫本です。
伊能忠敬の関係資料は今から10年前(2010年)に国宝に指定されたそうです。当然のことだと門外漢の私も思います。ともかく貴重な測量図です。ところが、そんな貴重な伊能図がフランスとかアメリカに流出していたようです。それを現地で探し出していく著者の執念にも驚嘆しました。
伊能忠敬の家は息子も孫も若くして亡くなり、いったん絶えたが、幕末に伊能家は再興することができ、伊能図や文書類を維持・管理できたということのようです。大変な苦労が必要だったことでしょうね。ともかくスペースをとったと思いますので…。その資料の保存には伊能家の女性たちが活躍したことも紹介されています。やはり、女性の力は偉大です。
伊能忠敬の書庫から解放されて庶民のものになるのは、伊能図が幕府に提出(1821年)されて50年たった明治になってからのこと。江戸時代には、厳重な実測量を必要としていなかった。
伊能忠敬は商才を発揮して酒造業、米穀売買、金融業を営み、資産3万両(1両を15万円として、45億円)という資産家だった。事業に成功した忠敬は49歳のとき隠居した。息子は28歳。江戸に出て、天文・暦学を志し、19歳も年下の幕府天文方髙橋至時(よしとき)に入門した。忠敬は、地球の大きさが話題になっていることを知ると、自ら、測量してやろうと思った(らしい)。天文・暦学は面白いけれど、かなり難しい。しかし、測量なら自分でもやれる。忠敬はそう考えたのだ。
伊能忠敬は、終始一貫して現場指揮をつとめた。全測量期間を通して従事したのは伊能忠敬だけ。忠敬は歩測で測ったのは、第一次測量のときだけ。第二次測量からは、間縄(けんなわ)を張って測っている。天体観測は伊能隊の表看板で、1晩に、多いときは20個以上の星を測った。忠敬が測った恒星は、こぐま座、カシオペア座、しし座など、誰でも見られる普通の星。忠敬は自宅で測定した恒星の高度表をもっていたので、それと比較して緯度を求めた。伊能隊には経線儀がなかった。結果として、伊能図は北海道と九州がかなり東偏している。
間宮林蔵は忠敬の弟子である。忠敬は日本中を歩いてまわったが、忠敬は持病もちで、それほど体が丈夫なほうではない。なので、測量隊が進行するときには、主催者であるから村々では医師を待機させていた。
貴重な伊能図の発見と紹介が要領よくなされています。ありがとうございました。いちど、ぜひ現物をみてみたいと思いました。
(2021年5月刊。税込1089円)

「核兵器も戦争もない世界」を創る提案

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 学習の友社
これまで核戦争が実際に起きなかったのは、運が良かっただけという著者の指摘には、私もまったく同感です。同じことは、3.11の大震災による福島第一原発事故についても言えます。あのとき、アメリカ人は一斉に日本から脱出し、逃げ出したのですが、それはメルトダウンが関東一円を死の街にしてしまう危険が現実的なものだったからです。原発に欠陥があったから、なぜか水がたまっていて大爆発が起きなかったというのを知ったとき、私も心底から胆が震えてしまいました。これは樋口英明元裁判官も著書で強調しているところですが、そんな現実を少なくない日本人が忘れていて、安倍前首相の「アンダーコントロール」を真(ま)に受けているのが本当に残念です。
これまで核戦争が起きなったのは、核兵器が存在するおかげだ。平然とこのように言う人の神経が著者には理解できない、と言います。核兵器が存在していたから核戦争が起きなかったというのは、二つの現象を表面的に並べたたけで、論理的な説明にはなっていない。
著者は、こんなたとえ話を持ち出しています。「ニューヨークにワニがいないのは核兵器があるおかげだ」、「憲法9条は北朝鮮の核開発を止めることができなかった」、「お前が生きていられるのは、オレのいるおかげだ」。こんな異論が成り立つはずもない。まったくそのとおりです。
1980年6月、アメリカのカーター大統領の安全保障担当大統領補佐官のブレジンスキーは、深夜、軍事顧問からの電話で叩き起こされた。ソ連の原潜から220発のミサイルがアメリカ本土に向けて発射されたという。ブレジンスキーは、直ちに報復攻撃できるよう戦略空軍に核搭載爆撃機を発進させるよう指示した。次の電話では、ソ連のミサイルは2200発と告げられた。全面攻撃だ。ブレジンスキーは妻を起こさないことにした。30分以内に、みんな死んでしまうからだ。その後、3度目の電話があって、誤警報だと判明した。これは笑い話としてすませていい話では決してありません。いつでも、実際に、ちょっとした間違いから核戦争が起きる危険があるからです。
アメリカで起きた原発事故だって、そこで働いていた人々が故意に重大事故をひき起こした可能性があるとされているものがあります。ヒューマン・エラーというものです。
「俺はもつ、お前はもつな、核兵器」
アメリカやロシアなどの核兵器大国は自分たちが核兵器を持つのは正義だけど、他の国がもつのは不正義だなんて、一方的な論理にしがみついています。インド・パキスタン・イスラエルは、それが不満で核不拡散条約に入らず、北朝鮮は脱退してしまいました。
核兵器禁止条約は発効したのに、日本政府は今なお、背を向けたまま。
「かえって国民の生命・財産を危険にさらす」とか、わけの分からないことを言っている。要は、アメリカの核の傘のもとにいれば安全、アメリカに楯つくなんてもってのほか、という従属根性まる出し。そこには自主性のカケラもない。
「平野文書」なるものがあるそうです。私が読んだことがありません。日本国憲法をつくるときにマッカーサーとわたりあった幣原元首相の側近だった平野三郎という人が1951年に幣原本人をインタビューした記録のようです。
幣原は、戦争をやめるには武器をもたないことが一番の保証だと断言した。
幣原は「武装宣言」は狂気の沙汰であり、軍拡競争から抜け出そうという「非武装宣言」こそ世界史の扉を開くとした。今は夢想家のように思われ、あざけ笑われるかもしれないが、百年後には正しいことを言った預言者として正当に評価されるだろうと語ったというのです。まさしく先見の明がありました。
少しでもまともなことを言い、行動したりすると、自民党のタカ派からは、「あいつは共産党だ」と言われる。自分に反対するものは、みんな「共産党」と言うんだというエピソードも紹介されています。
そんなことでくじけてはいけません。正しいこと、必要だと思ったら、声を上げ、行動に移すことです。
著者は長く反核・平和運動に従事してきて、現在は日本反核法律家協会の会長もつとめています。もっと読みやすい編集・体裁にしてほしいと思いながらも、内容の重さにひきずられて読了しました。160頁の小冊子です。ぜひ、あなたもお読みください。
(2021年8月刊。税込1540円)

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