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夢を見るとき脳は

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 アントニオ・ザドラ、ロバート・スティックゴールド 、 出版 紀伊國屋書店
夢とは何なのか、夢を見るとはどういうことか…。
このテーマは私にとっても最大の関心事の一つです。
夢とは、睡眠中に出現する一連の思考、心象、情動である。これは辞書の説明。
ところが、研究者のあいだでは、何をもって夢とみなすのかということについて一致した見解はない。なので、夢を一つの定義にまとめるのは不可能。
夢の映像は、想像より10倍も鮮明で説得力がある。
6~8歳になると、夢が非現実であり、自分以外の誰にも見えていないことが分かる。そして、夢が個人の内面に出現するものであり、実体がないことを完全に理解するのは11歳ごろ。
睡眠中には、どういった精神作用が継続、停止、変化するのか…。
夢と思考の根本的な相違はどこにあるのか…。
以上の二つは、今日の夢研究においても中心的な疑問になっている。
フロイトは、自らの心理学的理論をそれまでの学説にない斬新なものとして売り込むのに成功したが、実は、その前に、フロイトと同じようなことをいっていた学者・研究者はいた。
レム睡眠は急速眼球運動(REM)が認められるもので、およそ90分おきに出現する。ノンレム睡眠よりレム睡眠のほうが夢を語ることのできる人が10倍以上いたという実験結果がある。
脳波というのは、1ボルトの1万分の1程度。レム睡眠は脳波だけからみると、覚醒しているとしか思えないのに、実際はぐっすり眠っている。レム睡眠では、まるで目覚めたように脳波が速くなるのに対して、筋肉の緊張が失われ、制御がきかないアトニアという状態に陥っている。
睡眠不足が何日か続くと金しばりを経験することがある。ラットをずっと眠らせないでおくと、1ヶ月以内に必ず死に至る。極度の睡眠不足は悲惨な結果を招く。アメリカで肥満が深刻化している原因に睡眠時間の減少も関係している。
成長ホルモンが分泌されるのは眠りの深い徐波睡眠のとき。横たわって眠っているあいだに背が伸びていく。抗体を産生するのにも睡眠が必要。そのメカは実はよく分かっていない。
脳内の老廃物を洗いながしてくれるのは脳脊髄だが、睡眠中に脳脊髄液が大波となって勢いよく流れる時間がある。これはノンレムの徐波睡眠の時間。
取り込んだ新しい情報は、とりあえずためておく。そして、眠ったあとに情報を見直し、修正を加えて、その意味を確定させる。
記憶の狙いは、過去ではなく、未来だ。また同じことを繰り返さないようにするため。幼児はノンストップ学習マシーンなので、小さな脳が取りこんだ新情報を昼寝で一度処理しておかないと、負荷がかかりすぎる。休憩なしで大量の情報が入ってくると、おとなだって対応しきれない。
夢を見たことなんて一度もないという人の脳波を見てみたりして夢を見ていたことが判明した。
生まれたときから視覚をもたない人の夢に視覚映像は出てこない。
女性と男性とでは夢を見る内容が違う。女性は夢のなかには男女ほぼ同数以上。男性の見る夢は、男性が女性より先に出てくるから。
夢の特徴の一つとして、登場人物どうしのやりとりがある。
夢のなかに性的な内容が登場する頻度は高い。
衝撃的な体験のあと、何度も悪夢を充みるのはPTSDの前兆である、
優れた芸術と同じく、夢も私たちを導きながら、生活を豊かにしてくれる。脳は筋肉とちがって休むことを知らず、昼も夜も働きつづけている。
夢の解明はすすんでいるようで、まだまだ未解明のところが大きいことを知りました。人間のことがすぐに分かるはずもありませんよね。脳と夢について、大変興味深く読みました。
(2021年9月刊。税込2420円)

アクセサリーの考古学

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 高田 貫太 、 出版 吉川弘文館
新羅(しらぎ)は、ほかと比べて貴金属のアクセサリーがひろく流行した社会だ。膨大な数の金製の耳飾りが出土している。百済(くだら)の耳飾りは、新羅に比べると、資料数が少ない。
新羅の冠には、帯冠、冠帽、冠飾りが確認でき、その材質は、金、銀、金銅。百済では、帯冠の資料は、ごくわずか。
新羅と百済の王や王族などの墳墓には、飾り履(くつ)が副葬されることがある。冠といっしょに出土することが多く、着装などは有力な人びとに限定されていた。
新羅では、王陵や有力者の墳墓から指輪が出土することが多い。しかし、指輪は百済や大加耶では、あまり知られていない。古代の「質」(むかわり)は、単に「人質」ということだけではなく、交渉相手の社会に派遣され、そこで自らが属する社会の交渉目的を代弁するようなこと。
古代朝鮮において、もっとも基本となるアクセサリ―は、耳飾り。倭も同じ。
洛東江の下流域の東側に位置する釜山は、その対岸の金官加耶の中心、金海とはちがって、新羅によって早い段階に統合された。
5世紀ころには、釜山地域は、新羅王権とのつながりを深めた。
5世紀の後半になると、長鎖の耳飾りが、倭各地の有力者のあいだでトレンドとなった。
5世紀の後半、倭の外交の一翼を担うなか、百済や加耶系のアクセサリーを取りそろえた地域有力者がいる。それが熊本県の江田船山古墳に伝わったと考えられる。6世紀前半、江田船山古墳から出土した百済の飾り履がある。江田船山古墳の耳飾りは、新羅系とみるのが自然。
磐井(いわい)の乱が起きたのは、1527年のこと。これは、新羅の加耶進攻を契機とし、そこに北部九州と新羅のつながり、倭王権による外交権の一元化の動きがからみあって、勃発(ぼっぱつ)した。これに勝利することで、倭王権は北部九州の主体的な対朝鮮半島交渉を大きく制限することに成功した。
出土したアクセサリーの日韓出土の相違点をことこまかく調べあげ、博物館のデータと根気よく比較していくという地道な作業が学者には求められています。大変な苦労ですね。ただ、そのとき、あれ、これはどこかで見たことがあるぞ、という記憶力も必要のようです。
アクセサリーを通じて、古代日本と朝鮮の王朝との結びつき、対立抗争を想定していくという面白い本でした。写真でアクセサリーを眺めるだけでも昔をしのんで楽しくなります。
(2021年5月刊。税込1980円)

こうして生まれた日本の歌

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
『心の歌よ』シリーズ第2作です。前回は21曲でしたが、今回は3倍近い57曲です。その分、1曲あたりの紹介文が短くなっていて、歌詞を思い出せない曲もありました。
福岡県大牟田市出身の荒木栄の歌も紹介されています。大牟田市の中心部に「九条の会おおむた」の事務所があり、そこには畳4枚分の大看板があって「平和への力、憲法九条」と訴えている(今はそこにはありません。事務所が移転しました)。
『がんばろう』は、筑豊の炭鉱の売店で働いていた森田ヤエ子の詞を荒木栄が作曲し、たちまち全国に広がった。
「沖縄を返せ」は、全司法福岡高裁支部(土肥昭三)が作詞し、荒木栄が編曲した。
荒木栄は1985年に亡くなったが、その碑は今も「米の山病院」の正面玄関前にある。
柳川市出身の北原白秋は、「からたちの花」を作詞した。柳川市には、鋭くて長い棘(とげ)のあるからたちの木が生け垣として、町のあちこちに植えられていた。
同じく北原白秋が作詞した「この道」は、北海道の風景を描いているが、同時に、幼いとき、母に手を引かれて歩いた玉名郡南関町の道も重なりあっている。うむむ、そうなんですか…。
サトーハチローは、少年のころは「神武以来の悪童」と呼ばれた悪ガキだった。落第3回、父(作家の佐藤紅緑)からの勘当は17回。山手線の内側にあるすべての警察署で捕まった。父の浮気癖にたまりかねて母親が家を出て、長男として父親のもとに残ったハチローは母を失った寂しさと父へのあてつけから不良になった。そのため、15歳のとき、小笠原諸島の父島へ追いやられて、そこの民家で4ヶ月のあいだ謹慎することになった。ここで、島の教会のポルトガル人宣教師の娘に恋をし、童話や詩集を熟読。島を出るとき、ノートが詩で埋まっていた。サトーハチローが一生のうちに書いた詩は2万1千編。そのうち3500編が母を慕う詩。これまた、すごいものですね…。
「ぞうれっしゃがやってきた」という歌もいいですね。戦争中、全国どこの動物園でも猛獣は殺せという命令がおりていたのに、名古屋の東山動物園では、4頭いた象のうち2頭を軍人もひそかに協力して生きのびさせることができた。いやあ、これってすごいことですよね。食糧難のなか、象のエサの確保は大変だったことでしょう。
そして、戦後、東京の子どもたちが象を見たいという。でも、2頭の象を離そうとすると、嫌がって暴れる。それなら、逆に東京の子どもたちを名古屋まで連れていこうということで、象を見る専用列車を仕立てた。1949年のこと。この列車で、6万人の子どもたちが東山動物園にやってきて、象を見た。この話が絵本となった。そして、それが合唱曲となって、大勢で歌うようになった。1986年の初演には定員850人の会場に1200人が集まった。うたが生きていた。2015年に名古屋で開かれた「日本のうたごえ祭典」では、2000人が舞台に上がって大合唱した。東山動物園の人たちは戦争の時代でも、あきらめず、仕方がないと思わず、守り抜いた。そのすごいことをみんなで歌うことで体感していく喜びがそこにあった。
著者が週刊「うたごえ新聞」に連載した記事をもとにした本です。私も、学生セツルメントの思い出を本(『星よ、おまえは知っているね』)にしたとき、この「うたごえ新聞」に紹介してもらったことを思い出しました
歌は、生きる力、明日への希望を心のうちに呼び起こす力をもっていることを実感させてくれる良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2021年5月刊。税込1760円)

世界一孤独な日本のオジサン

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 岡本 純子 、 出版 角川新書
日本は高齢者が世界一不幸な国だ。多くの国で、人の幸福度は50代で底を打ち、また上がっていく傾向を示している。ところが、先進国の中で、日本だけ右肩下がりに落ち続け、年をとればとるほど不幸に感じる人が増えていく。物質的に恵まれているはずの日本では、絶望的なほどの「不幸感」で覆いつくされている。
福岡の若者が大勢の人を殺して死刑になろうと思って上京し、電車の中で火をつけ、刃物を振りまわす事件を起こしたと思ったら、69歳の男性がそれを真似て九州新幹線の中で火をつけた事件が起きました。この日本社会に満たされない思いをかかえている中高年が多いことを象徴している事件です。
企業の相談窓口に不当なクレームをつける人(クレーマー)は、自らが品質管理・保証を専門にして、クレーム処理をやってきた中高年が多いとのこと。いやはや、なんということでしょう。
生活保護を受ける人を馬鹿にして切り捨てる発言を繰り返した維新の会の議員がいましたが、維新のコアな支持者は、タワマンに住むような、自らの努力だけで成功したと思っている「高収入・男性・管理職」に多いという分析があります。弱者切り捨てをあおりたてて面白がっている人は、いずれ年齢(とし)をとって身体が動かなくなって自分も弱者になるということを想像することができません。いつまでも、他人(ひと)に頼らず生きていけるという幻想に浸って日々を過ごしているのです。そんな人だって、退職して会社を離れたら、客観的には、たちまちみじめな境遇に陥ってしまうでしょう。仕事を失うと同時に生きがいを失い、そして、頼るべき友人がほとんどいない状況に置かれるのです。それで、クレーマー化し、またネットで炎上に参入して騒ぎたてるしか能がないことになります。哀れです。
日本を代表する証券会社でバリバリやっていた社員が退職して仕事をしなくなると、65%は70歳に届かないうちに亡くなっている。
都会の孤独は実に残酷。閉め切ってしまうと、何の音もしない。今や、高級マンションでの孤独死も少なくないというのが日本の現実。
孤独は、ありとあらゆる病気を引き起こす可能性のあるもっとも危険なリスクファクター。この孤独の犠牲者になりやすいのが、中高年の男性。
孤独のリスクは、①1日にたばこ15本を吸うことに匹敵する、②アルコール依存症であることに匹敵する、③運動をしないことよりも高い、④肥満より2倍も高い。
社会的なつながりを持つ人は、持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する。
多くの日本人男性にとって、職場を失うということは、人の根源的要求である、人として認められたい、必要とされたいという承認欲求を満たす場がなくなるとを意味する。
定年を迎えたら、プライドと驕(おご)り、そして肩書きを徹底的に捨てる必要がある。しかし、これはきわめて難しい。
競争心が強く、バリバリと仕事をして、出世していく「オレ様系」オジサンは、他人の話をあまり聞かない。話が長く、対話のない一方的な話をする。
女性は1日平均2万語を話すのに、男性は7000語しか話さない。女性は男性の3倍しゃべっている。
弁護士は定年がありませんので、いつまでも仕事ができるのは大変な長所です。しかし、仕事だけでない趣味をもって、人とのつながりをもつ必要があるわけですが、それには意識的、自覚的な努力が強く求められているということです。これって、言うのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しいことですよね…。
(2021年4月刊。税込902円)

シャムのサムライ

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 幡 大介 、 出版 実業之日本社
昔、シャムと呼ばれていたタイ王国に日本人町があり、山田長政という元武士が活躍していたことは知っていました。でも、実際に、どんなことをしていたのかは、まったく知りませんでした。この本は小説ではありますが、巻末のたくさんの参考文献もふまえていますので、史実とかけ離れたものではないだろうと受けとめました。
要するに、この戦国時代の末から江戸時代の初めにかけて、日本人がシャムを含む東南アジアに大量に渡って生活していたのです。それは豊臣方の敗戦将兵であり、また海外でひともうけしようという商人であり、さらには敗戦で捕虜となって奴隷として海外へ売られていった日本人元将兵までいたのでした。
山田長政は、もとはと言えば武士というより駕籠(かご)かき。徳川方の武将である大久保忠佐に仕える駕籠かきでしかなかった。しかし、20歳と若く、体格が優れているので、旗本と名乗っても立派に通用する。
そのシャム王国に渡った山田長政の大活躍していく様子が見事に活写されていて、600頁もの大作を日曜日ごとのランチタイムに読みふけりました。まさしく至福のひとときではありました。
それにいてもタイ(シャム)王国は、仏教徒の国、微笑の国とは言いつつも、その内実はよその国と変わらず、ドロドロとした権力闘争がくり広げられる国(王朝)なのでした。国王と、その取り巻きに逆らうと、命の保障はありません。
王族の処刑は胸を木で打ち叩き、心臓を圧迫すること。また、土中に穴を掘って投げ込んで餓死させるという方法もあります。仏教国なので、簡単に打ち首にするわけにはいかないのです。
シャム王国には、ポルトガル兵が大量に雇われていて宮殿を守っていた。日本人町もあり、日本人も外人部隊として活躍していた。戦国時代に豊富な戦争体験をしてきた日本人元兵士たちは、生命知らずの戦闘員として高く評価されていたのです。さらに、日本人商人も中国人商人やスペイン・ポルトガル商人たちとはりあっていました。
日本人町は、徳川政府との結びつきをもとうとしていました。山田長政も出世していくなかで、徳川幕府の支配層に知己を得たようです。
江戸時代の初めって、意外にも徳川幕府は海外と積極的に交流していたのですね…。
この本によると、シャム王国は仏教とヒンドゥー教を国教としている。大切な儀式は、すべてヒンドゥー教の思想にのっとって、バラモン僧の指導によって行われた。シャムは造船業も盛んだった。船大工の技量も高い。中国(明)の商人も、日本の朱印船貿易商も、きそってシャムに船を発注していた。うひゃあ、そうだったんですか…。
シャム王国の首都のアユタヤの日本人町には、2種類の日本人がいる。商人と牢人。牢人とは元武士。関ヶ原の合戦で敗れて逃げてきた、キリシタン牢人だった。羽振りは商人たちのほうが圧倒的に良い。
シャムから日本へ輸出するものとして鹿皮があった。鹿皮は、当時の日本人の必需品。馬に乗り野山を行く武士は脚に行縢(むかばき)を巻く。これは鹿の皮。そして、鎧(よろい)の装甲板をつなぐ。縅糸(おどしいと)としても鹿皮は使われた。もっとも必要とされたのは、足袋の材料。とても丈夫で、2年はもつ。ところが洗濯が難しい。1613年、日本の朱印船は4隻で15万枚の鹿皮をシャムから日本に運んだという記録がある。
このころ、中国(明)では銅資源が枯渇していた。銅銭がつくれないのでは、国際通貨になれない。そのとき、日本が金と銀を豊富に産出していたことから、日本がアジアの国際通貨の供給源になろうとしていた。
シャムは隣国カンボジアとも戦った。カンボジア軍の有力な部隊は、なんと日本人元兵士たちだった…。そうすると、敵と味方の双方に日本人義勇兵の一団がいる。この連中を殺してもいいものか、一晩悩み、迷うことになる。
タイには、今も山田長政を記念する碑があり、日本人を祖先とする人々が存在するといいます。それにしても外人部隊というのは、危急時には役立ちますが、平時には無用どころか、危険な存在なのですね。よく出来たストーリー展開の本で、最後まで息もつかせぬ面白さでした。
(2021年5月刊。税込2640円)

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