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日本大空襲「実行犯」の告白

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 鈴木 冬悠人 、 出版 新潮新書
日本の敗戦に至る1年間に、46万人近くの日本人がアメリカ空軍による無差別空襲によって殺されました。そのほとんどすべてが軍人ではなく、一般市民です。老人、女性そして子どもたちでした。
日本政府は、その大空襲を指揮したアメリカ空軍トップに対して、戦後、勲一等旭日大綬章(今の旭日大綬章)を贈っています。よくぞたくさんの罪なき市民(日本人)を殺していただきました、ありがとうございますという感謝の勲章です。ええっ、これって、いったいどういうことなのでしょうか…。もらった人は、日本大空襲を指揮した当時38歳のカーチス・ルメイ少将です。
「私は、過激なことをするつもりだった。日本人を皆殺しにしなければならなかった」と語った録音がアメリカに残っているそうです。このカーチス・ルメイはベトナム戦争のときは、北ベトナムを絨毯爆撃して、「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語したことでも有名です。ともかく、殺せ、殺せ、ジャップもベトコンも皆殺しだ、と叫んだ男に、日本政府は最高の勲章を贈ってその努力に報いたのです。まあ、なんという恐ろしい現実でしょうか…。人が良いにもほどがあります。
1945年3月9日の東京大空襲のときに出動したB29は325機。合計して1600トンをこえる焼夷弾を積み込んでいた。32万700発を深夜1時、東京都民130万人の上空からまき散らした。
日本本土への空爆は2000回、日本全国237ヶ所を狙って投下された焼夷弾は2040万発。被害者は少なくとも45万8314人(原爆による被害者を含む)。これは、市民を恐怖に陥れ、戦争への意欲を失わせることを目的とした。すなわち、女性や子どもであっても、軍需品や必要な物資の生産に関わっていて、国の産業・軍事力を支えている。なので、全員が戦闘員とみなされるべきだという考えによる。
そして、アメリカ軍は市民への無差別爆撃を始めたのは自分ではない、先に日本軍がやったと弁明した。
たしかに日本軍は、1938年から3年半にわたって、中国・重慶に対して200回以上も空爆を繰り返し、市民1万人以上が犠牲になった。この重慶爆撃の惨状はアメリカ国内に詳しく伝わっていて、日本への空爆は当然だという世論がアメリカ国内にあった。
日本大空襲のとき、アメリカ軍は、あまりに焼夷弾を投下したので、タマ切れとなって、10カ月ほど休んだ時期があるとのこと。この10ヵ月で助かった人もいるのでしょうか…。
B29による爆撃は、当初は精密爆撃というふれこみで、日本軍の戦闘機をつくる工場を狙うはずだった。ところが、高度1万メートルを飛ぶB29は、目視による対象工場をとらえることが難しく、しかも、そんな高々度には偏西風というジェット気流があって、B29による精密爆撃は難しかった。そのうえ、日本軍はドイツ空軍と違って戦闘機で迎撃する態勢にないうえ、高射砲陣地も恐れるに足らないことが判明したので、大空襲のときは高度2000メートルまでおりて飛行して市民への無差別爆撃を敢行していた。
この本によると、B29の開発は原爆の開発費20億ドルに対して、30億ドルもかけたというのです。そして、通常なら10年かかるのを4年で完成させたのでした。アメリカの技術力のすごさです。
また、この当時は、まだアメリカ空軍は存在していなかったのを、なんとかB29の運用をヘンリー・ハップ・アーノルド大将が握り、日本大空襲の成功によって、ついに空軍を創設できたという裏話が紹介されています。
B29は、完成された爆撃機というのではなかったようですが、ともかく、人類史上もっとも街を破壊した航空機であることは間違いない。
いやはや、恐るべきアメリカ空軍です。それにしても、日本政府って、いったいアメリカの奴隷に甘んじる人ばかりなんでしょうかね、おぞましい限りです。
(2021年8月刊。税込836円)

トキワ荘マンガミュージアム

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 コロナ・ブックス 、 出版 平凡社
団塊世代の私にとって、小学生のころ、「少年サンデー」と「少年マガジン」がはじまりました。小学校の正門前の医者の息子が同じクラスでしたので、彼の家に立ち寄って読ませてもらっていました。わが家では買ってもらえなかったのです。経済的な問題と、マンガなんて…という教育的な観点の両方が理由だったように思います。
この本によると、創刊時は、マンガのページは全体の3分の1ほどしかなくて、読み物主体の雑誌だったそうです。これには驚きました。それがマンガ主体の雑誌になったのは、このトキワ荘のマンガ家たちが活躍するようになってからだそうです。
では、トキワ荘グループとは、誰なのか…。
いやはや驚きますね。日本のマンガの初期の代表者のオンパレードなんです。
手塚治虫、青田ヒロオ、藤子不二雄(ⒶとⒷ)、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、そして女性では水野英子など…。いやあ、驚いてしまいます。もちろん、みんな若い。10代から20代で、みんな独身ばかり…。そして、周辺に、つのだじろう、つげ義春、ちばてつやもいます。
トキワ荘は、トイレも台所も共用。そして風呂はなく、近くの銭湯へ連れだっていく。
お金が入れば、みんなこぞって近くの映画館へ出かける。休日には野球チームをつくって試合することもあった。ラーメンを食べるのが、ごちそうという生活。徹夜仕事なんてあたりまえ。人手不足はお互いに助けあって埋める。
トキワ荘には電話がなく、近くに公衆電話ボックスがあった。出版社からは電報が届いた。
私も楽しみに読んでいた「おそ松くん」、「オバケのQ太郎」は、いずれも赤塚、藤子がトキワ荘から出たあとに大ヒットしたもの。
マンガを描くのにアシスタント制はなかった。ひとりで描いていた。
ところが、手塚治虫がストーリーを考え、ネームをきり、下書きを描き、人物は自分でペン入れするが、ベタやアミ、背景や小道具などはアシスタントがするシステムを発明した。これでマンガを量産できるようになったのです。
石ノ森章太郎は、マンガの天才だったようです。なるほど、と思いました。
トキワ荘の住人だった一人(山内ジョージ)は、他人と同じことをやっていては、この世界では生き残れないことをトキワ荘で学んだ、と語っています。いやあ、本当にそうなんだろうと門外漢の私も思います。なので、この人はマンガではナンバーワンになれそうもないから、イラストの世界でオンリーワンを目ざしているとのこと。賢明ですね…。
本物のトキワ荘は解体されて消滅しましたが、跡地の近くに「トキワ荘」が再現されてミュージアムになっています。私もぜひぜひ行ってみたいと思います。コロナ禍によって、もう東京には1年半以上も行っていません。もう少し状況が落ち着いて上京したら、行ってみたいところの一つです。
(2021年5月刊。税込2200円)

読む、打つ、書く

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 三中 信宏 、 出版 東京大学出版会
いつまでも、そこに本があると思うな。これは著者の座右の銘だ。
たしかにそうなんです。「読者という一期一会」という見出しがついていますが、一瞬の迷いで、目の前にある本を買わなかったとしたら、あとでとても残念な思いをすることがあります。なぜなら、新刊本が店頭に並ぶのは、いわば一瞬でしかないからです。なので、私は、カバンの重たさとだけ相談して、まずは買うようにしています。そして、新聞の書評などを読んで面白そうだと思ったら、ともかく注文します。逆にいうと、全集の類には手を出しません。
著者の掲げる、研究者としての心得5ヶ条。①根拠のない自信をもつ、②限りなく楽観的である、③好奇心アンテナが広い、④孤独な天動説主義者、⑤偶然を受け入れる構えをもつ。
私には、②、③、⑤は異議ありませんが、①と④は自信がありません。
著者は複数言語への目配りを怠らないように気をつけているとのこと。私も、恥ずかしながらフランス語だけは続けています(英語はダメなのですが…)。
薄切りにされた断片的情報だけに目を奪われると、それらをつなぎ合わせる体系的知識を求める動機づけが希薄になる。
著者の読書は1時間で100~150頁というのが基本ペース。ともかく、一定の速度でページをめくる。この定速は低速ではない。そして、著者は、①本に書き込む(マルジナリア)、②メモ書き、③付箋紙を貼りつける。私も①と③は必須です。②は、たまにするだけです。
著者は目次をしっかり読むとのこと。私は、それはしていません。
著者は、文献リスト、事項索引、人名索引を必ずつけるようにしている。これは自分のため。私は、そこまで出来ていません。
著者の読書は紙の本を基本とする。私は、紙の本しか読みません。電子書籍なんて、まっぴらご免こうむります。
日本では、「理系の本」を書評する人が圧倒的に少ない。それで、東大農学部出身という理系の著者は活躍が求められるわけです。
息を吸うそばから吐くように、本を読めば書評を打つ。
私の場合、書評を書く目的は2つあります。一つは、安心して忘れることができるようにするため。もう一つは、他人の文体を取り入れて自分の文章修行にするため。
世の中には、いろんな面白い本があることを世の中に知ってもらうのが書評家(者)のつとめ。まったく同感です。
著者にとっての書評とは、書くのも読むのも「自分ファースト」。著者にとって、書評は、自分のためにあるものなので、気になる本や面白い本は、とりあえず書評を書く。
私も同じです。年間500冊(コロナ禍で外出しない今年は400冊にたどり着けるのか、心配しています…)の単行本を読み、そのうちの365冊をこのコーナーで紹介するというのを、もう20年近く続けてきました。それは、なにより自分のための作業なので、続けてこれたのです。
本に囲まれているかぎり、心安らかな日々を過ごせる。これは著者のコトバですが、私もまったく同じ気分です。本を買っても、すぐに読む必要はない。あれば、そのうち読むチャンスが来る。
1冊の本をまるごと書くことによって、最大の利益を得るのは著者にほかならない。まったく、そのとおりです。
1冊の本を書くことで、いま現在の時空平面を超えて、過去から未来への軸にそった視座を示すことができる。
本をたくさん書くためには、①時間を確保する、②計画を厳守する、③弁解無用。この3つをスローガンとして、実行しなくてはいけない。うむむ、そうなんですか…。
文章を書くときには、完璧でなくても、とにかく書きすすめることが大切。たくさん書くためには、拙速主義を第一とする。毎日、少しずつでも書き続けたら、まちがいなく幸せになれる。これは、私も実践しています。
本を1冊書きあげるには、知力、忍耐力、そして決断力が必要。まずは、とにかく四の五の言わずに書きまくれ。これまた、ぴったり私の胸にきました。
ちょうど私より10歳だけ年下の著者の指摘には同感・共感するばかりでした。
(2021年6月刊。税込3080円)

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ミア・カンキマキ 、 出版 草思社
面白いです。読みはじめたら、途中でやめられません。
1971年にフィンランドのヘルシンキに生まれた女性が日本語をまったく読み書きできないのに、清少納言を知りたいと思って京都にやってきたのです。すごい勇気です。
この本を読んで意外に思ったのは『枕草子』というタイトルから、セックスと官能的な木版画(春画)と誤解している外国人がいるという話です。日本人なら、『枕草子』は学校で古典として教えられているので、春画と結びつける人はいないと私が思うのですが、「枕の本」すなわちセックスの本だと誤解している人たちがいるそうです。驚きました。でも、著者は、そんな誤解からではなく、清少納言の世界が性的に開放的であったことを繰り返し紹介しています。上流貴族と、その周囲の女性たちは、なるほど性的にオープンな世界だったのでしょうね…。
清少納言のような自由な女性たちは性的に開放的だった。
セイ、あなたは、そこでトップを切って、みだらな生活をしていた。
うむむ、「みだらな」と「開放的」というのでは、かなりニュアンスが違いますよね…。
フィンランド人の著者は屋久島まで出かけて、温泉に入ったのですが、そこは混浴。バスタオルもなく、年寄りのオヤジたちの前で、自らの裸身をさらけ出してしまったようです。
日本人女性は、昔も今も、髪に対して、異常なほどこだわりをもっている。うむむ、なるほど、そうなんでしょうね。美容室が町の至るところにあって、どこも繁盛していますからね・・・。
紫式部は内気、穏やか、引っ込み思案、内向的、つき合い下手、女房たちの噂話やイジメに興味がなかった。セイ(清少納言)は、正反対に、自信家で、出しゃばりで積極的、軽快な言葉のやりとりがことのほか好きで、自分の知識を見せつけたり、感性と感情と怒りをはっきりあらわした。無理してでも出来事の中心にいた。
うひゃあ、そんなに、この二人は対照的だったんでしょうか…。
清少納言を「日本人娼婦」と訳している海外の本があるそうです。とんでもない間違いです。信じられません。これも本のタイトルから来る連想ゲームのような間違いなのでしょう。
フィンランド語で出版されたこの本は、フィンランドで大いに売れたそうです。「人生を変える勇気をくれた」という感想が寄せられたとのこと。なるほど、と思いました。やはり、人生、何かの転機を迎えることがあっていいわけです。
大いに気分転換になる本として、ご一読をおすすめします。
(2021年8月刊。税込2200円)

かこさとしの手作り紙芝居と私

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 長野 ヒデ子 、 出版 石風社
かこさとしは、私より20年も年長ですが、川崎セツルメントの大先輩です(したがって、残念ながら、まったく面識はありません)。
東大工学部を1948年(私の生まれた年です)に卒業して化学会社(昭和電工だったと思います)に入社し、工学博士もとった技術者なのですが、なぜか川崎セツルメントに入って、子ども会で活動するようになります。大学生時代はセツルメントではなく、演劇研究会に入っていたそうです。
セツルメント子ども会では、子どもたちに自作の紙芝居を演じて、大人気を買います。
1949年につくった紙芝居は『わっしょい、わっしょい、ぶんぶんぶん』。この紙芝居はなんと、掛図式になっていて、長い棒の両端をセツラーが舞台でかついで、それを加古さんがめくりながら語るというもの。これで子どもたちに受けないわけがありません。
そして、この絵の中に、『からすのパンやさん』のカラスたちも登場していたのです。
かこさとしの絵は、いわゆる「ヘタウマ」というのでしょうか。登場する人物は、どれも整った美しさというより、そこらによくいる、おっさんとガキたちという親しみあふれる表情をしています。
加古里子は男性です(本名は中島哲)。2018年5月2日に、92歳で亡くなりました。
私が子どもたちに読んできかせた話の一番のお気に入りは、なんといっても、『どろぼうがっこう』です。そこに登場する校長先生は「熊坂長範」という福井生まれの大泥棒がモデル(かこさとしも福井出身)。もし、この『どろぼうがっこう』を我が子に読んできかせていないというのでしたら、今すぐ注文して読んでみてください。そして、子どもに読み聞かせしてみてください。からすのパン屋さんシリーズもいいですよ。
そして、『かわ』という、科学絵本もいいです。実に正確に事実を語りながら、子どもの心情と視点と、好奇心を失わせず、とても理解しやすいように、楽しく、わかりやすく、語り、描いている。本当に、そのとおりです。安心して子どもたちに絵を示しながら、読み聞かせすることができます。
70頁ほどの小冊子ですが、私にとっては、なつかしいセツルメントと、かこさとしの絵本のすばらしさを紹介してくれる本なので、すぐに手に入れて読み終えました。ありがとうございました。
(2021年9月刊。税込880円)

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